藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
パントンの隠れた名作、みっけ
わたくし20世紀デザインの名作椅子には詳しいです。BRUTUSとかCasaBRUTUSに椅子の原稿、とにかくたくさん書きましたから。しかし収集欲は皆無です。ウチにある20世紀の名作はアーロンチェアだけ。21世紀ものなら柴田文江さんの無印良品《FLEXIBLE SOFA》(いやこれが実にいいんですが、その話はまたいつか)。
基本的には椅子を買うならデザインの本を買う。その姿勢を貫いています。ま、お金に余裕がないってだけの話ですが。

そのわたくしが、えっこんなのあったんだ、と驚いた椅子に遭遇しました。ヴァーナー・パントンのPantoSwing-LuPo
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新宿のOZONEで8月30日まで行われていた「こどものかぐ展」に展示されてました。1998年に亡くなったデンマーク出身のパントンの最晩年の作品。ドイツの学校家具メーカーVS社のためにデザインしたものです。

パントンはこの会社のために4脚のPantoFourやキャスター付きのPantoMoveなどを作っています。PantoSwingはスチールパイプの2本脚タイプです。成型合板のシートがありますが、そちらには興味がそそられませんでした。セブンぽいというかアントぽいというかフツーな感じなんで。

が、ポリプロピレン樹脂製シート「LuPoシェル」がいい。「あっこれは!」とお尻が唸りました。内部が中空になっていてシートがエアクッションになってます。それに加え2本脚がバネとして作用している。カタ柔らかいクッション感が絶妙です。写真だけでは分からない座って分かる名作です。
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学校用だけで使うのはもったいないです。
もし取材で訪れたデザイン事務所の打ち合わせ室にこの椅子が使われていたら、かなり尊敬します。だれもパントンとか気づかないでしょうし。まっさらなポリプロピレンのイームズのサイドシェルがある会議室とか、これ見よがし&貧乏くさくてほんとイヤです。イームズのプラスチックチェアが欲しいならFRP製を探して買いなよ、と思ってしまうわけです。

電話して調べたらOZONEのノルディックフォルムでVS社製品を扱ってました。PantoSwing-LuPoが税抜きで3万3000円だそうです。発注なので入手まで3〜4か月かかるとか。(脚の塗装違いなどあり。価格等詳細は直接確かめて下さい)。買おうかな。
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これは子どもの学校用

【関連リンク】ノルディックフォルムのHP

♪おまけ♯ヴァーナー・パントンのプロフィール
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-31 23:48
 
コム デ ギャルソンの変わらぬ精神@グラフィック
d0039955_20204552.jpg明日まで(31日19時まで)だけどオススメ。【コム デ ギャルソンのためのコム デ ギャルソン展】。OZONEやコンランショップのある新宿パークタワーで行われている。
パークタワー1階のアトリウムに展示ブースが設営され、コム デ ギャルソンが80年代前半から今日に至るまで生み出してきたグラフィックが展示されている。企業広告やAD井上嗣也の才能がハジけていた実験的グラフィック雑誌『Six』(シス)のビジュアルなどがビルボードのように壁面いっぱいに並んでいる。
d0039955_20224965.jpgコレクションの案内状やショップの告知といった小グラフィックは、実物が壁面にコラージュのように貼られている。グラフィティの世界に紛れ込んでいく感覚が味わえる。
正直、最初、都庁側のコンランショップへ行くエレベーターから会場を眺めたときは、インパクト狙いの安っぽい展示空間だなと思ったが、さにあらず。コムデギャルソンの世界に入り込む心の準備ができると、力強いグラフィック群に圧倒されてしまう。路地裏のような空間を作り小さなグラフィックを微細視できるようにしている空間演出もいい。
ただ大きなグラフィックの背景にはパークタワーのアトリウムは淡泊すぎる。ヨーロッパの古い建築のアトリウムや倉庫などでこれと同じ設営ができれば、実に雰囲気のある展示になるだろう。
展覧会は必ず無料バスが発着する甲州街道沿いのエントランスから見るべし。都庁側から入らないこと。甲州街道側にきちんと導入用のブースが用意されている。
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この展覧会はコムデギャルソンのグラフィックの系譜を時系列的に眺めていくものではない。常にラディカルにアヴァンギャルドに時代の先鋭を走りつづけてきた変わらぬ精神の総体を味わう展覧会だ。無料の12頁のカタログをもらいに行くだけでも価値がある。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-30 20:40
 
