藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
2009年 06月 14日 ( 1 )
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
「骨」展をレビューする
21_21 DESIGN SIGHTで行われている山中俊治ディレクションの「骨」展(8/30まで)。5/29にオープニングレセプションに行きました。すぐにブログに記事を書こうと思ったのですが、どうも何かが気になる。それで次の金曜日、また行きました。で、それから一週間以上じくじく考えて、ようやくレビューをアップします。

【ボーンヘッドの知】

野球にボーンヘッドって言葉があります。マヌケなプレーのことです。2アウトなのにキャッチャーが3アウトだと勘違いしてベンチに帰ろうとしたら、ランナーに盗塁されてしまうとか。Boneheadは、直訳すると骨頭。脳みそがない骨だけの頭ってことです。

仮面ライダーに登場する悪の組織ショッカーの戦闘員は、骸骨をプリントした黒タイツ姿でした。指令通りに動いて仮面ライダーにあっさりやっつけられる彼らは、意思や知性が欠如した存在。骸骨は知の抜け殻であり、海賊の髑髏マークのように、死や悪を象徴する忌まわしきものでもありました。

「骨」展の「骨」にはそうしたネガティブなイメージがありません。この展覧会での骨は知の抜け殻どころか、むしろ知そのものなのです。エントランスには日産フェアレディZのフレームが展示されています。そこに愚、死、悪を感じる人はいないでしょう。量産型高速移動体の骨格は、速く快適に安全に移動したという人の知性の集積であって、人が生きることの証しそのものなのです。

【無駄骨の戦略】

階段を下っていくと、写真家、湯沢英治さんが撮ったホッキョクグマの頭蓋骨があります。いやいやまさにBonehead。骨頭です。しかしその造形にマヌケさは皆無です。人が決してつくりだすことが出来ない曲面美。面質ここに極まれりです。

湯沢英治さんは他にもヘビ、カメ、キリンなどの骨格を美しく写し出します。生物は環境に応じてその形態を最適化させますが、デザイナーが工業製品をデザインするように、無駄な部分を精査し削ぎ落とし、必要なものだけを残すといった最適化はできません。突然変異は偶然に委ねられ、退化はゆるやかに進みます。ですから祖先から否応なく引き継いだ形質が残ります。

最小限の材料で最大の効果を目指すデザイナーなら、人間の足の指を5本にしておくでしょうか。足の小指の爪は必要でしょうか。高い木の上の葉を食べるためという理由だけで、キリンの首を長くしたデザイナーがいたとしたら、おいおい、もっと別の解決策はなかったのかよ、って突っ込まれるでしょう。

生物の骨格は、無駄を排した合理的形態ではありません。むしろ冗長なるものを宿しています。骨は、生命進化が知性的プロセスであることの証しです。進化は均質から多様へ向かっています。偶然性やゆらぎや過剰さなどをシステムに採り入れながら、自律的に多様性を獲得して環境への適応を図っていく、そのプロセスが美しく、それゆえその証したる骨も美しいのです。

【粉骨砕身の美】

ニック・ヴィッシーの工業製品を撮影したX線写真も、興味深いものでした。特にボーイング777を真正面から撮影したX線写真は驚きです。最初、模型を撮ったのかと思いました。しかしよく見ると翼や垂直尾翼が先端に至るまで中空構造になっている。本物です。X線写真のフィルムには等倍にしか撮れないので、何百枚ものX線写真を撮って組み合わせたそうです。

飛行機のプロポーションはエレガントです。ファッション界の人たちが使う意味での気品とか優雅という意味のエレガントではありません。複雑な事象を単純明快な数理モデルで描き出したときに、理系の人たちが使う「エレガント」です。その形態は幾何学的。基本的に円と直線で構成されています。

しかしこの写真はエレガンスの背後にあるものまで写し出しています。目を凝らして細部の造作に思いを馳せると、人の活動がこのエレガンスを支えていることが伝わってきます。リベットをひとつひとつ人が締め、飛行するたびに細部までチェックして、巨大構造物が空を飛ぶ。ジェットエンジンは大量の燃料を消費します。人工物が機能しつづけるには、人がメンテナンスし、エネルギーを供給しつづけていかねばなりません。骨を折って砕いて粉にする努力がないと、美は保てないのです。

工業製品のX線写真では、電気配線などもくっきりと浮かび上がります。ドライヤーやCDプレイヤーでは力学的構造体であるケースより、エネルギー系・情報系まで骨格のように写ります。これを見て気づいたことがあります。人工物を「人がつくったもの」と捉えるだけでなく、「人の活動によって維持されているもの」という視点を加えると、自然と人工の境界の景色は随分違ったものに見えてくる、と。

「人がつくったもの」かつ「人の活動によって維持されているもの」が人工の中の人工。ヴィッシーが力学系もエネルギー系も情報系も骨格のように写し出された工業製品はまさに純人工物です。

ひとくちに人工物といっても、自然に大きな負荷をかけて人の活動によって製造・維持されているものなのか、自然と共生する人の営みを支えている役割を果たしているかで、その性格は変わってきます。

「人が立ち入り禁止のルールをつくることで守られる自然」
「人が維持管理することで保たれる自然」
「人の中に内在する自然、つまりヒューマンネーチャー=人の本性」
「遺伝子組み換え技術で強化された自然」
「自律的に生存する人工物」
「有用性も芸術性も皆無で放置されているだけの人工物」
「自然と人の営みを共存させるための人工物」などなど

