藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
主体の転換(1)デザインをどう言葉で表現するか
昨日のアップした写真を眺めていて、ルイス・カーンの言葉を思い出した。
「レンガはアーチになることを望んでいる」
「太陽自身、建物の壁に当たるまで、光の偉大さを知らない」
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どうしてこんな詩的な表現ができるのだろう。「レンガを使うときは、設計にアーチを採用することを考えてみましょう」「建物の壁に当たる光の効果を考えなさい」などと言っていれば、カーンの言葉は後世に語り継がれることはなかったはずだ。カーンの表現は、人を主体にして語るのでなく、物を主体にして語っている。アフォーダンス風に言えば、環境側に主体を置いているのだ。

主体の転換とでも言うべきか。たとえば「人が門をくぐる」と言うところを「門が人を迎え入れる」と言うと、その門は包容力がある魅力的な構えをしていように思えてしまう。

「壁に刻まれた傷が歴史を語る」「窓が額縁のように風景を切り取る」など、建築の世界では、こうした環境側に主体を置いた表現がしばしば効果的に使われる。が、プロダクトデザインでは建築に比べ主体転換の言語表現が少ない。それがプロダクトデザインのボキャ貧の理由のひとつでもある。おそらく建築のほうが空間や物体といったものと人間との一対一の関係が浮かび上がりやすいのだろう。

「人がドアハンドルを握る」という表現を考えてみよう。「ドアハンドル」を主体にしたときどんな表現ができるだろうか。もし「ドアハンドルが人の手によって握られる」という受動的表現以外、何も思いつかないのなら、そのドアハンドルは優れたデザインとは言えない。主体を環境側に置いたときに、受け身の文でしかない表現できない物や環境は、貧困なデザインということだ。

ドアハンドルを握りやすい形状にデザインすれば、「ドアハンドルが手に馴染む」と表現できる。質感を考え、材料を吟味すれば「ドアハンドルが手に重厚な感触を伝える」とも書ける。しかし、この程度の表現では詩的というレベルまで達していない。「ドアハンドルがいつも最初に客人と握手をする」と書くにふさわしいなら、そのドアハンドルのデザインは初めて創造的で詩的なデザインといえる。この場合、ドアハンドルのデザインに、人を快く迎え入れるホスピタリティの精神が込められていると想像できるからだ。

言葉とデザインは表裏一体だ。言葉の力だけで良いデザインはできないが、デザインは言葉で表現することによって、その良し悪しを確かめることができる。どんな問題をどのような方策で解決したか。それを人の想像力を膨らます言葉で語ることができるデザインは、逆に言葉を超えた奥行きを持つようになる。

どんなに使いやすさを極めていても、コストを抑えていても、主体をひっくり返して詩的に表現できないデザインは優れたデザインとは言えない。昨今はヒューマンセンタードデザインなどという言葉が使われるが、人間中心のデザインだからこそ、主体を人間でなく、環境側で語ってみることが大切だ。そうすることが、使い勝手やコスト削減だけを優先しただけの無味乾燥のデザインから逃れるきっかけになる。深澤直人は言葉の力の使い方が実にうまい。逆にユニバーサルデザインの伝道者たちは言葉の操り方が下手である。ユーザビリティの専門家たちもそう。言葉はデザインを豊かで的確なものにする。

主体を環境側に置く表現にはさらなる上級編がある。「光が壁に当たる」ということを「太陽は壁に光が当たって初めて光の偉大さを知る」と変えてしまう表現だ。
ここには、人が介していない。人から出来る限り遠くに主体を置くことで、私たちは人間を意識する。中心にいるべき人間を。実際、光の偉大さを知るのは人間なのだから。

上の写真はインド経営大学@アーメダバード。ルイス・カーン設計。2002年撮影

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-05-13 22:49 | Comments(6)
Commented by pandemic at 2005-09-02 03:14
はじめまして。
パンデミックの大隅と申します。

このエントリーに深く共感いたしましたのでコメントさせていただきます。

心に響く空間は、確かに心に響く言葉であるように思います。

最近のGDPの公開審査での記事でも塚本さんのお話など、同じ事をおっしゃってますよね。

勉強になります。

リンクさせていただきました。

今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by cabanon at 2005-09-02 08:39
>大隅さん
コメントありがとうございます。この記事はこのブログの原点のような記事です。それにコメントいただけて正直うれしい!

かつて僕が20歳代の頃、アート関連の出版社に勤めていたとき、先輩編集者が「美術を出来る限り言葉で語るのが自分の仕事だ」と語っていた。
その時「えっ、でも言葉にならない部分というのが絶対あるじゃん」と思ってその言葉に反発したのですが、最近はすごく共感できるようになってきた。

作品の全てを言葉で表現することは出来ないけれども、作品に対峙したり空間に浸りながら、言葉を発することで立ち上がる何かがある……。

やさしい言葉、わかりやすい言葉だけが、人の心に届く言葉ではないとつくづく感じます。デザインの世界ってまだ人の心に届く言葉が少ないんです。。「人にやさしいデザイン」とかそんなんじゃない言葉を見つけるために、頑張っていきます。

こちらもリンクさせていただきます。では、宜しくです。

Commented by knsout at 2005-09-04 22:04 x
初めまして。偶然通りかかりました。
デザインと言葉との関係が量子理論の不確定性原理の観測者と対象との関係に似ているように感じました。
普段デザインに関する文章を読むことが多いですが、これからは接するときの読み手としての心構えを改めます。

昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか
Commented by cabanon at 2005-09-05 21:48
>knsoutさん
コメント残していただき、ありがとうございます。
うん、まさに「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」ですね。
人を介さずとも人間の本質を突いている。

どんなに客観的に叙述しようとしてもそこに観測者の主観が現れるってことですよね? 量子力学って。
作品によって、この境地で語れるものと、そうでないものがあるように思います。客観的に語ろうとすればするほど、自分の過去に引きずってきたものが出てしまう作品がある。それがきっと作品の強度だと思う。それはデザインも建築もアートも共通のことだと思います。
Commented by Tシャツのプレゼンで背を向け続 at 2007-01-30 12:38 x
けたSD1年の者です。半年間お世話になりました。
最後の『視点を変える』というテーマの授業で藤崎さんが話していたコトを少しブログに書きたいと思い、授業内容を書かせてもらったのとこちらのブログを参考にさせてもらいました。(まずかったら削除します)
授業は終わってしまいましたが藤崎さんのお話は大変面白かったので、こちらのブログにちょくちょく足を運びたいと思います。
失礼しました。
Commented by cabanon at 2007-01-30 19:52
覚えてますよ。あのプレゼン。
糸が前と後ろを結んでて、SPORTSと刺繍したTシャツ。

古い記事もちゃんと読んでくれて、とてもウレシイです。
このブログ、どんどん参考にしてください。
コメントも気が向いたときにお気軽に。では。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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