藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
チョコレート展とSENSEWARE展
展覧会と展示会。同じ「Exhibition」でも、どちらの言葉を使うか、原稿を書く時に使い分けるようにしています。21_21 DESIGN SIGHT の深澤直人ディレクションのChocolate展(7/29まで)と、スパイラルの原研哉ディレクションのSENSEWARE展(4/29まで)。僕の書き分けからすれば、前者は「展覧会」で、後者は「展示会」です。Chocolate展もSENSEWARE展も、ディレクターが「ひとつのテーマ」を定め、「参加者」を選び、彼らに「作品」をつくってもらうグループ展であることは全く同じですが、本質的な違いがあります。

展示会はプロモーションが目的です。TOKYO FIBER'07 SENSEWARE(センスウェア)展は、新しいハイテク繊維や知られざるユニークな繊維素材を世の中に知らしめるための「Exhibition」です。デザインの力で日本の繊維業界のポテンシャルを引き出し、同時に繊維の力でデザイナーや建築家たちの創造性を引き出して、日本のものづくりの総合力を底上げし、それを世界に示そうという明快な目的があります。6月にはファッション業界の本場、パリで巡回展が行われます。参加作家それぞれの世界観を繊維によって表現した作品が並ぶ「展覧会」と呼んでもいいような「Exhibition」ですが、その明快な目的から考えれば、これは「展示会」です。

一方、前者はチョコレート業界の活性化とは何も関係がありません。誰もが知ってて子どもの時から慣れ親しんでいるチョコレートという素材を使って、「世界」を捉え直す「Exhibition」です。作品には、参加作家の世界観、つまり世界を見つめる視点と批評性が問われます。ディレクターもデザイナーで参加作家もデザイナーが多く、会場が「デザインサイト」と名付けられているので、デザイン展のように思えますが、同時代の先端の創造力を結集して、チョコレートという日常的な題材に「あっそうか!」とビックリマークがつくくらい、世界のものの見方を変えようと試みているわけですから、これはまさに「コンテンポラリーアートの展覧会」です。

昨日、この2つの「Exhibition」のオープニングパーティーに行きました。SENSEWARE展は「展示会」として大きな成功を収めていると思いました。山中俊治氏のロボット「エフィラ」やソニー クリエイティブセンターの「手のひらにのるテレビ」、松下電器パナソニックデザイン社の生きもののような暖房機、セイコーエプソンの超極薄繊維を使った多重スクリーンなど、原デザイン研究所の撥水性加工された繊維を使った「WATER LOGO」など、非常に興味深い作品が多く、ついつい会場に長居をしてしまいました。企業参加の作品に良作が多く、なかなか外へ発信する状況をつくりにくい企業デザイナーたちの創造性も見事に引き出しています。

「フランスやイタリアで大きな産業となった“ファッション”という枠組みの中で、日本の“繊維”の可能性を語ると、どうしても一歩踏み出せないところがある。一度“ファッション”という言葉を使わずに、プロダクトデザインやグラフィックデザインや建築などさまざまな分野を結びつける素材として“繊維”を考え直してみたかった」と原研哉氏は会場での立ち話で語ってくれました。

原氏はディレクターとして竹尾ペーパーショウでREDESIGN展とHaptic展を成功させました。紙の素材としての可能性を示すというペーパーショウとしての本来のミッションの背後に、もうひとつのミッションをありました。デザインの力を世に示したい。そのシンプルで力強い隠れミッションをディレクターの原氏が参加者たちと共有しあえたことが、「展覧会」と呼んでいいようなレベルの高い「作品」で構成される「展示会を超えた展示会」になった理由です。

SENSEWARE展でも基本の構造を同じです。ファッションという枠組みとは違う、「SENSEWARE」という繊維の新しいデザインの枠組みを日本のデザイナーたちの力で創造し、それを世界に定着させていけるのか。パリでどう受けとめられるか楽しみです。

Chocolate展は「世界を捉え直す作品」と評価するには、あまりに力の弱い作品が並んでいました。それぞれクオリティの高い作品であることは確かです。しかしそのクオリティとは仕上げとか素材感とかカラーとかフォルムとかそうした意味でのクオリティであり、チョコレートから世界を捉え直す「批評としてのクオリティ」は低いものでした。

