藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
ハンカチ
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中原淳一(1913〜1980)はハンカチを3枚持ちなさい、と言いました。一枚は手を洗った時使うもの、二枚目は食事の際、膝の上に置く、三枚目は顔の汗を拭うのに使う。ひとから「ハンカチを貸してください」と声を掛けられた時に汚れたハンカチは差し出せない、と言うのです。

ハンカチは、単に手を拭く道具でなく、清潔感という価値観を他人と共有しあうコミュニケーションの道具です。伝える道具としてうまく使わないと素敵になるはずが不潔なったりキザになります。ハンカチ王子がもし「僕はいつも3枚持ち歩いています」とさり気なく発言したら、ハンカチはきっと完全復権するでしょう。

と言う僕は、小学校の頃ハンカチを持ち歩くのがイヤで、ズボンで手を拭いてばかりいました。
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by cabanon | 2006-08-31 10:20
 
GKスピリット
グッドデザイン・プレゼンテーション2006(26日まで)に行ってきました。
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会場の片隅で散髪してました。カプセル型ヘアカット店舗「QBシェル」。10分でヘアカットのQBハウスのための店舗です。で、ホントに散髪までするかっ、と思ってカメラを向けました。色物か際物か。しかしそうじゃなかったのです。

来場者の反応はけっこう冷たかったです。実演してるけど、みんなサッサと前を通りすぎていく。全体像は、僕の写真じゃ分かりづらいので「こちら」をクリックしてみて下さい。グッドデザインのノミネートページです(開かない方はこちらをご覧下さい)。デザインしたのはデザイン総研広島です。

デザイン総研広島は、GKグループです。このカプセル型ユニットは色物なんかじゃありません。メタボリズム直系なのです。1960年代GKの榮久庵憲司は菊竹清訓や黒川紀章らのメタボリズム・グループに参加します。そしてGKは道具から住宅や都市を発想するという考えのもとに、カプセル型住居のコンセプトモデルなどを次々と発表しました。その流れが脈々とこの簡易型散髪ブースに流れているのです。

そういえば、黒川紀章がカプセル建築として1970年大阪万博で設計した「タカラ・ビューティリオン」にも、GKは関わっています。あちらは理美容機器メーカー会社タカラベルモントのパビリオンで、QBハウスのキュービーネットとはHPを見る限り経営的に関係なさそうが、理容つながりということに「カプセル」の歴史を感じさせます。
これぞ40年後の空間道具化と言いましょうか。いまだに新領域デザイン部門というのに苦笑させられます。「歴史的」という意味では、会場中央に並んでいたグッドデザインの名作より、僕はカプセル化の思想が21世紀の生活空間の隙間に入り込んで、しっかり息づいている姿を見て感動しました。
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by cabanon | 2006-08-25 23:04
 
今年も良い展覧会でした
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今年も益子へリビングワールドの仕事展(24日まで)を見に行きました。「風を待つ部屋」で昼間20分、夜も15分くらい過ごしました。


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もし、46億年でひと呼吸する宇宙人がいたら、僕らは彼らがフッと吐いた息を感じることができるだろうか? 逆に、彼らは僕らの息を感じることできるだろうか。

もし、0.1秒後の未来を視ることができる人がいたら、その人は予知能力者といえるだろうか?  1兆年先の未来だけを視ることができる人は、予知能力者といえるだろうか。

今という瞬間は、伸び縮みする。

現代テクノロジーは、0.001秒の写真判定とか、1秒間に1兆回計算するスーパーコンピュータとか、「今」という瞬間を縮ませてばかりいる。でもテクノロジーは、きっと「今」という瞬間の幅を伸ばすことにも使えるはず。伸ばされた「今」の中で、人は時間旅行ができるかもしれない。

「今、ここ」を限りなく0に近い特殊な点に仕立て上げ、その点を中心に時空間を細かく分節化し、世界を観測し、意味づけ・価値づけを行い、世界を再構築する運動が、モダニズムなのかもしれない──。放っておくとミクロもマクロもヒューマンスケールを遥かに超える。超えないように均衡を保つ知恵が問われている。

あの部屋で風といっしょに揺らいでいた一ノ瀬響さんの音楽と、風に舞うカーテンを思い出しながら、そんなことを考えました。
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by cabanon | 2006-08-24 02:39
 
京都にて
8/22京大での取材のあと1時間ほど周囲を散策。
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ざっと一雨降った後でスチームサウナの中を歩いてるようでした。

