藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
新聞デビュー
本日4/7(金)の朝日新聞(東京版)の夕刊に寄稿します。
「時評圏外」というコラム。5週に1度書きます。5人の執筆者が交替で、今まで朝日の文化芸能欄にとっては「圏外」だった分野の時評を書くというものです。デザインも圏外だったんですね。
初めて親に「この雑誌はこうこうで」とか説明しないで大丈夫な媒体に自分の文章が出るわけで、親孝行と思ってます。ま、でも、それは個人的な小さなことで、デザインが圏外でなく、文化批評のジャンルとして新聞社にとっても文学や美術や音楽のような3本電波が立つくらいになるようにガンバリます。
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by cabanon | 2006-04-07 02:44 | Comments(5)
 
偶然、ロボット発表会へ
4月3日(月曜日)の話しです。

ようやく少し時間的な余裕ができたので、恵比寿のカッシーナ・イクスシーに借りていた商品を返却しに行きました。宅急便でもよかったのですが、天気もいいし、ワレモノだし、代官山にも用事があったし、散歩気分で出掛けました。
たまたま、カッシーナ・イクスシーの地下の貸しホールで、スピーシーズが開発したロボット「ITR」の発表会をやっていました。「世界初、わが家に棲みつく人型ロボット」。何なんだろう? 名刺も持ってなかったけど、受付で事情を話し会場へ。
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新聞社やTV局も来てていました。ロボットは高さ33センチ卓上サイズです。この大きさの二足歩行のロボットで踊ったり話したりするものは、今やそんな珍しいものではありません。

じゃあ何が新しいかというと、「第5のメディア」だというのです。ラジオ、テレビ、パソコン、携帯電話に続くメディアということ。出来る限り人に近い知性や運動能力をもったロボットを開発する発想でなく、ロボットを動いてしゃべる端末として利用するという発想です。「モーションブラウザ」と説明していました。InternetExploreのような通常のウェブブラウザはインターネット上の情報をディスプレイを通して写真や文字で閲覧するのですが、ITRではロボットを通して動きや音声で情報を閲覧するからです。
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携帯端末の「番組」を選択をする画面

ロボットが歌ったり踊ったり、英会話の教師になったり、ロボットが問いかけるクイズにマルかバツかで答えたり、落語をしたり……そんなコンテンツが「番組」です。

番組ですから基本的に内容は毎日変わることを前提にしています。番組選びは携帯電話でメニューを見ながら行い、選んだ番組コンテンツがインターネット上のサーバーからロボットへダウンロードします。

ふーむ、確かに面白い発想です。今までのロボットビジネスは「知性ある人形」としてロボットを売ろうとしてきたのですが、ITRのビジネスモデルはロボットをメディアの端末として広めていくものです。製造業型のビジネスでなくメディアビジネスなのです。mediaの単数形、mediumには霊媒師という意味があります。ITRは「世界初、わが家に棲みつくロボット霊媒師」と言ったほうがいいかもしれません。

しかし冷静に考えると──、誰がリビングのテーブルの上でロボットが踊っているのを見て楽しむのだろうのだろうか。たとえ日替わりダンスだとしても。ユーザー像が見えません。それに、立ちながら首や手などを話しの内容と関係なく動かすだけで落語と言われたら、落語家はきっと怒るでしょう。彼らにとって仕草も話芸のうちなのですから。

いっそ霊媒師なのだから占いに徹したほうがいいかもしれません。細木×子とかドクター×パとかが次々と降臨する。派手な動きで幸運を表現したり、意味深に仕草で深刻なこと言ったり。スターマンロボットというのもいいかも。今年9月上旬発売予定。予定価格は190,000円。

世界初と言うのだからこのありきたりな外装デザインは変更した方がいいと思います。かわいい系に徹してペット型にするのも手です。

技術が先行してコンテンツは後から考えましょうでは、インターネット冷蔵庫のようになる危険があります。あれだって冷蔵庫のドアについた小型ディスプレイでレシピの載ったホームページを見て主婦が料理しますとか「?」と思うようなことを平気で提案していましたし。キラーコンテンツをしっかり考えて世に問うべき。発想は面白いので頑張ってもらいたいものです。