ケータイのデザインについて
GDP2005で「ケータイデザインミーティング2」のナビゲーターをやりました。出席者の方々に助けていただいてなんとか乗り切ったという感じです。出席者の方、それに熱心に聞いていただいた観客の皆様に感謝します。
内容は「ITmediaモバイル」にレポートがありますので、そちらを見て下さい。
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このシンポジウムの冒頭で、僕なりの問題提起をしてみました。
舌足らずで、しかも時間の関係で言いたいことをはしょったので、うまく伝わらなかった部分があると思います。
それで、その問題提起を原稿化しました。長文です。
(何度も手を加えているうちにシンポジウムの場で語ったことよりだいぶ深い話になっていると思います@10/15)

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《デザインの最前線としてのケータイとファッション》

【ファッションデザインの立ち位置】

ケータイのデザインを考えるとき、ファッションが大きな鍵となる。これはある建築評論家から聞いた話だが、1960年東京で世界デザイン会議が開かれたとき、ファッションデザイナーに参加してもらおうか、どうかと話しあっていたとき、丹下健三が冗談めいて「アクセサリーのデザイナーと何を話せばいいんだい?」と言ったという。

三宅一生のような一部の人の仕事を除き、巷のファッションデザインは春夏/秋冬と業界全体で流行を作り出し消費のサイクルを早めているシステムであって、流行という名の下であの手この手でうわべを飾るものを生み出すだけのデザインは、工業デザイン、グラフィックデザイン、建築が目指すべき正しき道とは違うものであると考えられてきた。

その証拠にグッドデザイン賞にモードとしてのファッションデザインを審査する部門はない。ウラハラで売っているジャケットや高円寺で売られているTシャツもGマークにエントリーされることはない。ネクタイやハンカチも一般の人は「デザイン」で選んでいるのに、そのデザインは決してグッドデザイン賞で審査されることはない。

イッセイミヤケのA-POCは2000年度グッドデザイン大賞をとっている。しかしそれは糸づくりに始まる製法までデザインし、服作り方法論の既成概念を打ち破ったものだという、あくまでインダストリアルデザインの枠組みの中で評価されたものだった。

【着こなすこと──ファッションへの視線の変容】

冷めていたファッションへの眼差しが熱く変わってきている。
私たちはもはやモードの世界が作り出す流行にあまり左右されなくなっている。古着でもいい。ミュージアムショップで買ったTシャツでもいい。アオザイやバティックのようなエスニックな服でもいい。それらを最新のモードとコーディネイトしてもいい。ユニクロやMUJIと組み合わせてもいい。

どんな組み合わせにするかで個性が表現される。どんな人生を送っているか、どんな生活観を持っているか、まで分かってしまう。

シチュエーションにあわせて、どんな服や靴や時計を選ぶか。流行に背を向けるのも自己表現だ。公式の場にTシャツで現れるのも自己表現だ。衣服によって、同じ価値観を持つ人どうしが精神的なつながりを強めたりもする。

膨大な選択肢から、自分の世界観にあったものを引き寄せて、着こなす。ファッションは他人に自分が何者であるかを伝えるコミュニケーションの媒体となっている。言い換えると、衣服やアクセサリーはサンプリング感覚で気軽に編集できるツールとなっている。
が、それらは単なる情報や記号ではない。服は体を包み込む。触感に直に訴える。記号なのに身体に密接な関わりを持っている。そこが面白い。

体に最も近いところで展開される人のぬくもりを持った情報。住空間もその延長線にある。

ファッションを「流行」と捉えるのでなく、「着る人の個性を編集的感覚で表現する人間の体に一番近いツール」と考えるとき、建築家やインテリアデザイナー、プロダクトデザイナーにとって、ファッションは21世紀デザインの指標として立ち現れる。

着る人(使う人)が主役、という意味で、ファッションはプロダクトデザイン一歩も二歩も先を行っている。「ケータイがファッション化している」という意味は、流行の中でただ消費される軽佻浮薄なものになったというネガティブな意味では決してない。

