藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
3Dプリンター
東京ビッグサイトへ産業用バーチャルリアリティ展(29日まで)を見に行きました。
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産総研の「フル体感型インターフェース」が面白かった。2年前に発表した手で握るサイズだった力覚提示装置ジャイロ キューブ センサスを一気に指先でつまむサイズにまで小型化したもの。つまんでいると前に引っ張られたり、後ろに押されたり、横に押されたりする感覚が指に伝わる。内部に備えられた回転体の動きを制御することで、人間に押されたり引っ張られたりする錯覚を与えるものです。

まだ手の動かせる範囲は制限されているものの、従来のアームやワイヤーを使ったハプティックインターフェース(力覚提示装置)より、手の動きの自由が利きます。指先につまんだ装置の位置をパソコンディスプレイの横に設置したセンサで読み取って、ポインティングデバイスとして使うことで、画面の中の水玉を触ったり、動かしたり、そんなデモを体験した。位置読み取りも内部の機構で行なえれば、面白くなりそう。長く持っていると回転体の振動で指の感覚がおかしくなってしまいそうですが、いろいろ改良してWiiのコントローラなどに応用できるといいかもしれません。

他にヘッドマウントディスプレイを使ってクルマの実物大CGを検証する装置などを体験しましたが、僕が興味を引かれたのは、同じ会場で開かれていた「設計・製造ソリューション展」に展示されていた3Dプリンターやラピッドプロトタイピングの機器の数々でした。コーヒーやコーラを紙コップで出してくれる自動販売機のような機械が、ABS樹脂の立体物を自動的につくってしまう。データを用意してクリックひとつで、というのがまさにプリンター感覚です。それらが300万円くらいで買えてしまう。大学のデザイン系の研究室にどんどん導入して学生が気軽に使えるようにすると新しい発想が生まれてきそうです。

立体物をつくるシステムは多岐に及んでいました。光造形の機器もあります。レーザーを金属粉末に当てて金属の立体物をつくったり、積層させた紙で立体をつくるものもあったり、モック用の合成木材を削ったり、インクジェットプリンターのカラーインクで着色しながら石膏で立体物をつくる3Dカラープリンターもありました。
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エンビジョンテック社(ドイツ)の高速光面造形装置による作例。
輸入元:シーケービー


形をつくるプロセスが大きな革命期が訪れているような気がしました。今まではこうです。手でつくった造形には手でしか出せない味がある。コンピュータによる造形はさまざまな複雑な面を可能にしたけれども、どこか面自体が3DCGっぽい。手は手、コンピュータはコンピュータだから、同じ滑らかな面でもブランクーシの面はコンピュータでは絶対発想できない。

しかし、手の造形とコンピュータの造形、一点物の面と量産品の面の間の境目が、どんどん消えつつあるようなのです。

手でまず自由に原型をつくり、非接触の3次元形状測定装置を使い、それを3Dデータ化する。本ブログのコメント欄でbkbさんが指摘していたようにフランク・ゲーリーもこうしたリバースエンジニアリングを建築に応用していました。3Dプリンターはさらにそれを押し進めます。画面の中でデータを修正して、もう一度画面の外に出してしまえる。モノとして再度、感触や面質を検討し、今度は手で削って修正できる。で、それをまた3次元形状測定装置で3Dデータ化する。その繰り返し……。

最近のいくつかのクルマの面に、彫刻的でも彫刻とは違うという不思議な印象を受けることがあります。たしかに人間の手から生まれた面だけが持つ表情をしているけれども、ノイズがまったくない。雑味がない官能性。それはきっと、こうしたプロセスから生まれた面なのでしょう。

まだまだこうしたプロセスは、主に金型づくりに使われたり、量産に適したフォルムを効率よく生むためのものです。時間やコストをなるべくかけずにノイズを消し、複雑な形を製造しやすい形に変換する技術です。しかし、逆に手が発するノイズをうまくすくい取る技術にもなりえる。スケッチを描き、それをもとに模型をつくり、といったプロセスの中に残る手の痕跡を、手づくりでは決して実現できない規模で形に変換する手段──。おそらくゲーリーはそういうことをしているんでしょうね(彼が使っているのは3次元形状測定器だけですが)。

限定生産や一点物(ワンオフ)などの効率優先を少しゆるめられる世界ならば、手のノイズをコンピュータで増幅した新しい造形が生まれるでしょう。形がリアルとバーチャル(現実ともうひとつの現実)の間を自由に何度も行き来するプロセスの中から、アーティストたちが新しい彫刻の概念を生むかもしれません。