【関連リンク】ITRの詳細はこちらで。スピーシーズのウェブサイト
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by cabanon | 2006-04-05 23:47 | Comments(2)
 
限りなく透明に近いアキバ?
4月2日(日曜日)の話です。

国際秋葉原サミット「萌え立つアキハバラ・デザイン」を聞きに行きました。冒頭の森川嘉一郎さんの基調講演は、オタク文化への理解のない人たちがアートだデザインだ都市開発だと言って取り入ろうとするのをきちんと批判していて、さすがという感じ。しかし次のベルリン工科大学の研究者の基調講演はいただけなかった。

ヨーロッパでは一見建築の外観が同じで、建物の内部で何が起こっているか分からない。だから不透明。でも、アキバでは広告看板がビルを覆い尽くし、そこで何が起こっているか分かるから建築に透明性がある、と彼は言います。あまりに単純な物の見方です。

渋谷のラブホ街ではセックスが行われ、銀座ではドンペリがあけられ、アキバではフィギュアを漁ってメイドに酔いしれる。そうしたことは看板や建物のデザインでわかります。でも、その空間のコアな部分には簡単に立ち入れない。透明性の奥に、不透明な壁が設置されている。透明に見えて不透明──それが日本的空間であって、奥深さだと思います。石造りの建築に鉄の扉で入っていくわけではないけど、鉄や石以上の壁が何重にも用意されている。プライベートとパブリックの境界線の欠如や透明/不透明の関係は、パリの朝市やカフェ、アムステルダムの飾り窓あたりと比較するべきものです。アキバはもともと闇市から立ち上がるのですから。

秋葉原も渋谷も無数の欲望が渦巻く街なのです。再開発者の欲望だけを押し付けられてはたまりません。啓蒙なんか要りません。シンポジウムはメッセサンオーの社長の話は面白かったけど、参加者それぞれのズレが痛々しい。進行役の東大教授が辛酸なめ子さんに対して「辛酸さんと呼べばいいのかなかな、なめ子さんがいいのかな、呼び方が難しいですね」と言う、かなり下品な発言を聞きながら、途中退席しました。デザインミュージアムの行く末が思いやられます。

で、ラジオ会館見物をして、渋谷へ移動。大雨の中、友と待ち合わせて、19時からZガンダムの三作目を鑑賞しました。

TV版の複雑な人間&組織関係を全く整理できない編集はきわめてヒドい。ま、でも、それなりに楽しめました。ヒドいけどZは意味深い予言的な作品です。ファーストは第二次世界大戦のような全世界と全人類の運命を巻き込む戦争だったけど、Zの戦いは自分とは関係ないところで起こっている宇宙の痴話げんかのような戦争です。戦争の大義より個人の感情が優先されます。で、それがあまりに複雑で訳分かんない。テレビや新聞で報道すればするほど、透明性は高まるどころか、石油利権などが渦巻き真相が見えなくなるイラクとかアフガニスタンの戦争との距離感に通じるところがあります。

透明に見えるものの向こうに、実は何重もの不透明レイヤーが存在している。分かったと思えるような仕掛けなら、あちこちに張り巡らされている。しかし仕掛けを施した人たちさえも、そこで本当に何が起こっているのかは分かっていない。それこそ現代の都市やメディアの本質かもしれません。秋葉原で起こっていることもそのひとつのケースだと、僕は思います。
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by cabanon | 2006-04-05 01:17 | Comments(4)
 
メタフィジカルなアナロジー
4月1日(土曜日)の話です。

15時から六本木のアクシスで、秋田道夫さんと越山篤さんの対談を聞きに行きました──のはずだったが、途中急遽進行役を務めることに。12時頃から花見があり、少々アルコールが入ってました。うう、大丈夫だろうか? ──大丈夫でした。