【住みこなすこと──衣服に近づく住空間】

「着こなす」のように「住みこなす」というのもあるだろう。
20世紀デザイン史でいえば、たとえばイームズ邸──。20世紀的な価値基準で評価すれば、十分な採光、空間の自由な使い方、海が見え緑多い傾斜地という敷地の十分生かしきっている。特筆すべきは、そうした近代建築の理想をカタログで発注した工業化されたパーツだけで作っていること。それが傑作の理由だ──となるだろう。

が、もし今、中が空っぽのイームズ邸を見たら、モンドリアン風に彩色されている四角い倉庫としか映らないだろう。そこにチャールズ&レイ・イームズ夫妻がお気に入りの民芸品やモダンアート、それに自分たちがデザインした家具を置き、コレクションと日々の暮らしを一体化させ、30〜40年かけて彼らのライフスタイルを表現したから、その家は今も訪れる人の心を打つ。

住みこなされているからだ。建築もオブジェも家具も民芸品もすべてがイームズ夫妻の世界観の証しとなっている。住みこなされた家は外部記憶装置であり、拡張された身体である。

【使いこなすこと──関係性をデザインする】

もう、誰かがこれは押しつけがましく「良いデザインはこれです」と啓蒙する時代は終わっている。ケータイもまず自分になりに「使いこなせる」道具になれば、使い手にとってのグッドデザインになる。使いこなすとはメーカーが用意した機能を全て使うという意味ではない。自分なりの使い方をすることだ。カスタマイズといっていい。

機能も個性の表現である。Photoshopの何の機能を使いこなしているかでその人のデザインスタイルが分かる。パソコンをメールでしか使わない人もいる。それもライフスタイルだ。使う機能で自分らしさを表現する人もいれば、見た目や触り心地のデザインで自分をこっそり表す人もいる。

安さだけで選んで、別にケータイで個性を表現しようと考えない人もいるだろう。が、それもその人の生き方だ。着るものはすべて近所のジャスコで奥さんが買ってきたものっていう生き方があるのと同じように。

形態は機能に従わない。それが21世紀だ。機能は使う人が選ぶもので、モノの内奥に先験的に存在するものではなくなっている。極端な話、電話機能のないケータイだってありえるのだ。実際ケータイでメールができるようになって重い聴覚障害を持つ人たちは手話でなくても他人とコミュニケーションがとれるようになり、彼らの活動の幅は格段広がっている。

19世紀のジョン・ラスキンの思想あたりに端を発する20世紀モダニズムの正統的なデザイン哲学はこうだ。良いデザインとは偽りのないデザイン。つまり用途、機能、構造、素材、製法といった物の内部にあるものとその製作工程を正直に形に表したもの。

だから機能をシンプルに形にしたものは美しいと考える機能美という発想が生まれる。が、今や「機能美」を売りにした製品は、20世紀モダンデザインを愛する使い手のために用意する選択肢のひとつでしかない。

ケータイなどの電子機器では、メーカーが用意した機能をユーザーが想定外の使いこなし方をする可能性がある。本当の機能はモノに内在するのではなくユーザーとの関係性の中に生まれる。だから機能に完全に従った形態をデザイナーがあらかじめ作り出すなど不可能なのである。

ユーザーとの関係性に対して偽りのないものをいかに作り出すか。ユーザーが製品を楽しく自分なりに使えこなせる環境を作ることや、ユーザーのブランドへの信頼感を育てることなども含まれる。デザインを完成させるのは使い手という確信の中に、21世紀のグッドデザインのグッドがあるのではないだろうか。

【デザインをデザインする知恵】

スタンダードな機能を選ぶのも個性、牛みたいなケータイを選ぶのも個性、有名デザイナーが手がけたスタイリッシュなデザインを選ぶのも個性。ざらりとした触感を選ぶのも個性、auにするかDoCoMoにするかも個性。待ち受け画面も着メロもどんなコンテンツを利用するかも個性。ケータイでテレビを見るのも音楽を聴くのも個性。

