藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
カテゴリ:コモン( 9 )
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
高根台のテラスハウス
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高根台団地の中央に配置されたテラスハウス(低層の庭付き連続住宅)群も立ち退きが進んでいました。東隣に下の投稿の中層住宅の敷地があります。
ほとんど空き家で、わずかにまだ住まわれている方がいます。立ち退きが住んだテラスハウスは殺風景です。設計した津端さんは2戸で1棟のセミデタッチドハウスのテラスハウスを望んでいましたが、公団上層部はそれを理解せず「貧乏長屋のイメージを脱却できない」連続住居を建てざるを得ませんでした。結局セミデタッチドハウスはほとんど実現できないまま、昭和30年代後半(1960年代前半)には公団はテラスハウスをつくる方針を変え、公団住宅は中高層棟が中心となっていきます。
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テラスハウス周辺のコモンの豊かさは圧倒的に阿佐ヶ谷住宅のほうが上です。配置計画のせいが大きいように思います。長方形の箱を平行して並べてあるだけで、阿佐ヶ谷にあるようなうねうねと曲がる道路はありません。起伏ある敷地の高台に建てられ、眺望がいいのですが、獣道のような鬱蒼とした緑の中にある路地はありません。コモンもありますが、コンクリートブロックで舗装され、四角四面。「個で公でもない得体の知れない緑の共有空間」の「得体の知れない」という感覚はほとんどなく、平板で無機質です。「カスパ・テラス」と津端さんは呼んでいますが、退去した連続住宅には「カスパ」のドライさだけが強く残り、迷宮のイメージからは程遠いものです。
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しかし人の住まい方はそんなドライを一気に吹き飛ばしてしまいます。まだ立ち退いていない家の庭は森のようになってました。下の写真と見比べて下さい。
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退去が完了した隣の棟をほぼ同じアングルで撮影しています。森が空間を一変させています。一戸一戸は狭いテラスハウスですが、庭が自然と人を繋げるインターフェースとなって、住み手の個性がそこに反映され、均質に分割されたドライな建築空間をがらりと変えてしまっています。
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この家のエントランス側も大きな木が。


「庭のない住宅は住まいとは言えない」。津端さんの言葉が心に響きました。建築家のマニュフェストとして、住宅の内部空間の分節化の独創性だけを、住宅の個性と考えた時代は終わりを告げなくてはいけません。住み手のマニュフェストは、外に開かれた庭に最も強く現れます。
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-09-14 00:11 | コモン | Comments(1)
 
高根台団地
阿佐ヶ谷住宅(1958年)の設計を、当時住宅公団に在籍して携わった津端修一さんのお話をうかがって(いま出てるCasaに載ってます)、津端さんの関わった他の団地も見に行きたくなりました。

高根台団地(1960年)は船橋市にあります。最寄り駅は新京成線・高根公団駅。街をまるごと作ったような大規模な団地です。ここも再開発計画が進行中です。すでに工事が始まり大きな新築マンションになっているエリアもあります。
東側の敷地はまだまだ現役ですが、西側のテラスハウスや中層棟では住民の退去が進んでました。工事が来年には始まるようです(情報ソース=ヤマザキパンのおばちゃん&鳩にエサをやってたおじさん)。

見に行くなら今だと思います。
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退去が進み最上階の一戸が残るのみです
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Google Mapsの衛星写真

コモンの話の続きとして、高根台の話をまとめて紹介しようと思ったのですが、忙しいので、ちょっとずつ小出しにしていきます
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-09-12 18:28 | コモン | Comments(0)
 
コモン=縁
時間にも「コモン」がある。公私の2つで時間を分けると、仕事で自己実現するか、プライベートの時間をいかに充実させるか、の二者択一になってしまう。しかし趣味に生きても人との繋がりはでき、仕事の付き合いから大切な友人が生まれる。同人誌を作るコモンから、ボランティアするコモンまで、コモンの幅は広い。公と私の間に、もうひとつの「他人と共有する時間」を設定して、仕事やプライベートと二分した時間を再構築することが、新たな人との「繋がり」や「縁」を生む。

