藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
イームズ家具論
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突然ですが、チャールズ&レイ・イームズの家具の話をアップします。家具デザインを考察しながら、「honest」と「organic」という言葉を考えます。長文です。

《イームズ家具論:オネストとオーガニック》
──原点から語るイームズデザイン──

チャールズ・イームズの家具デザイナーとしての出発点は、1939年エーロ・サーリネンとともにデザインしたクレインハンス・ミュージックホールのための椅子である。1940年の有名な「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペに家具に先立つ二人の共作だ。
いわれないとイームズとサーリネンの椅子に見えない地味な印象の椅子だが、波打つように曲げられた革張りシートは印象的だ。深く沈み込むカーブがアルミナム・ラウンジチェアを想起させる。シートは成型合板製。この椅子は素材への挑戦であった。

 【成形合板椅子への挑戦】
 
当時、合板(プライウッド)は鋼管(スチールパイプ)に代わり、家具デザインの最先端材料になりつつあった。現在よく知られているデザイナー・建築家の中で、いち早く合板椅子を手がけたのは、レッド・アンド・ブルー・チェアで有名なオランダの家具デザイナー、ヘーリット・リートフェルトだ。彼は1927年に背と座を一枚の合板を曲げてつくった椅子をデザインしている。

鋼管椅子で知られるブロイヤーは、1935年イギリスのアイソコン社のために成型合板家具を手がけている。その形態はワシリーチェアのようなバウハウス時代の直線的デザインと対照的な、シートや肘掛けがうねる曲線的デザインだった。

フィンランドでは、建築家アルヴァ・アアルトが1931年背座一体の美しいカーブをもつ成型合板椅子パイミオチェアを生みだした。クロームメッキが冷たい印象を醸す鋼管椅子に比べて、アアルトの成形合板家具は木肌のぬくもりが生かされて、座る人にやさしく温かい印象を与える。合理主義的な無駄のない形なのにナチュラルで温かい。チャールズとエーロは、アアルトが示した人間中心主義や環境との共生へ向かうモダンデザインの新しい展開に大いに触発されていく。

アアルトは1938年ニューヨーク近代美術館(MoMA)での個展のあと、ミシガン州のクランブルック・アカデミー・オブ・アートへわざわざエーロの父の建築家エリエル・サーリネンを訪ねている。フィンランドで名声を築き上げてからアメリカに移住してきたエリエルは、アアルトにとって偉大な先輩であった。このときエーロも、クランブルックで教鞭を執っていたチャールズも、アアルトに対面している可能性は大いにある。

クレインハンス・ミュージックホールの椅子は、地味な佇まいの中に、成形合板の最先端のうねりを秘めているのだ。そのうねりはチャールズとエーロがこれから切り拓いていくデザインの序曲のようなものであった。チャールズとエーロはこの後すぐ「家具の未来」の運命の扉を叩くことになる。
 
【3次元曲面シェルへ】
 
1940年、チャールズとエーロはMoMAの主催する「住宅家具のオーガニックデザイン」と題されたコンペティションに出品し、第1席を獲得した。椅子を数種、収納やデスクも出品した。中でも特筆すべきは椅子であった。

クレインハンス・ミュージックホールの椅子は、流行の後追い的な要素が強い。しかし、チャールズとエーロがこのコンペティションに出品した椅子は革新的なテーマに挑戦したものだった。3次元曲面をもつ成型合板製の背座一体の椅子。アアルトもブロイヤーも一方向に曲げる2次元曲面しか実現していなかった。複雑な凹凸をもつ3次元曲面なら、人の臀部や腿の形にピタリとフィットさせることが可能であった。

しかし、3次元曲面をつくろうとすると、当時の技術では合板の表面に細かいヒビが入ってしまう。コンペに提出した計画ではシェルの背面だけ合板がむき出しのバージョンがつくられる予定だった。しかし実際に展示会のために製造した椅子は、1脚のサイドチェアを除き、シェル全体に布張りをせざるを得なかった。

課題が残った。布や革によって合板であることを隠さず、木肌の滑らかな凹凸が人を惹きつける成形合板の椅子を量産化すること──。チャールズはクランブルックの学生だったレイ・カイザーと再婚して、1941年7月ロサンゼルスに活動の拠点を移し、この課題の解決に没頭する。