生物と工業製品の骨格を比較することによって、自然と人工の間に横たわる微妙なグラデーションに敏感になれていきます。

【解剖と解体】

アーロンチェアや腕時計、PCMレコーダー、インナーヘッドフォン、携帯電話などが分解されています。解剖といってもいいかもしれません。それぞれに役割が違うパーツに分別して、その構成や関連を調べるのが解剖です。

解体というと内部の状態を調べるという研究的な意味合いが消え、単にバラバラにするという意味になります。レンガ造りの建物を解体すると同じ大きさのレンガが残ります。これでは解剖とはいえません。

近代建築を鉄骨や鉄筋や空調設備や照明、ドア、エレベーター、床材などに分解することはできます。部材や設備ごとに分解することは「建物」の解剖で、「建築」の解剖にはあたりません。建築には部材というレイヤーの上位に、空間というレイヤーが存在します。建築の解剖には「空間」という構成要素を想定し、その性質や空間どうしの関係性、さらには空間と環境、空間と人との関連を調べないといけません。そのレイヤーを目的に応じて組み上げていくのが建築家という職能です。

料理研究家が牛を解剖すると、肩ロース、ハラミ、フィレ、ミノ、センマイとかに分別し、生物学者とは随分違った解剖の仕方をするでしょう。同じものを分解しても、その職種によってそのやり方は大きく異なることがある。職種によって、まったく違うレイヤーで構造を分析しているからです。

だから、「骨」展の分解はプロダクトデザイナーの目によるものだなって思うんです。どう解体するか、それを分別し、どう並べるか。エンジニアが分解するとおそらく違う展示になる。もっと言うと、この分解自体が山中俊治というプロダクトデザイナーのひとつの作品なんだと思うわけです。

【骨に宿るもの】

道具の部品というのは目的を達成するための手段です。有用性こそその存在理由です。たとえ部品が美しくても、それはより効率よく精確に機能することを求めた結果、生まれた美しさです。いやいや理屈の上ではそうだけど、人間の本性としてどうしても美しさを追い求めてしまう。あくまで有用性のためだけにつくられた部品にも、機能美といったスマートな言葉では言い表せない、人間の本能や欲望といった非合理の部分に根ざした性(さが)が生み出す美しさがあるのではないか。山中さんの分解展示から、そんなことを感じてしまうのです。

会社の歯車になるのはイヤだって表現があります。学生時代よくそんな話をしていました。当時ピンクフロイドのアルバム「The Wall」が発売され、映画にもなり話題になっていました。アルバム収録の「Another brick in the wall (part 2)」は大ヒットしました。「どうせ人はみんな壁の一個のレンガにすぎない」って歌詞です。

歯車かレンガか。よく考えるとかなり差があります。壁のレンガは均質であることが求められます。ほぼみな上からの荷重を支えるという同じ仕事をします。歯車の仕事は複雑です。それぞれサイズや歯の数の違う個性的な歯車が回転速度を変え、縦の回転を横の回転に変換したり、回転運動をピストンの往復運動に変えたりします。

ひとつひとつは単調に回り続け、しかも目的を理解せず、自律性がなく言われたままで、しかも交換が利くといった点を考えれば、やはり人間は歯車になるわけにはいきません。しかし個性があるのです。腕時計の精妙な歯車を見ると、設計者・職人の気概を感じずにはいられません。魂みたいなものまで感じてしまうのです。

日本人は八百万の神といわれるアニミズムに慣れ親しんでいるから、欧米人とはロボット観が違うという話をよく聞きます。ロボットは人類から労働の機会を奪う怪物でなく、アトムのように仲間として社会に受け入れられやすい。そんな話です。

「骨」展の分解展示を見て、日本人のアニミズム的な感性は、部品にも発揮されるんじゃないか、って思いつきました。単調に働く、交換可能のものでさえ、唯一無二の何かに見立ててしまう心性が日本人にはあるのではないか。目的と手段とか、有用性や機能といった議論では見えてこない「骨に宿るもの」──デザイナーってそれが見える職業じゃないのかって。

そう考えていくと、からくり人形師、玉屋庄兵衛さんと山中俊治さんによる弓曳き人形が、本展の中核的な役割をしていることがよく分かってきます。弓を的に当てる人形の知性的な振る舞いを可能にしているのは、人工知能ではなく、精巧につくられた木や金属でできたからくりです。部品ひとつひとつに人形師が魂を封じ込めています。魂が骨格に宿るというと、エセ科学っぽいので、知が骨格に宿るとしておきましょう。知を宿す骨格は美しい。

通常のからくり人形では衣服に隠れて見えない骨格を見せることで、江戸時代から続く玉屋庄兵衛のからくり人形の暗黙知を顕在化させています。パーツひとつひとつのフォルムが人形師の手わざという暗黙知の証しなのです。

分解展示が終わると、クリエーターが骨をテーマにつくった今回の展覧会のためにつくった作品があります。この展覧会は、「標本室」と「実験室」の2部構成で、未来の骨格を探る「実験室」はここから始まります。実験室には、先述の弓曳き人形のほか、takram design engineeringの6本脚ロボットや、明和電機の笑う機械仕掛けの彫刻、エルネスト・ネトが初めて骨格に挑戦した作品など、面白い作品が多数ですが、長文になりすぎたので、本稿はここまで。時間があれば、また続きを書きたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございます。

からくり人形の実演は毎週土日の14時と16時に行われるそうです。実演を見たほうがいいと思います。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2009-06-14 16:11 | Comments(2)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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