藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
サルでもわかるデザイン
デザインとは「わかる」とか「わからない」というレベルで語るべきものなのでしょうか。わかりやすくデザインを語るという人がいたら、ちょっと気をつけた方がいいと思っています。(僕もそんな仕事をたくさんしてきたわけですが、だからこそ……)

みんながわかること、それは善いこと。易しいことは優しいこと。「わかりやすさ」願望の背後には、常に教育的な道徳観が見え隠れしています。「わかる=いいこと」「わからない=よくないこと」であり、「わかる子=よい子」「わからない子=悪い子」です。「わかる」という言葉は、私はよい子でありたいという強迫観念を刺激します。

やさしく巧みな語りができる人なら、何となくわかった気分になった「よい子」をたくさん増やすことができます。「わかる人」が生まれるということは、「わからない人」が生まれるということです。まだ、わかりやすい話の啓蒙を受けていない人は、すべて「わからない人」となるわけです。

「わかる」か「わからない」かという線引きをすることで、「わかる人」という仲間意識と、「わからない人」という外部を発生させるのです。よい子どうしの仲間意識は強烈です。顧客になります。ファンになります。信者になります。

「5分でわかる」とか「わかりやすい」という言葉を導入する意味はここにあるのです。この仕組みは宗教の布教と同じです。本来、神や信仰や祈りは、わかる、わからないとは別次元のものなのに、布教する人はわかりやすく神の奇蹟や仏の世界を語ります。

わかりやすさのこの仕組みの危うさに気づいた人による、自己パロディ的な表現が「サルでもわかる」です。たとえば竹熊健太郎さんの『サルでも描けるまんが教室』とか。よい子のみんなはお猿さんと語って、わかること・できることで優越感を持たせて仲間意識を育てる仕組みを皮肉っているのです。

だから有名デザイナーによるプロダクトを売るショップに集まる人たちや企業のプランナーを相手に堂々と「サルでもわかるデザイン」を語る人がいたら、その人は本物です、きっと。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-06-25 09:44 | お気に入りの過去記事 | Comments(7)
Commented by デザインのお勉強したい at 2008-06-25 11:10 x
ふつうの人を相手にした
デザインの勉強会なら
どんなタイトルがいいですか?

ほんとは小学校くらいから
学校でデザイン教育が
あるといいんですけどね

Commented by cabanon at 2008-06-25 18:22

>デザインのお勉強したい さん

ふつうの人というのは、きっとデザイン教育を受けていない人という意味ですよね?

その「ふつうの人」をどうしたいかで、デザインの勉強会のタイトルは変わってくると思います。

その勉強会を主催する会社や、その講演者のファンや顧客にしたいのであれば。「わかりやすい」という言葉は重要です。僕はその仕組み自体を否定しているわけではありません。

ただデザインという言葉をキーワードにして価値観を共有できる顧客を獲得しようとしている人たちが、そのことをきちんと話さず、デザインはわかりやすい言葉で語られなければならないと軽々しく言うのは問題があると思っています。

難解な用語を語っていても伝わることがあるし、人の心に届く言葉がある。

タイトルは勉強会の主催者が聴衆に何を伝えたいかによると思いますので、お答えは出来ません。

でも、ホントに小学生にデザイン教育をするべきだと思います。激しく同意します。自分の会社のロゴや街のキャラクターを選べる眼を育てていけば、「せんとくん」とかの騒動もなくなるのにと思います。
Commented by デザインのお勉強したい at 2008-06-26 07:45 x
御丁寧なコメント
ありがとうございます

そうです、ふつうの人というのは
デザイン教育を受けていない人
ということですが、親や子供であるとか
そういう、家族で勉強できるような
デザインメソッドがあるといいなと
本当に思います。

ただ、「わかりやすく」と説く危険性は
思いあたることがあります、確かに。

そうそう、小学生からのデザイン教育があると
国力も上がりそうな気がしませんか

その、小学生など幼児に向けた
デザイン教育を
大人として受けてみたい
と考えていたところ
ブルーノ・ムナーリ氏のメソッドを
取り入れている教育機関がイタリアには
あるようですね、大人として受講してみたい



すごく興味があります
Commented by ガラスアート屋の丁稚 at 2008-06-26 10:01 x
大御所と呼ばれる人の仕事を感服し切った様子で「いいよね」「素晴らしいわね」と言い合っているのを見ると、
「ほんとにいいと感じているんだろうか。眼つぶって何も見ずに言ってんじゃないの?」と、サムくなるときがあります。
あえて「わたしはそうは思いません!」と言ってみたくなったり、大御所と呼ばれる人がかわいそうになったりします。
Commented by cabanon at 2008-06-28 12:33
> ガラスアート屋の丁稚 さん
「大御所とか巨匠とか呼ばれるようになること=駄作をありがたがる人たちが現れること」なのかもしれませんね。

作家本人の真骨頂が試されるのは、大御所とか世界のなんちゃらとか言われて偉くなってからなんでしょうね。

取り巻きが出来て、他人の批判が聞こえなくところに立つようになって、それども、どう自分の失敗を自覚して(他人に自覚していることを明言する必要はない)、次の作品に生かせるか。

これが出来ると、歴史に残る巨匠になるんですよね、きっと。
Commented by まー at 2008-06-29 18:00 x
こんにちは。
『分かる』ことに越したことは無いのですが、
携帯を使うことは出来ても、その仕組みを理解しているわけではないこと然り、好きなスプーンは有っても、デザイナーがどのような工程を経て、どのような真意を込めてその形に至ったかは僕には分からない。
だから、何故自分はそれが好きなのかと考えたりしながら、自己の判断基準を磨いていけばいいのかなぁと気楽に考えています。
それが、デザイナーの意思とは全く違うところに至ってもまぁいいかなぁと(笑)。
Commented by cabanon at 2008-07-02 21:53
> まー さん
「分かるに越したことはない」ですよね。

しかし企画者やデザイナーの意図をユーザーが「わかる」必要はないと思います。

デザイン教育を受けてデザイナーという肩書きで仕事をしている人たちが語る「デザインの意図」を、ユーザーが理解する必要は全く無い。誤読がデフォルトくらいがちょうどいい。そのほうが創造性や想像力が喚起されるわけだから。

「正しくデザインを理解する必要がある」なんて言い出した人がいれば、その人はかなりファッショです。日本のものづくりを正すとか、押しつけくさくて胡散臭いです。正しいと考える背後にある有象無象に思いを馳せてこそ、時代を揺り動かすデザインが生まれると僕は信じていますから。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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