さあ、アナタなり使いこなしができるように選んでくださいと、語りかけること自体がデザインなのだ。機能も形も価格もサービスも総合的に見渡しながら、ユーザーとの関係をデザインする。なにもデザイン性の高いケータイをデザインすることだけがデザインではない。

もちろんこの次元のデザインは、必ずしもデザイン系の学科を卒業して周囲からデザイナーと呼ばれる仕事に就いている人がしなくてもいい。しかし、さまざまな互いに相反する条件をひとつの「形」にまとめることでエレガントな解答を出すノウハウを知っているデザイナーの知恵は、この次元のデザインにおいても十分活用できるものだ。デザイナーには形に落とし込める強みがある。

ただしキャリアにとって、形が商品の最終的な形態でないところが、ケータイデザインを考える上で家電などと大きく違うポイントだ。だからこそ、関係性のデザインの重要性がより浮かび上がり、デザインのフロンティアとなっているのだ。

【良いデザインを決めるのは誰だ】

着こなす、住みこなす、使いこなす──デザインの良し悪しを選ぶのは生活者だ。使いにくいインターフェイスでもこれが自分のために便利と思えばユーザーは使いこなす。ユーザビリティの観点から言えば、ありえないほど使いづらいケータイの文字入力を、みんなメールが必要だから使いこなしているわけだ。

いまケータイの世界では、過剰にデザインしすぎることがユーザーのためになる。使いこなすには、過剰なデザイン、過剰なサービス、過剰な機能が用意されていたほうがいい。1980年に生まれた無印良品は、田中一光らのデザイナーの知恵によって、デザインをしないことをデザインする製品を生んだ。デザインをしすぎることをデザインすることもアリだと思う。

人が服なしには家なしには暮らせない。現代ではケータイなしでに暮らせない人が増えつつある。もはや身体から切り離せない道具を自分を表現するメディアとして使いこなすのは人の本能的な欲求に近いものがある。10年も20年も使いつづける製品への愛着と、人がケータイに感じる愛着は違うものとして考えたほうがいい。

そういう意味でケータイはTシャツ化し、もはやGマークの従来の枠組みでデザインの良し悪しを判断できないプロダクトになっている。実際、今年パナソニックデザイン社はカスタムジャケットのケータイを新領域部門にエントリーしてきたわけだし。

パーソナルコンピュータの概念を提唱したアラン・ケイは、近年パーソナルなテクノロジーからインティメートなテクノロジーへの移行を語っている。コンピュータテクノロジーは、マーク・ワイザーが提唱したユビキタスコンピューティング環境が現実化するにつれ、もはや人の外部に存在し必要なときに助けてくれるマシーンでなく、洋服のように身体の一部となり、24時間身体を保護したり活動をサポートすると同時に、編集感覚で個性や人格を表出できるインティメート(intimate)なメディアになっていく。

マシーンからメディアへ。パーソナルからインティメートへ。着こなす、使いこなす、住みこなす、履きこなす、乗りこなす──こなすとは道具がインティメートなものなった時の言い方といってよい。ケータイは機能もデザインもユーザーが同等に使いこなすものになって、初めてパーソナルな通信マシーンから真のインティメートなメディアに変わっていく。ファッション化は必然だ。なぜならファッションは最先端のインティメートメディアなのだから。

そのうちわざと通常の3倍のデカいケータイを使うとか、古いケータイを使って塗装のはげ具合を競い合うとか、そうした使い方まで出てきて、初めてケータイのデザインは豊かになるといっていいだろう。今はその過渡期かもしれないが、ユーザー主体のデザインの最前線にケータイデザインが位置することは間違いない。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-29 12:41 | お気に入りの過去記事
 
時間ですよ
忙しくてなかなか更新できません。
昨日某誌の仕事で訪れた銭湯の富士山をご覧下さい。癒されます。
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大田区南六郷の太平湯。
銭湯ペンキ絵のマエストロ、中島盛夫さんの作品です。
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昭和の空間でした。まだ番台もありました。
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女湯の脱衣所の冷蔵庫にあった明治牛乳のキャラ。
よく見ると傷だらけ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-26 14:06
 
