藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
<   2006年 02月 ( 15 )   > この月の画像一覧
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
縁/インターフェース
エンってフチです。ヘリでもあります。
漢字で書くと、縁。
「素晴らしい縁ですね」と2つ前の投稿にtoshiさんからコメントをいただき、そんなこと思いました。
僕はわざと誤読します。「素晴らしい縁(フチ)ですね」と。フチはインターフェースですから。このブログを僕はフチにしたいんです。そういえばこの前インタビューした山中俊治さんはリーディング・エッジ・デザインのエッジは最先端でもあるけど縁(ヘリ)だともおっしゃってました。
d0039955_1282252.jpg
昨年秋に龍安寺に行きました。高校生の時以来。確かめたいことがあったからです。
龍安寺の石庭の本質はフチにあるんじゃないか。たおやかな流れを映す白砂。15個あるのにどこから見ても14個しか見えない石。それに気をとられると大事なものが見えなくなる。この石庭の力はきっと壁にあるんじゃないか。それをこの眼で確認したかったのです。
d0039955_1212985.jpg
そんなことを思い付いたのは、京都行の1週前、五浦の岡倉天心の旧邸の縁側でなんの変哲もないボーっと庭を眺めていた時です(上の写真)。きれいに掃かれた白茶けた土のまわりを囲む草がなんとも美しかった。特別手入れされた植栽でもなんでもないのに。そうか、空って縁(フチ)を際立たせるんだって思ったのです。
d0039955_121559.jpg
たしかに龍安寺石庭のフチは得も言われぬ味わいを持っています。雨だれの滲みが時そのものの壁、さまざまな黒が光を吸い込む油土塀の屋根。塀に覆い被さる木々のボリューム感。縁台と白砂との間の構成的な石組み、それらすべてがこの神秘的な庭を引き立てます。

龍安寺には、静寂はありませんでした。午前中で修学旅行生や観光客が入れ替わり立ち替わり出入りする。座り込みじっくりものを考えてる人、ガイドの説明に耳を傾けている人、シャッターを切る人、庭を鑑賞するというよりは脚を伸ばして休んでるだけの人。
d0039955_1214858.jpg
そこがもっとも活性化している「フチ」だったのです。縁側。いやこの庭の場合、縁台と言ったほうがいいのでしょうか。そこが人と庭を結びつけ、瞑想を促し思念を巡らせ発想を得る場となっています。
エンとかフチとかきっとどこかで誰かがすでに語っていることかもしれません。でも、龍安寺に再訪して、ようやくこの当たり前の真理に自分の力で辿り着くことができた、という気がしました。縁(エン)を生むのが縁(フチ)。現代風に言えばインターフェースです。縁側のない龍安寺石庭は考えられません。この庭は鑑賞者がいて初めて成り立つようにできています。縁側が瞑想を誘うのです。白砂と石は悟りのドアを開くためのスイッチでしかありません。「ああこれが教科書で見たやつか」とか「周りはうるさいけどジッと石を眺めてたら何かが見えるかも」といった観光客のたくさんの思いがパチパチと高速で行き来するこの縁側では、まさに「界面活性化現象」が起きていました。
優れた「空」は素晴らしき縁(エン/フチ)を創り出し、化学反応を生む。
余白とインターフェースの関係も見えてきます。それはまたいずれ書きます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-27 12:10
 
トークセッション
青山ブックセンター本店での『ジャパンデザイン』刊行記念トークセッション、満員御礼、盛況のうち終わりました。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。充実の2時間30分だったと思います。ナビゲーター役の僕自身が柴田文江さんと村田智明さんの話を聞いてて、う〜これはえらく面白いと思いながら話を進行させていましたから。

村田さんはいいネタたくさん持ってます。悪知恵を働かせてモノを売ろうとする「越後屋」になってませんかという話や、滝修行でデザインに開眼した話など、自分をいじり笑いをとりながら、聞く人の心に隙間を作っておいて、デザインの本質の話をスッとその隙間に差し込んでいく。その話術は安藤忠雄さんを彷彿とさせます。リスクは背負って闘いつづけるというスタンスを語って人の心をつかむところも安藤さんに近い。さすが大阪で練られた人は違います。村田さんが展開するメタフィスの製品はミニマムな印象が強いのですが、実はその背後に“人を喜ばせたい・共鳴させたい”という強烈なサービス精神が潜んでいるようです。

