藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
教えたいニーズ
学校をつくりたいと思っている。具体的な計画があるわけじゃない。ただアイデアはある。

義務教育の小中学校は別として、世の中の学校というものは基本的に「自分自身をもっと成長させたい」「キャリアをアップさせたい」という学ぶ側のニーズがあるから成り立っている。そうした「学びたい」というニーズでなく、「教えたい」というニーズで成り立つ学校もあってもいいじゃないか。

僕は大学や専門学校で「デザイン概論」や「デザイン文化論」なる講義を受けもっている。最初は原稿棒読みのひどい講義をした。正直いって最初の数年は手が震えていた。

まともになったと思えるようになったのは、自分の中の知識を洗いざらししゃべらないと学生はついてきてくれないと気づいてからだ。しかし全部しゃべるには、詰め込むにまかせてきたバラバラの知識を整理し体系化する必要がある。

講義のために、1980年代以降デザインの流れをまとめたり、デザインのさまざまなジャンルに通底する「知」について考えた。すると何かが見えてくる──。教えることは学ぶことにほかならない。

デザインがスキル(技巧)だけのものだったら、弟子に「真似ろ、盗め」で済むだろう。しかしデザインとは、ヒトを人間ならしめる「知」であり、人類が生きのびるための「技術」である。「知」や「テクノロジー」は体系化される必要がある。「真似ろ、盗め」だけでは、次の世代に伝えられない。体系化する近道は教えることだ。

教えることは学びの最終ステージである。会社を退職して初めて油絵を学んだり、陶芸を始めて、さまざま自分の新しい可能性に気づくことはあるだろう。しかし初歩に還るのでなく、今までの経験とノウハウを体系化し言語化し人に伝えることができれば、それこそ学びの最終段階である。過去を断絶させず、より豊かなものにすること──それが幸せと認識したときに「教えたいニーズ」は起ちあがる。

教えたいというニーズは掘り起こして、今までにないデザイン学校をつくりたいと思っている。各講座は独立採算性。お金を払っても教えたいという人が必ずいる。たくさんいる。

僕の夢みる学校は、独立採算制で教えたい人に教室とアトリエを提供するだけではなく、「教えることをデザインする」という意識を分かちあえる人たちと新しい教える仕組みを考えていきたい。目指すはボトムアップ式の、自律分散・並列協調型の学校だ。いろんなところで講師をやりながら、教える側が「ありがとう」と学生に言える関係を実践したいといつも思っている。そして教室という場にも一礼する。教える側と学ぶ側がお互いにリスペクトし、そうした関係をつくってくれた「場」にも感謝する──それが僕の理想の学校。まずは場所探しからやらなくちゃって思っている。

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『デザインの現場』(美術出版社)2007年6月号連載「コトバのミカタ」第一回原稿を加筆。最近このことをあちこちでよくしゃべる機会でここにのっけてみました。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-09-25 01:14 | お気に入りの過去記事 | Comments(4)
Commented by 武山智衆 at 2008-09-25 21:12 x
今まで、ブログをちょこちょこと読ませてもらっていましたが、
「教える」ということは、「学ぶ」の最終段階である。 
う~ん、ひどく感銘を受けました。

そのような学校ができたら、最高に「おしゃれ」だと思います。青山や六本木とは違った、下町の言う「おしゃれ」ですね。

DAGODA展も是非行ってみたいと思います。最近の雑誌は、本当につまらないものがおおい。スリリングさがまったくないのです。
DAGODA、期待しています。
Commented by cabanon at 2008-09-26 13:44
>武山さん
教えることの有難味って直接大学卒業して教師になった人はなかなか気づかないのではないかなと思っています。

教える機会を持たせてもらえることは、最高の学ぶ機会を持たせてもらっていることですから、僕は講義の最後には「ありがとう」と言うようにしています。学生に対して教室に対して一礼する。たまに忘れると、まだまだ感謝の念が足りないと反省します。
Commented by イソムラ at 2008-09-27 13:16 x
いつも拝見させていただいております。

全くの同感で、しかも「教える側コストを負担させる」という発想の転換が素晴らしい!

私は多くの障がいを持つ友人がいるのですが様々な気づきをもらっています。視覚障がい者と一緒に絵を鑑賞するというカリキュラムをご存知でしょうか? 晴眼者が視覚障がい者に絵を伝えるため”絵を言葉にする”わけですが、その為には絵を理解し、絵を解釈し、それを整理する必要があります。この一連のプロセスが実は自分自身への大きな気づきにつながるといいます。

実は”絵は見ているようで、全く見ていなかった”ということを認識させられます。そして、美術館を出るとき、視覚障がい者からだけではなく、お互いに「ありがとう」といい合うそうです。

「教える」と「学ぶ」とは、一方通行ではなく双方向のコミュニケーションなのですよね。私はあるべき共生社会の縮図がここにあるように思えてなりません。

今後もエントリー楽しみにしております。
Commented by 名白遊船 at 2008-10-07 06:50 x
供給はあっても需要がなければ残念なことになるのでは。逆は問題ないですけど。授業料無料とかなら別ですが。自分が成長できる場を設けるということは、それだけのモノを人に最大クオリティで感じさせないとですよね。そして、それは一回限りでなく永続的に。経営、存続し続けるために。

入学したいですね。
面白そうだす
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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