藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
大失敗
本日桑沢の昼間の講義で、最後の最後に語るべき大切なフレーズをど忘れしてしまい、悔しくて仕方ありません。先週末からせっせとPowerPointの準備をしてきた講義なのに。90分間の話をコレでまとめてるぞ、という言葉がどうしても出てこない。フリーズ状態でした。

ルイス・カーン、アフォーダンス、深澤さんのCDプレイヤー、エンツォ・マーリのゴミ箱、iMac、ミス・ブランチ、風灯の話をして、岡倉天心の『茶の本』の琴馴らしの話で締めようとしたんです。琴馴らしは、どんな名人も弾きこなせなかった龍門の琴を、伯牙という名人中の名人が琴と一体化することで弾きこなす、という話。琴が奏でるままにまかせたのが演奏の成功の秘訣と伯牙が語り、このエピソードが終わります。そこまではしっかり語りました。で、教室がシーンとなったところで、天心の言葉を語ると、これまでの話の話が全部つながる──。そこで突然フリーズです。脳みそが固まり、再起動できませんでした。記憶を外部のPowerPointに頼りすぎているから奥底にある記憶に辿り着けない。あせって真っ白。なんとか話をつないで終わらせましたが、沈黙の時間が長かったので助手さんに気持ち悪くなったのかと後で言われてしまいました。みんな真剣に聞いてくれていたので、ど忘れしたとも言えず。でも、ホントは正直に言ったほうがいいんですよね。まだまだ見栄っ張りです。

で、このブログを見ていただいている桑沢の学生の皆様、訂正です。

真の芸術とは、伯牙であり、
私たちは、龍門の琴である。

と天心が語りました。ここが思い出せなかった(汗)
「真の芸術は私たちだ」とかワケの分からないことを言ってしまったような気がする(汗2倍)。ま、それも面白い解釈だけど。

琴の視点からものを見ると、芸術やデザインの要点が見えてくる。よいデザインは私たち使い手・住み手・鑑賞する側の行為を誘い、記憶を喚起し、眠っていた私たちの創造性・想像力を呼びさます。そんな話がシメだったんです。来週訂正します。

申し訳ありませんでした。

とにかく僕は伯牙の領域にぜんぜん達していないようです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-10-26 16:10
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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