藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
続・デザインジャーナリズム
柳本様 前投稿へのコメントありがとうございます。
長文なので、投稿記事としてレスします。

おっしゃるとおり、せっかくのライブで、しかも編集者やライターなど、いろんな方が来ていたから、僕も積極的に会場に話を振れば良かったです。

後半のトークで清水さんと今井さんが見せてくれた「愛のバッドデザイン」も、僕はデザイン批評だと思ってます。それは新製品レビューなどでは忘れがちになりそうな、でも人の暮らしを支えるデザインを語る上では重要な、視点の集積です。

都築響一さんの仕事も批評活動だと思っています。たとえば『着倒れ方丈記』は素晴らしい。ファッション界が見せたがらないファッション界を支える人々のライフスタイルを見事に切り取っている。だけど、都築さんはファッションジャーナリズムという枠の中でその仕事をしたわけではありません。いやファッションジャーナリズムでは決してできないことをやっている。でもその仕事は極めてジャーナリスティックです。

既成のデザイン雑誌に頼らないデザインジャーナリズムは可能です。「キミは僕の仕事をデザインジャーナリズムって呼びたいんだね? なら呼んでもいいよ」ってスタンス。デザインという言葉にこだわりすぎて、なんでもデザインだって言いたがると、逆に広がるべき思考が広がらなくなる。だから僕は、デザインの書き手が「書くこともデザイン」と言うことに違和感を覚えます。エクリチュールという言葉で長年議論されてきた「書く行為」に、デザインという言葉がどれだけ新しい光を当てられるか疑問です。「デザインと呼びたければ呼んでもいいよって」ってスタンスの方が、結局デザインの可能性を広げると思うのです。

基本的にはデザインジャーナリズムなんて言葉にこだわらない姿勢が批評活動を活性化させると思っていますが、しかしデザインジャーナリズムが不要と言っているわけでありません。必要です。もし今あるものでは不十分なら新たなものを作っていかなければなりません。

デザイン誌には専門誌としての役割があります。柳本さんがおっしゃるように一つ一つの製品のレビューでは言説の力は弱く、デザインを語るなんて意気込んでも意味があまりないと思いますが、ある人の仕事や長く続くプロジェクトを総体として、取材を綿密にして語る必要はあります。

フィロソフィーの繋がり合うプロジェクトを3つ以上並べれば雑誌の特集になります。そしてそのフィロソフィーから時代を映し出すことが可能です。こうした特集は編集者の腕にかかっています。

腕のある編集者がいなくなると、しっかり批評的言説を書く場が失われ、デザインの評価は市場に任せることになってしまいます。紙媒体かウェブかの問題ではありません。メッセージをあるパッケージの中にまとめる力のある編集者がいるかいないかです。紙の雑誌とウェブマガジンの両方を使い分けられる編集者が理想だと思っています。

ブログに対する見方も、それが編集者不在のメディアなのか、それとも誰もが編集者になれる時代が来たと認識するかで変わっていきます。匿名メディアがこのまま増えれば前者。署名ブログが増えれば、後者の可能性が少しずつですが見えてきます。

ブログは機動性の高い面白いメディアだけど、ブログだけが批評メディアになってしまうのは、避けるべき事態だと思います。編集を生業にするプロは必要です。誰もが編集者というのは、言い換えれば編集者の素人化ですから、どうしてもクオリティは下がっていきます。

とにかく、ジャーナリストや評論家でなく、デザイナー同士がデザインを評価するにしろ、それが何故選ばれたかを言語化しなければならない。デザイン自体がいくら批評であっても、それを読みとる言説が必要です。いずれにせよ批評的言説を発表する場は不可欠です。

市場にデザインの評価を委ね、市場が受け入れるものはすべて良しとすると、デザインという言葉自体が市場に呑み込まれ、消費されてしまう危険性が出てきます。デザインという言葉が広義になればなるほど、デザインという言葉が市場に濫用され、言葉のイメージはボロボロになり、そのうち死語になるかもしれません。

デザインという言葉を守る人間が必要なんです。それがデザインジャーナリズムを担う人間の仕事だと思います。もちろんデザイナーの仕事でもあります。デザインという言葉を常に柔らかくオープンで新鮮に響くものにするには、その言葉の中核にいる人たちの努力がいるのです。

だから僕はデザインジャーナリズムを諦めていません。

ニッチなメディアでもいいんです。スモールメディアが世界を変える世界にするのが目標ですから。

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【おまけ】ミラノで見つけた「愛のバッドデザイン」藤崎版
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僕たちは硬くて鋭利な針で相手を刺す、
そんな攻撃的なヤツではありません。
針の尖りはいまいちだけど
円板をくりぬいた三本の針で、
プスプスプスっとやさしく刺して、
掲示板に書類を貼り付けます。
斜めになったりいたしません。
掲示板ってヤツはいつも無表情だけど、
やさしく接すると、ペタッと密着させてくれるんです。
くりぬかれた穴は矢印のよう。
回転してるみたいでしょ。
真ん中の穴は何のためかって。
実は僕らも知らないんです。
いつも鼻だと答えています。
タレ目のアンパンマンだと
言ってくれた日本人がいます。
TVアニメのヒーローだそうです。
でもイタリアじゃ放映してないんです。
きっとカッコいいんだろうな。

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では、こちらから清水久和さんの本家「愛のバッドデザイン」ウェブ版をお楽しみください。今井信之さんの文章も素敵です。

ちなみに上の画鋲はこんなものです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-05-18 15:02 | お気に入りの過去記事
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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