ソニーの越山さんが開発された球形ロボット「Q.」の素晴らしさを出来るだけ多くの人に知ってもらいたいと思っているので、話の引き出し役としてお手伝いできてうれしかったです。

とにかくQ.の知名度と評価はAIBOに比べて低すぎます。
もちろんAIBOはビジネスとしてロボットを成立させたという意味で画期的です。素晴らしいです。しかしロボットデザインとしての意義は、はるかにQ.のほうが上だと僕は確信しています。「準安定」(安定と不安定の間を行ったり来たりすること)というコンセプトをメタフィジカルなアプローチで徹底的にデザインしているからです。

コンセプトをデザインする方法には2つのアナロジー(類推)の方法論があります。メタフィジカルな次元のアナロジーと、イメージの次元のアナロジーデザインです。

AIBOはイメージの類推の典型的デザインです。犬や猫といったペットをイメージしている。仕草や学習といったプログラミングも外装もペットらしさをいかに表現するかが大きなテーマになっています。愛玩動物らしさの表出というのは、桃の産地だから桃の形をイメージした体育館をつくりましたといったデザイン手法と変わりがありません。大人の男性にふさわしいラグジュアリー感覚を表現したインテリアですとか、ロハスっぽさを狙ったとか、そんな感じです。

「※※みたいなデザイン」「△△をイメージしたデザイン」「××らしさを表現したデザイン」というのは王道です。誰にでもわかりやすいものを作るときや、趣味のはっきりしたターゲットを狙うときは有効に働きます。言われているほど軽薄なデザイン手法だとは思いません。

イメージの類推は、トップダウンよりボトムアップ、メジャーよりインディーズ、大量生産より少量多品目生産の時にその創造性を炸裂させます。秋葉原に行けばわかるはずです。萌えキャラが一見みな似てるのは、成功したキャラに似せてみながさまざまなバリエーションを描いていくアナロジカルなデザインの連続から生まれてきたものです。昆虫の進化の過程に似ているかもしれません。ガレージキットのメッカ、アキバのラジオ会館なんて巨大な標本箱のようですし。ル・コルビュジエはブリーズ・ソレイユやモデュロール、オンデュラトワール、屋上庭園、ピロティといった彼ならではのメタフィジカルな「言語」を創出しますが、それらは本人や継承者によって、まるで萌えキャラの触角のような前髪や猫耳のように使われていきます。バリエーションがバリエーションを生んでいくのです。

話を「Q.」に戻します。「Q.」には「♯♯のような」という類推がありません。ペットのようでも、人の似姿でもありません。球体です。

「Q.」はセグウェイにも使われている倒立振子の理論で動きます。安定が崩れてもダルマは再び安定状態に戻ります。わざと安定を崩しまた安定に戻る。その動きの繰り返しで「Q.」は移動していきます。安定と不安定の間を行き来する「準安定」の状態は行動パターンやコミュニケーションにも設定されています。だから撫でてあげたら喜ぶけれども、どういう喜び方をするかはわからない。声をかけても無視されることもある。どんな反応をするのか分からないのです。つまり行動に振幅が設定されている。まさに振り子です。

ここでは、振り子システムが、感情生成システムや運動システムなどに適用されています。どれも振り子みたいなシステムになっているのです。

「Q.」は、振り子のアナロジーをメタフィジカルな次元でどんどん広げていった結果生まれたのです。マリモみたいなとか、ダルマみたいなとか、ガンダムの「ハロ」みたいな(越山さんが否定してます)といった思考から、あの丸い形とユラユラとした動きが生まれたわけではないのです。

上位概念における類推だから、明確に「準安定」というコンセプトが定められ、それが形やプログラミングやインターフェースなど細部に行き渡る。

「Q.」の振り子は確定性と不確定性の間を揺れます。ある程度の予測はできるが、何が起こるか分からない。それは科学の本質にもつながります。

科学もテクノロジーも完璧であることは不可能です。宇宙の起源も地球の内部も人の脳もつねに「う〜ん結局わかんないじゃん」という部分から逃れることができない。絶対に墜落しない飛行機は作ることはできない。