「ねえねえ、みんな分かるよね。そうそう、あれよ、あの感じ」って代名詞だけで会話が通じる共有の記憶の中にひきこもり、狭い世界の中で日常空間の見方を変えるだけの、極めて私小説的な作品が非常に多い。「私は知覚過敏でチョコを食べると歯が痛くなる」ということをテーマにしている人、銀の包み紙へのノスタルジックな記憶、紙パッケージを開けるときの感覚──。中でも、マーブルチョコ、アポロチョコ、パラソルチョコをテーマにした作品は、日本限定の、同世代感覚に訴える、「ねえねえ、ほら、あれ」の最たる作品です。

カカオは非常に政治的な農産物です。多国籍企業の利益や先進国の人々の豊かな生活のために、非常に安い労働力の国で、本来、その国の人々の農産物を栽培されるべき土地で育てられます。サトウキビやコーヒー豆、バナナのような、労働力と土地を貧しい国から収奪する農産物なのです。そのチョコレートの政治性や経済的背景を正面切ってテーマにした作品は、約30組の作家が参加しながら、ジェームズ・モリソンの写真作品と、マイク・エーブルソン+清水友理のインスタレーションだけでした。日本の作家のリサーチの甘ったるさには、哀しいものがあります。既製品を特別にチョコレート色にした作品のどこに“世界を捉え直す批評性”があるのでしょうか。

「展示会」は、何を展示するか、それを展示することで誰が利益を得るのか、はっきりしていますから、「いま、なぜ」繊維なのかということを明確に示す必要がありません。「ハイテク繊維がいま面白い、これからもっとスゴくなる」と思ってもらえればいいわけです。

しかし同時代の事象や作家を採り上げる「展覧会」は、「いま、なぜ」を語れなければいけません。結局、チョコレート展で見えないのは、そこです。チョコレートはスゴい、って話ではないのですから。いま、なぜチョコレートなのかという「答え」をディレクターの深澤氏が持っておらず、「問い」だけが作家のほうに投げかけられているように思えます。

そこがキュレーションとディレクションの違いだと思います。原氏は「展示会」ですからスゴいの連鎖を仕掛ければいい。スゴい答えの返ってきそうなスゴい才能ある人たちに「問い」だけを投げかけて、「繊維はスゴい」「日本のデザイン力はスゴい」という結論を導いていく。

しかし「展覧会」は「スゴい」の連鎖を仕掛ける場所じゃない。結局チョコはスゴいって結論だけだったら、入場料を1000円も支払う価値はない。チョコレートを題材にした展覧会なら、キュレーター側が「いま、なぜ、チョコレートか」という答えを用意して、たとえば、チョコと記憶、チョコと共有感覚、チョコと環境、チョコと政治、といった起承転結のある形で構成していかなければならないと思います。じゃないと、伝わらない。

で、もしキュレーターの想定した答えを超える「作品」が出てきても、それを投げかけたテーマを深め広げる「ポジティブな振幅」として受け入れ、「伝える」ために起承転結を再構築する柔軟さもキュレーターには必要です。