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紙でできたモックです。
紙は触感の確認に向いているようです。
微妙なカーブの触感が倍加され伝わってくる気がしました。
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キラコーポレーションの紙積層装置 KATANAによる作例。

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-06-29 11:46
 
くぼみ傘
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先々週の木曜日、表参道で雨に降られて、深澤直人さんデザインの±0の傘を買いました。講義でこの窪みの話をよくするので、突然の雨に「そうだ±0のショップが近いし、やっぱり自分で使ってみなくちゃ」と思ったわけです。使い勝手はいい……というか極めて「ふつう」です。それが狙いだということはわかっています。ワンタッチ機構もありません。

4200円はやはり高いと思いました。素材感に特別さがないため、傘本体に1000円、窪みに3200円払っているような感じです。たしかに柄に付いた窪みは楽しいです。握っていると窪みをつい親指でクリクリいじる。まだ窪みに買い物袋を無意識のうちに掛けて交差点で信号待ちするって行為まではアフォードされていません。雨がやんでレジ袋を持っているという状況が訪れてくれないので。

色がとてもいい。地味な色ですが、いやいや、そんなことはない。明るいのです。柔らかい光が透過して、洋服の色が映えます。じめっとした季節にはこの明るさがうれしい。

ただし、父の日や母の日のプレゼント──もうとっくに過ぎてしまいましたが──にするには、この窪みの楽しみは微妙すぎますね。「環境側に情報が埋め込まれていて、モノが行為を誘発するっていうのがアフォーダンス。この窪みがその典型例さ」っと説いても、分からない人にはさっぱりでしょう。それより高級感のある柄や生地を使った傘のほうがいいって話になる。といっても、高級な傘はもっと高価です。

大事に使いたいと思います。いつかこの窪みが思いもしない使い方をアフォードして(与えて)くれるかもしれません。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-06-26 17:12
 
本日は雨
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梅雨は嫌いですが、梅雨らしくないのもなんだか…。雨が降ったほうが彩りが増す季節なんですね。資料探しに行った紙の博物館の帰りにちょっと脇道へ。王子駅前さくら新道にて。
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by cabanon | 2007-06-22 22:46
 
地下通路のギャラリーはむずかしい
happi Tokyo Station展(6/17まで)を見に東京駅へ。丸ビルと新丸ビルの間に新しくできた「行幸地下通路」が会場です。参加デザイナーは五十嵐久枝さん、榎本文夫さん、小泉誠さん、寺田尚樹さん、南雲勝志さん、藤森泰司さん、村澤一晃さん、若杉浩一さん(内田洋行)の8名。仕掛人は内田洋行のデザインチーム。8名のデザイナーが4つのチームに分かれ、JR東日本、日立製作所、日本サムスン、内田洋行と4つの企業がコラボレーションし、4つのプロジェクトが発表しています。テーマは「結びのデザイン」です。
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どれも丹念なリサーチから始まっているので、提案に説得力があります。南雲勝志さんと藤森泰司さんとJR東日本研究開発センターフロンティアサービス研究所のプロジェクト「鉄結」は、千葉県にあるJR東日本久留里線の馬木田駅を題材に、これからの無人駅のあり方を提案するものでした。ベンチやユニット化された駅舎、そして運行情報や地域情報を流す「ITかかし」。いずれも絵空事でなく、現実性をもった、骨太の提案です。メンバーたちの本気度はこのプロジェクトのウェブサイトを開設していることからも伝わってきます。

五十嵐久枝さんと大治将典さんと内田洋行が提案する子どものための折りたたみできるマットやパーティションなどの家具もとても楽しく、もうすでに幼稚園にあってもおかしくないようなクオリティの高い提案です。

ただ、ITに絡めようとした地点で、現実味が薄くなる提案が多々見受けられました。日立ヒューマンインタクラションラボと榎本文夫さんと寺田尚樹さんの提案する4つのオフィステーブルは自然に人がITと接し、さらに人のぬくもりや自然の変化につながっていく、というものでした。MITメディアラボの石井裕さんが提唱する「タンジブルビット」の考え方を受け継いで、実際にオフィスで使われる製品としてその世界観を実現していこうとするものです。

