藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
2008年 03月 11日 ( 1 )
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
ソットサス追悼記事
10日発売『CasaBRUTUS』4月号に、下の写真のような記事を寄稿しました。
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昨年12月31日に90歳で亡くなったエットレ・ソットサスの追悼記事です。全8ページの1ページ分が僕の原稿です。インドやビートニクの詩人たちとの交流の話を書いてほしいと編集者にオファーされて、でも、原稿の冒頭は7年前2001年にミラノでソットサスをインタビューしたときの話から始まります。
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Photo by Ramak Fazel

ミラノ在住ジャーナリスト田代かおるさん(写真左から3人目)が、僕の質問も加えてくれる形で、ソットサスにインタビューしました。答えを通訳していると時間がなくなるので、僕とCasaの編集のS氏はソットサスの声を(話じゃない!)うっとり聞いていました。このときの原稿は田代さんがまとめました。

で、このインタビューの最後にソットサスが机を激しく叩いたんです。今度の原稿はそこから始まります。とても気に入っている原稿です。僕の前のページの田代さんの原稿も、ソットサスの要点が詰まった素敵なテクストです。写真もじっくり見てください。長山智美さんのスタイリングは奇跡的です。どこから集めたのって。日本にこんなソットサスがあったのか!って感じです。

カーサの今回の記事を書きながら、多木陽介さんが著したアキッレ・カスティリオーニの本のことを思いました。ソットサスとカスティリオーニは正反対の方向の道を歩きながら、実は同じところへ向かっていたのではないか。

カスティリオーニは合理主義者です。身体と道具の関係を合理主義的アプローチで突き詰めると、そこに見えてくるのは「身体の非合理性」です。カスティリオーニの仕事が私的なのは、脂肪がそぎ落とされたダンサーの動きが合理よりも神秘を見せるのと同じことだと思います。

ソットサスは合理主義的アプローチでは見えにくくなるものを、1960年代の数ヶ月のインド旅行と腎臓の難病と闘った長期にわたる入院生活の末に、はっきり認識します。生と死をありのままの姿を、形や色で解放しようと試みます。本来のありのままの生と死は日常生活の中の出来事です。修行僧になって神を通して死を見つめることも、孤高の画家となってアトリエに籠もり生を描くということもしませんでした。産業社会と日常生活に積極的に関わり続けるられる場──デザインが、彼が世界の神秘を見つめるフィールドでした。

おっとこれ以上書くとカーサの原稿のネタバレになりますので、やめときます。ぜひご一読ください。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-03-11 12:27 | Comments(1)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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