藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
地球温暖化について
アル・ゴアがノーベル平和賞を受賞しました。

『デザインの現場』8月号の、僕の小さな連載で「サステナブルデザイン」に関するコラムを書きました。800字という枠では、とても書ききれないことがありました。地球温暖化とは何が問題なのかという話の詳細です。ゴアのニュースを見て、書きたくなった。で、記事を大幅に改変してアップします。

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アル・ゴアの映画「不都合な真実」はよく出来た映画です。映画館を出ると、地球温暖化は深刻の問題だ、出来ることからなんとかしなくちゃ、と思うようになります。しかしこの問題をよく考えると、いったい何が危機に晒されているか、という問題に突き当たります。危機に瀕しているのは、地球なのか、生命なのか、人類なのか、現代世界の政治経済システムなのか。リチャード・フォーティ著の『生命40億年全史』を読むと、 気候変動は、46億年前の地球創成以来の日常茶飯事で、生命は寒冷化や温暖化の繰り返しの中で、しぶとく生き残ってきたことがよく分かります。

このまま現在の温暖化が続けば、砂漠化が進み、島が水没し、多くの人たちが生活の場を失うことになるでしょう。しかし人類はごく最近まで、今まで住んでいた土地に暮らせなくなると移住をしました。宗教的迫害や、土地が痩せたり天災に遭ったりといったさまざまな事情があったはずです。つい100年前でさえ、アメリカへ向けて多くの移民が海を渡ったのです。

もちろん移住には苦難が付きものだったでしょう。命を落とした人も多かったでしょう。闘いもあったでしょう。しかし、安住の地を自分たちの力で見つける権利がありました。

しかし、それが今できなくなっている。今まで暮らしていた土地を離れ、国境を越えようとする人たちは「難民」や「不法移民」のレッテルが貼られます。

現在の国境は、ふたつの異なる政治体制の境界を意味するだけではないのです。経済格差の境界線でもあります。富める国は、国境を越えて、貧しい国の人々が永住の地を求めて自国に流れ込んでくるのを極力避けようとしています。歓迎されるのは莫大な税金を支払うことのできる者たちだけです。

海外旅行がかなり自由にできるようになったので、私たちには移動の自由があると勘違いしがちです。実際には、何人たりとも国家の許可がない限り、国境を越えることはできません。EUにしても、富める国どうしがさらなる富を求めて国家どうしで契約して、移動の自由を保障しているにすぎません。

国境は柔軟さを失いつつあります。かつて国境は国家にとって辺境の地にあり、そこには、首都で権力を握る人々と違う民族が暮らしていることも多くあります。国境を挟んで同じ民族が暮らしていることもある。

しかし国境が厳格に管理されるようになると、人々の往来もままならなくなり、辺境の民族たちは分断される。そこで辺境の民族は、自分たちの新しい国家を求めて独立運動を興す。既存の国家はそれをテロと呼んで弾圧しようとする……。

地球温暖化の中心的な問題は、柔軟さを失った国境に囲われた近代国家が、気候変動に対して機能不全を起こしつつあることです。自由主義経済が地球規模に広がりグローバリゼーションが進めば進むほど、各国家は軍事力を増強させています。

自由な経済活動は世界中の人々の欲望を解放すると同時に、世界中の人々を際限なく富のあるところに富を集中させるシステムの中に組み入れてしまいます。経済強者が自由に国境を越えて活動するためには、欲望を解放された貧困層が自由に国境を越えたり、情報化された辺境の民が自由と独立を求めることに対して歯止めをかけて、システムを安定化させなければなりません。そのために軍事力が強化され、国境はますます強化されています。

地球温暖化は国境を不安定化させる重大な危険因子ですが、テロや独立運動のように軍事力や暴力で抑制することができません。ならば、どうやって国境を守るのか? こうした視点から見ると、地球温暖化はきわめて複雑な政治問題なのです。浮かび上がってくる本質的な問題は、経済成長のサステナビリティ(持続可能性)の背後にある、国境のサステナビリティ、近代国家のサステナビリティなのです。

テロリストたちだけが、アメリカの軍事的覇権を背景に全世界的に広まった自由主義経済(市場主義経済)を脅かすものではない。だから政治家ゴアが生涯を賭けて、地球温暖化問題に取り組んでいるのです。

アメリカをはじめ自由主義経済の恩恵を独占している国家が困るのは、気候変動によって国境が不安定なものとなり、民族が移動を始めて、「自由」が抑制不能のものとなり、グローバリズムと民族主義国家の危ういバランスを保っている世界のシステムが崩壊してしまうことなのです。