やはり、デザイン専門のキュレーターが必要だと思います。チョコレートというテーマ自体は興味深いのですが、展覧会のキュレーションに展示会のディレクションの手法をそのまま採り入れたことで、答えの見えない展覧会になってしまったように思います。展示会の答えは「スゴい」という分かりやすい答えでいいのですが、展覧会の答えは分かりやすい必要はありません。同時代の世界に対する批評であるべきなのですから。展覧会を見た人が受け取る答えもまちまちでいい。しかし、展覧会が批評空間として展開されていて、「いま、なぜ」という問いへの答えをつかむ道筋は用意してあげる必要がある。その仕事こそ、展覧会のキュレーションだと思います。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-04-27 12:27 | お気に入りの過去記事 | Comments(23)
Commented by cabanon at 2007-04-30 11:42
>dolphinさん
おっしゃるように、ものづくりにおける企業の力は、確かにすごい。
でも「情報発信」という面からみると、企業の力は強いとは言えない。
広告代理店が仕込む宣伝広告の発信力は、非常に強力ですが、
企業の中に一度埋もれてしまった技術を再び世に出すとか、
どんな利益をもたらすかはっきりしない技術や才能を世界に発信して、
それをブランド価値の向上や、新しいマーケットの創出に
つなげることは、決して得意とはいえない。
だから、見出し広めて価値を創造する社外の眼が必要になっていくわけで、
SENSEWARE展は、地味な繊維業界が、
一線級の社外デザイナーたちが出会う良い「場」になっていたと思います。
Commented by John S at 2007-04-30 13:09 x
チョコレート展をみるためにNYから来日したデザインジャーナリストです。
まずは、fujisaki さんが述べておられる社会的な背景に言及した作品は、ほかにもあったと思います。民族柄をすりこんだKumagaiさんのチョコレート。ヴィンセントの作品も ”こどもたちの泣き声が聞こえる”というところで、児童労働に言及していることがわかります。フロントの花瓶は、あえて凡庸な花瓶の形状に時代の異なる世界各国の柄を層にしていました。女性的なオブジェというだけでなく、エーブルソン同様、世界との関係に言及した深いものです。つまり同展は、表層の色や素材をこえて見る人がどこまで踏み込めるのか、ということが試されているのです。その意味で、これまでのデザイン展とは違う実験的な精神を感じます。こうした「読み込む」力がデザイン界には求められているはずです。
Tokyo Mid Townという場所性ゆえ、デザイン展を初めて目にする人も楽しめるようにした工夫も感じました。ユーモア、ヒューマニティがデザインに重要であることを示すと同時に、日本独特の小さな批評性があちこちに見え、甘ったるいだけではない多層構造の知的な展覧会だと私は感じたのですが。   
Commented by 小太郎 at 2007-04-30 15:41 x
昨日、チョコレート展を見てきました。大盛況でした。
で、チョコレート展、はたして、展示会の手法そのものでしょうか?
ワークショップの経緯など、これまでのトークショーを聞いてみても
ちょっとちがうようですよ。先週のスペシャルトークでも、展覧会の独特の
つくりかたが伝わってきました。
SENSEWAREのような展示会とは、目的もちがうでしょうし
それぞれの展覧会、展示会のつくりかたをこれからも気にしながら
展覧会にでかけたいと思います。
Commented by cabanon at 2007-05-01 22:23
>John Sさん >はるみさん >小太郎さん

コメントありがとうございます。
長文になるので、まとめて、4分割して、レスさせてもらいます。

JohnSさんが書かれた
>これまでのデザイン展とは違う実験的な精神を感じます。

僕もそう思います。というより、これは「デザイン展」じゃない。
記事中にも書きましたが、
チョコレート展はデザイナーによる「コンテンポラリーアート展」です。
いわゆる「現代美術」というジャンルを超え、
アートとデザインという枠組みをも超えた、
「現代の、同時代のアート」の展覧会だと思います。
ほとんどの作品が今回の展覧会のために作られたコミッションワークですし、
建築と対話するインスタレーション作品もありました。

「実験的なデザイン展」と見るなら、よくやっている、
と言っていいかもしれません。

しかし僕はチョコレートという難しいテーマに果敢に挑んで、
デザイン展という枠組みを超えた展覧会を実現した方々へ
敬意を表し、広い意味での「コンテンポラリーアート展」として
「批評」したいと思いました。
今までにない実験的なデザイン展だからスゴい、といった視点で
見たくありませんでした。
Commented by cabanon at 2007-05-01 22:23

たしかに、「小さな批評性」のある作品はあったかもしれません。
「甘ったるい」と一刀両断にしているのは、
かなり乱暴に思えるかもしれません。

でも、民族柄をプリントしたチョコに政治的メッセージまで感じるのは
無理がありますし、それが分からないのは見る側の
「読み込む力」の欠如だとするのも違うと思います。

読み込む力を持ち合わせない人たちに、
難解な作品のコンセプトをどう伝えるかは、
現代美術の大きな課題です。

コンテンポラリーアートのひとつのジャンルとして、
デザインにできることは、
みんなでもっと勉強して「読み込む力」をつけようということじゃなく、
むしろ「伝える力」をどう育てていくかではないでしょうか。

僕は、D-BROSはしっかり作られた作品だと思いましたが、
実際にミッドタウンに集まる人々のリアリティを見た後では、
作品から「人間と物欲」というテーマを感じるのは難しい。
ミッドタウンにいる人々やショップが
まさに「人間の限りない欲望」そのものですから。

ヴィンセントさんの作品の、子どもの喜びの声の後に聞こえる泣き声には
辛辣なメッセージがありますが、会場ではそれに気づかなかった。
Commented by cabanon at 2007-05-01 22:23

