藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
デザインが存在しないことの不可能性
現在発売中の『AXIS』vol.125で昨年秋、金沢21世紀美術館で行われた川崎和男展の展評を書いています。
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川崎さんが強い影響を受けた、夭折の美術評論家・宮川淳の語る「鏡について」の論考をもとに、「デザインの広がる可能性」を論ずるのでなく、「デザインが存在しないことの不可能性」を語っています。

僕は、川崎さんが人工心臓をデザインするのは、「こういうものまでデザインである」と、デザインの可能性を広げる試みでなく、デザイナーを自覚する者が「そこにデザインがない」と明言できる領域と接するぎりぎりの境界線を探し出す、人生を賭したミッションだと思っています。

「そこにデザインがない」とはっきり言える領域のひとつが、タナトスの支配する世界です。個人の死はデザインできます。千利休の自害のように。しかしそこから先は人の手の届かない領域です。その世界を正面から見つめる視線を持っていることが、川崎さんと他のデザイナーとの違いであり、川崎さんと倉俣史朗との共通点のような気がします。

「生」ばかり見ている眼には見えない「生」──。そこがデザインのフロンティアではないのでしょうか。ぜひ読んでみて下さい。あっ連載の「未来技術報告」もよろしく。


*****
ジョン・レノンの「マザー」があんなに重たい「非対称性」を歌った曲だったのは、川崎さんの原稿を書くためにネットで歌詞を調べて初めて知りました。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-01-04 14:52 | Comments(2)
Commented by ishizaka masaya at 2007-01-08 23:44 x
cabanonさん、お久しぶりです。

私は、ユニバーサルデザインを専攻しておりましたので、その際に川崎和男さんのことも知りました。デザイナであるのに、医療に切り込み医師としての知識も養われているということで、とても驚きました。

「患者さんがつけたくなるような人工心臓を作りたい」
という言葉が特に印象に残っています。

デザインだけでないのかも知れませんが、その領域において非常に高い水準に在る人は、言いようの無い深さを知り、探求しているように思えました。
Commented by cabanon at 2007-01-09 08:03
>ishizaka masayaさん
臨床をする医師になること、医学の博士号をとるのは違うことだけど、
医学の博士号をとるのは、ものすごく大変なことですよね。
これからは生命工学の論文で博士号をとったデザイナーとか
生まれてきて欲しい。
デザインはあらゆるジャンルを横断する「知」ですから。

「患者さんがつけたくなるような人工心臓を作りたい」
とは本当に印象的な言葉ですね。

体の中に最先端の技術を搭載してて
ある意味、自分はサイボーグだと思えて、
自分の身体も命は、人類が育んできた知恵とともにあると自覚できるって
素晴らしいことだと思う。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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