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タダ。しかも袋まで用意してくれてます。路地裏の家の玄関先で。
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美意識を感じます。
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by cabanon | 2006-08-22 21:15
 
わかりやすさ
むずかしいことをわかりやすく。

ライターとして常に心がけていることです。しかし、難解なことがなんでも簡単に語れる、と考える人たちには、強い違和感を覚えます。

「複雑 → シンプル」と「難しい → わかりやすい」は同じものではありません。

難しい思考を繰り返さないと先に進めないことはたくさんあります。
相対性理論やひも理論は、宇宙の仕組みを一般の人たちにわかりやすく説明する思いから生まれたものではありません。難解な数式を駆使して、宇宙の複雑な事象をシンプルな理論に統合する意志の中から生まれたものです。

「複雑 → シンプル」は、科学でもデザインでも基本です。科学者が複雑な事象をe=mc2のようなシンプルな方程式で説明することや、デザイナーがさまざまな矛盾する条件や制約をシンプルなコンセプトやシンプルな形にまとめあげること ── そこに美学が生まれます。科学の世界ではそれを「エレガンス」と表現します。

難しいことをわかりやすく語ることは、耳を傾けてくれる人への「礼儀」であり「思いやり」であり、なるべく遠くまで声を届かせたいという「欲望」であったりします。しかしエレガンスとは別次元の問題です。
未踏の地を目指す者は、難しいことを難しいものとして全面的に受け入れる覚悟と知恵がなければ、先に進めません。

わかりやすさや思いやりだけでは解決できない問題があるのです。たとえばパレスチナ問題を「5分でわかる!」と題して語って、どうなるというのでしょう。

複雑さに挑まねばならない時に、難解なものに背を向け、わかりやすいものだけを手元に引き寄せることは、思考の停止を呼び起こします。わかりやすければすべて良しとは、デザインの思考を深める発想でなく、モノを売りたい人の発想です。
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by cabanon | 2006-08-20 18:09
 
見出す力
優れたアノニマスデザインを見つけ出せる人が、ある意味優れたデザイナーでもある。

お世話になった方に『ブルータス』アノニマスデザイン特集をお送りしたところ、元『DesignNews』編集長の山田裕一さんからお礼のメールをいただきました。上は、そのメールに書かれていた一文です。うなずきました。

「見出す力」について、もっとじっくり考えてみることにします。
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by cabanon | 2006-08-18 10:24
 
デザイナーズ・アノニマス
有名デザイナーに推薦してもらったアノニマスデザインを「デザイナーズ・アノニマス」と名づけましょう。とすると、有名デザイナーが推薦する普通のデザインは「デザイナーズ・ノーマル」か?

デザイナーズマンションとかデザイン家電とかに、いささか飽きが来ている時代に生まれた、非常に現代的なレトリックです。「無名なデザイナーが一押しのアノニマスデザイン」展とか「普通の人がセレクトした普通の品物」展じゃお客さん入りませんよね。深澤さんだから、ジャスパー・モリソンだから、人は耳を傾けてくれます。で、鋭い人はそのレトリックに微かな矛盾を感じとり、オヤッ?と思って関心を持ってくれるのです。

矛盾は、バランスを欠くと瞬く間に胡散臭くなります。しかし微妙な力がうまく働き合うと、相反する要素が二重三重の多層構造に転化し、豊饒な世界を作り出します。

「結局セレブリティビジネスじゃん」と言われないようにするためには、ひとえに「優れたデザインは常に良心的である」という大前提を崩さないことにかかっていると思います。グッドデザインのグッドが美的である以上に倫理的なものならば、それを生み出すデザイナーはいつでも信頼できるってことになりますから。

こうも言えます。胡散臭さと良心的であることは紙一重です。ほら、スタルクとかコラーニとか。他にも名前を挙げたい日本の建築家とかデザイナーとかたくさんいるけど勇気がなくて書けません(褒めてるつもりですが誤読されそうで)。

アノニマスデザインを問うことは、無署名の讃美ではありません。僕自身、無署名原稿は絶対に書きたくない。(うっ、でも、ごくたまにギャラに誘惑され広告の無署名やってますが)。書き手としての責任をきちんと表明したいのです。『CasaBRUTUS』のように原稿に「Keiichiro Fujisaki」と英文でしかクレジットされないのも、なんとかして欲しいと思っています。日本語で原稿書いてんだし、日本の雑誌に日本語表記されないなんてUAがウーアと書かれてしまうようなものです。それくらい署名にはこだわってます。

