藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
五感イメージ──五感の像(かたち)
FASHION / GRAPHIC展(10/24まで)がよかったです。銀座の(新橋駅のほうが近いけど)クリエイションギャラリーG8で開催されているグラフィックデザイナー、植原亮輔さん、菊地敦己さん、平林奈緒美さんによる展覧会。彼らが手がけたファッションブランドのショーの招待状やコンセプトブック、パッケージ、DM、ポスターなどが展示されています。

植原さんが手がけるシアター・プロダクツのグラフィックや菊池氏のミナ ペルホネンのグラフィックなど平林氏のメザニンブティックのグラフィックなど、ブランドの世界観が単に視覚化されているだけでなく、手触り感とか記憶とか小さな驚きとか、情緒的な感覚をともなって表現されていることに「21世紀の東京の現在」を感じます。

イメージって視覚だけでなくて、五感を含めてイメージなんですよね。植原さんのコーナーには音楽CDの展示もあったし。イメージは本来視覚的なものですから、視覚を超えたイメージとか五感によるイメージって言葉は矛盾をはらんでいます。誤用と言う人も入るでしょう。

しかし何かを想い起こしたり、頭の中に思い浮かべる時に、視覚的なものだけが喚起されるわけではありません。五感が動員されて情緒的なものがひとつの像を結ぶ時がある。それが五感イメージです。合理的にはイメージは視覚ですが、情緒的にはイメージは人の感覚が脳の中につくりだす像(かたち)です。

そうした五感イメージ──五感の像(かたち)で、世界観を構築するのって、日本人お得意の作業という気がするんです。確証はありません。気がするだけです。

展示デザインもステキです。展示品を標本箱風の木箱に入れています。イメージがサンプリング(標本化)されていますが、視覚イメージにとどまらないから、どこかで見た何々風という感じに終わっていません。

コンピュータのサンプリングはコピペして加工して簡単にできますが、3人の作品にコンピュータを感じさせるものはありません。感じるのは「手の痕跡」です。サンプリングしながら、「手」を浮かび上がらせるところに僕はグラフィックの現在を感じるわけです。

その後、パナソニック電工(パナデンとか呼ばれるのでしょうか)の汐留ミュージアム村野藤吾展(10/26まで)を見に行って、また五感がつくりあげるイメージのことを考えました。

村野の装飾は、単なる装飾だとは思いません。単なる装飾とは、見るためだけのもの。村野のそれは、空間に足を踏み入れた人の五感を起動し、情緒的な像(かたち)を浮かび上がらせるための装置。五感によって起ち上がったイメージが、実体としての建築空間と重なり合うんです。像と形がせめぎ合い──。厳しいデザインです。研ぎ澄まされている。凛とさせられるイメージ。ゆるさを好む現代人は忘れかけたものを思い出すかもしれません。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-10-17 20:30
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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