しかし、個々の作品の善し悪し以上に
僕が言いたいのは、「キュレーション」の必要性です。
デザインという題材でコンテンポラリーアート展を構成できる
力のあるキュレーターを育てるのが急務だということです。

「小さな批評性」を「読み込む」道筋や契機を提供するのが、
キュレーターの役割です。
僕は正直、±0の加湿器のチョコレート色バージョンが
展示されているのを見たときに、がっかりしたんです。
電話機もありましたよね。

参加作家が市販品とは関係ない新作を出展しているのに。
これは展覧会のディレクター(キュレーター)がやるべきことじゃない。

プロモーションのための展示会のディレクターなら、
許されることですが…。

だから強い言い方をしたかったんです。
無視するのも手でしたが、ちゃんと書きたかった。
Commented by cabanon at 2007-05-01 22:24

もうひとつ、
空間の使い方も、安藤建築の特性である「余白」を生かさず、
逆に、隅から隅まで作品で「余白」を埋め尽くした展示も気になりました。

個々の作家は与えられたスペースを生かしていましたが、
ディレクターが建築空間との対話をしていないように、僕には思えた。
コンテンポラリーアート展の展示としては、いささか空間恐怖症的。

批判的な意見があって、次のいい企画展が生まれてくると僕は信じています。

褒めなくちゃ、伸びない人には、伸びる限界がありますから。
Commented by cabanon at 2007-05-02 07:33

朝起きたら、dolphinさんと、はるみさんのコメントが削除になっていますが、
ご自分で削除されたのでしょうか?
二方のコメントがひと晩のうちに消えていたので
当方のミスで、削除になった可能性もあります。
もしそうでしたら、本当に申し訳ありません。

昨晩、僕の4分割の長文コメントを
推敲を重ねて、修正していた際、
自分のコメントの削除・送信を数度繰り返したので、
その際、ミスしたのかもしれません。
Commented by dolphin at 2007-05-08 01:05 x
自分のコメントが消えていたことは、今日改めて拝見して
気がつきました。
お気になさりませんよう。
私のコメント内容は、今回、おっしゃらんとされていることに
関係はありましたが、ピントがずれているように受け止め
られる方もあるかもしれなかったと思います。
SENSEWARE展を見にいった時、それぞれの作品に
使われていた布を何か新しいことに使ってみようと具体的
に思えたものが、企業名出展のものでした。
それぞれの作品に使われている布のサンプルも添える
展示。その展示の意味をはっきりととらえてプレゼンでき
ているものがデザイナーのものではないように、正直な
ところ感じたことが前回のコメントにつながっています。
チョコレート展では、最初からそういう展示ではないと思って
見ているため、具体的なことも考えながら見ている側に
とっては、はなから意味が違うもので。
デザイン専門のキュレーターの必要性には全く同感です。
SENSEWARE展で私が感じたことも、本当の意味での
ディレクション(自分の作品以外に及んでの展覧の意義
統括)までができるデザイナーは少ないからなのだとも
思います。
Commented by cabanon at 2007-05-08 01:58
>dolphinさん
コメントを消してしまい誠に申し訳ありませんでした。
やっぱり、犯人は僕だったのですね。すみませんです。


日本のデザインをもっと面白くするには
インハウスデザイナーが社外にその才能を発信できる環境を
どんどん作ることだと思います。

作品を直接担当したデザイナーだけでなく
SENSEWARE展に出展することをバックアップした
参加企業のデザインマネージメントに携わる方には敬意を表したいです。

ディレクション、キュレーション、マネージメント、
それぞれ似てるようでかなり違うけれども、
でも、「デザイン」を育てていくのは、
きっとここのレベルの人たちの力なんですよね。
Commented by アキヒロ at 2007-05-08 20:51 x
はじめまして。

双方の批評にとても共感しました。

チョコレート展のスペシャルトークを聴きに行ったのですが、聴講者から「この展示はアートですか?デザインですか?」という質問がありました。
デザインやアートという見方はしていないと言う方々の中、皆川さんは「チョコレートです。」とおっしゃていたのが凄く的を得ていたと思いました。