都市空間からコモンが消えかかっているから、ネット空間にコモンが現れる。ブログを書くのもコモンだし、ミクシィに時間を費やすのもコモンと言える。長屋や路地や里山や入会地など、かつてコモン空間が育んだ「地縁」のかわり、ネットが新しい「縁」を生んでいる。

2つの対立するものの間に、あえて、あいまいで得体の知れない3つめの軸を設定する。そしてそこから世界を眺める。その力がいま問われている。たとえば『陰翳礼讃』で言えば、光と真っ暗闇の中間に位置する翳り。色で言えばピンク。建築で言えば内と外を繋ぐ縁側。遊びや余白もそこに生まれる。

二項対立の「フチ」を作り、「エン」となす。

コモンとは縁です。

【関連の過去記事】
縁/インターフェース(2006年2月)
二項対立(1)(2005年5月)


コモンとは遊びの親和力を呼び起こす時空間のことかも。
遊び(6)大地の戯れ、遊びの親和力(2005年7月)
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by cabanon | 2006-09-07 18:09 | コモン | Comments(0)
 
コモン
個でもない公でもない空間。個人の所有物でもなく、国や地方公共団体など「お上」が管理するわけでもない、共有の空間──「コモン」が気になって、「コモンシティ船橋」を見に行きました。『コモンで街をつくる』という著書もある宮脇檀建築研究室が、積水ハウスのために基本計画を行い、1984年に竣工したもの。ごく普通の住宅街の中にある小さな一画です。簡単な計画概要とプランは【こちら】を見て下さい。
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非常によい状態です。コモンを作ることで、住民の美しく住まうことへの意識が高まるようです。
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駐車スペースをいかに美しく見せるかが現在の一戸建ての街並みづくりにおける最大の問題ですが、駐車場とコモンとの関係が非常にうまく解決されていました。。
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ベンチもあって、なんか憩いの空間です。
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でも変な人がウロウロするのでしょう。あっ僕もそうか。長髪の中年がカメラを持って歩いてるんだから。現代の都市空間では、外に開かれたコモンは成立しづらいのかもしれません。


下は別の通り抜けです。
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「ここはコモンです。通り抜けの際にはマナーをわきまえていただけるようお願いいたします。」という看板で、みんなが理解しあえるような世の中になればいいのに。でも、今は無理ですね。コモンとか言っても「?」ですから。「私有地です」という立て看板で、住民が自分の環境を守るのは仕方がないことだと思います。
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by cabanon | 2006-09-06 19:16 | コモン | Comments(0)
 
阿佐ヶ谷住宅のセミナー
d0039955_1454753.jpg6月3日、第1回成田地域まちづくりセミナー「建築家・前川國男と阿佐ヶ谷住宅」に参加しました。講師は松隈洋さん。京都工芸繊維大学助教授で、元・前川國男建築設計事務所の所員。前川國男研究の第一人者です。

当初予定されていた集会所が急遽使えなくなり、主催者の住まいが会場になりました。阿佐ヶ谷住宅テラスハウスの一室です。40名近く集まりずいぶん窮屈でしたが、前川國男設計の住宅の中で、その歴史を第一人者から聴くことができるという素晴らしい機会になりました。
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前川國男がル・コルビュジエのもとで「最小限住宅案」を担当し、1929年CIAM(国際近代建築家会議)でコルビュジエの代わりに発表したという話に始まり、第二次大戦中上海で手がけた集合住宅、戦後のプレファブ工業化住宅「プレモス」や晴海高層アパートの話となり、前川が標準設計を手がけた阿佐ヶ谷住宅テラスハウス(1958年竣工)に至ります。この設計が生まれるまでの経緯と背景がきちんと整理され、建築関係以外の聴き手にもこの住宅の歴史的な重要さが伝わる内容だったと思います。
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最後に前川の功績だけでなく、当時、日本住宅公団に勤め、阿佐ヶ谷住宅の全体計画を手がけられた津端修一さんの話になりました。「前川の標準設計も大きな要因ですが、その住戸がどう配置されたかという計画がこの阿佐ヶ谷住宅の素晴らしい点です」

