藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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六本木にて
赤のコーン(パイロンともいいますね)と、緑の人工芝。えらく人工的でチープな組み合わせが、本日午後の暖かい色の光を浴びてとてもキレイでした。これも、ゆるコン?
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by cabanon | 2005-09-30 19:12 | Comments(0)
 
ゆるコン、きつコン
二項対立の話を5〜6月にこのブログに書きました。
デザインを言葉で表現するには、コントラストを見つけてそのリズムに注目するのが重要と語りましたが、もうひとつ大切なことを忘れてました。
コントラストの強弱に注目すること。
つまり「ゆるコン」と「きつコン」。
ゆるいコントラストときついコントラストという意味。僕の造語です。

最初はインパクトを狙って「はげコン」(激しいコントラスト)にしようと思ったけど、「きつコン」の響きが心にひっかかる。昨日やっとその訳が分かった。キツネです……。

そんな話はどうでもよく、今は「ゆるコン」の時代です。
「ゆるコン」自体が二項共存の状態といえるかもしれません。完全に融合するのでなく、対立する二項の存在をはっきり意識させながら、あいまいに溶け合い微妙に混じり合わせ、二項のバランスが変化しつづける状態のこと──。
といっても「ゆるコン」と「きつコン」もコントラスト。ここもゆるコン、二項共存がいいかもしれません。
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by cabanon | 2005-09-30 12:50 | Comments(2)
 
木の家
d0039955_48869.jpg無印良品「木の家」カタログの仕事をしました。おととい我が家に届きました。書いたのはたった2ページ。杉本貴志さんと小池一子さんのインタビュー。あなたなら無印良品の家にどう住まうか、というのがテーマです。広告カタログですから僕のクレジットはありません。でも、この記事、ぜひ読んでもらいたい。とても大切なことを語っていただけたのです。

杉本さんは言います。
「昔は知性といえば、何冊本を読んだの、英語できるの、数学が得意だということだったけれど、今は自分が認めたものを自分の手元に引き寄せる力、つまり考えることと生き方をなるべく一致させることが、知性だと思うんです」

僕はこの意見を全面的に支持します。デザインを完成させるのは使い手の知性です。お二方ともそれを語っています。
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旗はいただけません。住宅展示場っぽさを出すアイテムなのでしょうが、要リデザインです。北欧の家具会社の人が見学に来てました。


で、MUJI+INFILL世田谷へ木の家のモデルハウスを見てきました。カタログもう置かれているかなと思って……。ありました。無印良品のお店でもらってください。

世田谷の木の家へは東急・大井町線 等々力駅から歩いて12分。緩やかな坂道を登っていくのでけっこう駅からあるなって感じです。

有楽町のショップにある、屋内に作られたモデルハウスとはだいぶ印象が違います。21世紀の日本の住宅建築の提案として見ておくべきだと思います。

この家をどう見るかは、間仕切りのない、個室のない、一室空間の家をどう考えるかでしょう。やはり住む人のライフスタイルを限定します。そもそも無印良品がもっていた間口の広さがありません。
たとえば僕んちならこれでいいです。奥さんと二人暮らしですから。お互い何してるか音で分かる生活をしています。でもこれが生活の定番とは思えません。もし、僕が子どもの立場なら、親と暮らす生活に間仕切りのない空間は100%ありえません。

住まい手を限定する。その上で最大限の自由を提供する。そうした意味でこの家は無印良品の決意表明だと思いました。誰にでも満足してもらえる定番的商品で勝負する戦略ではありません。西友のプライベートブランドというスーパーマーケット的な発想から完全に脱却しています。この家はMUJIの思想の共鳴を増幅させるための装置です。愛せる人も愛せない人もいるでしょう。
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苦言も呈しておきます。自転車は置けるけど駐車場はどうするの?という大切な問題が解決されていません。等々力のモデルハウスでは、2階のベッドルームの奥に、家とは別に商談用の個室が2つ増設されているのですが、それがあって初めて吹き抜け空間が生きたような気がしました。ま、根がひきこもりなので、そう思っただけなのでしょうが……。
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by cabanon | 2005-09-28 04:12 | Comments(2)
 
ひさびさの雑誌のお仕事
d0039955_2246780.jpg『d long life design』5号(9月25日発売)に寄稿しました。ここんとこ自腹サバティカル、というか書き仕事をお休みしていたので、半年弱ぶりの雑誌原稿です。