柴田さんも聞く人の心をグッとつかむことのできる方でした。乳腺の中で赤い血液が白い母乳になる瞬間をデザインに喩える話は心に響きました。開発スタッフと共通認識を持つためにツゥルツゥルとか擬音語を使う話など、デザインと言葉の関係を追求する僕にとっては非常に大切な話をしていただけて感謝です。柴田さんの話し方には飾りがありません。押しつけがましくなく、心の真ん中に届くんです。それってまさに彼女のデザインそのものです。あっ無印のこのソファ家で使っているわとか、こないだコンビニで買ったこのオムロンの体温計って柴田さんのだったのだとか、気付いたらスッと横にあるような、そんな生活の真ん中に届くデザインが話し方の中でも体現されていました。

話し方がデザインを表す。成功しているデザイナーに共通していることかもしれません。人は作品だけに惹きつけられるのではないのですから。デザインと話し方の裏表の無さがきっと人を惹きつけるのです。
d0039955_22343661.jpg
秋田さんとのトークとの時のようにホワイトボードを使って柴田さんや村田さんに話してもらおうと思ってたんです。でも話がポンポンと進んで使わずじまいでした。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-26 22:11
 
原稿依頼
ナガオカさんからメールをもらいました。
『d long life design』の5月発売号で、電気用品安全法の記事を書いてほしい、と。次号じゃないです。次の次に出る号です。
2つ前の投稿で「ねえ、ナガオカさん」と問いかけたのが、こうした形で帰ってくるのはホントうれしいこと。感謝です。もう何度も思ってますが、ブログ書いててよかったなと実感が込み上げてきます。

情報はフィードバックを得て初めて生を受ける。

波紋は広げていかないといけません。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-24 01:04
 
柏が未来してました
昨日、取材で東大、柏キャンパスに行ってきました。ちょっと未来都市してました。
d0039955_1351970.jpg
JR柏駅からタクシーで行ったのですが、この駅周辺には妙な閉塞感があります。本来ペデストリアンデッキは開放感を演出するものなのですが、大きなデパートや駅ビルに四方が囲まれているせいでしょうか、平日午後なのに人出が多いせいなのでしょうか、狭いんです。
d0039955_1353710.jpg
それにくらべ東大周辺はえらく広々している。日立柏サッカー場と、柏の葉公園総合競技場(東大に隣接)の違いとでもいいましょうか。東大の研究棟はやや威圧的なスケール感が気になりました。威風堂々としたスケール感がいいという人いれば、大きければいいってもんじゃないって人がいるのは、サッカースタジアムと同様ですね。

d0039955_1363483.jpg
帰りは初つくばエクスプレス。渡辺誠さん設計の柏の葉キャンパス駅がいい感じでした。奇抜な外観ですが、押しつけがましさがありません。目立ってナンボのヘンテコ感がないのです。渡辺さんのHPにこの駅のデザインが詳しく解説されています。パネルのモチーフは「流れ」です。写真のコントラストをあげると、表皮に施された流れが光の流れとなって浮かび上がってきました。「流れ」というモチーフを電車でなく駅のデザインに使うところがさすがだなと感心しました。駅は止まる場所だけでなく、流れをつなぐ場所でもあるのですから。

流れのデザインは、ニューラルネット(神経系を模した学習アルゴリズム)を用いたプログラムから生まれたものだとか。HPによると渡辺誠さんは「INDUCTION DESIGN」というデザイン生成プログラムの研究開発中のようです。自然世界の多様な形は、自律的に自己組織化へ向かうプログラムから生ずる、と考えるサイバネティックスの知見が生かしたプログラムです。デザインがデザインを自律的に生んでいく「自己言及・自己組織化するデザイン」とでも「サイバネティック・デザイン」とでもいいましょうか。

表皮はインターフェースです。ただこの建築の場合、外と内の境目で空気や光をやりとりする皮膜といったありきたりなインターフェイスだけでなく、「思念」と「物体」とのインターフェースにもなっています。この流体の形は「自己組織化への意思」と「物質」の界面に生じた波動──。僕はそう読み取りました。

ただし写真と逆側の外装デザインは、凹凸あるパネルが使われておらず凡庸。予算の関係なのだろうか。外装に薄紫色の波型文様がプリントされているだけ。なんかカーテンの柄のようで安っぽい。やろうとしていることには興味はあるけど、褒めるわけにはいかないデザインです。

来月また東大に行くので、今度は昼間の写真も撮ってきます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-23 13:12
 
電気用品安全法の施行に反対します。
デザインを愛する人間は、この法律の施行に断固反対すべきだと思います。電気用品安全法(PSE法)。
新しい基準を満たしていない家電、オーディオ機器、電子楽器、ゲーム機などのリサイクル販売が禁止されます。2006年4月1日から本施行されます。
リサイクル市場は、デザインを愛する心を育み、よいデザインとは何か考える機会を生む大切な場です。D&DEPARTMENTがそれを証明しています。ねえ、ナガオカさん。


