藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
主体の転換(2)ミス・ブランチの場合
「人が椅子に座る」→「椅子が人を誘う」。
主体を物や環境側に変えて詩的な表現ができるデザインは優れたデザインだ、ということを2つ前の投稿「デザインをどう言葉で表現するか。主体の転換」の中で語った。

その実例を書いてみる──。

このブログのトップ右のバラは造花だ。倉俣史朗の椅子「ミス・ブランチ」に埋め込まれいるバラである。
ミス・ブランチは透明アクリルの中に赤いバラが舞う耽美的な椅子である。その姿は人の視線を誘惑する。さあここにお座りなさいとサインを送る。しかしその魅力にとりつかれた人は、この椅子に座ることはないだろう。座れば透明アクリルに微細な傷がつくかもしれない。透明度が失われていくかもしれない。

ミス・ブランチは、座ることを誘いながら、座られることを拒んでいる。誘惑しながら拒絶する。

棘あるバラ、もしくは女──。この椅子の名前となっている「欲望という名の電車」の女性主人公と見事に重なり合う。

拒絶が人の五感を研ぎ澄ませる。座ることを拒否された人はこの椅子を見つめるしかない。やがてその視線はバラの世界に引き込まれ、やわらかな風の感触や、ほのかな甘い香りまで感じ取ってしまう。

倉俣は人を主語にした発想のデザインをしなかった。その56年間の人生の中で、人が座るから快適にしたほうがいいといった発想からデザインしたものなど皆無と言っていいだろう。

物を主語に詩的に語れるデザインは、人の想像力を掻き立て、デザインの表現を極限まで広げることができる。物は人の想像力や記憶と絡み合うことで、実用を超えた機能を解き放つ。

“座る”とか“収納する”といった具体的な機能を持った実用品は、人の行為を促したり、想像や記憶を喚起させる「フック」をたくさん持っている。人は椅子を見れば座るし、引き出しを見ればそこに何かしまわれていることを想像する。ぼんやりした明かりを放つ照明に子供のころの記憶が蘇る。

物体は詩を解き放つ。その詩は人と関わることでメタな機能となる。倉俣がアートオブジェ作家には決してならずに、家具や照明など実用のデザインにこだわったのは、実用の機能とメタな機能を対比させる知的で秘かな愉しみを知っていたからだろう。デザインの詩は実用の機能とメタ機能とのコントラストの中に立ち現れる。倉俣はそれを生涯試みつづけていた。僕はそう思う。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-05-15 01:03
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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