藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
eatingをデザインしてみると
人間の感覚は、口の中に入れるものに対して、ものすごく敏感です。たとえば、色を見きわめるセンシング能力は、目の前にあるものが、これから口に入れようとしているものか否かで、大きく変わると思います。みずみずしい赤はおいしそうに見え、少しでも茶色がかっていると途端にマズそうに見える。

8年くらい前だったかベルリンの和食店で、茶色がかった中トロが出てきたとき、こんなところで和食なんか食べるほうが間違っていると思いました。腐ってるわけではありません。口に含めばトロの味です。でもピンク色であるはずのものがいささか茶色に変色していて、それを見てるだけで、もう味とか関係なくマズいわけです。

その後、日本でも2回くらいブラウン系中トロを食べたことがあります。主人が少々色が変わっててもウマイよって出してくれた。確かにそうなんだけど、色でもうダメなんです。

食べ物を見る眼は、おそらく目を凝らして美術館で絵画を鑑賞している時よりも、微細な変化に敏感になっていると思います。貝とか食べてて、小さな砂を的確に検知し吐き出すのも、口の中の触覚がきわめて高い識別能力を持っているからでしょう。

嗅覚で腐っていないか確かめ、視覚で新鮮さを見きわめ、触覚で異物の混入を見きわめ、味覚で食道の中に流し込んでいいかを最終的に判断する。聴覚以外は総動員です。口に入れるものに対して、自己防衛は数段階に及び、最高のセンサー技術が使われているわけです。

おいしいものにも敏感です。あまりに鋭く繊細な感覚が複雑に絡み合っているために、理屈や科学で語りきれない。その味わいを人に伝えるには、論理的叙述やデータによる解析より、グルメリポーターのように、エモーショナルなリアクションのほうがよいのでしょう。

優れた料理人がつくる料理は芸術です。そこは感覚の王国です。全部の感覚を研ぎ澄まして味わって、深い満足を得る。味わい尽くそうとするなら、食べる側も感覚を磨いてこなければいけません。もともと身を守るために感覚が治外法権を持ってしまった「食」の世界で、文化や社会のあり方を考えさせる批評精神の入り込む余地はもともと少なかったわけです。

しかし有名料理人がつくるものだけが料理ではありません。現代では「食」はさまざまな問題を抱えています。グローバル化した食品の流通。それは世界の貧富の格差の根本的な原因のひとつとなっています。安全の問題も複雑になってきました。いくら口に入れるものへの感覚が敏感とはいえ、食品に微量に混入された化学物質のことまで分からない。現代人の食を支えるシステムをリサーチし、その功罪を浮き彫りにすることは、まさに批評です。

食のデザインを「食べるという行為の操作」にまで広げてみる。そこにも批評の地平は現れます。食べるという行為には、社会の構造や歴史や文化が染みついているからです。それをAXISギャラリーで開催されている「eating + design : デザインにできること2」展(11/9まで)で感じました。オランダのデザイナー、マライエ・フォーゲルサングの個展です。foodデザイナーでなくeatingデザイナーという彼女は、「食べること」をちょっと変わったふうにデザインします。天井から吊した白い布で食卓テーブルの四方を囲み、切れ込みを入れ、そこから頭と両手を入れて、テーブルを囲んだ人たちがランチをともにする。頭と手を布から出した人たちにとって白い布はナプキンにもなります。食卓の上には柄の通常の3倍くらい長いフォークや半円形のお皿など、通常の食卓とは微妙に違った食器やカトラリーが置かれています。それぞれが慣れ親しんだ「食べ方」から離れ、白い布から頭を出した人たちは、テーブルに載せられた「料理」だけでなく、特別な「食事の作法」までも共有する。教育されて体に染みついた食べ方や作法から微妙に解放された場が、そこに展開されるわけです。
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高齢者のための歯がなくても食べられるスイーツ。砂糖でできているので紅茶やコーヒーを掻き回しながら溶けるスプーン。壁にスプーンがたくさん貼り付けられ、そこに載ってるクルミを食べられるコーナーがあります。私たちはふだん水平なテーブルで食事をします。ここでは垂直の壁から食べるという体験ができます。ハシゴを登ってクルミやナッツをとってみて、子供のころ、木に登って木イチゴを食べた体験を思い出しました。食べる行為を水平の台から離してみると、「野性の思考」いや「野性の食い意地」が蘇るようです。
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一番面白かったのは牛乳のテイスティングです。4つの白い陶器のポットにそれぞれ違う種類の牛乳が入ってます。ブランド名とかは書かれていません。味わってみると違います。微妙に。感覚を研ぎ澄まします。うっこれは濃い。これは薄いな。こっちも薄めだけどやや甘いかな。ワインとかレストランで頼むと、かっこつけてグラスを回して香りを嗅いで、感覚全開で口に含んで、訳分かってないのに「うう、おいしいですね」とか言ったりしてますが、牛乳でそんなことしません。スーパーやコンビニで買ってくるパッケージを空けたらすぐ食べるような食品。たとえば納豆とか牛乳とか安い豆腐って、あえて舌を麻痺させていたりする。無自覚にメーカーを信頼しているせいなのか。あんまりウルサいこと言ってたらお金がいくらあっても足りないせいなのか。

グローバル化され原材料を使っているか分からないこのご時世、惰性に慣れきった舌をもう一度目覚めさせないといけないのかもしれません。メーカーが「おいしい」とオススメしているから(それなりの自信があることはわかりますが)、でもそれを「おいしい」と思って飲んでしまうその感性を鍛え直さないといけません。

4つの中のひとつはヨーロッパで流通しているのと同じ製法でつくられた牛乳だそうです。タカナシの低温殺菌牛乳だと聞いて、スーパーで買って帰りました。それが特別ウマイってわけではないです。ウチが配達してもらっている明治牛乳のものとは、確かに味が違いました。好みの問題です。タカナシのほうは、ほのかの甘さに喉ごし爽やかって思いましたけど。
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タカナシのは岩手県葛巻村の牛乳です。夏に『AXIS』の連載で葛巻村の取材をしたので、牧場で撮影したことなど思い出し、えらく親近感が湧きました。味わいながら、産地の美しい光景が思い浮かぶのが、最高の食体験かもしれません。

食べ方をいろいろ操作(マニピュレート)し、五感が呼び起こすイメージまでマニピュレートすると、ものの見え方が変わっていく。その見えるものの果てに、現代社会の文化構造まで見えてきます。そんなことを感じた、フォーゲルサングの「eating + design」展でした。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-11-04 20:53 | Comments(0)
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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