藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
輸入退治天狗
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渋〜い展覧会を見に行きました。渋谷のたばこと塩の博物館の「広告の親玉 赤天狗参上 明治のたばこ王 岩谷松平」展(3月12日まで)。親玉とか赤天狗参上って、なんのこっちゃ、です。いや、でも、この天狗にはいろいろ考えさせられました。

岩谷(いわや)松平は、たばこの製造販売で一代で財を成した実業家。薩摩から上京し、まだキセルで吸う刻みたばこが主流だった明治初中期、欧米の紙巻きたばこにいち早く目を付け、明治17年(1884年)ころに「天狗煙草」を発売。派手な宣伝で世に広めていきます。

天狗煙草にはさまざまな種類がありました。青天狗、赤天狗、金天狗、日の出天狗、国益天狗、愛国天狗、征清天狗、陸軍天狗、海軍天狗、日英同盟天狗、輸入退治天狗。そう、天狗さんはバリバリのナショナリストなのです。

ライバル、村井兄弟商会の主力は「ヒーロー」「サンライス」。アメリカン・タバコ社と資本提携して販路を拡大していきます。外国資本がバックについた企業に対抗するために、岩谷松平は「国益の親玉」と称し、純国産をアピールします。ポスターには「愛国心の有る人は天狗煙草を呑んでください。天狗煙草は輸入を防ぎ輸出をなし實に日本の名産なり」と書かれています。

このたばこを吸えば、お国のためになる、というのです。

プリウスに乗れば、環境のためになる、というのにそっくりです。

現代の日本では愛国心は道徳とは別物と考えられていますが、明治の日本では国を愛したり天皇を敬うことは、親を尊敬するのと同様の道徳の基本です。商品が倫理的・道徳的であることが、最終的に企業と消費者との信頼関係を築き上げる、という点は今も昔も変わりません。ま、100年前はいささか露骨すぎるのですが。

このパッケージはもはや完全に「メディア」です。たばこが美味そうだとか、くつろぐとか、スタイリッシュだと訴えるのでなく、天狗煙草を買えば“ワタシは愛国者”と自分自身にも他の人にも表明することができるのです。「Love Earth」とさりげなく書かれたオーガニックコットンのTシャツを着るのと“いいことをした感”の創出では本質的構造が同じです。ロハスと天狗煙草は、体にいい悪いは別にして、メディアとしての構造がいっしょなのです。

戦後、1951年に来日したレーモンド・ローウィは日本専売公社のために「Peace」のパッケージを手がけます。当時の総理大臣の月収の15倍のデザイン料150万円で。メディアとしての天狗煙草のパッケージを考えると、この逸話の隠されたメッセージが読み取れます。

消費文化を育てた高名なアメリカ人に「平和」という名のたばこのパッケージをデザインさせたことには大きなメッセージがあったのです。ローウィの著書『口紅から機関車まで』の翻訳者、藤山愛一郎は1957年岸内閣外相に就任し、日米安保改正に取り組んだ人物ですから。

メディアとしてデザインを読み取ると、グッドデザインのグッドの怖さが分かるはずです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-18 02:09 | Comments(4)
Commented by Yanagimoto at 2006-02-18 14:44 x
リンクありがとうございました。こちらもリンクさせていただいていいですか?
 
天狗煙草は現代の広告戦略のルーツなんですよね。確かに明治はナショナリズムが強いのは印象的です。グンゼだって漢字で書くと「軍是」ですし、「正露丸」も“日露戦争でロシアを征した”が由来。仁丹のロゴも軍人ですし、キリンビールも日露戦争勝利記念にドンペリのラベルのビールを販売していますね。国民はナショナリズムをステイタスにし、企業は市場に従いながら、さらにその心理を煽り続ける。まさに現代の広告表現です。
ローウィのギャランティは有名ですが、あれによって今のグラフィックデザイナーの地位が向上させられたんですよね、それまでは図版屋という程度しかなかったものを。その後、戦後第一期のデザイナー、グラフィック55の参加メンバーが、さらにはペルソナの参加第二期メンバーが表舞台に登場しますが、彼らが中心となって東京オリンピックや大阪万博を手がけていく事を考えると、ローウィのニュースですら、戦後のナショナリズムの仕組まれた道筋になっているような気がするんですが、どうでしょうか?
Commented by ぴこ at 2006-02-18 19:21 x
はじめまして。
道徳観や倫理観によって「マーケティング」を行っているという面で、
ナショナリズムも商業エコロジーも同根、という意見に賛成します。
まともにエコを考えると、本来なら消費社会そのもの問い直しになるはず
のものが、「LOHAS」という、いかにもアメリカ発の「ライフスタイル
商法」にすりかわっているのに激しい違和感ととまどいを感じていました。

しかしながら、消費行動を考え直すきっかけとして広告/メディアを
利用すれば、それはそれで有用なはずなのですが、実際はまだそこまで
発信する側も受け手側である消費者/国民も成熟していないというの
が実際でしょうか。

現在欧州在住のため、今回のエントリを拝読して、最近こちらで問題に
なっているメディアの責任と権利のこともからめて、考え込んでしまい
ました。
Commented by cabanon at 2006-02-18 20:40
>Yanagimotoさん
リンク、宜しくお願いします。
ホント、現代の広告戦略のルーツだと思います。
当時珍しかった自転車に乗った「岩谷自転車宣伝隊」や、音楽隊を引き連れた「村井宣伝隊」が街を練り歩くとか、渋谷の街全体をイベント化する現代の広告に非常に近い。店舗も赤、馬車も赤、社長の着る服も赤、というカラーによるブランディングと広告のイベント化は、なんか佐藤可士和っぽい。社長のキャラで売るところはライブドアとか。
広告の基本ってきっと100年前とそんな変わっていないでしょうね。
Commented by cabanon at 2006-02-18 21:01
>ぴこ さん
メディアの責任と権利ってムハンマドの風刺漫画のことですよね。間違ったらごめんなさい。

その波及効果を慎重に吟味することなく情報を流しておいて、慎重さを欠いたことを反省することなく、攻められれば攻められるほど自分たちこそ「表現の自由」の守護神だと言わんばかりに英雄ぶるのは、やめてほしいですよね。

メディアは魔術に近い力をもっているのですから、正義や善や倫理を語るときは本当に慎重になってほしい。ニュースの後に占い師がテレビにふつうに出てるってどういうことと思います。正義と悪と、真実と虚構が隣り合わせであることから逃れられないのがメディアなのですから。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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