藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
21世紀の編集者
前にもリンクを貼った柳本さんのブログの記事で、土曜日のトークについて下のような一節がありました。
「F崎さんのブログでかなりの意気込みを感じ、期待が大きかったのですがその割には核心に触れる話が余り飛び出さず、ちょっと寂しかった。思うに会場の一番前の端にF崎さんのクライアントであるMハウスのS木さんが居たので、なかなか喋りにくいんだろーなーとは感じました。」
否定するまでもないから、否定しなかったのですが、BRUTUSの鈴木副編集長のブログ「フクヘン」でこのことについて言及があり、否定しないということは認めるということになりかねないので、はっきり立場を述べておきます。

上の文章は「クライアントである」というひと言が余計です。これは批評とか意見とかではなく、おばさん勘ぐりです。僕や鈴木さんに対する中傷的意味合いを含むものです。実際BRUTUSはもう3年書いてませんし、CasaBRUTUSも1年以上書いてないですし。

この文章だと、鈴木さんが無言の圧力をかけてるとか、食い扶持を守るために僕が本音を語るのを避けたって読めますからね。腹立たしかったけど、2ch同様、こうした勘ぐりはスルーするのが一番。それよりも「核心に触れる話があまり飛び出さず、寂しかった」という批判をきちんと受け止めることが先決と思って、前回、前々回の投稿となりました。

いい仕事を重ねている編集者が来れば、そりゃ緊張します。関西からわざわざこのために来た編集者もいたし、昔同じ編集部で働いた編集者もいたし、同業のライターもいたし、つまんない話だと後で何を言われるか分からない舌にトゲのついている友人のアーティストは目の前にいたし。ごまかしのきかない観客だったので、本音を語ったつもりです。固有名詞をしっかり出して語ったつもりですし。

しかし、固有名詞を出しているだけで、雑誌の体裁とか文字の大きさとかCasaBRUTUSのムックビジネスのよろしくない点とか「他人の書いた記事は読まないですよ」といった底の浅い本音になってしまい、デザインと言葉を考える上で今後、紙媒体とウェブをどう展開させていくかのがいいか、といった核心に触れる話になかなかならずに、核心を期待していた人はいささか物足りなかった、という点は反省しています。

トークでも語りましたが、僕はデザインジャーナリストである前に、エディターです。編集者です。編集者は情報を扱うだけが仕事ではありません。

本の引力、文字の魔力、紙の愉悦を司るのが編集者だと思っています。ウェブができて、むしろ編集者が操れる「力」が増えてきたと僕は思っています。ネットの共時性とでもいいましょうか。

ネットと本の違いは、即時的なメディア──たとえばBBSやブログと雑誌の違いを考えるより、アーカイブの違いを考察するほうが本質が見えてくると思っています。ネットのアーカイブは膨大な過去を常に「現在」として表示します。過去に遡るという体験を経なくても、検索エンジンを使えば、「いま、ここ」で過去の文書や写真が画面に表示される。常に更新され続ける「いま、ここ」が過去の知の地層を覆い尽くしている。それは究極のモダニズムといえるものです。

時間軸を遡る知の旅のために、本という形態は必要なのです。すべてを現代に変えるのは暴力です。いまGoogleがやろうとしている書物のアーカイブ化などまさに暴力です。

しかし暴力的なスクラップ&ビルドの果てに、生活インフラが満遍なく行き届いている現代都市が生まれたことを考えると、そうした暴力を一概に排除するわけにもいかないようにも思えます。

書物のアーカイブは限られた閉ざされた場でしか閲覧できません。アカデミックなアーカイブの制度を壊していくには、人とモノと情報が流れるインフラを整備して開かれた都市をつくる再開発計画のように、どこかで暴力的な破壊行為が必要になっていきます。閉ざされた知の旅でなく開かれた知の旅をもたらすために、ネットの共時性と本の快楽を両立させるのが、21世紀の編集者の仕事じゃないかって思ったりするんです。

逆の側面から言うと、「現在」だけが過去も未来も世界も覆い尽くす、いま進行しつつある最も深刻な本当のモダニズムの歯止め役になり、ネットを駆使して、本をベースに知覚を扉を開くことが、21世紀の編集者の仕事です。

世界の感じ方を変えれば世界は変わる。世界の感じ方を変えるために何ができるか。それが問題なんです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-05-19 12:33 | Comments(4)
Commented by metabolism at 2009-05-19 14:35 x
藤崎様
思っているニュアンスと違う受け取り方をさせてしまい、申し訳ありませんでした。言葉の難しさを痛感します。
僕は圧力とは全く思ってもおらず、藤崎さん側の配慮というくらいに考えていたつもりなんです。BRUTUSを出さないまでも、版元が持つ問題に対しての部分などがお話で出なかった事も藤崎さんと鈴木さんをおばさん勘ぐりでくっつけてしまった理由でもあります。すみません。
 
中傷と捕われてしまうのであれば余計な部分は削除しても構わないのですが、こうやって相互のやりとりを第三者に知っていただく上でも、そのままにしておきたいのですが、よろしいでしょうか?
Commented by cabanon at 2009-05-19 16:24
柳本様
当該箇所、そのままにしておいて下さい。
こうやって対話ができたってことが、
とても大切なことだと思いますから。

柳本さんの感想が当たり障りのないものだったら、
ここまで思考を広げられなかったし。
ムッとしたところがあるから、
ここまでガツガツ書けたんだと思います。
負けず嫌いですから。
逆に感謝しております。

負けず嫌いを刺激されると、
もう仕事のこととか忘れちゃうんです。
さて、原稿を書かねば。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。
Commented by at 2009-05-20 03:05 x
70年代に倉俣さんや内田さんたちが、デザインを考える、SECTIONというティーチインを定期的にやっていたんですが、そういう場が今の東京にあっても良いかも知れないですね。残念ながら写真以外の記録は残っていないようですが。

当たり前のことですけど、いろんな人の意見や言葉で立体視できる世界もありますし。この数日、藤崎さんのWeblogやコメント欄、リンク先の柳本さん、鈴木さんのblogを読んで、気持が新たになったり、やる気が湧いてきたりしました(単純なんで)。
Commented by cabanon at 2009-05-20 09:48
>は さん
僕らも僕らのやりかたで、デザインを考えるイベントやメディアづくりを地道にやってかないといけないですね。先人たちにそんなこともう昔やったよって言われてもいいから。やるってことが大切ですね。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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