Commented by cabanon at 2007-05-08 21:24
>アキヒロさん
チョコレート展は僕らの時代のアートだと思います。
デザインという分野で生まれた、ものの見方、世界の捉え方を
チョコレートをモチーフにして表現した作品群でしたから。
チョコレートに表現された「Art of Life」だといえます。
いわゆるデザイン、いわゆるアートという枠組みを超えた生きるためのアート。
デザインが「Art of Life」だと
多くの人に知らしめる展覧会であってほしかったから、
今回はちょっと辛口になってしまいました。
Commented by s at 2007-05-11 02:53 x
非常に面白く読ませて頂きました。
以前から、この手の展示会(後者の方)では、ほとんどのメディアが、一斉に賞賛のコメントをすることに疑問を持っていましたので、ここで交わされた議論は非常に興味深かったです。
同じような記事しか書かない雑誌や、素人見解的なブログが氾濫していますが、これからも多いに議論の場となるものにして欲しいと思いました。
21_21は私もかなり初めの段階から、講演会等に参加していますが、どうもここに来て目指す方向の不透明さを感じます。
どう思われますか?

Commented by cabanon at 2007-05-11 17:57
>sさん
コレクションを持たないから、
ミュージアムという言い方をあえてしないというのは、
僕はどうかと思っています。

同時代のアートの展覧会を開催するミュージアムは、
必ずしもコレクションを持つ必要がない。森美術館とかそうですし。
同時代のアートをさまざまな切り口で編集して見せられる
キュレーターがいればいい。

展覧会を通して、未来をみつめ、同時代の最先端を「学術研究」する場は、
「ミュージアム」と呼んでいいはずです。
「21はミュージアムでない」という意識を運営側が持っていることが、
目指す方向性の不透明さを生んでいるように思います。

コレクションを持つデザインミュージアムも日本には必要です。
でも、21のような役割をする「ミュージアム」も必要なんです。

オフィシャルHPにあるように、
「21_21 DESIGN SIGHTはミュージアムというよりリサーチセンターで、
ものづくりの現場だ」なんて言い方をする必要はないと思います。
Commented by sako at 2007-05-13 19:05 x
はじめまして。
非常に考えさせられる記事を拝見させていただきました。
SENSEWARE展、チョコレート展には行ったのですが・・・
私は少なくともデザインという分野に関わっていながらも、展覧会、展示会にはいつも受身、つまりただ「観ている」だけでしかありませんでした。
cabanonさんの本記事や、記事に対してのコメント等を読んでいて、「はっ」とさせられるばかりでした。
かなり重要な観点を得させていただきました。
ありがとうございました!
Commented by cabanon at 2007-05-14 02:17
>sakoさん
コメントありがとうございます。
見て感じて書く。
それが作品をつくったり展覧会を開く人たちへの
敬意だと思っています。
どうでもいいものは無視しますから。

なぜ感動したか、なぜ面白いと思わなかったか、
みんながそれを分析し発表していくことが、
次のデザインを育てると思っています。

いいか悪いか、誰も何にも言ってくれない状況を
長く続けることが、きっと表現者としては最悪の状況だと思う。

だから、みんなでいろいろ言いましょう、語り合いましょう!

Commented by KEI at 2007-05-21 19:01 x
チョコレート展。
観ている時は、ハッとしたりヘーと感心したりした気がします。
「気がします」というのは、おかしな言い方かもしれませんが。
でも、個々の作品がほとんど想い出せないのです。

この「展覧会」はその曖昧で想い出せないカンジが、
でもオシャレなデザインがたくさん並んでいたイメージが、
「時代の気分を反映」しているのかと解釈していました。

こちらの記事を読ませていただいて、
非常に考えされられました。
ありがとうございました。
Commented by cabanon at 2007-05-26 22:50
>KEIさん

>「時代の気分を反映」している

そうなのだと思います。今の六本木はちょっとお祭り気分ですからね。
今日土曜日夕方の六本木ヒルズへ向かう道も、人がたくさんでした。
そこに行けばきっと何か面白いことがありそうな、
クリエーターによるチョコ祭りとしては大成功だと思います。

Commented by OE at 2007-05-29 12:03 x
コメント興味深く読ませて頂きました。
「senseware」展、確かに非常にためになる展示会でした。
多くのユーザーが「これってすごそう」と思えるような
明るい未来が垣間見れる質の高い種が満載でした。

