藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
カワイイ
30数年前、僕は小学校を卒業して、横浜から広島県尾道市へ引っ越した。「だからさあ」「それでさあ」と「さあ」を連発する僕の話し方を、中学校の同級生はからかった。あのさあ、誰誰がさあ、◎◎しっちゃって、△△じゃん。

僕にとっても彼らの話し方が面白かった。「すごい」を「ぶち」といった。「ぶちうまい」とか。が、高校は広島だった。同じ広島県でも、備後と安芸では言葉もイントネーションも違う。広島では基本は「ぶり」だった。

関西は「めっちゃ」「ごっつ」などさまざま、ネットによると、名古屋はジェネレーションがあって、年輩は「どえりゃ〜」、若い人は「でら」らしい……。

「とても」「ひじょうに」「すごく」などの程度を強調する副詞は、原稿を書くときは、なるべく使わないほうがいい。「東京タワーは美しい」「東京タワーはとても美しい」。ジャーナリストにとっては、前者のほうが覚悟がいる。言い切るには、取材を重ねて裏をとって客観的な事実だと確認する必要がある。「とても」を入れると「そう思ったのは私」という主観的なニュアンスが入り込む。

地域、世代、趣味嗜好、業界などさまざまなコミュニティで、「とても」という意の多様な表現が生成されるのは、仲間たちと主観を共有しあいたいという願望の表れだろう。僕は尾道弁を上手に使いこなせなかったが、「ぶち」と自然にいえるようになって、少し友達に馴染んできたと思ったものだ。

そう考えて「カワイイ」という言葉の意味がわかってきた。意味を定義しようと思ってはいけないのだ。これは英語の「pretty」や「cute」ではない。仲間と感情を共有しあう「機能」が、愛らしいといった「意味」を凌駕している。感情共有を促す機能は「超」「ちょ」と同じだ。

エロカワイイ、キモカワイイまで意味が拡大したのは、感情共有機能が肥大化したためだ。言い換えると、空気をつくる言葉。カワイイの意味は、それがどの仲間たちの中で発せられたかで変わっていく。しかも反論が許されない。「カワイイ」とみんなが盛り上がっている場面で「そんなのカワイクナイ」と否定すれば、空気の読めない子になってしまう。微妙な距離感が生まれてしまう。そう思ってなくても、自分のために、その場のために、とりあえず言っとくべき言葉、それがカワイイだ。

しかしカッコいいは違う。こちらは距離感を示す言葉だ。

カッコいいは、オレはオマエとは違うんだ、オレはこんなカッコいいクルマに乗っている、オレはカッコいいと思うのは、まだほとんどの人が分かってないけど時代の先端だと主張する。尖ったものを愛する言葉がカッコいいだ。

カッコいいは異化の言葉で、カワイイは同化の言葉である。しかし、カッコいいの単純な異化作用に比べ、カワイイの同化作用は、異質なものを取り込む仕組みを持っている。カワイイの定義は、微妙に揺らいでいるために、異質なものを取り込んで、広がっていく。

カワイイは共鳴の言葉である。互いの近しい距離感を確認し合うため、カワイイと言って、周りの人たちと感情を響かせ合う。

響かせ合うには、ユニゾンよりもハーモニーである。カワイイと同じ旋律を歌うだけでは、ジャニーズである。深みに欠ける。

相手のカワイイに合わせて、でも、微妙にそれとは違うものをカワイイと言ったり、異化効果のあるカッコいいのテイストをちょっぴり加えて、旋律を変えてみると、深みが出る。そこに真の共鳴が起こる。カワイイのハーモニー的連鎖が、カワイイの領域を広げていく。

「カワイイ!」と誰かが発すると、その「カワイイ!」が伝染するのだ。「言語は宇宙から来たウィルス」と言ったのは、ウィリアム・バロウズだが、カワイイこそウィルスだ。しかもそのウィルスは言語同様、想像を育む。
──などなどと、200個以上集めたご当地キティを見て、僕はこの自説をふむふむと確信しているわけである。

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たまに以前書いた記事を、このブログに載せています。発売から1年経ってからというのがこのブログのルールです。このカワイイの原稿は、『デザインの現場』連載「コトバのミカタ」の1年前の号に載せたものに、かなり加筆してアップしました。

この記事はぜひブログにアップしたい、早く1年経たないかな、ルール破っちゃおうかな、と思っていたものでした。というのも、最初はブログ用につらつら書いてて、あっおもしろいと思って、急遽連載原稿に格上げしたものだったので。

最新号のデザ現では「RPG型インタラクション」について書いてます。これも面白いと思います。けど、ここ3号くらい、原稿がオヤジ臭くなっています。説教臭いというか。生活全般がオヤジに浸っているせいだと思ってます。是非ご一読を。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-01-27 23:32 | お気に入りの過去記事
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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