藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
「デザインの骨と皮膜」を終えて
もう24時間以上経つというのに、なんだかまだ緊張感が続いています。緊張というか興奮が収まっていないのです。司会進行役を務めた法政大での公開対談「デザインの骨と皮膜」、無事終えることができました。
山中俊治さん、原研哉さん、本当にありがとうございました!
来場者の方々、スタッフの皆さん、ありがとうございます。
山中さんのブログでも触れていただき、再度感謝です。
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僕は、山中さんの「骨」展と、原さんの人工繊維をテーマにした「Tokyo Fiber'09 SENSEWARE」展は相補的な関係にあると思っています。ともに興味深い独自の世界観を持ってます。しかし両方を見ることで、互いの世界観がまた違った角度から見えてくる。

対談で聞き忘れたことがありました。

映画『2001年宇宙の旅』でモノリスを触った類人猿が道具を使うことに目覚め、骨を武器にし、部族どうしの戦いを始めました。そして高く空に投げられた骨が、宇宙船のシーンに変わる。過去から未来へ一瞬にして場面が転換していきます。

原さんはSENSEWAREを「創造行為を触発する媒質」と定義しています。「Tokyo Fiber'09」展は人工繊維をセンスウェアと捉えて、さまざまなクリエイターに人工繊維による作品をつくってもらう展覧会です。原さんは紙もセンスウェアだといいます。原さんは石器時代の石斧を初めて触らせてもらったとき、そこにセンスウェアを感じたそうです。石の触感が、人類を石で道具をつくることを駆り立て、石器時代という文化をドライブさせたのだと。

その話を聞くと、どうしても究極の創造行為を触発する媒質であるモノリスのことを思わざるを得ません。『2001年宇宙の旅』ではモノリスが人を道具の創造に導く媒質です。そして映画では最初の道具として「骨」が描かれています。それが科学の粋を集めた宇宙船へと進化していく。

山中さんは人がつくりしものの中に脈々伝わる骨の系譜を、それ以前の生物の骨格なども見せることで読み解いていきます。骨は単に構造体ではなく、モノリス体験以降のテクノロジーを表しています。

『2001年宇宙の旅』つながりですよね?って聞きたかったんですが、聞きそびれました。お二方ともあの映画に対するそれぞれの答えを展覧会を通じて探しているような気がして……、そこんところどうなんですかって。

対談の詳細は、9月後半発行予定の『DAGODA』第2号で報告します。ご期待ください。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-06-27 23:53 | Comments(5)
Commented by photomemo at 2009-06-29 10:38
機械の機械らしさの先に、生物との共通点を見出す山中さん。
機械の機械らしく無さの先に、生物(人)との接点を見出す原さん。

久しぶりにとても、満足感を得られる講演会でした。
ありがとうございました。

谷崎潤一郎が、日本人の女性について、
肌のさわり心地(きめ細かさ)は世界のどの女性にも増して素晴らしい。

というような旨を書いていることを思い出しました。
そのような肌を持った日本人の肌に触れている、持っている、
私たちから生まれる感性・世界感みたいなものをお二人の展覧会は持っているのではないかと思いました。


DAGODA第2号楽しみにしています。
Commented by cabanon at 2009-06-29 15:14
> photomemoさん

僕はきめ細かいの、肌理(きめ)って言葉が好きです。木目とも木理とも書くようですが、シルクのようなテクスチャーをいうときは肌理。
肌の理(ことわり)ですから、単に感覚的でない何かがある。そこに日本的な感性、いや肌理は中国語でも使うようですから東洋的感性を感じます。

気骨っていうのも同様に好きな言葉です。志が堅く、気が凝して、骨となった状態。原さんも山中さんも、肌理と気骨の人だと思います。


Commented by 原研哉 at 2009-06-29 20:15 x
藤崎さん、楽しい時間をありがとうございました。
2001年宇宙の旅の冒頭シーンは確かに示唆的です。
骨は人間が手にした最初の道具です。人間の身体能力を拡張し、環境を加工・変容していく道具の始原です。骨は、刀や弓矢になり、鋤や鍬になり、さらにはパワーショベルにも巡航ミサイルにも進化していきます。
一方で、二足歩行をはじめた類人猿は、もうひとつ道具の始原を手にしているはずです。自由になった手のひらを合わせて、かれらは水をすくって飲まなかったでしょうか。きっとそうしたはず。二つの手のひらを合わせると、器ができます。閉じるとちょうど蝶一匹が羽ばたけるほどの空隙。これが器、すなわち、守り保持する道具の原型。食器、家、衣服、そして書籍・・・。
つまり、人間は骨/棍棒系の道具の系譜と、器系の二つの道具の系統を進化させていくのです。
骨と皮膚は棍棒と器のアナロジーをそのまま引き継ぐ視点でした。
2001年宇宙の旅に、類人猿が、川で手のひらで水をすくっ水を飲むシーンがありましたか?あったようななかったような。いずれにしても、この映画の冒頭のシーンには強く影響を受けました。
Commented by cabanon at 2009-06-30 00:31
>原さん
2つの手のひらを合わせて器、という話、
読んでて背筋がゾクゾクしました。

2001年の水を飲むシーンはうろ覚えでなんかあったような気がします。
確認してみます。

ニホンザルとかが片手ですくって水を飲む光景は、何かのTVで見たような気がします。しかし、両手のひらを合わせて飲むというのは、見たことがないですね。

二つの手のひらを合わせる行為は、世界を分かち、中心線を生み、知恵を生む。そしてそれが祈りの原型となる。神聖さを生む。
手のひらを合わせるから、器は世界を表象し、
飲む行為自体に美が生まれるのかもしれません。

書物を開くときもまた、私たちはノドという中心線を意識する。書籍と器が同じ守り保持する道具だと指摘されて、編集者としては鳥肌が立ちました。そう考えると、ディスプレイで読む情報とは基本的別物ですし。

(長文になったので、下に続きます)
Commented by cabanon at 2009-06-30 20:59
類人猿が、最初に2つの手のひらを合わせて水を飲んだとき、
そこにもう道具の予感があったのかもしれません。

棍棒/器、
握るもの/包み込むもの、
攻撃するもの/守るもの、
能力拡張系/身体保持系
その二つの道具の系譜は確かにあるように思います。

武器や農具から発達した握る系の──
人の能力を拡張させ、環境改変していく道具が一人歩きして、
道具が本来持つ神聖さが薄れつつあるとき、
でも、中身を開いてみたら、
ほらっ、こんなに神聖さがある、というのを見せたのが
山中さんの「骨」展なのかもしれません。

生命進化46億年の歴史が、手のひらを合わせた瞬間に現れる。
身体だからこそ生まれる確固たる中心線。そして空隙。
それが「質」を司る。
そのゾクッとする感覚を一瞬に感知させるのがSENSEWARE。
原さんの仕事──。
そんなふうに思いました。

コメントいただき、有り難うございました。
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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