お知らせです
GDP2005「ケータイデザイン・ミーティング」の進行役を務めることになりました。

8月27日(土) 15時〜16時
東京ビックサイトのGDP2005会場内です。
出席者は
【デザインディレクター、デザイナー】 KDDI 小牟田啓博氏、シャープ 水野理史氏、ソニーデジタルデザイン 佐藤敏明氏、東芝 中野展子氏、松下電器産業 宮澤卓行氏
【審査員】 安次富(あしとみ)隆氏、戸島國雄氏
【ナビゲーター】藤崎圭一郎

デザインの最前線としてのケータイデザインをポジティブにアツく語り合う場にしたいと思っています。この強力なメンバーを1時間で仕切るには大変そうですが、面白くなりそうです。お誘い合わせの上、ぜひお出かけ下さい。
GDP2005の開催概要。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-22 12:19
 
縄文VS弥生
ポスターが気になって見に行きました。ガチンコ対決。
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上野の国立科学博物館で開催されている特別展「縄文VS弥生」(8月31日まで)。べつに僕は考古学好きとかじゃありません。中学生のとき『考古学ジャーナル』を定期購読してたという過去はありますが……。
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ファッションビルのバーゲン告知ポスターなら気に留めることのなかったビジュアルです。国立科学博物館のポスター(写真はチラシです)だから気になったのです。このポップなグラフィックセンスがどこまで展示デザインに活かされているか。いささか冷やかし気分で覗いてきました。
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会場でも二人モデルの写真がたくさん使われていました。写真は展示コーナーのテーマに併せて撮り下ろされていて、展示内容を伝える効果的なアクセントとなっています。
ガイコツと割れた土器や昔の人のゴミ捨て場やお墓の再現が並ぶ展示ですから、ほっとけばとんでもない暗〜くコワーイ展示になります。
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弥生時代の首なし遺体の埋葬復元像ってのあります。グロいです。縄文人と弥生人の骨格を比べるために人骨もいっぱい。だから、二人の女性のビジュアルが清涼剤になります。

二人がポスターで着ている服はコスチュームデザイナーの大橋まりさんが現代風にデザインしたものですが、他に展示されていた再現された服もなかなかのエスニック。縄文人と言えば、なぜか男は片方乳首を出して動物の毛皮を着ていたり、弥生人と言えば麻の袋に頭と手の部分だけ穴を開けただけの粗末な服を着ていると思いこんでいましたから。スタッフが着ていて、ショップでも売られている縄文Tシャツがいいです。買っちゃいました。

この展示にはグラフィックデザインの新しい可能性があります。展示は展示で堅くマジメに展開され、グラフィックがそのマジメさをうまく諧謔している。悪ノリはなくスマートに諧謔をキメてます。ただ一か所、デザイナーのやり過ぎと思えたのは、カタログの最後の対談頁のレイアウトくらいかな。

この頁。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-19 15:28
 
おめんかぶり
九品仏のD&DEPARTMENTでの取材の帰り道、駅前になにやら人がたくさんいたので、人の流れに身を任す。九品仏浄真寺でお祭りがありました。
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おめんかぶり。阿弥陀様のお堂(浄土)からお釈迦様のお堂(現世)へ、面をかぶって25体の菩薩に扮した信者が橋の上を渡る。阿弥陀如来の来迎を顕す、3年に一度の行事です。
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僕はスティックス(STYX)の83年発表のアルバム「Kilroy was here」のジャケットを思い出しました。アルバムの第一曲目に珍曲「ミスター・ロボット」が収録されています。歌い出しに日本語で「ドモアリガト、ミスターロボット、マタ、アウヒマデ」とお茶目な歌詞が入った全米3位のヒットナンバー。Mr.Roboto。日本製パーツでできたロボットの歌なんで語尾にoが入っているのが芸が細かい。よく聞いたんです。
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地蔵菩薩だそうです。足もとが見えないから人が付き添ってます

菩薩をロボットだと見立ててしまう感覚は何なのでしょうか。ヒューマノイドへの憧れは日本人の宗教観に深く根ざしたものなのでしょうか。西洋人にとってロボットは東洋的なものなのでしょうか。そういえば映画「メトロポリス」のマリアは観音様のようです。

【キルロイって誰?】 Kilroy was hereというアルバムタイトルに関する興味深いエピソードがNIKKI'S MATSUMOTOさんのHPの中に紹介されてます。ミスターロボットの日本語訳もあり。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-17 01:37
 
