藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
二項対立(4)つながりを見つけること
2つのものを対比させると、ものの性格を分かりやすく描き出すことができる。雑誌でもテレビでも頻繁に使われる常套手段だ。たとえば、朝日新聞とNHKの徹底比較とか、二人の天才レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ、ラーメン対カレーライス、アキバとウラハラの文化史など……。

朝日新聞と比較するのは読売新聞でもニューヨークタイムズでもいい。ダ・ヴィンチ対ラファエロでもいいし、ダ・ヴィンチとピカソの比較でもいい。まして相手がラーメンなら「どっちの料理ショー」のごとく、讃岐うどんでもスパゲッティでも寿司でもいい。アキバと銀座を比較するのも面白い。

つまり二項対立ではあるが、任意に2つの項目は選べる。ただ、対比させて語るには、お互いに共通点がないと、説得力を持たなくなる。支配的なマスメディアであること、ルネサンスの巨匠であること、天才と言われていること。国民食であること。人気麺料理であること、文化の発信地であること……、こうした共通点があるから、2つの比較がお互いが相手の性格を照らし出す対照的な関係になる。

昨年ちょうど今頃、Casa BRUTUSのモダニズム建築特集で、編集者からブルーノ・タウトとアントニン・レーモンドの二人で記事を作ってくれないものか、と相談を受けた。外国人建築家であること。日本に滞在して、日本のモダニズム建築の基礎を築いたこと。日本に実作を残していること。二人にはたしかに共通点がある。しかし、あまりに違いすぎる。

タウトは1933年から3年半しか日本にいなかったが、レーモンドは45年間も日本にいた。タウトはドイツで名声を築いたが、ナチスに追われ日本へたどり着く。が、建築の仕事はほとんどなく、工芸指導をしながら群馬のお寺の草庵で隠者のような生活を送っていた。レーモンドは1917〜37年、戦後1947年〜73年日本にいて、住宅、オフィス、米軍基地、学校建築などバキバキ仕事をして、モダニズム建築の先駆者として地位を築き上げた。

モダニズムつながり、外人つながりだからって、何か具体的に二人の建築をつなげるものがないと記事が書けない、と最初はこの企画は無理だと言った。とは言いつつ、滞在期間が重なっているし、どこかで二人が会っているかもしれないと資料をあたってみることにした。

すると、井上房一郎という人物が浮かび上がってきた。井上は高崎の建設会社、井上工業の社長の子息で、パリでの遊学経験がありヨーロッパ文化への造詣が深かった。仙台の工芸試験所を半年で辞して東京に戻っていたタウトを、井上は高崎に招いた。郊外の達磨寺境内にある洗心亭を住まいとして世話し、地元の工芸指導を依頼した。
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タウトの暮らした洗心亭

井上は、銀座と軽井沢に「ミラテス」という工芸ショップを持っていた。銀座の店でタウトデザインの照明スタンドを気に入った実業家、日向利兵衛は、熱海の別邸の増築部分のインテリア設計をタウトに頼むことになった。それがタウトの日本に残る唯一の実作、日向別邸だ。
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井上房一郎邸。現・高崎哲学堂

井上とレーモンドもミラテスで知り合ったと言われている。戦後、井上は東京の麻布笄(こうがい)町にレーモンドの自宅を訪れた。その家をえらく気に入り、レーモンドに頼んで図面を借り受け、高崎にほぼ同じものを建てて、自分の家とした。レーモンドの後期の傑作、群馬音楽センターの設計を彼に依頼するように仕向けたのも、群馬交響楽団の理事長であった井上だった。
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群馬音楽センター@高崎

高崎という町、井上房一郎という男を通して、タウトとレーモンドはつながっていた。

物書きにとっての二項対立は見つけるものだ。解決するものでも、二者択一を迫るものでもない。矛盾は矛盾のままで面白い。2つがどうつながっているかを探り出し、つながりを対立軸にして2つを対照的に描き出す。逆に言えば、つながりさえ見つけ出せば、どんな二項対立も可能になる。

タウトとレーモンドはナチスの被害者という点でもつながっている。タウトは共産主義に傾倒したためナチスのブラックリストに載っていることを知人から知らされ、スイス経由で日本に来た。レーモンドはチェコ人で彼の兄弟姉妹は全員ナチスの侵攻によって殺された。レーモンドは戦時中アメリカ軍に協力し、爆撃のシミュレーション用に日本の家屋をアリゾナで再現した。どうやったら焼夷弾で日本の木造家屋を効率よく燃やせるか。その実験だった。ナチスと同盟関係にある日本をあの戦争から早く手を引かせたかったからだったという。レーモンドは戦後日本に戻りその惨状に涙したという。彼の中では日本への愛着よりナチスへの憎しみが勝っていた。

デザインを叙述することを仕事とする僕が二項対立にこだわるのは、おそらくデザインという作業もまた二項対立を見つけることから始まるものだからだと思う。二項対立を見つけることは、つながりはどこにあるかを探すことでもある。
デザインとは矛盾を解消する手段じゃない。“優れた矛盾”を創り出す作業だ。2つ前の投稿にも書いたが、デザイナーの役割は「実用性と造形美、高品質とコスト抑制、環境保護と経済発展、生産者の論理と生活者の視点、製造側の思惑とマーケットのニーズ、ユニバーサルデザインと個別対応性、伝統と先進性、地域文化と国際性、利潤追求と社会倫理といった矛盾をはらんだ問題をいかに解決するか」であり、取り組むべき問題は山積みだ。

だが、こうした二項対立の矛盾を完全にデザイナーが解消することは不可能だ。矛盾をどこかで両立させる解決策がどこかで必要となる。デザインとは、どう心地よい矛盾を創り出すかという知恵だと思う。それが“かたち”を司るデザイナーの領域だ。ここで言う“かたち”とは実世界の二次元・三次元的物体だけを指すわけではない。ソフトウェアも人とモノとの関係性も“かたち”である。

かたちとは矛盾の器。僕はそう定義する。

概念上で二項対立の矛盾が解決できても、それを“かたち”にした瞬間に、かたちの中に矛盾が生まれる。たとえばユニバーサルデザインを考えればいい。完璧なユニバーサルデザインは存在しない。優れたユニバーサルデザインと呼ばれる製品でも誰かにとっては使いづらく、必ずユニバーサルデザインの理念に反する要素が含まれている。

が、心地よい矛盾というのがある。それは美しきコントラストとなる。矛盾は力強い逆説を生む。矛盾の美しさを創造する力こそ、“かたち”の創造に携わるデザイナーの力である。

矛盾というとネガティブな印象のことばなので、こう言い換えておく。
デザイナーの仕事とは、一見全く違う方向性を持ったものの間に、誰も気づかなかったつながりを見いだし、そのつながりを美しく見せること、それが美しい“かたち”を作ることだ。
”かたち”はつながりの器。共存の器でもある。

それを読みとるのが僕ら物書きの仕事だ。どんなつながりがあるのか。作った人間も気づいていない二項対立やつながりが潜んでいることも多い。それがあるから、この仕事は面白い。
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井上房一郎邸の苔。あの日も雨だったなあ

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-06-02 19:32 | 二項対立 | Comments(0)
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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