しかし、いささかITを過信しているところがあります。手を置くと映像で波紋が出て、他の人と波紋が重なり合うから、ゆるいつながりの意識を高めるという口上には、「な、わけないじゃん」と誰かがちゃんとツッコミを入れるべきでしょう。「もしかして、つながれるかも。つながれば幸せ」というデザイナーの希望的観測だけで提案されたインターフェースが輝きを放っていた時代はもう過ぎています。逆に榎本文夫さんがギャラリートークで語っていたように「テーブルを題材に選んだ時点で、すでに結びのデザインというテーマは満たしている」という認識の上に立って、あえて木の模型でパーティションをつくって、“ゆるい拒絶” をデザインするほうが、よっぽど現代的なアプローチです。

デジカメで撮った大切な記憶を保存したSDカードをしまってネックレスにする木の箱をつくるという提案もありましたが、商品として考えると全く現実性の欠ける提案です。デザイナーの思いだけが先行してしまっている。大切なデータを入れたSDカードを木の箱に入れて引き出しの中にしまうということはあるかもしれませんが、木のペンダント型ボックスに入れて首からさげて持ち歩くというのは、現実にはありえません。木工所に行ってつくっていくプロセスの中にいろいろな発見があったからいいじゃないか、というのなら、作品を公に発表する必要もなく、実習型勉強会で終わらせればいい。

ITがあれば、情報や記憶が共有できて、みんなつながって、便利で安全で楽しい世の中になる、というオプティミスティックな世界観に距離を置いて、ITを使いこなす発想が今求められているような気がします。

……と辛口に書きましたが、ほとんどの作品が提案で終わらせるべきではないほど、よく練り込まれたクオリティが高いものです。見る価値はあります。
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が、会場がいただけません。結局「地下通路」です。誰に向けて作品を発表するべきかを計算して会場選びをするべきです。新丸ビルに来る客が流れてくるわけでもなく、内輪の人脈に対して勉強会の成果を発表するというイベントになっていました。

しっかりした成果をつくったのだから、ちゃんと世に知らしめるべきです。秋の東京デザイナーズウィークあたりで、海外のジャーナリストも迎えられるフォトジェニックな会場を借りて、もう一度発表し直したほうがいいじゃないでしょうか。じゃないと、もったいないです。


で、その後、銀座のgggで「廣村正彰 2D⇔3D」展へ。サイン計画などが中心。サイン計画の写真展示を見てると実物を見たくなりました。横須賀美術館に行こぅ!
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by cabanon | 2007-06-16 23:05
 
エイドリアン・フォーティー公開講義
昨日(6/15)東大へ『言葉と建築』『欲望のオブジェ』などの著書で知られるロンドン大学バートレット校教授エイドリアン・フォーティー氏の公開講義を聴きに行きました。講演のテーマはアーキテクチュラル・インパーフェクション(建築における不完全性)です。

フォーティー氏は、コンクリートは不完全なる素材と問題提起した上で、まず西洋における完全性・不完全性の系譜をサクッと説き明かします。自然と芸術を区別し、自然を不完全なものとし、そこに完全性をもたらすのが芸術としたアリストテレスから、人を圧倒する不完全性に崇高さを見出した偽ロンギヌスの『崇高論』へ、そしてゴシック建築のサベージネス(獰猛さ=行き当たりばったりが生んだ破調の美とでも言いましょうか)に美を見出したラスキンを語ります。

近代建築のコンクリートの不完全さの例として、二人の巨匠の例が挙がりました。ラ・トゥーレット修道院やユニテ・ダビタシオンに見られるコルビュジエのコンクリートの粗野さ。もうひとつはコンクリートの仕上げに非常にこだわったルイス・カーンのソーク研究所の壁面に現れるコンクリートのシミや小穴。フォーティー氏はそれを偶発的不完全性と語ります。

超訳的な解釈を交えて書きます。コルビュジエにしてもカーンにしてもその建築には建築全体をコントロールしようとする確固たる意思が存在します。しかしコンクリートはその素材の性格上、人の意思が届ききらない部分がある。名品にはそこに幸運の偶然(ハッピーアクシデント)が現れる。必然と偶然の接する境目に、コンクリートの本質を見るわけです。

さて、ここでという感じで、ビール缶の写真が出てきます。日用の工業製品は完全だというわけです。産業プロダクトはどれも機能的にも完全であることが求められる。もし新車を買って少しでも傷がついていたら、返品しますよね、と。大量生産の日用品との対比の中で、建築は工業的でありながら、完全に産業プロダクトになりきれず、むしろ工芸的な側面があることを、フォーティー氏は浮き彫りにしていきます。