【坂本龍一さんらによる電気用品安全法に対する署名のお願い】

**********
asahi.com 中古家電、もう売れない? 電気用品安全法が猶予切れ
ITmediaニュース「名機」が販売禁止に。4月に迫る「電気用品安全法」
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-18 18:56
 
輸入退治天狗
d0039955_150948.jpg
渋〜い展覧会を見に行きました。渋谷のたばこと塩の博物館の「広告の親玉 赤天狗参上 明治のたばこ王 岩谷松平」展(3月12日まで)。親玉とか赤天狗参上って、なんのこっちゃ、です。いや、でも、この天狗にはいろいろ考えさせられました。

岩谷(いわや)松平は、たばこの製造販売で一代で財を成した実業家。薩摩から上京し、まだキセルで吸う刻みたばこが主流だった明治初中期、欧米の紙巻きたばこにいち早く目を付け、明治17年(1884年)ころに「天狗煙草」を発売。派手な宣伝で世に広めていきます。

天狗煙草にはさまざまな種類がありました。青天狗、赤天狗、金天狗、日の出天狗、国益天狗、愛国天狗、征清天狗、陸軍天狗、海軍天狗、日英同盟天狗、輸入退治天狗。そう、天狗さんはバリバリのナショナリストなのです。

ライバル、村井兄弟商会の主力は「ヒーロー」「サンライス」。アメリカン・タバコ社と資本提携して販路を拡大していきます。外国資本がバックについた企業に対抗するために、岩谷松平は「国益の親玉」と称し、純国産をアピールします。ポスターには「愛国心の有る人は天狗煙草を呑んでください。天狗煙草は輸入を防ぎ輸出をなし實に日本の名産なり」と書かれています。

このたばこを吸えば、お国のためになる、というのです。

プリウスに乗れば、環境のためになる、というのにそっくりです。

現代の日本では愛国心は道徳とは別物と考えられていますが、明治の日本では国を愛したり天皇を敬うことは、親を尊敬するのと同様の道徳の基本です。商品が倫理的・道徳的であることが、最終的に企業と消費者との信頼関係を築き上げる、という点は今も昔も変わりません。ま、100年前はいささか露骨すぎるのですが。

このパッケージはもはや完全に「メディア」です。たばこが美味そうだとか、くつろぐとか、スタイリッシュだと訴えるのでなく、天狗煙草を買えば“ワタシは愛国者”と自分自身にも他の人にも表明することができるのです。「Love Earth」とさりげなく書かれたオーガニックコットンのTシャツを着るのと“いいことをした感”の創出では本質的構造が同じです。ロハスと天狗煙草は、体にいい悪いは別にして、メディアとしての構造がいっしょなのです。

戦後、1951年に来日したレーモンド・ローウィは日本専売公社のために「Peace」のパッケージを手がけます。当時の総理大臣の月収の15倍のデザイン料150万円で。メディアとしての天狗煙草のパッケージを考えると、この逸話の隠されたメッセージが読み取れます。

消費文化を育てた高名なアメリカ人に「平和」という名のたばこのパッケージをデザインさせたことには大きなメッセージがあったのです。ローウィの著書『口紅から機関車まで』の翻訳者、藤山愛一郎は1957年岸内閣外相に就任し、日米安保改正に取り組んだ人物ですから。

メディアとしてデザインを読み取ると、グッドデザインのグッドの怖さが分かるはずです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-18 02:09
 
神戸空港
神戸空港へ開港日に行ってきました。
d0039955_0563356.jpg
12時すぎ空港に降り立つと、展望台に人がぎっしり。ビートルズ気分です。誰も僕のことなんか見てないけど。子どもの頃、海外へ赴任する親戚を見送りに羽田空港へ行き、旧・ターミナルビル屋上で飛行機に向かって手を振ったことを思い出しました。
d0039955_0375934.jpg
到着口では美しいお姉さんがお出迎え。吹奏楽団が「ダンシング・クイーン」を演奏していました。テレビカメラがわんさかで、比較的こじんまりした空港全体がスタジオ状態でした。
d0039955_0402583.jpg
多少期待していったのですが、空間が美しいといった好事家的な建築の愉しみは皆無でした。ローコスト&利便性の追求がすべての建物です。
d0039955_0382350.jpg
ですから動線計画は抜群です。ポートライナーを降りるとすぐ出発ロビー。搭乗手続きして手荷物検査のゲートまでほぼ一直線で行けます。しかも空港から三宮駅まで18分。スカイマークだと片道1万円。予約の変更可。新幹線の強敵であることは確かです。
今回の取材の対象はリビングワールドの《Earth Clock》。円形スクリーンに現在の地球の様子が映し出される時計です。詳しいことはここでは書きませんが、利便性が支配する空間でこの時計だけが異彩を放っていました。
d0039955_0501229.jpg
d0039955_0455531.jpg
建築の見栄えがいまいちなんで今回の写真には気合いが足りません。
あっコイツは、はばタン。空港のマスコットかと思いきや兵庫国体のマスコットだそうです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-17 01:05
 
