藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
2009年 05月 18日 ( 2 )
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
続・デザインジャーナリズム
柳本様 前投稿へのコメントありがとうございます。
長文なので、投稿記事としてレスします。

おっしゃるとおり、せっかくのライブで、しかも編集者やライターなど、いろんな方が来ていたから、僕も積極的に会場に話を振れば良かったです。

後半のトークで清水さんと今井さんが見せてくれた「愛のバッドデザイン」も、僕はデザイン批評だと思ってます。それは新製品レビューなどでは忘れがちになりそうな、でも人の暮らしを支えるデザインを語る上では重要な、視点の集積です。

都築響一さんの仕事も批評活動だと思っています。たとえば『着倒れ方丈記』は素晴らしい。ファッション界が見せたがらないファッション界を支える人々のライフスタイルを見事に切り取っている。だけど、都築さんはファッションジャーナリズムという枠の中でその仕事をしたわけではありません。いやファッションジャーナリズムでは決してできないことをやっている。でもその仕事は極めてジャーナリスティックです。

既成のデザイン雑誌に頼らないデザインジャーナリズムは可能です。「キミは僕の仕事をデザインジャーナリズムって呼びたいんだね? なら呼んでもいいよ」ってスタンス。デザインという言葉にこだわりすぎて、なんでもデザインだって言いたがると、逆に広がるべき思考が広がらなくなる。だから僕は、デザインの書き手が「書くこともデザイン」と言うことに違和感を覚えます。エクリチュールという言葉で長年議論されてきた「書く行為」に、デザインという言葉がどれだけ新しい光を当てられるか疑問です。「デザインと呼びたければ呼んでもいいよって」ってスタンスの方が、結局デザインの可能性を広げると思うのです。

基本的にはデザインジャーナリズムなんて言葉にこだわらない姿勢が批評活動を活性化させると思っていますが、しかしデザインジャーナリズムが不要と言っているわけでありません。必要です。もし今あるものでは不十分なら新たなものを作っていかなければなりません。

デザイン誌には専門誌としての役割があります。柳本さんがおっしゃるように一つ一つの製品のレビューでは言説の力は弱く、デザインを語るなんて意気込んでも意味があまりないと思いますが、ある人の仕事や長く続くプロジェクトを総体として、取材を綿密にして語る必要はあります。

フィロソフィーの繋がり合うプロジェクトを3つ以上並べれば雑誌の特集になります。そしてそのフィロソフィーから時代を映し出すことが可能です。こうした特集は編集者の腕にかかっています。

腕のある編集者がいなくなると、しっかり批評的言説を書く場が失われ、デザインの評価は市場に任せることになってしまいます。紙媒体かウェブかの問題ではありません。メッセージをあるパッケージの中にまとめる力のある編集者がいるかいないかです。紙の雑誌とウェブマガジンの両方を使い分けられる編集者が理想だと思っています。

ブログに対する見方も、それが編集者不在のメディアなのか、それとも誰もが編集者になれる時代が来たと認識するかで変わっていきます。匿名メディアがこのまま増えれば前者。署名ブログが増えれば、後者の可能性が少しずつですが見えてきます。

ブログは機動性の高い面白いメディアだけど、ブログだけが批評メディアになってしまうのは、避けるべき事態だと思います。編集を生業にするプロは必要です。誰もが編集者というのは、言い換えれば編集者の素人化ですから、どうしてもクオリティは下がっていきます。

とにかく、ジャーナリストや評論家でなく、デザイナー同士がデザインを評価するにしろ、それが何故選ばれたかを言語化しなければならない。デザイン自体がいくら批評であっても、それを読みとる言説が必要です。いずれにせよ批評的言説を発表する場は不可欠です。

市場にデザインの評価を委ね、市場が受け入れるものはすべて良しとすると、デザインという言葉自体が市場に呑み込まれ、消費されてしまう危険性が出てきます。デザインという言葉が広義になればなるほど、デザインという言葉が市場に濫用され、言葉のイメージはボロボロになり、そのうち死語になるかもしれません。

デザインという言葉を守る人間が必要なんです。それがデザインジャーナリズムを担う人間の仕事だと思います。もちろんデザイナーの仕事でもあります。デザインという言葉を常に柔らかくオープンで新鮮に響くものにするには、その言葉の中核にいる人たちの努力がいるのです。