さらに、不完全性に根ざした素材でありながらコンクリートを、現代の建築家がそれを完全な素材として扱おうとする努力する傾向を指摘し、その理由を分析していきます。そしてフランス人建築家ポール・ボッサールの仕事を例に、コンクリートの不完全性を利用するクリティカル(批評的な)使い方が産業社会への批評となることを語ります。

コンクリートをインパーフェクトマテリアル(不完全なる素材)というより、クリティカルマテリアルといったほうが、フォーティー氏の論点が分かりやすくなると思いました。完全性と不完全性を行き来できる素材であり、その自由さゆえ、そこに批評や時代精神が、時に意図的に、時に偶発的に現れる、というわけですから。

他にゴダールの映画を引用したり、ロン・アラッドのコンクリートステレオが出てきたり、フォーティー氏の話は知的な刺激に溢れるものでした。で、フォーティー氏の示す枠組みの中に、日本をどう位置づけていくか、考えながら聴いていて、僕はトヨタを思いました。

フォーティー氏は不完全性の一例として「楽焼」を挙げていました。言うまでもなく日本には、利休の茶道など不完全性に美を見出す伝統があります。しかし日本にはトヨタもある。機能の完全性を追求するインダストリーの究極の姿です。製品だけでなく製造工程まですべてのディテールがパーフェクト。日本って、もしかして完全性への意志においても不完全性への意志においても世界的に傑出した特異な国なのかもしれません。それはそれで西洋の系譜とは違った枠組みが描けそう。そんなこと講演の帰りに思いました。



* 公開講義で貴重な講演を聴く機会をつくっていただいた東京大学工学部建築学科の方々に感謝いたします。

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おまけ。東大工学部でテポドン発見。
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by cabanon | 2007-06-16 11:26
 
南青山のモノル住宅
取材先のデザイン事務所へ行く途中、昨年クローズした IDEE(イデー) SHOP 本店の建物が完全になくなって、駐車場になっていることを知り、少し驚きました。そのおかげで岡本太郎記念館の外観がよく見える。
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おっル・コルビュジエのモノル住宅だ、と思って、家に帰って調べたら、コルビュジエのお弟子さんの設計でした。坂倉準三が、1953年に岡本太郎の住居兼アトリエとして建てたものです。

モノル住宅は、コルビュジエが1919年に提案したゆるかなヴォールト屋根(かまぼこ型屋根)が横に並ぶ姿に特徴があるコルビュジエの住宅デザインの原型の一つです。森美術館の展覧会で再現されているコルビュジエのアトリエも天井もゆるかかな円弧を描くヴォールト天井でしたから、坂倉は師匠のアトリエを思い描いて岡本のアトリエを設計したのかもしれません。駐車場に建物が建つのはきっと時間の問題でしょうから、外観を鑑賞するなら今のうちです。

で、岡本太郎記念館に寄って「タナカカツキの太郎ビーム!展」(7/29まで)を見る。岡本太郎の描きかけのキャンバスに、アニメーションを投影した作品が面白い。
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アトリエで撮った写真。「大衆に親しまれた」という意味で、太陽の塔に並ぶ太郎デザインの名作ですね、これは。
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by cabanon | 2007-06-15 11:01
 
42.9°C
今日(6/12)は暑かった。神田錦町の竹尾本社で取材のあと秋葉原探訪。有名な?ドンキの温度計にはありえない数字を示してました。夏場は53°Cとかになるそうです。
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倉俣史朗のデザインのカフェ「ピアチェーレ」は完全に物置になってました。カナシイ。
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by cabanon | 2007-06-12 22:58
 
インテリアライフスタイル展についてあれこれ
金曜日、最終日のインテリアライフスタイル展@東京ビッグサイトへ。会場でいちばん人が賑わい目立っていたのは、アッシュコンセプトとその仲間たちのブース「koncent(コンセント)」でした。そのブースの中には、佐藤可士和さんがロゴをデザインするなど最近話題の今治タオルのコーナーもありました。
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具体的にアッシュコンセプトが今治タオルのプロジェクトにどのような関わり方をしているのか、と今治タオルの方に訊いてみました。すると「答えられません。記事に書かれたくない部分ですので」と冷たいお答えが……。僕が腕に巻いていた「報道」の腕章を見て警戒されたようです。

少し食い下がると「そもそもデザインというのは形をデザインするのではなくて、ものづくりの仕組み全体をデザインするということですから、見えない部分があるのです。アッシュコンセプトさんにお手伝いしてもらっているのは主にそういう部分です」。

