藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
2008年 07月 28日 ( 1 )
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
伊東豊雄 × takram「風鈴」展
d0039955_18564242.jpg
25日、伊東豊雄と takram design engineering のコラボレーションによる「風鈴」展(8/22まで)のオープニングレセプションに行きました。いいです。知的興奮と詩的情感が同時に味わえます。

会場は紀尾井町のホテルニューオータニ内のオカムラ ガーデンコートショールーム。そこに280個の風鈴が天井から吊されています。ガラスの風鈴の中は白色LED。各風鈴の上、天井には白い円盤が設置されています。赤外線センサーが人の動きを察知して、下を人が通ると白色LEDが明滅し、音を鳴ります。
d0039955_1912835.jpg
録音ではありません。ガラス風鈴ですがガラスを打つ音ではありません。天井に設置された円盤の中に金属棒が入っており、モーターがその棒を叩いて音を出します。金属棒の長さの違いで、6段階の高低の音が出るといいます。

おもしろいのは、この空間が知能化されていることです。人を感知して光った風鈴が隣り合う6つの風鈴に信号を発します。信号を受け取った風鈴は自ら判断で光り、光が波紋のように広がります。人が動くと波紋が干渉し合い、予測のつかない光り方をします。

隣の風鈴に渡す信号のパラメータを変えることで、全体の光り方が変わります。激しくなったり穏やかになったり。実際にオープニングレセプションの会場ではtakramの方が、いろんな明滅のパターンを見せるために、何回かパラメータを変えに走っていました。

各ユニットに非常に単純な行動ルールを与えて、各ユニットは隣接したユニットだけと交信しています。しかし各ユニットが自律的に行動を判断すると、その総体はまるで誰かが指揮をしているのような知能を持つかのような複雑な振る舞いを行う。もともと知能とはそうした分散処理から生まれたものかもしれない。なんだかMITのロドニー A・ブルックスの知能ロボット論を思い出しました。

分散並列・自律協調のロボットはおもしろいです。何度か取材したこともあります。けれど、今回のこれには「身体」がありません。車輪のついた機械がダンスしたり、合体することはありません。自律しながら協調する分散型の知能が顕現するのは、物質的な身体ではなく、光と音を通してです。

伊東さんは、透明ガラスで柔らかな曲面を描き、空間に浮かび上がることで、重力や物質性といったフィジカルな要素を消しています。もちろん、ガラスは物質で、風鈴は重力によって天井から吊されているわけですが、物質から完全に逃れているわけではありません。しかし、透明性や浮遊感を強調することで、この空間のイメージは虚実の境界を漂わすことができます。

光と音は波であり「物理学的」であっても、「物質的」とは言い難い。それはフィジカルの臨界点にあるものです。

伊東さんが現出した虚実を彷徨う空間で、takramが仕掛けた分散型ロボティクスは、光と音という身体を持ちます。フィジカルなイメージを消し去った空間で、人のフィジカルの動きに反応して、本来フィジカルなものでない光と音が意思を持っているかのように振る舞うので、光と音がフィジカルなものとして感じられるのです。
d0039955_1857241.jpg
だからついつい手をかざしたり、カメラを向けて、虚実の境目にある身体を追いかけようとする。

電源が発するノイズのせいで、人がいなくてもポルターガイストみたいな光り方が発生して調整に苦労したと、takramの田川さんはおっしゃってました。

ゴーストは人の身体に宿るのでなく、人の身体の動きに宿るものかも。「囁くのよ、私のゴーストが」という「攻殻機動隊」の草薙素子の言葉の拠り所がなんとなくわかったような気がしました。

「見るということは、受動的なプロセスではない。人間の目は常時その視点を移しており、自分を取り巻く世界の断片をあちこちから集めている」と、ロドニー・ブルックスは『ブルックスの知能ロボット論』の中で語っています。見ることは身体の能動的行為です。

この展覧会場で部屋の隅に座って、風鈴の明滅を眺めていても、全体の光の波紋の動きはなかなか分かりません。真上から空間全体の光の動きが見られたらいいなと思いました。けど、小さな画面の中の出来事のように全体が見えたら作品の魅力が減るかもしれません。視線が固定されてしまい、サッカード(眼球運動)の楽しみがなくなってしまいます。サッカードするから、人はゴーストの囁きを聞けるのです。(「囁くのよ、私のゴーストが」という言葉には、私という主体の本体とされるゴーストの囁きを聞く「私」とはいったい誰?という問題がある。運動する主体と立ち止まる主体と二分すると理に適うかも……。このあたりが最高におもしろい)。

会場の中では、人が同じ場所にいつづけていても、その人の周囲の風鈴はずっと同じ明るさで光りつづけているわけではありません。何かに呼応して明滅しています。なぜなんだろうと思いながら、光と音に現れたゴーストの身体を追う。捕まえようと思っても決して捕まえられない──そのダイナミズムに、このインスタレーションの深さがあるのだと思います。しかもそのけっこうシリアスになるテーマが、風鈴という癒し系・納涼系・職人の手わざ系物体に体現されているのがおもしろい。

つまらないと思ってそぞろ歩くだけだと限りなくつまらない。おもしろいと思って、ここに顕現しているのは何かを考えて、光の波紋をサッカードし、音階の違いに耳を澄ますと、限りなくおもしろくなってくる。そんなインスタレーションだと思います。
d0039955_23321629.jpg
※会場の休日にご注意ください。7月28日~8月22日 10時~18時(土・日、8/13〜15休)
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-07-28 19:07 | Comments(2)


S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

Twitterもやってます!

*当ブログの奥座敷
KoKo Annex

ライフログ
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
ブログジャンル
リンクについて
当サイトはリンクフリーです。
お気軽にリンクして下さい。

本ブログの記事と写真の
無断複写・転載を固く禁じます。




Copyright 2005-2016 Keiichiro Fujisaki All rights reserved
本ブログの記事と写真の無断複写・転載を固く禁じます。