だから僕はデザインジャーナリズムを諦めていません。

ニッチなメディアでもいいんです。スモールメディアが世界を変える世界にするのが目標ですから。

************

【おまけ】ミラノで見つけた「愛のバッドデザイン」藤崎版
d0039955_16202658.jpg
僕たちは硬くて鋭利な針で相手を刺す、
そんな攻撃的なヤツではありません。
針の尖りはいまいちだけど
円板をくりぬいた三本の針で、
プスプスプスっとやさしく刺して、
掲示板に書類を貼り付けます。
斜めになったりいたしません。
掲示板ってヤツはいつも無表情だけど、
やさしく接すると、ペタッと密着させてくれるんです。
くりぬかれた穴は矢印のよう。
回転してるみたいでしょ。
真ん中の穴は何のためかって。
実は僕らも知らないんです。
いつも鼻だと答えています。
タレ目のアンパンマンだと
言ってくれた日本人がいます。
TVアニメのヒーローだそうです。
でもイタリアじゃ放映してないんです。
きっとカッコいいんだろうな。

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では、こちらから清水久和さんの本家「愛のバッドデザイン」ウェブ版をお楽しみください。今井信之さんの文章も素敵です。

ちなみに上の画鋲はこんなものです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-05-18 15:02 | お気に入りの過去記事
 
デザインジャーナリズム
柳本浩市さんのブログmetabolismを拝見して、やや反省。5.16のshop btfでの岡田栄造さんとのトーク、僕的には気持ちよく話せたのですが、デザイン批評は可能か?っていう話をもっと突っ込んだほうがよかったかもしれませんね。

最近こんなことがありました。

某雑誌から拙著『デザインするな』の書評記事のゲラがPDFで送られてきました。事前に著者にチェックしてほしいとのこと。「ゲラは読みません。チェックしません。そんなことをしたら書評の意味がない」とかなんとか書いて返信しました。著者インタビューを受けてコメント部分をチェックしてほしいというのならチェックします。しかし評論の事前チェックは評者に失礼。本を世に問うた以上、他者から批判は受け入れる覚悟はできています。その批評がたとえどんな理不尽なものであってもです。

出版後のいさかいを避けるため、専門誌でも原稿の事前チェックが当たり前になりつつあります。しかし記事の性格によっては事前チェックは全く必要のないものがあります。そうしないと批評・評論という分野が存在できなくなってしまう。

自分の発言内容や事実関係以外の部分まで直しを要求するのはルール違反です。レイアウトまでチェックさせろと言ってくる人もいます。レイアウトだって批評です。どの写真を大きく使うか、何をメインに見せるか、といったことは雑誌編集者とエディトリアルデザイナーの批評性が発揮される部分です。レイアウトチェックを要求できるのはタイアップ記事のクライアントに限ります。

そうした批評性への無理解に歯止めをかけるのが編集者の役割です。ここは直すけど、ここは直さないと判断し、執筆者を守るのが、編集者の力です。編集者は執筆者にとって第一読者だって話をトークの時にしましたが、それと同時に防波堤でもあるんです。このふたつの役割をこなして、批評の世界の質が上がる。自称デザインジャーナリストがたくさん増えても、編集者の質が向上しないと、デザインジャーナリズムは存在しないということになります。

デザイン批評は難しいものです。デザインはプロダクトの姿形だけでなく、その製品を実現させるためのプレゼンテーションの過程から、その製品が世の中に出てから、どのような反響があって、それがどう次の製品に反映されていったかまで評さないと、批評として意味がない。製品の使い勝手だって1年以上使い込んで初めて分かることがたくさんある。映画のように試写会を見て、評論が書ける分野ではありません。

各業界に精通した人がデジカメだけとかクルマだけ評することなら、ファーストインプレッションでもかなり精度の高い評論を書くことは可能です。だからデジカメ評論家や自動車評論家は成立します。しかしモードも茶碗もインタラクションデザインも産業機械も広告も絵本も住宅も、時にはアートもアニメも、横断的に語るデザイン評論家は成立しづらいのです。

結局日本では、デザインを評することは、デザイナー同士に委ねられています。デザイナーのほとんどはバウハウスを基礎とするモダンデザイン教育をみっちり受けてます。グッドデザイン賞にしろADC賞にしろ、だいたい同じような見方を持った人たちが、その製品が世に出てまだ日が浅いうちに審査して、デザインの善し悪しの合意を形成している。それが現状です。しかし、そのやり方以外に今のところ世の中に溢れる大量のデザインを評価する方法がないのだから、そうした制度はそれなりにきちんと機能しています。