D&Department がGDP2005会場で出店した「Gマーク SHOP&CAFE」について書いたものです。ナガオカケンメイさんに何故グッドデザインを売ることにこだわるのかを聞いてみました。

ナガオカさんの思いのすべては、たった8ページでは語り切れません。取材記事はナガオカさんのスタンスを明らかにするものです。

グラフィックデザイナーだったのに、過去の良いプロダクトデザインを掘り出して、カフェ&ショップを経営し、雑誌を立ち上げ、Gマークや無印良品に働きかけてプロジェクトを仕掛けている。古物商なのに、あまりに熱く“デザインの現在”にコミットしている。なぜそこまでやる? 一体あなたの立ち位置は?

答えは『d』を読んで下さい。答えのヒントを2つ添えときます。

文章の流れの関係で原稿に使いませんでしたが、ナガオカさんはこんなことを言ってました。
「(いまの活動は)町をデザインしている感じ。それは以前事務所にこもって、ずうっと机の上でデザインしてた時には感じ取ることのできなかったことなんです」

ディーター・ラムスは23日の講演でこう語りました。
「デザインとは本来考えるプロセスなのです」
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by cabanon | 2005-09-25 23:16 | Comments(2)
 
ディーター・ラムス@建仁寺
d0039955_181007.jpg京都へディーター・ラムスの講演会に行ってきました。

講演会は、9月23日〜10月23日、建仁寺で開催されている『ディーター・ラムス Less but better展』の初日に行われました。

京都の最古の禅寺で、今年73歳のドイツ現代デザインのマイスターがどんな展示インスタレーションを行うのか? どんな話をしてくれるのか? 期待は募るばかりです。
ラムスの仕事といえばブラウン社のプロダクトです。ラムスは1955年にブラウン社に入社して1997年退社するまでオーディオ、テレビ、調理器具、シェーバーなど数々の製品をデザインしました。現在も現役。最近はオフィス家具などのデザインをしています。脚が悪くて杖をついていたのですが、創造への意欲が体に漲っていました。その姿は導師です。
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建仁寺は日本に南宋の茶を伝え、禅を広めた栄西が開山した臨済宗建仁寺派大本山。祇園の花街に隣接。花見小路通りの南端に位置します。

三連休初日で、京都は人で賑わっていましたが、この寺まで来る観光客は少ない。修学旅行生もいません。広い境内は静寂が支配しています。僕は龍安寺や金閣寺を見てタクシーで建仁寺まで行ったのですが、運転手に「時間どれくらいかかりますか?」との質問すると「今日は競馬がないから、混まないな」との返答。意味不明です。行ってみて分かりました。場外馬券場が隣にあるのです。花街、WINS、禅寺。遊びの神髄、三役そろい踏みです。
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講演は建仁寺の大広間で行われました。禅の祖師の説法を聞く心地です。ラムスはデザイナーの社会的責任を語りました。先進工業国が自分たちの経済発展のためだけに競って地球資源を収奪し、市場へ製品を大量に送り出し、環境を汚染しつづけている世界の現状を憂い、デザイナーのなすべきことを力強く問いかけます。
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Less but better。より少なく、しかしより良く。──それがラムスのデザイン哲学です。
ミース・ファン・デル・ローエが語ったデザインの金言 Less is Moreと、響きは似ているが、意味は違うといいます。Less is Moreは「削れば削り込むほどより豊かなデザインを得ることができる」という意味です。一方、ラムスのLess but betterは意訳すると「より量は少なく、しかし品質のより良いもの!」となります。