リビングワールドの仕事展「窓」@益子
昨日、益子に行ってきました。展覧会を見に行くためです。
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リビングワールドの仕事展「窓」(8月25日まで)。西村佳哲氏と西村たりほ氏によるリビングワールドの初個展です。

お盆の日曜日ということもあって東北自動車道はノロノロ。栃木県益子まで東京からクルマで4時間近くかかりました。しゃれた店構えの陶芸店が立ち並ぶ町の中心を過ぎて幾ばくか、山の緑が深くなってきたあたりに展覧会場となっているスターネットがあります。

スターネットには、カフェとショップのARKと展覧会場などに使われるZONEという建物があります。ARKのほうは切妻の屋根の平屋の建物。インテリアはいまどきのモダンテイスト。益子の中ではかなり異彩を放っています。カフェの食事はかなり美味いそうです。
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リビングワールドの仕事展は、ARKの向かいの小高い丘にある白を基調とした建物ZONEで行われています。西村さんは何故こんな遠くで個展をやってるんだろう、陶芸展じゃあるまいし、とチラッと思い、でも、どんな作品に出会えるか楽しみに、急勾配の坂道をよいしょと登ります。

会場には8種の作品が展示されていました。どの作品も私たちの視点を変えたり、時の刻み方を伸び縮みさせて、世界の眺めを変えてくれます。
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「植物たちの時間」という作品は、鉢植えの植物を固定カメラでずうっと撮影しています。鉢の前には液晶ディスプレイが置かれ、画面には過去6時間の変化の早回ししたものを映し出されます。観者は2つの時間を同時に体験することになるのです。時間をテーマにした作品は他にもあります。「砂時計」は1分とか5分とかを示しません。100人の子供が生まれる時間やジョン・ケージの有名な沈黙の演奏4分33秒を刻みます。
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「太陽からの眺め」は時を示す作品ですがポイントはむしろ視点の変化。太陽の位置から見たこの展覧会場となっている建物の線画CGがリアルタイムで表示されます。太陽から見た日時計といえるものです。

世界地図の上の小さなスピーカーの位置を変えると、その場所で録音してきた音が聞こえる「音卓」。世界の土地の記憶がイメージファイルでしかセーブされていない現代人にとって、音の記憶は新鮮でイマジネーションを広げます。
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そして「風灯:solar」。風鈴ではありません。音は鳴りません、光が風に響き合うのです。電源は太陽電池。以前イデーやe-fishで発表した最初の「風灯」はボタン電池式でした。

おのおのの風灯に太陽光発電パネルが付いています。昼間充電し、19時くらいになると自然に点灯しだします。ただし、風が吹かないと光は灯りません。短冊部分に揺れを感知するセンサーが付けられて、風で揺れるとLEDが発光するようになっているからです。風を見るのです。揺らめく光は風の姿です。絶対夜見ることをオススメします。
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風灯は建物の屋外に約100個設置されています。えっあんな高い木にどうやって?という場所にも付いてます。専門の植木屋さんが付けたそうです。販売もするそうです。今回の展示は耐久テストも兼ねているとのこと。もう台風も来ました。今は予約を受け付けている段階だとか。

宇宙のログ解析法。僕にはどの作品もそう思えました。風も植物の生長も時の経過の記憶も太陽の位置も、作品を通して可視化されます。可視化されたものはログとして私たちの心に刻まれます。普段は気にも留めない宇宙の痕跡が、ものの見方を変える装置=作品を通して私たちの心に知覚され、宇宙の摂理にまで想いを膨らませるきっかけになるのです。

可視化やログ化のために効果的に現代のテクノロジーが使われています。デザインってこういうものだと思います。エンジニアリングをそっと添えることで、見えないもの見て、行けない場所の視点からものが見られる。普段と違う時間の流れに身を置いて、視覚で感じてたものを聴覚で感じたり、感じ方を変えて、思考の枠組みを広げる。

メディアアートともいえるでしょう。情報デザインともいえるでしょう。どちらでもいいことです。ただデザインを深く考えている人なら、ここにデザインの要点を見いだすことができるはずです。