津端さんは「コモン」という概念を阿佐ヶ谷住宅で試みたというのです。コモンとは共有スペースです。が、国や自治体が管理する道路や公園とは違います。「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなものを、市民たちがどのようなかたちで団地の中で共有することになるのか、それがテーマだったのです」。松隈さんは、『住宅建築』1996年4月号にある津端さんの言葉を引用されました。

当時、公団の住宅には一戸あたり13坪という上限があったそうです。しかし阿佐ヶ谷住宅では庭を含めて20坪。しかもコモンの緑地がゆったり配置されている。役所のさまざまなしがらみやノルマをかいくぐり、津端さんはこの理想にこだわり、実現に漕ぎつけたといいます。松隈さんは最後にこう締めくくりました。「こうした先達たちが作り上げたかけがいのないものを、私たちはつまらないことで失おうとしている。このことに気づけるかどうか、今問われているのだと思います」
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コモンって個と公の間の波打ち際なのかもしれないと僕は思いました。干潟ような波打ち際は、海でもなく陸でもなく、光と大気と水と大地が混じり、微生物から鳥や魚などさまざまな命が育まれる豊穣な空間です。個と公の境目にコモンという「緑の波打ち際」を作ったのが阿佐ヶ谷住宅です。そこで子どもたちが遊び、大人たちが声を掛け合う。

現在の敷地いっぱいまで建てられた住宅や要塞のようなマンションって、護岸工事して砂浜を失ってしまった海岸のようです。干潟を守る必要があるように、再開発計画の持ち上がっているこの住宅地を守る必要がある。

経済性の論理だけでは「コモン」という発想は生まれません。日本は自由主義経済の国家ですが、それ以上に民主主義の国家です。が、最近はそれが逆転している。阿佐ヶ谷住宅は戦後、先達が民主主義社会の新しい個と公の関係を実験的に空間へ置き換えたものです。「資本主義のかたち」ばかりになりつつある日本で、すっかり忘れかけている「民主主義のかたち」を私たちは次の世代へ語り継ぐ責務があるように思います。
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昨年6/14当ブログに書いた阿佐ヶ谷住宅の記事

【関連リンク】
成田地域まちづくり協議会。阿佐ヶ谷住宅の再開発を考える杉並区民による協議会。

講談社BOX『舞台は阿佐ヶ谷住宅』近藤光(リンク追加:09年10/13)
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-06-04 15:05 | コモン | Comments(2)
 
取り壊しの知らせ(阿佐ヶ谷住宅)
みなさん、表参道ヒルズなんか見に行っている場合じゃありません。明日行く予定ですけれど……。
6月に投稿した阿佐ヶ谷住宅の記事に、今日(2/8)阿佐ヶ谷住宅にお住まいのMOANAさんからコメントをいただきました。秋に取り壊されるそうです(注:現在、とりあえず07年春まで取り壊しは延期になっています)。噂はずっと前から聞いていました。が、実際、年を越せないと聞くと、なんとも……。前川國男展が開かれ、建築的価値の評価が高まりつつある矢先だったのに。もう1年、もう2年待てないのですか? 昭和モダニズムの理想郷を、出来るだけ多くの建築やデザインを学ぶ人たちが体で感じておくべきだから。

今の日本人は「庭」や「共用の屋外空間」の豊かさに関する感覚が欠如します。住宅メーカーは敷地いっぱいに建てるのが「いい家」だなんて売り方をしています。僕の住んでいるあたりも庭のある家がどんどん壊され、敷地いっぱいに建てられた圧迫感ある家に建て替わっています。3階建てで目一杯居住空間を増やした家がいい家だなんて僕は絶対思いません。やせ我慢して居住空間を減らして庭を作る。家は狭いけど庭が広い。てやんで、鯉とか雀とかバッタとか住みやすいだろ、ほら。って家がいい家だと、そうなってほしいです。