アノニマスデザインを問うことは、倫理をデザインに引き寄せる術なのです。

と言っても、善玉デザイン礼讃は僕の好みではありません。これは少しばかり危険なことです。ヒトラーのように退廃芸術、退廃デザインとレッテル張りに腐心する連中は現れてきそうで。歌舞伎町の景観だって見ようによっては美しいのです。

僕が尊敬するのは、善悪の彼岸に自分を押しやり、常識とされている倫理や道徳の土台を問うことのできる人です。
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by cabanon | 2006-08-16 19:46
 
アノニマスデザイン特集
d0039955_013548.jpg宣伝です。『BRUTUS』 のアノニマスデザイン特集が発売中です。「アノニマス=作者不詳」のデザインといっても、現代の工業製品は、ほとんど誰かデザインした人がいるわけです。それを無理やり無名だとか無銘だと言って喜んでいるわけではありません。
今あえてアノニマスデザインの魅力を語ることに、どんな意義があるのか? 僕はアノニマスデザインの定義づけの原稿から、デザイナーがなぜアノニマスデザインを好むのかという考察、さらには画鋲や風呂敷、ディレクターズチェア、ソムリエナイフなのアノニマスデザインの名作話、そして、ドイツ取材のDDRデザイン発掘の旅など22ページ分、書いてます。
ちなみに、DDRを検索していたら、Dance Dance Revolutionの略でもあるらしい。知らなかった。今回のDDRとは旧東ドイツのことです。

僕の担当した以外のページも面白い。MoMAで開催された1934年のマシーンアート展の話、キューバのデザイン、フランスの囚人のデザインなどなど。有名デザイナーにアノニマスデザインを推薦してもらうという「おいおい結局『BRUTUS』はセレブ好きなんじゃん」とツッコミを入れたくなるページも、えっあの人がこのプロダクトで来たのかと、隅々まで読み込めます。川崎和男さんのセレクトに意表をつかれたり。ぜひ、ご覧下さい。


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ヴィッテンべルク歴史の家の展示室。1980年代東ドイツの一般的家庭のキッチンを再現した部屋。
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by cabanon | 2006-08-15 00:21
 
スタイルとテイスト ver.2.0
細分化を繰り返す傾向がテイスト。
統合を目指す傾向がスタイル。

テイストは受け手の趣味の傾向。
スタイルは作り手の表現の傾向。

絶え間なく細分化し多様化する受け手の趣味の傾向から、スタイルが生まれ、統合を指向し、スクールとなり、芸術運動となり、時代様式となる。

表現者のスタイルは基本的にひとつ。表現の幅を広げることは大切だが、ブレは禁物だ。その表現者が受け手となる時は、テイストはいくつも持ってもよい。今日は中華、明日はイタリアン…みたいなもの。好奇心の源は枯らしてはならない。

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1年前に書いた「スタイルとテイスト」の話はこちら。
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by cabanon | 2006-08-12 19:44
 
お疲れさま
使い終わりました。
よかったです。コクヨのパラクルノ。
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このノート、昨年グッドデザイン金賞受賞し、グッドデザインのイヤーブックのために取材したのですが、その時コクヨからもらったものです。ページをめくりやすいように、上下に向きが逆の斜めカットがついているのがミソ。パラパラとページを繰るからパラクルノです。

使い始めの頃は、なんとなくめくりやすいかなと感じる程度でした。正直、金賞って程のことはないだろ、と思ってました。しかし使い込んでいくうちに考えが変わります。あれ、あのメモどこら辺に書いたかなと探す時などに、この斜めカットの便利さが実感できる。小口が指の腹に馴染むのです。80頁と通常のノートより厚めですが、きっとこれくらい枚数がないと、斜めカットのめくりやすさが実感できないのでしょう。ただA5で525円という価格がネックですね。

ご覧のようにボロボロです。ここまでボロボロにさせてしまう人も珍しいかもしれませんが、言い訳しておきますと、僕はトートバックで一眼レフデジカメといっしょに持ち歩いているので、斜めカットの部分がどうしても折れてしまいます。でも、なんか使い込んだ辞書のようでいい。そろそろ下の青のノートに交替です。

いまネットで調べたらパラクルノ・ミニというのも先月発売されたようです。「パラパラ漫画を描くのに最適」だとかw。値段も安いし、見つけたらメモ帳と使ってみようと思います。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-08-10 12:46


Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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