そうした作品群を展示するには、やはり東京から離れたあの場所がよかったのだと思います。都会じゃ時間の流れは均一です。でも、ここでは風が生き物のように振る舞ってましたし、暑さも暗さもまったりさ加減も心地よかったですから。


【関連リンク】
・リビングワールドの仕事展 「窓」  7/23〜8/25
展覧会についてはリビングワールドのHPをご覧下さい。
・会場のSTARNET
益子町ホームページ

【お節介かもしれませんが】
この展覧会はまず明るいうちにひと通り見て、夜の「風灯」を見に、もう一度訪れましょう。周辺に時間を潰す場所はいくらでもあります。スターネットのカフェで食事かお茶をしたり、近く温泉でひと風呂浴びたり、濱田庄司ゆかりの場所を見に行ったり、陶器のお買い物したり、サクッと歩いていける距離にある内藤廣設計の宿泊施設フォレスト益子を見に行ったりできます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-15 18:49
 
こんなPeaceがあったのか!
この春休刊となった『DesignNews』で僕の連載のお隣さんだった、プロダクトデザイナー堀切和久氏による「堀切玩具堂」。ウェブ版になって再開しています。

d0039955_1821198.jpg連載第2回の『Peaceに見るデザインの温度』が、スゴいです。

こんなPeaceのタバコパッケージは見たことない、というのがずらりと並んでいます。
レイモンド・ローウィの紺色の有名なパッケージとは別物。1960年代の「記念タバコ」です。ロゴだけはローウィですが、背景の絵柄のほうは、もうデザインの博覧会状態。

とにかく百聞は一見に如かず。

※「世紀の買い物図鑑・web堀切玩具堂」は、【エイクエント】のサイトで連載されてます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-11 17:53
 
「住まいのデザイン」を語る言葉
昨日青山へ、2005年度グッドデザイン賞 建築デザイン部門の「住まいのデザイン」公開プレゼンテーションを見に行ってきた。1次審査を通過した、一戸建て工業化住宅や集合住宅8件が、建築家、住宅メーカーやデベロッパーの担当者によって、4人の審査員と200名くらいの聴衆の前でプレゼンされた。
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「金子テラスハウス」をプレゼンする陶器二三雄氏。
港北ニュータウンのテラスハウス。審査員に好評を博していた。

セールストークとデザインコンセプトを語る言葉と混同している住宅メーカーやデベロッパーがなんと多いことか。「土地の記憶を継承する」「五感を癒す都市の住まい」「現代の町屋」「じぶん色に仕立てる家」……。セールストークや広告のキャッチコピーにはある程度の誇張が必要だ。

しかしグッドデザイン審査のようなデザインを評価する場では、誇張は偽りとなる。不誠実なデザインと見なされる。屋敷森のあった密度の高い景観をがらりと変えてしまったのにもかかわらず、敷地にあった大きなケヤキ一本と古井戸を残しただけで「このマンションは土地の記憶を継承している」と言われても、それはセールストーク用のコンセプトでしょ、どこかにウソがある、ということになる。
そのあたりを審査員に突かれて、住宅メーカーやデベロッパーの担当者は壇上で苦笑いするばかり。そんな光景が目立った。

その点、陶器二三雄氏や新居千秋氏といった百戦錬磨の建築家によるプレゼンは、セールストークでコンセプトを語るのでなく、建築家がいまデベロッパーとコラボレートして開発する住宅設計で、一体何ができるのか、何ができないのか、を真摯な言葉で語り、好感を持てた。作り手が何をすべきか。どんな価値を生み出せるか。それがグッドデザイン審査で語られるべき「デザインのコンセプト」である。口当たりのいい言葉より批評精神あふれる言葉がここでは展開されるべきなのだ。

なぜ住宅メーカーの担当者はそれが理解できないのだろうか。デザインというのはセールストーク用の付加価値だと思っているからなのだろうか。

****補足のつぶやき*****
審査員の一人、塚本由晴氏がこう言っていた。「建築の半分は言葉だと思う」。さて、デザイナーでデザインの半分は言葉だと認識している人はどれだけいるだろうか。いま憂うべきはデザインの貧弱さでなくデザインの言葉の貧弱さだ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-08-11 12:17


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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