繰り返します。地球温暖化問題は政治問題です。危機に瀕しているのは、地球ではなく、国家です。急激な気候変動が起こると、近代国家のシステムではその被害に遭う人たちを救うことができず、現在、自由主義経済システムと危ういバランスを保ちながら、曲がりなりにも安定している世界の政治システムを揺るがしてしまうことになりかねないのです。

しかし映画「不都合な真実」は、地球や人類の危機といった抽象的な不安に言い換えて、近代国家の機能不全という本当の不都合な真実から、衆人の目をそらしている面があるように思います。それがあの映画の口当たりの良さとなっている。ゴアは政治家ですから──しかも世界の覇権を握る国家の大統領にもう少しで手の届いた人物ですから──、本当の不都合な真実を語るわけがありません。

同じような口当たりの良さは「サステナブルデザイン」という言葉にも感じます。誰にとってのサステナブルなのか。持続可能の経済成長の恩恵を受けるのは誰なのかを議論しないで、この言葉を喧伝する人たちは胡散臭い。

議論なきサステナブルデザインは、近代国家のあり方を問う根本的な政治問題を、「もっと皆さん地球のことを考えましょう」という善意の問題に巧みにすり替えてしまいます。企業や個人の自覚と努力と工夫で地球温暖化は抑えられる。やらないアナタが悪い。さあ、実行実行と──。「地球のためにできること」といったほうが「国家のためにできること」というよりも断然口当たりがいいわけです。

誤解しないでいただきたいのですが、僕は、地球温暖化の防止のために何もしないでいい、なんてことは思っていません。CO2排出削減は急務と考えます。急激な温暖化は一人ひとりの生活者が、企業が、地域コミュニティが、国家が知恵を出し合い、行動を起こすことで、抑えていかなければならない問題です。僕も電気をこまめに切ることやゴミを減らすことから努力していきたいし。

しかし、問題の本質を明らかにせず、不安を掻き立て、人々の善意でこの問題を解決しようとする動きには、抵抗を感じるのです。一般の人々が、国家のあり方に疑念を呈してもらっては困るからといって、「地球のために」と善意を呼びかけ対症療法だけ行っても、地球温暖化問題は解決しないでしょう。世界の政治システムの機能不全を論議しないサステナビリティは、問題の先送りでしかありません。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-10-14 18:22 | お気に入りの過去記事 | Comments(6)
Commented by はしば at 2007-10-15 03:44 x
声がでかいヤツには気をつけろというのが、ぼくのこれまでの教訓ですね。ゴアの必死さの裏には、環境問題を証券化しようとしている人たちがうごめいているみたいで、排出量を売り買いして、金で解決してしまうのでは本末転倒。あと、メディアリテラシーだけでなく、科学リテラシーも必要だよなと思うこの頃です。不遜ながら、ぼくにとってゴアって名前は未だにマグマ大使の適役なんですよね。大平透の声が聞こえてきそうです。
Commented by toro at 2007-10-15 14:26 x
ゴアさんの映画・本については同感です。
物事には「話題」と「実態」の両側面があるとか。テレビや新聞を漫然と見ているだけでは、なかなか「実態」は見えてこないですね。
関連して、先日、社会学者の講演で、『少年犯罪が増えている、というのは実は「話題」であり、「実態」は、ここ数十年間継続して減っている』というを聞きました。
メディアに関わる人間や、研究機関の人間は、少なくとも、「実態」を冷静に見る目(科学リテラシーともつながりますね。)を鍛えたいと思いますね。
Commented by cabanon at 2007-10-15 22:47
>はしば さん
科学リテラシーって本当に重要ですね。数字さえ並べれば信じてしまう人が多すぎる。

ゴアといったら、僕もマグマ大使です。でも、大平透といったらハクション大魔王。アル・ゴアって、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」の押しつけがましさがあるんですよね。
Commented by cabanon at 2007-10-15 22:58
>toro さん
話題と実態という指摘、とても考えさせられます。
とにかくメディアは話題が欲しいわけですからね。
実態を探るのがジャーナリストの仕事なのに。
一方で、多少情報は煽らないと誰も見向きをしてくれないという現状もある。
病巣はそのあたりにあるのだから、
リテラシーこそ大切なのでしょうね。


Commented by 真紅 at 2008-08-22 19:58 x
改めて「温暖化」ということに気づかされました。
温暖化が進んでいくのは、人間が悪いのだろうか
人間が生きていく為に、地球温暖化が進んでいって・・・
人間が悪いのだろうか
Commented by cabanon at 2008-09-15 18:10
>真紅さん
遅レスで申し訳ないです。
温暖化のことを考えると、人は自然の一部なのか、そうでないのかを考えさせられます。人が創りしものを「nature」と呼べる世界が僕の理想です。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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