イームズ夫妻が最初に量産を実現したプロダクトは家具ではなかった。チャールズが旧友の医者との会話の中で想を得た、成型合板製のレッグスプリント。それを海軍に売り込んだ。兵士が脚をケガしたとき脚を固定する添え木である。成型合板の3次元曲面が脚にフィットする。鉄製のものように錆びないので衛生的。海軍に採用されると、チャールズはハリウッドで映画美術のバイトをする必要がなくなった。

これが端緒となって、イームズ夫妻は戦争中、海軍の委託を受けて成形合板の実験開発に取り組んだ。担架から木製飛行機まで手がけ、軍の機密だった最新の成形合板の技術を手に入れることができた。

戦争が終わると彼らはその成果を発表する。1945年12月イームズ夫妻がニューヨークで発表したLCWDCWなどの合板椅子は、木肌を全面的に活かし、繊細で複雑な3次元曲面をもつ素晴らしい出来映えの椅子であった。

しかし、イームズ夫妻の合板椅子は、背と座は別々のパーツに分かれていた。戦争中、彼らは背座一体を試みたが、強度の問題をクリアできなかった。非常に手の込んだことをすれば、実現できたかもしれない。が、製造コストがはね上がる。それだと現代の生活空間にふさわしい安価な量産椅子という最初の目標からかけ離れる。

イームズ夫妻は成形合板にこだわらなかった。1951年デンマークのアルネ・ヤコブセンがイームズの椅子に触発されて、世界初の「成形合板+3次元曲面+背座一体シェルの椅子の量産化」を実現する。アントチェアである。が、もうその時にはチャールズたちの関心は別の素材に向いていた。イームズオフィスの家具部門ではスチールやアルミニウムやFRP(ガラス繊維強化プラスチック)を使った椅子づくりが試みられていた。

戦時中からイームズ夫妻は金属のシェルを作っており、1948年のMoMA主催の「ローコスト家具デザイン国際コンペティション」ではFRPのラ・シェーズ、それにスチールのシェル椅子、アルミニウムのシェル椅子を出品している。

このコンペの後、イームズオフィスは戦時中にFRPで戦闘機のレーダードームを製造していたジーニス社の協力を得て、FRP製の量産型シェル椅子を完成させた。FRPの椅子は、合板より安価で量産に適して、しかも強度が高い。ハーマンミラー社から発売されたプラスチックチェアは、大ベストセラーとなった。
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プラスチックチェアには布張りやビニールパッド張り、光沢仕上げしたものなどがあるが、イームズならではなのは、FRPのざらついた表面をそのまま仕上げに使ったシェルチェアである。その無数のガラス糸が埋め込まれたマットな表面を見れば、誰もが「これがガラス繊維に補強されたプラスチックだ」と即座に理解することができる。隠すべきものとされたFRPの表面を、逆に素材の持ち味としてそのまま生かしたのだ。
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【正直であること】
 
材料と構造に正直(honest)であること。これはチャールズが生涯貫いたデザインの信念である。1957年に制作した短編映画『おもちゃの汽車のトッカータ』(Toccata for Toy Trains/DVD EAMES FILMSに収録)に、チャールズは冒頭に自ら次のようなナレーションを吹き込んでいる。

「昔のすぐれたおもちゃでは、素材どうしが自己主張しすぎて自然さを欠いたような使い方はされていません。木は木、ブリキはブリキ、鋳物は鋳物の美しさのままに」

In a good old toy there is apt to be nothing self-conscious about the use of materials. What is wood is wood; what is tin is tin; and what cast is beautifully cast.

チャールズは亡くなる前年の1977年のインタビューで、「この映画は、正直なおもちゃでは素材が互いに調和しながら使われていることを描いたものです」と言い換えている。

The Toy Trains describes the unself-conscious use of materials in making an honest toys.