ヒューマンセンタードデザイン──人間中心デザインなんて言い方がありますが、了見が狭いと思いませんか。やせ我慢して庭を愉しむ。共用スペースを作る。人と環境とのつながり、人と人とのつながりを生むデザインは単純に人間中心ってわけではない。つながりのデザインは心意気ですよ、心意気。

そういう意味で、阿佐ヶ谷住宅って、外に開かれた心意気というか、気っぷの良さみたいなの感じるんです。花咲く頃になったら、訪れてみて下さい。もう会えなくなるのですから。
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建築家の「夢」だけではこんな場所は生まれません。住まう人の「愛情」とのコラボレーションです。
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by cabanon | 2006-02-08 23:56 | コモン | Comments(11)
 
記憶の銀行
大学院の講義で「記憶ビジネス」というテーマで学生に企画の発表をしてもらっている。プレゼンで「記憶の銀行」という言葉を使った学生がいた。といってもそれがどういうものか具体的な中身の言及はなく、来週までに考えるって話だったが、「記憶の銀行」という言葉がとても気になった。

たとえばエキサイトやライブドアなどのブログやmixiなどはまさに記憶の銀行だ。コミュニケーション機能ばかり強調されるが、基本的に書き込みは人の記憶である。

人は記憶を他人と共有できるフォーマットにするために文章を書く。写真を撮る。が、単に言語化したりJPEG画像にしただけでは、共有フォーマット化は完璧とは言えない。本にまとめたりホームページを作ったり個展を開いたり、メディアとして編集されなければ、個人のメモ書きや引き出しの中の写真や同僚とのどうでもいい会話で終わってしまう。

記憶は資産である。私たちは自分の記憶にコミュニケーション機能をつけて資産として運用する。書き込まれた記憶を通して人と人の輪が広がる。外部記憶装置としても機能する。

ブログとは記憶のメディア化を誰でも簡単に行えるようにするサービスだ。ブログサービスを提供するする会社は、サーバーを無料で貸してくれ、ブログツールまで用意してくれている。

だけど間違っちゃいけないのは、私たちの記憶を資産として運用しているのは、ユーザーである私たち自身以上に、ブログサービスを提供している会社のほうである、ということだ。

私たちは無料でサーバーを借りているのではない。記憶という資産を預けているのだ。銀行と同じである。銀行が客からの預金を運用して利益を得ているように、ブログサービス提供会社は預かった記憶を運用してビジネスをしている。

記憶預金者が増えるほど、アクセス数が増え、ポータルサイトとしての価値は高まる。たとえばライブドア。今回の事件で、株主たちは瞬時にライブドアというブランドに見切りをつけ株を処分したが、ライブドア・ブログのユーザーたちは引っ越しに関しては様子見だ(ま、さすがに御新規様は減っていると思うが)。僕の別室ブログはライブドアだが、ホリエモンは失脚してもライブドア・ブログはちゃんと残ってほしいと思うわけで、ホリエモン=ライブドアという構図が脳内で勝手に崩れ、なぜかライブドアの無事を願っている。意味不明だと自分でも思う。

記憶を預けている人のほうが、株を持っているドライな頭の人たちより、ブランドへの愛着度は高くなるのは確かだろう。

ブランドは記憶とともに作られる。優れたブランドが伝統や歴史を強調したり、極上のサービスを顧客に体験してもらうことに腐心するのは、記憶を共有することが、顧客のブランドへの強い愛情を育てる術になることを知っているからだ。似合う似合わないは別として「だって私はシャネルが好きだから」と言えたり、Windowsユーザーばかりの場所で「いろいろあるけど僕はMac」と言えるのは、ユーザーとの記憶の共有化の賜物に他ならない。不祥事を起こすとブランドの失墜は速く、取り返しのつかない深手となるが、それでも三菱のクルマを買ったり雪印の製品を買い続ける人たちがいることを忘れてはならない。共有した記憶の力は恐ろしい。

