藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
巨匠の飽和状態
画伯って言葉、いまだに画家の世界では普通に使われてるようだ。先ほどフジテレビで、日本画の○○画伯の展覧会があると告知CMをやっていた。

ゴッホ画伯とかダ・ヴィンチ画伯とは決して言わない。ま、日本の画壇は先生と呼ばれる人だらけなので、ランク上位の画家だけに付けられる敬称ってことだろう。だけど画伯という言葉はどこかレトロで響きがいい。文豪とか楽聖とかを連想させる。そういや日本に現役の文豪はいない。小説家の世界に先生よりランクの上の敬称ってあるのだろうか。

こうした敬称というか、天才幻想を煽る尊称で、他の分野から一歩抜きん出ているのは、音楽界だ。巨匠、マエストロ、天才、名手は古今東西ごろごろいる。歴史を紐解けばベートーベンは楽聖、モーツァルトは神童、バッハは音楽の父、ヘンデルは音楽の母……。男なのに。僕は小学校の時、カツラ姿のヘンデルの肖像を見て女性だと信じていた。なんかウルトラの父、ウルトラの母みたい。だからバッハにもヘンデルにも妙な親しみを感じていた。

デザイナーで使われる尊称は、せいぜい巨匠くらいだろう。原稿を書くときソットサスやマジストレッティのようなイタリア人にはマエストロと使うが、ドイツ人デザイナーにマイスターとは使わない。なんか職人ぽいというそれだけの理由だ。バウハウスでは教師をマイスターと呼んだが、これを親方と訳している本を見るとえらく違和感を覚える。が、さすがにブロイヤー親方やカンディンスキー親方とまで書いたものは見たことない。

大げさな言葉を付けてデザイナーを呼ばないのは、作家性に固執しないのがデザイナーの美徳とされていることが大きい。せいぜい会話で年配の実績あるデザイナーに先生という敬称を付ける程度だ。

建築家だと巨匠、天才は結構いる。けれど建聖、建豪、建築王なんて言葉はないし、建築の父、建築の母と呼ばれる人もいない。ま、ル・コルビュジエが近代建築の父で、ミースが近代建築の母とか呼んでもいいかもしれないが、そしたらライトが黙ってはない。オレは神だ王様だと言いそうで。グロピウスも苦虫を噛み潰したような顔でボソッとつぶやく。「ミースが母なら私こそ本当の父だ」と。泥沼の親権裁判になりかねない。まあまあ、じゃあ、大げさな言い方は止めときましょうって。

ゲーテやバッハやベートーベンへのあの尊称は、ドイツのロマン主義が生んだ天才幻想が背後にあることを忘れてはならない。選ばれし者たちだけが神の特権行為である創造行為を許され、神から天賦の才能を与えられ、神の崇高さに近づくことができる。文豪も楽聖も神童も音楽の父も音楽の母もその呼称には歴史的な必然性があるのだ。

だから今の時代は巨匠どまりでちょうどいい。デザインも建築も保守化傾向が強いので、革命児なんて言葉も今はあまり使われない。なので、巨匠ばかりが増え続ける。でも、あっちもこっちも巨匠でいっぱい、というのもなんだかなあ。巨匠に代わるいい言葉ないだろうか。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-07-18 13:37 | Comments(0)
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藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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