一方で、「chocolate」展は性質がこれまでとは異なり
皆が既に持っている意識をどこまで呼び起こせるかであり
チョコはたまたま身近にあって多くの人が愛しているもの
として選ばれたに過ぎないのだと思います。
この展示会で展示してあるのはチョコレートではなく
製作される過程にある「アイディアの切り口」であって
「ねえねえ、ほら、これ」をどこまで完成度高く表現するかに
目的が置かれていたような気がします。

私が思う問題は、見る側にその意図が全く伝わっていないため
「・・・で?」で終わって帰ってしまう人が多数であること。
皆の意識にある「当たり前」を、新たな切り口で再構築して
また「当たり前」に戻すものが多く、驚きや可能性が少ないこと。
悪く言うと多くの人には「チョコ大喜利」と映っているのではないでしょうか。

長くなってすみません。
多くの深い考えが聞けて、すごく参考になります。
Commented by cabanon at 2007-06-01 00:19
>OEさん

>チョコはたまたま身近にあって多くの人が愛しているもの
>として選ばれたに過ぎないのだと思います。
>この展示会で展示してあるのはチョコレートではなく
>製作される過程にある「アイディアの切り口」であって

本当にその通りだと思います。
デザイナーが培ってきた、デザイナーならでは切り口を見せる展覧会。
深澤さんがwithout thoughtや
今回の展覧会のために行ったワークショップなどで育ててきた切り口。

見えないものだけに、「切り口」を見せるのって、本当に難しいですよね。
系統立てたり、整理したりして見せないと、「切り口」として伝わない。
だからOEさんがおっしゃるように「チョコ大喜利」になる。

お題を出す円楽さん(いや最近は歌丸さんか)役の深澤さんが、
手を挙げる勢いで、答える人を選んでいるという感じ。
次にどんな答えが返ってくるかは、
指名する歌丸さんにはわかっていない。
Commented by cabanon at 2007-06-01 00:20

大喜利は、そのアドリブが醍醐味だけど、
「切り口」という目に見えない抽象的なものを人に伝えるには、
ユーモアやウィットの背後にある「切り口」を
事前に系統立てて整理しておく必要があると思います。

さまざまな切り口がアットランダムに出てくるだけでは、
「キャー、面白い、おかしい、かわいい!」だけの反応で、
KEIさんがおっしゃっていたように後から作品が思い出せない展覧会になってしまう。

たとえば、岩井俊雄さんの回転するチョコは非常に面白い作品だけど、
けど、なぜあそこにあるかわからない。
岩井さんの切り口が他の人の切り口と会場構成的につながっていない。

そんなこと思いました。コメントどうも有り難うございました。
Commented by hk at 2007-06-03 17:44 x
コメントの応答を含め、まったく同感です。トンチ合戦はそろそろ終わりにしてほしいものです。最終的に“デザイン”という落としどころが難しいのだと思いました。理性をもって何かを納得させるのは大変なことなんですね。デザインは狂気とか爆発!というわけにはいかなのでしょう。
周りで厳しい意見が多いのは、期待が大きかったことの裏返しみたいなものだと思うし、個人的には注目している場所なんですが。深澤さんはたぶん今のデザイナーの(いろんな)状況を、操作せずにありのまま、剥き出しで見せた感じもあるし、それに対して、あちこちでいろんな論議が起こっているのは、良いことなんじゃないかと思ったりします。そこまで計算づくだとは思わないけど。
Commented by cabanon at 2007-06-03 20:16
>hkさん
21_21は、10年経って20年経って、
海外のデザイン関係者が日本に来るたびに、
あそこは必ず訪れる場所になってほしいです。
「21詣」という言葉ができればいい。

僕は過去の名作デザインの収蔵品を見せるだけの
デザインミュージアムも必要だと思いますが、
それは地価が高い東京の中心にある必要はない。
交通の便のいい地方都市や観光地にあればいい。

東京の中心にあるべきミュージアムは、コレクションは必要ない。
コンテンポラリーの動向を的確に見せてくれればいい。
あっ今度はこう来るかって切り口の展覧会を行うデザインのラボラトリー。
21はまさにその方向を行っているから期待しています。

いろいろ論議が巻き起こるのは、いいことですね。
日本の21じゃなく、世界の21になるように願いながら、
辛口な意見でも、思ったことは発言して、語り合っていきたいものです。
<< 夕張に魅せられました。 皇国のモダニズムと北欧デザイン >>


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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