藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
ナラティブの力 ── モノ・コト・物語
モノ。コト。あるひとつのまとまり・かたまり・つらなりをいい表す言葉である。物事とも事物ともいうように、このふたつは表裏の関係にある。

一般に、実体があるとモノ、現象だとコトと呼ぶ傾向にあるが、そうとも限らない場合がある。

「事足りるが物足りない」──これは面白い表現だ。用は満たしているが、充足感がない、という意味である。この場合、「事」は機能面での働きであり、「物」は感情への働きである。

「物になる」とは、価値ある成果をあげたり、一人前と認めてもらえる人になることである。つまり、存在感を発することだ。ある「人物」が「大物」か「小物」かは存在感の強弱をいう。

「もののふ」とは強い存在感ある武者であり、「物の怪」は正体不明で、実在するかも定かでないが、出会った人の心に強烈な存在感を残していく。「もののあわれ」とは無常の世界のなかで存在感が明滅する様を表す。

コトが言の葉の「言」であることも忘れてはならない。人が何かを他者に伝えようとしたときに、そこにコトバが生まれる。コトバは音声や文字による言語とは限らない。視覚言語、デザイン言語、身体言語、映像言語というように、形態や象徴や身体動作や映像などで語られることもある。

「事」と「言」が重なり合うと「歴史」が生まれる。事実は言葉に置き換えられて、歴史として語り継がれるのだ。

「物」と「言」が出会うと「物語」が生まれる。語りが人の心に訴えかけ、存在感を発する働きをし始めると、それが物語となる。事実か架空かは問題ではない。

歴史も、語り継がれることによって物語となる。物語とは、人の感情に作用し、その存在感を心に残す、語りうる形でひとつにまとまった出来事のつらなり、といえるかもしれない。

ナラティブ(narrative)とは、「物語。話術。語り。物語体(風)の」といった意味である。narration(ナレーション)と近いことから分かるように、「語られる」というニュアンスを含む。

映画「男はつらいよ」47作目に、寅さんが、靴会社に入ったばかりの甥の満男に物の売り方を教えるシーンがある。

満男は営業の仕事がつまらないと不満を漏らす。寅さんは満男に「オレと勝負してみないか」と、ペン立てあった消しゴム付き黄色い鉛筆を手渡して「オレに売ってみな」と言う。満男は「消しゴム付きです。買いませんか」と言うだけで言葉に詰まる。

寅さんは、母の思い出を語り出した。「オレは不器用だったから、夜おふくろが鉛筆を削ってくれたんだ。火鉢の前にきちんと座って、白い手で削ってくれた。削りカスが火鉢の中に入ってぷ~んと香りがして……」。家族みんなが寅さんの話に引き込まれ、「私、こんなに(短く)なるまで使った」「昔はものを大事にしたな」といった会話が始まる。寅さんの語りが、どこにでもある鉛筆を尊いものに変えてしまう。

物語は人の心に存在感を残すだけにとどまらない。物語は語られることによって、多くの人と世界観を共有するための有効な手法になりうる。そして語り継ぐことで、その世界観が進化していく。それがナラティブの力である。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2013-03-07 15:09
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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