Less is Moreはデザイン造形の秘法を説いた言葉ですが、Less but betterはデザイン倫理を問う言葉です。売れればいい。話題になればいい。みんなの欲しいものを作ればいい。人々の欲望を満たせばいい。いま自分たちだけ豊かになればいい。そんな思いだけでデザインされたものが世界に氾濫している。マーケットのニーズは本当の世界のニーズなのだろうか。「より少なく、しかしより良く」という言葉は、世界の現状から目を背け、甘い安寧の無関心の中でデザインをつづけるデザイナーの無責任な姿勢を糾弾する言葉なのです。
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ですからラムスは講演の最後、質疑応答の時間、「マーケティング優先は仕方ない」と語った質問者に対して、「マーケットの声を聞くことは確かに大切だが、今はただ、あまりに急速な消費のためのマーケティングになってしまっている。私たちが必要としているのはマーケティング戦略でなくビジョンだ」とガツンと切り返しました。
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講演の前半は原稿を読みながら進められたものでした。その原稿はこの展覧会のカタログに「Less but better」というタイトルで収録されています。東京に帰ってきて「あっ一字一句そのまんまじゃん」と気づいたのですが、やはり老師の口から発する言葉だったから、僕の脳に深く刻み込まれたのだと思います。いやぁ行ってよかった。
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ラムス自身による展示は、禅の思想や日本の美学をきちんと踏まえたもので好感が持てました。広間の真ん中に大きなテレビを置くようなことはなく、控えめで、暗がりを活かし、左右対称の配列をなるべく意識的に避けていました。

見た目がシンプルだから禅の空間と調和するという単純なものではありません。違和感もあります。風変わりでもあります。しかし、簡素の哲学が東西を近づけ、抑制の心が新旧を結びつけます。不完全な調和だからこそ、禅とモダンデザインの重なりが際立ち、未来へのビジョンが見えてくるのです。
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SK4 ブラウン社 1956年。ハンス・グジェロと共作。

ラジオ付きレコードプレイヤーSK4はやはり煌めいていました。ハンス・グジェロの代表作として知られますが、当時ブラウンに入ったばかりの若きラムスも共作者としてデザインに関わりました。ピュアで明晰です。完璧ですが息苦しさはありません。「白雪姫の棺」という愛称があります。機能を究めればメルヘンに至る──。機能主義の本当のあるべき姿がこの箱には眠っています。誰が美を呼び醒ますのか。優れたデザインは、機能が人を静かに誘い、デザインを愛する心が使い手を王子にします。

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※SK4の誕生話は『DesignNews』257号(2002年春号)「ハンス・グジェロ伝説」が詳しいです。Hans Gugelotの表記はグジュロー、ギュジュロ、ギュジョロと混乱あり。グゲロットは誤り。ここではグジェロにウルムで直接薫陶を受けた故・西沢健 GKデザイン機構 元社長が関わった『DesignNews』の上記の記事に表記を合わせます。

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スピーカーです。LE1 ブラウン社 1960年

【関連リンク】
建仁寺のホームページ。展覧会の場所・開館時間はここで確かめてください。

・東京ではブラウン展がアクシスギャラリーで現在開催中です(10月16日まで)。

・11月にも東京でラムス展があります。規模は小さめ。建仁寺のインスタレーションのパネル写真と、日本では紹介されることの少ないラムスの建築・インテリアの仕事を写真や図面で紹介。ラムス所有のプロダクトの実物も数点展示されるようです。ディーター・ラムスとドイツ新機能主義デザイン展。11月10日〜11月29日、リビングデザインセンターOZONE(6F リビングデザインギャラリー)にて。

でも京都に行くべきです。
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by cabanon | 2005-09-24 18:38 | Comments(8)
 
六角堂見聞す
イヅラ。──地中海の島のような響きがします。
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五浦(いづら)に行ってきました。岡倉天心の六角堂を見るために。上野から常磐線で約3時間。茨城県の北の果て。隣はもう福島県いわき市です。

ちょうど100年前のこと。1905年、岡倉天心はこの地に自ら設計して邸宅を建てます。六角堂は、敷地の中の海に突き出た断崖に建つ東屋(あずまや)です。これも天心の設計です。天心はここで瞑想にふけり思索を重ねました。
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この夏、僕はずっと岡倉天心の『茶の本』を読んでいました。今も読みつづけています。『茶の本』は天心が英語で書いたものなので、文庫だけで4冊、いろんな翻訳本が出ています。その翻訳を代わる代わる、何度も繰り返して読むうちに、無性に六角堂を見たくなりました。天心の見たもの/感じたものを自分の感覚に重ねてみたくなったのです。
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『The Book of Tea』 (茶の本)がアメリカで出版されるのは1906年です。当時、天心はボストン美術館の東洋美術品収集の仕事のために、アメリカと日本をほぼ半年ごとに行き来する生活を送ってました。『茶の本』はおもに1905年10月から3月アメリカ滞在中にまとめられました。