講釈はいいからもっと具体的なことを話してほしいのに。と、短気な僕は少しいらつきましたが、よくよく考えてみれば、販売促進担当者が、デザインとは色や形を決めることだけでない、と語ることはスゴいことです。デザインとはものづくりの根幹に関わることだ、生活者と生産者をつなぐ新しいチャネルとしてブランドを育てていく価値創造の手段だといったことを、デザイナーがメディアに対して語るのはごく普通のことですが、それを販促マンがジャーナリストへ語るようになったのです。こうした「コンセプト」を営業の人の頭の中にまで完全にインプットさせている、アッシュコンセプトの名児耶(なごや)秀美さんのプロデュース力はかなりのものです。

このブース自体が、プロモーションまでちゃんとデザインしますという姿勢の表れです。アッシュの「コンセプト」がつなげた企業を「コンセント」のようにつなぎ、ひとつのブースを形成し、で、実際そのブースが会場で最も目立って、たくさんの人を集めていましたから、企業の方はアッシュコンセプトが提案したデザインコンセプトに確信を得ている様子でした。

といっても、ブースの中の新作はモノとして印象に残るものが少なかった。アッシュコンセプトがプロデュースするような、アイデア先行のデザインプロダクトを、僕は「デザイナーズ王様のアイデア」と呼んでいます。多少皮肉を込めているつもりですが、悪い意味じゃありません。実際僕はアッシュコンセプトの石けん置きと傘立てを愛用してます。最初にアッと驚かせ、でも長く愛着を持って使える。でも、王様のアイデア探しは難しいものです。優れたデザイナーの知恵を集めて見つけようとしても、アイデアの王様はそんなにたくさん落ちているものではありませんから。

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印象に残る製品としては、深澤直人さんデザインの±0の新製品コーヒー&ティーメーカー。写真で見るより、ずっと美しい。勝手にニックネームをつけると、ザ・フォルム。ふつうじゃないです。均整のとれた静かな佇まいは…。「ああこれが深澤さんの言うスーパーノーマル」ってと納得がいくフォルムです。ただし、モックだったため触らせてもらませんでしたし、コーヒーや紅茶がおいしくいれられるか、洗浄は楽チンか、など判断しないと、「デザイン」としてはなんとも言えません。が、とにかく「フォルム」は美しい。

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Modern design for All。上段左に黒いコーヒーメーカーがあります。
大胆な形も見えなささ加減もステルスしてました。

秋田道夫さんのデザインの「Modern design for All」の初お披露目。IH調理器(下段左)がよさそうです。縦に収納できるので、鍋の時のコンロや、煮込み料理をしながら他の料理をつくるときなどに使う、もうひとつのコンロとして買おうかなと思いました。

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あと柴田文江さんのカトラリーも印象深い。柴田さんの「形」です。ふくよかでやさしい。現代のプロダクトデザイン界で、形を見て「あっこれは誰々さんのデザインだ」と判断できる人はだんだん少なくなって来ています。BMWのクリストファー・バングルとか、カーデザインではそういうのがあるかもしれませんが、クルマのことはあまり詳しくないもので。柴田さんの生み出す形は柴田さんしかできない形です。けれど、「私を見なさい、美しいでしょ、個性的でしょ」という押し付けがましい自己主張じゃない。そっと口に入れたくなるような、つい触れてみたくなるような、相手を誘い込む「形」。そこに奥深い魅力を感じます。
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「nagomi」燕振興工業 まだ発売はされていないようです。


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で、これはどうなんでしょう。
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和紙ライトオブジェ 高さ47センチ。120万円!
京都のWA-Qu(和空)がプロデュースしたDisney+WA-Qu展のブースより。ブース内には6名の京都のデザイナーがディズニーとコラボレートした漆器や手拭いや照明具などが並んでいました。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-06-09 13:35
 
この動画はスゴい
ISSEY MIYAKEのウェブサイトで、A-POC INSIDEのために佐藤雅彦+ユーフラテスが制作した動画が公開されています(via dezain.net)。傑作です。先月、アクシスギャラリーで行なわれたISSEY MIYAKEの藤原大さんの講演を聴きに行ったとき、先行公開で見たのですが、ホント見入ってしまった。ミニマムなエレメントを魔法のように駆使して、2次元、3次元、4次元を自由に行き来します。もう少し具体的に言うと、文字と点と線による単純なモノクロ2次元が、人の記憶と認知に訴えかける動きや輪郭を加えられることによって、驚くほど豊かな4次元の膨らみを持つ──。いや、解説不要。とにかく、見てください。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-06-07 22:36
 
頑張れ! スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー
昨日(月)、映画「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」を観ました。ヤバいです。