 (オーウェン・ギンガリッチ氏によるインタビューよりThe American Scholar , summer, 1977)(注)。
 
この考えの源流は、アーツ&クラフツ運動に強い影響を与えた19世紀イギリスの評論家ジョン・ラスキンにまで遡ることができる。ラスキンは著書『建築の七燈』で、材料、構造、労働を偽って見せる建築を強く糾弾した。レンガをセメントで覆ったり、石に見えるようにセメントに目地を入れたりするのは虚偽で卑しむべき行為と非難し、「正直」な建築の必要性を訴えた。神のために捧げる建築に偽りがあってはならないというわけだ。

『建築の七燈』はゴシック教会建築を最高の建築と礼讃する。神に捧げる建築の善悪は装飾があるなしの問題ではない。使っていない素材をあたかも使ったように見せる模造行為や、手仕事でなされるべき作業が機械作業に取って代わることを神への不敬とした。

【ライトとイームズ】

けれども、チャールズに直接影響を与えたのは、建築家フランク・ロイド・ライトだろう。チャールズは学生時代、アメリカ建築界では異端児的な存在だったライトの建築に傾倒して、大学の旧態依然の建築教育に反発し、退学処分になっているくらいなのだから。

ライトの『自伝』にはチャールズのナレーションのネタ元の文章がある。

「私は材料の性質を見ることを始め、材料を見ることを知った。今や私は、煉瓦を煉瓦として、木を木として見、そしてコンクリートやガラスや金属を見ることを知った」(樋口清・訳、中央公論美術出版・刊)

ライトがラスキンの考え方を踏襲したのは明らかだ。しかし、ライトはこの引用に続く一説でラスキンのピューリタン的倫理観が色濃い「正直」(honest)という言い方を、科学的・生物学的な言い回しに置き換えている。

ライトはこう続ける。「材料の精神が無視されたり誤解されたところには、有機的な建築はありえなかった。…(中略)…完全な相互関係は成長の第一原理である。統合、あるいは『有機的』という言葉の意味は、何ものも、ある生きた目的に向かう全体に自然に関係づけられたもの──存在の真の一部──でなければならない」

科学が神に代わるのだ。
ラスキンにとって神への信仰こそ建築デザインが正直であることの唯一の根拠であった。それがライトにおいては有機的(オーガニック)であることこそ建築が正直であることの根拠となる。

このライトの「有機的(オーガニック)」の思想が、MoMAのコンペのコンセプトに受け継がれる。コンペのカタログには次のように記されている。「構造と材料と目的に応じて、全体の中の部分が調和ある組織を形づくっているときに、デザインはオーガニックなものになる」。ここでいう「オーガニックデザイン」とは概念上のオーガニックであって、曲面的な形態を指すオーガニックフォルムのことではない。しかし概念と形態は微妙な関係をもっていた。

【モダンアートとリンクする家具デザイン】
 
当時モダンアートの最前線では、不定型で得体の知れぬ生命のような形態の彫刻や絵画がひとつの流行になっていた。ジャン・アルプ(本名ハンス・アルプ)やヘンリー・ムーアジョアン・ミロ、イヴ・タンギーらの絵画や彫刻に現れるその形態は、オーガニックともバイオモルフィック(生命形態的)とも形容された。

エーロ・サーリネンは建築家をめざす前にパリで彫刻を学んでいる。レイ・イームズはチャールズと出会う前、ニューヨークで抽象絵画を学んでいる。チャールズとエーロとレイは、モダンアートの最前線と家具デザインをリンクさせようとした。「材料と構造に正直な3次元曲面シェル」の実現を通して、ライトのいう「概念としてのオーガニック」とアートの世界の「形態としてのオーガニック」を統合しようと試みたのだ。それはちょうどリートフェルトが、レッド・アンド・ブルー・チェアによってモンドリアンの抽象絵画と家具をリンクさせ、家具デザインを最前線の芸術文化として浮かび上がらせたことに匹敵する。

レッド・アンド・ブルー・チェアに相当するのが、イームズ夫妻のラ・シェーズである。先に述べたように1948年のMoMAのローコスト家具コンペに出品されたものだが、このバイオモルフィックなシェルの原型は、すでに1941年MoMAのコンペのときチャールズとエーロが考案したものだった。7年後チャールズとレイはその形をリファインさせ、抽象彫刻のような存在感をもつ椅子を生みだした。