ですが、天心が五浦に土地を買うのは1903年。『茶の本』の構想が生まれたのはアメリカ滞在中の1904年秋頃だといわれています。天心は1905年3月日本に戻り、6月に六角堂と邸宅を完成させます。六角堂は『茶の本』とほぼ同時に構想され、本に先立ち天心の思いを先に実現した空間なのです。

天心は完成したばかりの六角堂で、波音や松籟を聞きながら、茶を通して東洋文化の神髄を語る『茶の本』の構成をあれやこれやと練り上げていったに違いありません。
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天心の邸宅
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セザンヌの絵のような松
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天心のお墓

三連休の中日ということで、六角堂には絶え間なく人が訪れていました。しかし、往時の六角堂は近寄る者を怖じ気づかせる鬼気を発した建物ではなかったのか。そんな想像を巡らしました。海に孤高に向かい合う姿は凛々しく神々しい。

物見遊山の観光客にとって六角形の建物は目新しいものではありません。法隆寺の夢殿みたい、と言ってしまえばおしまいです。訪れる人はみな建物よりも海をバックに記念写真を撮っていました。ディテールも精妙とはいえません。ですが、六角堂の中で2、3時間、本でも読みながら一人で過ごすことができたら最高でしょう。波はワイドパノラマ映像のような窓に打ち寄せます。しかも自然のサラウンドサウンド付き。六角形は外の景色をパノラマのように眺めるのに適した形です。窓越しにしか写真を撮れませんでしたが、いつかこの中で日の出か秋の月を味わってみたいと思いました。

d0039955_15192474.jpg海につかり、崖に登りながら六角堂の写真を撮っているうちに、数年前訪れたカプリ島のマラパルテ邸を思い出しました。断崖の家です。人を寄せ付けない孤高の姿が通じ合います。六角堂のほうが観光化が進み、痛ましい状態でしたが。

マラパルテ邸は、イタリアの作家クルツィオ・マラパルテが建築家アダルベルト・リベラの案をもとに自ら設計した別荘です。1940年竣工。ブリジッド・バルドー主演、ゴダールの映画「軽蔑」の舞台になったことでも知られています。


マラパルテ邸は船のかたちです。黄泉へ向かうのか、冥府から辿り着いたのか。限りなく青い地中海の海と、燦々とした陽光、めいっぱい生命感が溢れる世界の中で、断崖の家が死を感じさせます。

d0039955_20553244.jpg僕はこの感覚をル・コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋(cabanon)でも強く感じたことがあります。カップマルタンはモナコ公国の隣にある、南フランスのこぢんまりしたリゾートの町です。1952年コルビュジエはその地に小屋を建て、65年に亡くなるまで夏のバカンスやクリスマス期を過ごしました。ちなみに僕のハンドルネームcabanonは、この家への思いから付けたもの。cabanonとはフランス語で東屋とか小さな別荘のことです。コルビュジエの休暇小屋は、マラパルテ邸や六角堂のように海に突き出た場所にはありませんが、地中海に面した急な崖に建っています。

子宮のような家でした。コルビュジエがそこにいるときだけ母なる世界に戻れる家──。コルビュジエはスイス生まれでしたが、自分の祖先は地中海人だったと信じていたといわれています。コルビュジエは休暇小屋のすぐ近くの海岸で海水浴中に亡くなっています。でも、だから死の予感がするのではありません。

断崖の家が予感させる死は絶望の死ではない。生命の源へ還る死です。とても大建築家の別荘とは思えないみすぼらしい小屋は、よく生きた者だけが知る死の予感を今もかすかに宿しています。

断崖とは死の淵です。同時に生の淵でもあります。岡倉天心もマラパルテもル・コルビュジエも、断崖の家に隠れ、死の際(きわ)から生を見つめようとしたのでしょう。その視線は温かく厳しく、若干の狂気を含みながら、時代を超えます。生への讃歌を歌うのにこれほどふさわしい場所はありません。
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にしても、五浦は天心だらけでした。お昼は六角堂ちかくの船頭料理天心丸という店で30分並んで海鮮丼をいただく。うま〜。1365円。隣の人が食べてた天ぷら定食がすごかった。3人前はありそうでした。
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天心丼ではありません。