円形校舎
わが母校、横浜市立蒔田小学校の円形校舎。
d0039955_22401273.jpg
d0039955_2224513.jpg
d0039955_22242528.jpg

1959年(昭和34年)に建てられたもの。GoogleMapsで見ると、完全に円形なのが分かります。教室や階段室を円の外側に配し、内側は屋内広場のような共有スペース。非常に機能的なプランです。冬、屋上で朝礼をすると富士山が見えました。僕のDOCOMOMOです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-12 22:46
 
マイ・アーキテクト
「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」を観に行きました。いい映画です。渋谷の円山町ラブホ街に新しくできたQ-AXシネマという映画館へ。金曜の晩は満員でした。10分前に映画館に着いたのですが、最前列と隅の席しか残っていませんでした。

『Casa BRUTUS』のルイス・カーン特集の時に字幕なしのものを観ていましたが、ようやく字幕版でディテールまで理解できてモヤモヤが晴れました。

ルイス・カーンは20世紀アメリカを代表する建築家です。20世紀、フランク・ロイド・ライト以降のアメリカ人建築家といえばカーン。バルト3国のひとつエストニアから移民で、フィラデルフィアを拠点に活動しました。キンベル美術館やソーク生物学研究所、バングラデシュ国会議事堂などの代表作があります。

監督のナサニエル・カーンは、ルイス・カーンの息子です。彼は“3番目の家族”に生まれたため、週に一度しか父に会うことができませんでした。カーンには本妻がいて娘がいました。愛人がいてそこにも娘がいました。で、もう一人の愛人がナサニエルの母だったのです。

カーンはナサニエルが11歳の時、1974年ニューヨークのペンシルヴァニア駅のトイレで心臓発作で急逝します。建築プロジェクトを手がけていたインド、バングラデシュから帰りでした。父は何者だったのか? 何をなさんとしていたのか? 11歳の少年はまだ理解していませんでした。ただ認知されない家族の複雑な思いだけを残して逝ってしまう。

だから、父探しの旅に出るのです。

フィリップ・ジョンソンやフランク O. ゲーリー、I.M.ペイなど著名な建築家がインタビューに答えてます。フィリップ・ジョンソンが「コルビュジエは陰険じゃよ」と答えると、観客が笑います。お客の建築家率はかなり高いです。

モントリオールのアビタ67を設計したモシェ・サフディや、情報建築家として名高いリチャード・ソール・ワーマン(字幕ではウルマンになってましたが)など渋い面々も登場します。二人ともカーンの弟子です。俳優ケビン・ベーコンの父、元フィラデルフィア都市開発委員長エドマンド・ベーコンの熱弁は、息子の演技をはるかに超えた迫力です。

だけど見せ場は有名建築家ではありません。“2番目のパートナー”のアン・ティン、そして“3番目のパートナー”のハリエットへのインタビューは圧巻です。気丈なアン・ティン、信じるハリエット。不倫の後ろめたさなどなく、むしろ誇りさえ感じられます。
カーンの住宅の傑作フィッシャー邸では、ナサニエルとそれぞれ母の違う2人の姉が出会います。3人の心の重なりとすれ違いに、フィッシャー邸が震えます。そしてインド、バングラデシュへ……。

特に建築関係の方々は今、観たほうがいい映画です。姉歯とかで笑えない建築家事情ばかりが世の中を覆い尽くしている現在、ああ、やっぱり建築をやってきて良かったな、と再認識できるでしょう。きっと建築家としての使命感に火がつくはずです。
もちろん建築家以外の人たちも心動かされるでしょう。ナサニエルの視線は、建築家のそれじゃないですから。

カーンはユダヤ人です。その話がこの映画のサブテーマになっています。
カーン没後に完成したバングラデシュの国会議事堂。つまり、ユダヤ人が設計したイスラム国家の議事堂です。モスクも併設されています。現代の抱える大きな問題の答えがあるように思います。建築が世界に道を指し示しています。今、私たちが絶対残さなければならない20世紀建築をひとつ挙げろと言われたら、僕は迷わずこの建築を選びます。