じゃ、デザインジャーナリストなんて、やることないじゃん、批評なんて書いても意味ないじゃんって話になります。たしかに辛口批評とか毒舌ばかり標榜すると、最初は面白がられても、辛口のスタイルを守るために先細りしていきます。

たいていの本音トークは、経験に培われた眼で直感的にいいか悪いかを判断して、それを正直に言っているという程度のものです。映画や演劇評なら、それで通用しますが、その都度知らない業界や技術を勉強しなければならないデザインジャーナリストの仕事は、経験が好奇心を鈍らすこともあります。あの時ああだったから、どうせこれもツマラナイだろと勝手に決め込んでしまうわけです。

経験という色眼鏡を外したほうが、美しく見えるものがあります。プロダクトの背景とその後の影響を綿密に取材していけば、最初はツマラナイと思ったものが、とても興味深い事例に見えてくることがあります。どんなものにも何か面白い話が隠されている。そう思ったほうが世の中は豊かに見えてきます。

僕はデザインジャーナリストの仕事は、「批判」から入るのでなく、「認めること」から入るべき仕事だと思っています。

批評ができるのは文章だけではありません。デザインも批評ができます。わかりやすい例だと、トスカーニのベネトンの広告、スウォッチ創設時の戦略、無印良品のブランディング、ドローグデザインの仕事などは、その時代時代への企画者や表現者の批評精神をはっきりと読み取れることができます。デザインが持つ批評性を言葉に置き換え、それを広く伝えるのがデザインジャーナリストの仕事です。

一見批評性の無さそうなものに、批評性を発見するのが面白い。トスカーニのベネトンの広告の批評性を書くのは簡単です。ですが、コンビニに置かれた清涼飲料水の批評性を浮かび上がらせるのは難しい。「世界のキッチンから」に、カテゴリー売り上げ1位2位以外の商品は入れ替え制で、新商品は一発屋の若手芸人のような扱いで、商品を育てようとしない一部大手コンビニに対する批判的な思いがあることは、ドラフトの本(『デザインするな』)を書くという立場で、宮田さんにじっくり話を聞けたから知り得たことです。

僕が批評家や評論家と名乗っては、デザイナーが仕掛けた隠された批評を言葉にすることができなくなります。伝える人に徹することで、見えてくる批評がある。

建築家もアーティストもデザイナーも批評家なんです。キュレーターも批評家です。いや批評家以上に批評家です。それを「認める」ことから始めることで、建築・美術・デザインジャーナリストという職能の存在理由がある。ピンと来ないものは単純に無視すればいい。だからCasaBRUTUSでも批評は成立すると思ってます。編集者にそうする気がないと単なる情報誌になってしまいますが。

「認める」ことから始めるからこそ、あっこの人、おかしくなっている、というのが分かるんです。そういうときは批判に転じる。僕は深澤直人さんの仕事はいつも気になってますから、21_21のチョコレート展の時は批判したわけです。逆に言えば、認めてない人は批判もしない。

成功している人は必ず何か理由があって成功している。酒の席ではとかく「実はあの人は…」と、悪い面ばかりを見た話ばかりになってしまいます。しかし僕にとってデザインジャーナリストの仕事とは、まずは相手の懐に入り込んで、いい面を引き出すことだと思っています。まず相手のことを認めないと、なぜ成功しているかを見極めるための材料が手に入りません。

もちろん悪い面も頭に入れておく必要はあります。じゃないと、懐に入ったまま戻って来れなくなってしまいます。ジャーナリストの本分は取材対象との距離感の操作。取材対象を一時的に好きになることも、距離感の操作の重要な技量です。そうやって引き出した成功者の「いい面」は僕自身にとってもものすごく勉強になります。それを人に伝える、それが職業です。

そんなこんなトークの後、ちょっと反省を交えて思いました。

優れたデザインは、それ自体が批評です。それを言葉にするだけだから、デザインジャーナリストの仕事は簡単? いや、それがとってもむつかしいですよ。

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なんて会話はしてません。左が岡田さん。

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-05-18 00:36 | お気に入りの過去記事


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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