岡倉天心が設立した日本美術院の跡地に行きました。何も残ってません。ですが、断崖がいい。六角堂の前の海に比べ、波は猛々しく断崖はマッチョです。そのあと、内藤廣設計の茨城県天心記念五浦美術館へ。天心に関する展示室が充実してます。横山大観らの収蔵品も良質です。
で、美術館から歩いてすぐの天心の湯という温泉につかって、その日のうちに東京に戻る。いい旅でした。
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天心記念五浦美術館
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大人800円。大衆浴場のようなので、すべてがそこそこ。でも歩き疲れた後の、温泉はいいもんです。タオルは持参しましょう
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最寄り駅のJR大津港駅にて

【関連リンク】
茨城大学五浦美術文化研究所。岡倉天心の住居跡。六角堂もここにあります。
茨城県天心記念五浦美術館。五浦へのアクセスなどの参考に。
北茨城市のHP

※参考文献 『岡倉天心と五浦』 中央公論美術出版 1998
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by cabanon | 2005-09-19 16:30 | お気に入りの過去記事 | Comments(4)
 
大きすぎやしませんか?
シャープの液晶TVアクオスの今流れているテレビコマーシャル、変だと思いませんか。モダン山水の庭篇。京都・東山にある作庭家・庭園史研究家、重森三玲(1896-1975)邸で撮影されています。
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アクオスが大きすぎます。65型。横幅157.2センチ、画面の高さ104センチ(脚を含めた高さは116センチ)。三尺六尺つまり90.9×181.8センチの畳一枚分にどんどん近づいています。どんなにデザインがミニマルであっても、このサイズは書院造りの建築に合いません。控えめさが要求される空間だからです。

21世紀、大きくなりつづけるもの。平べったいテレビ。メディアが映し出す女性のバスト。視覚と性。2つとも欲望の形です。

20世紀は視覚の時代でした。産業革命以降の「近代」は、博覧会、摩天楼や塔や観覧車など高所からの眺望、写真、映画、雑誌、テレビによって、見たことのないものを見たい、より精細に見たいといった大衆の欲望を煽りつづけました。それは今も続いています。万博の時代は終わったと言われてたのに、愛知万博は結局たくさんお客さんが入りましたし。評論家はいつでも近代やモダニズムを終わりにしたがります。でも、言説でだけで幕を閉じられる、そんな簡単なものじゃないんです、近代は。

巨大化したテレビで巨乳を見る。そんな近代のギラギラした欲望を形にしたものだからこそ、抑制の利いた美意識が空間に染みわたった重森三玲邸に合わせてみたのかもしれません。コントラストの効果を狙ったのでしょう。いや、大きな黒一色の四角い画面を「空」だの「虚」だの「余白」だのと言いたかったのでしょうか。

だけど見事にアテは外れています。近代の欲望がズカズカと土足で重森邸に上がり込んでしまったような「絵」になってしまいました。吉永小百合はやりすごしてます。
素直に大きな家で撮ればよかったのに。巨大な作品を作っているアメリカのアーティストのアトリエとか。
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by cabanon | 2005-09-15 22:02 | Comments(4)
 
幸せの定義
幸せとは、自分の直観を他人に共感してもらえること。
言い換えると、自分のひらめきが波紋を広げ、他人と共鳴しあえること。それが幸せ。僕の定義です。

たった一人と深く共鳴しあえることも幸せ。
多くの人に広く共感してもらえるのも幸せ。

考えつづけること、感じつづけること、好奇心をもちつづけることで、日々新な直観を生み、その直観を長く他の人に共有してもらえること。それが理想の生き方です。
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by cabanon | 2005-09-15 13:30 | Comments(3)
 
エロっ
ハチ公口、Qフロント。渋谷は渋谷で新宿とは違った意味で濃いです。これも残暑か。
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by cabanon | 2005-09-14 23:22 | Comments(3)
 
これがデザインですか?
ホストクラブの広告かと思いました。
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8月3日の投稿で話題にした新宿駅東口ALTA並びの果物屋前にある「デザイン製作中」の仮囲い。一応デザイン?が完成してました。

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でも、まだこのスペース、売れてないようです。このスペースを扱う屋外広告の代理店の自社広告です。

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前も後ろも昼間っからフェロモン全開なのは、どうしてですか。ポーズをとってもらったわけではありません。夏の名残りの狂おしさ。残暑お見舞い申し上げます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-09-12 21:18 | Comments(3)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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