繰り返すが、ブログサービス提供会社は記憶を預かっている。膨大な数のユーザーが日々自発的に文章を書いたり写真を撮ったりして記憶を共有フォーマット化に書き換えている。ブログサービス会社はその顧客の自発性に頼っている。記憶を彼らが運用できる状態にまで引き上げているのは私たちユーザーのほうなのだ。

銀行が顧客が働いて「労働」を「お金」という交換可能な価値に換えてくれていることを基盤としてビジネスをしているのと全く同じである。記憶を交換可能にする時(コミュニケーション可能の状態にする時)、運用の可能性が生まれる──それこそ記憶の銀行のビジネスだ。もしブログやコミュニティの運営で利益が出ないと嘆く企業があれば、自分たちは資金運用ができない愚かな銀行だと自白しているようなものである。

このブログが使っているエキサイトブログは、構造がシンプルで使い勝手もいいのだが、時たまアナウンスなく仕様の変更が行われたり、メンテナンスが告知のないままズルズル長引きログインできない状態が続くなど「記憶の銀行」としてはあるまじき事態が起こる。

現在のように超低金利でも私たちが銀行にお金を預けるのは、銀行が安心とサービスを提供してくれるからだ。

タダでサーバーやブログツールを貸してあげているのだから、ユーザーは少々の不都合を我慢しろという論法はありえない。銀行がうちのATMシステムや金庫のスペースをただで使わせてやってるのだから多少のことで文句を言うなというようなものである。

ブログやネットコミュニティを運営する企業は、自分たちは記憶という資産の運用をする銀行であるという自覚をしっかり持っていただきたい。これは記憶ビジネスです。うまく運用しないとブランド価値を下げますぞ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-01-22 12:14 | コモン | Comments(2)
 
ドナーカード
夢があります。
年をとったら叶えたいこと。
デザイン、建築、アート関係の開架式図書館を作ることです。

日本には膨大なデザインやアートの洋書が輸入されています。
中には非常に珍しい本もあります。
経費で落とせるから、
書棚が豪華なデザイナーや建築家はたくさんいます。

その人たちに「ドナーカード」を配りたいんです。
亡くなったら本を寄付して下さい、と。

遺族がぜんぜんデザインと違う仕事をしていれば、
本は場所をとるだけの邪魔ものです。
本の価値を分からない人が、
もしブックオフに売ってしまったら、
貴重なデザインの本や雑誌が散逸します。
もったいなさすぎます。

ですから、うちの図書館が引き取ります。

えらくゆるい男が管理する図書館なので、
盗難対策なんかしません。
開架式ですから、自由に気ままに閲覧できます。
寄付してもらってますから同じ本もたくさんあります。
カフェでお茶しながら本を見てもらうのもOKです。

世界中のデザイナー、建築家にドナーカードを配って、
海外からも「あそこには珍しい本がある」と来てもらいたい。

このプロジェクトの実現の成否はとにかくスペースの確保。
場所は都心に限ります。
なるべく多くの人に気軽に利用してもらいたいから。
休校になった小学校とかが狙い目と思ってます。

実行するのは10〜15年後くらいかな。
古本屋の主人気分になるのはもう少し体が動かなくなってから。
雑誌を作るとか、本を書くとか、まだまだやりたいこと多いんで。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-12-21 22:43 | コモン | Comments(9)
 