そう僕はあの奇跡の建築に行ったんです。2年前に。幸せもんだな。
d0039955_12485995.jpg
d0039955_12483965.jpg
d0039955_12493126.jpg
d0039955_19271671.jpg
d0039955_19273517.jpg

d0039955_198181.jpgd0039955_19828100.jpg
d0039955_12495188.jpg


*Link / 映画「My Architect」の公式HP
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-11 12:52
 
オモサンヒルズ
表参道ヒルズに行ってきました。内覧会でしたが入場するのに200〜300メートルの行列。中も人がわんさかでした。
d0039955_21453895.jpg
安藤忠雄さんらしくない。これが感想です。

巨大な吹き抜けのアトリウムがあります。真ん中に大階段。近つ飛鳥博物館の階段屋根を思い起こさせます。アトリウムの周りはゆるい傾斜のあるスロープが囲みます。フランク・ロイド・ライトのNYのグッゲンハイム美術館のスロープのように上から下へ一本道でつながっています。ライトのそれはスロープがスパイラル状になっていて上下がつながっているのは一目瞭然ですが、表参道のスロープはパッ見だと一本道には見えません。歩いてみて初めて動線がつながっていると分かる。傾斜の具合がなんとなく直島の地中美術館のようだと思う人もいるでしょう。

巨大な吹き抜けがあるにもかかわらずその回遊スロープには閉塞感があります。スロープの天井高が低く幅も狭い。しかし、狭いと感じることは安藤建築では当たり前のことです。キャナルシティや六本木ヒルズのジョン・ジャーディも閉塞感を巧みに使っている。安藤さんもジャーディも狭いなと思わせておいて広い空間に出るといった手法が得意です。安藤さんの場合は、開放的な空間が広いだけでなく虚無の空間だったりするから魅力が深まる。
d0039955_12055.jpg
だけど、この表参道ヒルズには虚無の空間がありません。ヴォイドも虚無じゃない。隅々まで空間が有効活用されています。
そんなところが安藤さんらしくないと感じた理由です。スロープもエスカレーターもエレベーターも階段も大小取り揃えてあるので、お好きな手段をどうぞ、とえらく親切です。行き止まりとか、あれ?屋根がない、雨んときどうすんのとか、また階段かよ、ああしんど、思うところはありません。利便性が空間を覆い尽くしています。
d0039955_21535520.jpg
同潤館からの眺め。

ギャラリーなどの入った「同潤館」には確かに古い同潤会アパートの記憶が残っています。しかしアトリウムのある「本館」のほうは、そこにいればいるほど、ここが同潤会アパートのあった敷地であったこと、いやここが表参道であることさえ忘れていきます。安藤建築にいるというより、森さんの新しいホニャララヒルズにいるんだなと思うだけです。
d0039955_21581157.jpg

これは違うぞ、と思って表参道ヒルズを出て、246を渡り、根津美術館方面へ。フロム・ファーストの向かいにある、安藤さん設計のコレッツィオーネに行きました。1989年竣工の商業ビルです。見比べたかったんです。その迷宮と。
そこには行き止まりがあり、暗がりがあり、なんでここにこんなデカい階段あるんだという階段ががあり、余白のような使われてない空間があり、虚無のコンクリート壁があります。明と暗、閉塞と開放のリズムがしっかり刻まれています。「集客装置」としての大きさが、安藤建築からそうした迷宮的非合理性を奪い去ったのでしょう。実際コレッツィオーネではスポーツクラブに行く客数人と、デジカメ片手に建築見学に来た若い外国人一人しか見ませんでしたから。
d0039955_21483750.jpg
d0039955_21491226.jpg
上2点は青山のコレッツィオーネ


d0039955_21471663.jpg
表参道ヒルズに話を戻しましょう。最も美しいのは乳白色のガラス面に映るケヤキの影でした。リヒターの絵画のよう。余白なき無駄なき建築で、外壁に映った影だけがうつろうこの世のはかなさを映し出していました。
d0039955_21463681.jpg

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-09 22:05


Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

Twitterもやってます!

*当ブログの奥座敷
KoKo Annex

ライフログ
以前の記事
カテゴリ
その他のジャンル
ブログジャンル
リンクについて
当サイトはリンクフリーです。
お気軽にリンクして下さい。

本ブログの記事と写真の
無断複写・転載を固く禁じます。




Copyright 2005-2016 Keiichiro Fujisaki All rights reserved
本ブログの記事と写真の無断複写・転載を固く禁じます。