サーリネンは戦後、ウームチェアチューリップチェアといった3次元曲面シェルをもつ優れた家具を世に送り出した。しかし彼はチャールズと違う道を歩み、建築に邁進した。サーリネンの代表作ニューヨークJFK空港のTWAターミナルは、彼が追究した3次元曲面シェルの最高にして最大の開花である。
 
【オーガニックにデザインする姿勢】
 
戦後のイームズ家具は、クレインハンス・ミュージックホールのための椅子と「オーガニックデザイン」コンペの出品作を起点に、ほぼ完全な進化系統図をつくることができる。突然変異的な例外は、レイがデザインしたウォールナットスツール(1960年)くらいである。ショックマウント(脚とシートなどを接合する衝撃吸収するゴム製ジョイント)や収納家具ストレージユニットも「オーガニックデザイン」コンペの出品作が原点である。

60年代半ば以降、イームズオフィスは短編映画制作や展示デザインなどのプロジェクトが忙しくなり、家具デザインの占める割合は大幅に減少する。だが、どんなに仕事が広がろうと「オーガニック」という通奏低音は流れつづけた。

なぜなら、イームズオフィスは、家具、建築、展示、映像、グラフィックなどあらゆる仕事がチャールズ・イームズという希有なパーソナリティのもとで、おのおのの仕事が完全な相互関係を保ち、部分が全体に調和しながら、まるでひとつの目的に向かう生物のように成長・進化しつづけたからである。

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(注)2001年東京都美術館で行われたイームズ展のカタログでは、「honest toy」を「誠実に作られたおもちゃ」と訳している。日本語だとそのほうがしっくりくる。が、しかし、なぜhonestというような倫理的な言葉がデザインで使われるか? そのしっくりこない具合をこれから、次の「正直」を巡る論考で考えていくので、あえて正直と訳す。ちなみにグッドデザイン賞の審査基準にも「誠実であること」というのがしっかり記載されている。

【関連リンク】
・イームズの家具についてはイームズ作品の寄贈先であるアメリカ国会図書館のHPが面白い。
Eames Office

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♪おまけ♯ イームズとサーリネンのプロフィール

【チャールズ&レイ・イームズ】
Charles Eames (1907-78) and Ray Eames (1912-88)

チャールズはアメリカ・セントルイス生まれ。レイはカリフォルニア州生まれ。デザインした家具すべてが名作の奇跡のカップルです。二人はクランブルック美術アカデミーで師弟の関係。1941年結婚し、ロサンジェルスに移ります。二人は自作の機械で成形合板の研究を重ね、45年成型合板で3次元曲面をもたせることに成功した画期的な椅子LCWやDCMや、収納、テーブルなどの家具を発表し、ハーマンミラー社と専属契約を結びます。その後も新素材・新製法に挑み、FRP製のプラスチックチェアやワイヤーメッシュチェアを開発します。56年のラウンジチェアは白眉。家具デザインは彼の活動の一部です。建築、遊具、映画、展示会デザインなどの分野でも類い希な業績を残しました。

【エーロ・サーリネン】 Eero Saarnen 1910-1961
アメリカ20世紀建築のトップランナーの一人。チャールズ・イームズの最良の友にして最高のライバルとして、家具デザインにも大きな影響を与えました。フィンランドに生まれ。父親は著名な建築家エリエル・サーリネン。1923年に家族はアメリカに移住します。イェール大学で建築を学び、36年から父の事務所を手伝いながら、父が校長だったクランブルック美術アカデミ−の助手も務めます。そこでイ−ムズと出会い、40年に二人は協働でMoMA主催の「住宅家具のオーガニックデザインコンペ」に応募、第一席を獲得します。第二次大戦後、建築家としての才能が開花。NYケネディ空港TWAターミナルなど代表作多数。家具ではノル社のチューリップチェア、ウームチェアが有名です。
(このプロフィール原稿の初出はBRUTUS 568号)

あっでもオレこんだけイームズのこと書いてんのに一脚も持ってないや。欲しいけど。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-09-05 19:46 | Comments(1)
Commented by フェラガモ バッグ at 2013-07-01 10:54 x
お世話になります。とても良い記事ですね。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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