しかしその不完全さは、倒壊の予兆ではありません。絶え間なく完全さを追求しつづける意思の表れです。欠けているから完璧なものを求めるのです。意思ある欠落には負のエントロピーが生じます。

未来を時計仕掛けの装置のように予測する不可能さを知り、完全さを諦めながら、一方で、完全さを追い求めること。そこに大きな振幅が生ずる。だから振り子なのです。諦念と執念の間の往復から人の豊かさが生まれます。振り子の原理が持つメタフィジカルな意味を表現することは、世界の豊穣さを示すことに他なりません。

「Q.」は、不完全と完全の間の揺れをゆるくてあいまいで危なっかしい行動で表現します。人の体温や声を感知したり、床の柔らかさによって動きを変えたり、机の上を落っこちそうで落ちなかったり……。「Q.」はつねに10点満点の演技を楽しむロボットではありません。おいコイツ大丈夫かよと思いながら、ついつい引きこまれていく存在が「Q.」なのです。

いつも完全さを求められる産業用ロボットは物悲しい存在です。ロボットは人間のためにいつも性能を余すことなく使うことを絶えず要求されているのだから。「使える=仕える」と人に思われているロボットは不幸です。ホンダのASIMOって博士号をとってて受付嬢しかやらせてもらえない人のようです。

セミナーでも言いましたが、「スターウォーズ」の第1話でルーク・スカイウォーカーがR2D2の記憶を解析すれば、物語は1話で済んでしまいます。あっ、あの黒いやつが俺のオヤジか、面倒なことになったなとか、レイアは妹、似てないじゃんとか……。ま、エピソード3のラストシーンでR2D2の記憶は消されていましたが、どこかにログが残っていても不思議じゃありません。

スターウォーズを2,3度見ると、R2D2がすべてを知ってて物語を展開させているように思えてきます。それはロボットのあるべき姿だと思います。主人のために短絡的に「役に立つ」のでなく、さらに大局的な見地に立っている。ルークはそのおかげでグレずに成長するわけで、最後は宇宙平和をもたらします。主人のプライドを汚さずに事の成り行きを巧みにナビゲートしてくれる。奴隷のように働いてくれるロボットも大切ですが、そんなのばかりだと強欲な人々に利用されるのは目に見えてます。

20世紀、プロダクトデザインは人に仕える道具しかデザインしませんでした。だから機能性が大事されたのです。しかし21世紀、テクノロジーが進み、人と対等な道具をデザインする時代になりつつあります。奴隷や愛玩動物としてのロボットでなく、パートナーをデザインする時代なのです。

その点では建築デザインは一歩も二歩も先に行ってます。人と対等、いやそれ以上の空間というものがあります。たとえば聖なるものと対峙する空間や、デモクラシーを体現した空間──たとえば、ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂とかルイス・カーンのバングラデシュ国会議事堂など。

そこでは人間以上に空間が知性を持っています。アクロポリスもピラミッドも、もし人類が地球上からいなくても、聖なるものとしてずっとその地に存在しつづけるはずです。

それが概念を形にする、メタフィジカルな次元でのデザインの力です。

「Q.」がアクロポリスに相応する、とまでは言いません。が、リファインを重ねれば、その可能性は広がります。そんなこんな、新しいデザインの可能性を僕は「Q.」に見ているのです。

「やさしさ」もきっとメタフィジカルな次元でデザインできるんです、きっと。

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この原稿は、2006年11月26日に大幅に書き換えています。
最初に書いていたのは、メタフィジカルとアナロジカルの対称性。
しかし、それは現象の次元のアナロジー、メタな次元でのアナロジーの対称性というべきものでした。目に見えない部分の機構や物の成り立ちの部分に類似を見つける思考は、発明の源です。それでタイトルから書き換えています。


【リンク】Q.については以前投稿したこちらの記事を読んで下さい。図版もあります。
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by cabanon | 2006-04-04 23:33 | Comments(0)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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