興味深い内容でした。けど観客は12人。少なすぎて数えちゃいました。渋谷・Bunkamura ル・シネマの単館上映。公開3日目。夕方17時30分の回。非常にいい映画なのに、あり得ない。学生らしき若い人がいない。宣伝不足でしょう。僕は六本木に貼ってあったポスターを観て公開日を知ったのですが、でも、建築系メディアなどへのプロモーションが足りないのかもしれません。

観に行きましょう! じゃないとあっと言う間に公開終了になってしまいそう。昨年、同じ渋谷で公開されたルイス・カーンの映画「マイ・アーキテクト」は、たくさん人が入っていたのに……。

「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」は、息子が父探しをする「マイ・アーキテクト」のような濃い人間ドラマではありません。正統派のドキュメンタリー映画です。5年間ゲーリーを追いかけ、ゲーリー本人や友人、批評家、クライアントなどの証言で、ゲーリーという建築家の創造の秘密に迫ります。迫った人は「トッツィー」や「愛と哀しみの果て」などで知られるシドニー・ポラック。時にポラックがハンディカメラを持ってゲーリーに直接インタビューします。ゲーリーとポラックは以前から友人だったようで、相手がポラックだからリラックスしてしゃべっているという感じが画面から伝わってきます。同時に、なんかちょっと歪んでるゲーリーが巧みに映し出されていきます。

ゲーリーは35年間サイコセラピーに通っているようです。ポラックは、ゲーリーの精神の遍歴と、建築家としての経歴を重ね合わせます。ゲーリーは神戸やバルセロナに巨大なサカナのオブジェをつくったり、サンタモニカに巨大双眼鏡をつくったり、トンデモ作品もたくさんつくっています。ラディカルさが評価された建築家でしたが、作家として不安定でトンデモに振れてしまうこともかなりあったのです。1989年60歳の時の、ヴィトラ家具博物館が転機となりました。不定形で曲線を多用する今のゲーリー建築が生まれます。そして1997年68歳の時に大爆発。建築界のみならず広く世間を驚かせたグッゲンハイム美術館ビルバオが竣工(開館は98年)します。以降作品は過激な形態のものが多いですが、作家としては安定期に入ります。で、今年78歳。こう考えるとゲーリーはかなり晩成の建築家です。

ポラックはゲーリーの心の中の歪みが消えていくとともに、建築が創造的な歪みが生まれていることを、浮き彫りにします。そして、その時期に、たまたま急速に進歩したコンピュータテクノロジーが現れる。つまり、創造的な歪みを現実化する手段をゲーリーは手に入れるのです。自分のイメージを建築構造として実現するために、本人がコンピュータを勉強したわけではない。作家としての転機に、ピタッとはまるかのように、偶然コンピュータで設計する環境が登場するのです。

ゲーリーは幸運な建築家です。僕は生物の進化のプロセスを思い起こしました。突然変異が起こった個体が種として生き延びるには、外部環境が変異した種に適していないといけない。外部環境の準備が整っていないければ、どんなに革新的な変異も後に残らない。泥沼にチーターが生まれても意味がないわけです。

ゲーリーのグッゲンハイム美術館ビルバオは、ゲーリーの建築家としての内的変異と、コンピュータによる構造解析や模型を3次元データとしてスキャニングする技術の発展、チームワークで仕事をするスタイルの熟成、美術館の世界戦略の始まり、建築家のブランド化、といった外的要因が偶然重なり合って実現した。そこが面白いわけです。で、その幸運を、本人がやや戸惑いながら受け止めているところがある。そこをポラックのカメラがしっかりと捕らえています。ビルバオができたときにゲーリーはどう思ったか、とかとても興味深いコメントを発しています(ネタバレになるから書きません)。

他にも見所満載です。模型でどうやってイメージを膨らませているのかとか、時に若いスタッフにズケズケ物を言われるゲーリーの表情とか。証言者のラインナップいいです。生前のフィリップ・ジョンソン、批評家チャールズ・ジェンクス、ゲーリーに家を建ててもらったデニス・ホッパー、画家のジュリアン・シュナーベルは白いバスローブにブランデーグラスという、狙ったとしか思えない格好で出てきます。指揮者界の貴公子エサ=ペッカ・サロネン、それになぜかボブ・ゲルドフ。

観客は少なかったですが、僕も、前方の2、3人も思わず身を乗り出してゲーリーの言葉を聞いていました。おすすめの映画です。
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by cabanon | 2007-06-05 13:14


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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