阿佐ヶ谷住宅
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「明日の住宅」がまだ残っていました──。
公団阿佐ヶ谷住宅を見てきました。1958年(昭和33年)に建てられたもので、総350戸のうちテラスハウスが232戸、その中の174戸を前川國男が設計しています。全体計画を手がけたのは日本住宅公団です。前川國男の「阿佐ヶ谷テラスハウス」だけが傑出しているのでなく、公団と前川のコラボレーションが見事。よくぞこんなものがまだ東京に残っていると感激しました。
いわゆる「近代建築」ないしは「新建築」の問題は、実に「人間の建築」にあり、「住居の建築」にあったと言ってよいと思う。
「緑の都市へ」1947年──『建築前夜 前川國男文集』 而立書房 1996年刊より。
美術館とか市庁舎とかモニュメンタルな建築だけを残すのでなく、近代デモクラシーとヒューマニズムの理想を実現するため、未来に向かって提言した「明日の住宅」こそ、モダニズムの遺産、昭和を語り継ぐものとして残してほしいものです。

「太陽、緑、空間」と謳った、前川の師匠ル・コルビュジエの都市計画の理想が、豊かな緑とゆったりした敷地の中で今も輝きを放ち続けています。家を塀で囲わず、公と私の境界が不明瞭で、どこまで他人が足を踏み入れていいのか分かりません。路地や井戸端といった昔ながらの共有地を近代建築の方法で計画的に再現しているとも言えます。
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共有スペースで建物を囲むというのは、高層集合住宅や商業施設や公共施設ならよくあります。しかし、防犯などの理由から、戸建ての住宅や低層の集合住宅の塀を取り払って、庭を開放的な共有スペースにすることは難しくなっています。それでも道路を共有スペースにする発想ならまだしばしば見かけますが、ここでは庭か公園か見分けの付かない場所がある。一見米軍住宅に似ていますが、あちらは住宅地自体が有刺鉄線付きフェンスで囲まれている。こうした開放的な敷地の計画は、まさしく戦後の、まだ純度の高かった頃の民主主義を標榜した人たちならでは発想だと思います。

敷地を歩きながら、数年前訪れたベルリン・ハンザ地区の集合住宅インターバウ(Interbau/1957年)を思い出しました。ちょうど同じ時期の設計です。インターバウはグロピウスやニーマイヤー、アアルトなどが参加する国際建築展として企画された住宅開発計画です。

インターバウは森と一体化したような住宅地でした。実はすっかり忘れかけていたのですが、阿佐ヶ谷住宅を見て回っていて、アルネ・ヤコブセンが手がけた住宅が並ぶあたりを歩いていた時の感覚が蘇りました。ヤコブセンの住宅は平屋の四角いアルミの家、植物に埋もれていて、えらくフォトジェニックじゃない。取材する人間にとっては大変困った建築でした。が、しかし、その一群の家々の周囲を歩いていると、住宅も街路も人間の等身大のスケール感にあわせて設計されているのが、よく分かる。やや軒の低く緑に埋もれているような住宅、家と家との間隔は近すぎず遠すぎず、道はうねり歩を進めるたびに風景が変わる。低層ヤコブセンの住宅が、アアルトやグロピウスの中高層の集合住宅とうまい具合コントラストをなしている──。そのベルリンの感覚を思い出したのです。

再開発の話があるそうです。老朽化が進んでいます。無人の家もいくつかありました。日本政府の土地に対する政策から考えれば、無くなるのは必至でしょう。私たちの社会の根幹である民主主義の理想を“かたち”にした近代人の夢の跡なのですから、重要文化財くらいにしてもいいと思います。なんか縄文人や弥生人とかの住居跡だけ、優遇されすぎじゃありませんか? 

時間を忘れて夢中にシャッターを切りました。これほど撮影が楽しかったのは久々!
場所は丸ノ内線 南阿佐ヶ谷駅から、青梅街道を背にして南へ徒歩5分くらい。地下鉄の構内の地図に公団阿佐ヶ谷住宅としてちゃんと載っています。
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中層の集合住宅は前川の設計ではない(はず)

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道のうねり具合がいい。家と家をつなぐ細い路地も所々うねってます

★おまけ/Google Mapsの衛星写真で見た阿佐ヶ谷住宅。「マップ」をクリックすれば地図も。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-06-14 19:10 | コモン | Comments(14)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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