藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
10年前に書いた原稿
10年前、1995年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年に書いた原稿を復活させます。ゴミ情報論です。
『fab!』という知り合いの編集者が自主制作した雑誌のために書いたものです。
時代を感じます。情報スーパーハイウェイとか死語ですね。「加賀まりこに怒鳴られる」ってそんなCMあったような。
読み返すと気恥ずかしい。文章が青々している。ここはちょっとなあ、と思う箇所もある。が、いいとこ突いてる気がします。ので、原文のまま、掲載します。
長文なので、読みたい方は下左の[More]をクリック。



【ゴミ情報論】

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我が家のSE/30は、ハードディスクの容量が40MBしかない。だから、いつも1MBの空き容量しかなく、700Kくらいの空き容量になると、データを捨てたり、フロッピーに保存して、なんとかやりくりしている。ちょうど、洋服屋の袋のように捨てようか、とっておこうか迷うものもあるが、あとで使えそうと思ってフロッピーにセーブしておいても、たいていはしまったままなので、迷ったら捨てることにしている。

今の時代、40MBを使うには収納上手の奥様感覚がないとダメなのようである。もちろん原稿書き用のワープロ専用機として使う手もあるが、やはりSE/30はコンピュータとして使いたい、という思い入れがある。

ま、幸いなことに、データのゴミは多量に燃えないゴミを捨てるときみたいに良心が傷むということがない。捨て放題なのである。メニューバーから「ゴミ箱を空に」のコマンドを選べば、完全に無に帰する。現実空間のようにエコロジーなどに気を使う必要がないわけだ。要はハードディスクのスペースだけ考えていればよい。しかし、現実の世界でのゴミ捨てまくりは加賀まりこに怒鳴られる。現実世界ではゴミ置き場やゴミを処理する場所を考えねばならないからだ。現実世界のゴミ問題は、ある意味ではスペースの問題でもあるのだ。だから、不要なデータを全く消し去ることができるデジタル空間は、一見、全く現実空間のゴミ問題とは無縁のように思える。

しかし、そこのところを強引に関係づけると、デジタルメディアに対してちょっと変わった見方ができる、という話をこれからしてみる。

まず、デジタル空間のゴミが現実空間のゴミと同じ流れをする、と考えてみる。例えば、僕のSE/30から出たデータのゴミは、「ゴミ箱を空に」のコマンドを選ぶと、パソコン通信を通って地域ごとの巨大なハードディスク(つまりゴミ捨て場)に集められ、あるものは圧縮され、あるものは原型のまま蓄積される。また、あるものはリサイクルに回される。不要の画像データのリストがデジタルデータのゴミ処理場に作られ、ある遠隔地に住むアーティストがインターネットを介して自分のコラージュ作品のためにそのデータをダウンロードする……。

と、ここまで考えてみると、こうしたゴミの流通の図式は、インターネットの構造に酷似していることに気づいていただけると思う。インターネットで繋がった世界中無数に散らばったサーバーは、ある意味では「地域ゴミ処理施設」もしくは「地域ゴミ集積地」である。もちろん現実のインターネットの中ではどの情報も有用な顔をしているが、しかしほとんどの人にとっては限りなく新聞のチラシに近いゴミのような情報なのである。

パソコンはスタンドアローンでいるかぎり、深刻なゴミ問題は生じない。なぜなら自分に不必要な情報は消滅させればいいからである。

だが、世界のパソコンがネットワークで繋がるとすると、「わたし」には必要な情報でも、世界中の99.999999999%の人間には全く不要な情報が、ネットワーク上に遍在化することになる。たぶん多くの人に必要な情報は従来通りマスメディアが提供しているわけで、もし僕のSE/30がずっと回線付け放しで世界中からアクセスできる環境になっても、例えばこの書きかけの原稿のデータなど、僕以外の人にとってはゴミのような情報なのである。そしてそうした情報が世界中を駆けめぐる。

インターネット上で、最近日本でも見かける素人さんが自分で作った自分の趣味や家族を紹介したホームページなど、画像が出てきた瞬間に「やめてくれ〜、電話代返せ、時間を返せ」と叫びたくなるものがある。ま、暇つぶしに覗くのも一興ではあるが、2、3見れば確実に飽きる。これなど作った人には申し訳ないが限りなくゴミに近い情報である。しかし僕自身はこうしたゴミ情報に否定的なわけではない。

だいたいインターネットでネットサーフィンなんてかっこいい言葉を並べ立てて、浮かれている連中はアメリカのドラッグカルチャーくずれのサブカル野郎か、マスメディアの宣伝にすぐのせられるよっぽど脳天気かどちらかで、情報伝達の本質を見ているとは思えない。情報伝達は多量の無駄な会話や無駄なコミュニケーションが前提としてあってはじめて、時たま、自分にインスピレーションを与える情報や役に立つ情報がやってくる。あっちで油を売りこっちで油を売るオヤジの散歩のほうがインターネットでのコミュニケーションを表すには適切な表現であり、ネットサーフはスマート過ぎる。ただし、この散歩するオヤジは意外と哲学者や科学者だったりするわけだが……。

僕は、インターネットは「哲学者のゴミ拾い」だと思っている。哲学者が世界中の夢の島のような情報の集積場を散歩しながら、思索をする(デジタル空間は臭いがないのがいい)。情報はほとんどゴミみたいなものであるが、中に賢者の石が隠れている。しかし石は錬金術師たちが考えたように、もっともとるに足らない姿をしているのだ。

ま、今はアメリカ中心のネットワーク社会なので、インターネットはビジネスチャンスと有用な情報が集積したプラグマティックな電子図書館のイメージのほうが近いのかもしれないが、世界中のパソコンが結ばれたとき、そこはきっとカオスになる。情報スーパーハイウェイなどは政治家の結びついた土建屋的な言い方で、ゼネコンが情報通信機器メーカーに変わっているに過ぎない。世界的なネットワーク社会は、そんな建築的・構造的なものではないはずである。
【1995年3月2日記】
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-05-11 20:00
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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