藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
<   2007年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧
text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
大晦日の駒沢公園
d0039955_15125871.jpg
d0039955_15131932.jpg
山茶花が散り、梅が2〜3輪花をつけていました。応援団の声援を聞きながら10キロジョギング。抜かれまくりました。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-31 15:16 | Comments(1)
 
グレースフル・デグラデーション
『AXIS』の最新号が届きました。連載「未来技術報告」で、産総研の合体変形ロボット「M-TRAN」について書いています。このプロジェクトのリーダーの黒河治久さんに、「グレースフル・デグラデーション」(グレースフル・デグレデーション/graceful degradation)という素敵な言葉を教わりました。

直訳すると優美な減衰とか優雅な劣化という意味です。性能劣化が余儀なくされた場合でも、その劣化を出来るかぎり緩やかにとどめ、全体のシステムへの影響を最低限に抑えることです。何らかの故障や誤操作があってもシステムが正しく運行され、故障自体を修復してしまう自律分散並列システムをつくりだす「フェール・セーフ」や「フォールト・トレランス」の研究から生まれた言葉です。冗長性(リダンダンシー)やロバストネスにも深く関連します。

その話を聞いて、あっサッカーでもあるなと思いました。退場者を出したときとか、後半選手が疲れて動けなくなったときに、監督が選手を交代させてシステムを変更する。ベンゲル監督とか上手いですよね。

ネットで調べると「グレースフル・デグラデーション」はWebデザインの世界でも使われるようです。古い性能の低いブラウザでもコンテンツを表示できるようにすること。適切な低均化と訳すようです。Flashがないと見られません、なんていうサイトは、確かにグレースフルじゃありません。

サッカーのことが頭にあったので、elegant = graceful だと思ってました。1人退場者を出しても機能するのがエレガントなサッカーだとか。でも、金沢美術工芸大学の横川
教授にその話をすると、graceには恩寵という意味があって、elegantの優雅さとは違うという指摘を受けました。エレガントは科学的精密さと理論としての簡潔さ&明快さを併せ持つものに使われますが、グレースは神から授けられた恵みです。前者は能動的で後者は受動的です。

つまり、故障も誤動作も昔のブラウザで閲覧するユーザーも、審判のレッドカードの判定も神から恩寵として受け入れるというニュアンスが「グレースフル・デグラデーション」という言葉にはあるのです。


日本では高齢化社会が進展し社会が膠着化しつつあります。世界的に見れば地球温暖化や中国・インドの急成長、人口爆発などで環境が激変しつつあります。iPS細胞に代表されるように、科学技術はこれからも進歩し続けるでしょう。発展する国家もあるでしょう。しかし一方で、私たちは社会や環境の「劣化」を受け入れていかなければならない時代に来ています。その劣化を恩寵(グレース)として真っ向から受けとめる力が、いま人類に問われています。

劣化や減衰などと言うと、ネガティブな感じがしますが、そこに「graceful」とつける。ここに逆転の発想があります。衰えることが恩恵であるという発想に、私は21世紀を感じます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-30 18:21 | お気に入りの過去記事 | Comments(0)
 
今年買ったお気に入りの一品
コレは何でしょう?
d0039955_15255011.jpg

ヒント:日暮里で買いました。

答えはこちら
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-29 15:56 | Comments(2)
 
粟津潔展──さらしもの
12/1のことですが、金沢21世紀美術館の「荒野のグラフィズム:粟津潔展」(〜3/20まで)へ行きました。粟津さんのデビューから現在までを一望する大回顧展です。規模は昨年の川崎和男展と同じ。金沢でしか見られない展示というのも同じです。
d0039955_1815025.jpg
木の向こうに見える女性の肖像が阿部定


ポスターの部屋で圧倒されました。15分くらい立ちつくしていました。日宣美賞を受賞した実質的なデビュー作「海を返せ」(1955年)が唯一額装され、出口の上の特別な位置に配置され、その1点から粟津さんの世界が多様に増殖していったことが見て取れます。モナリザや阿部定の肖像にこだわるのも、「海を返せ」の老人が原点だったことがわかります。モチーフとしてアタマとテが執拗に繰り返される。

アタマとテをつなぐのがコトバです。コトバは文字だけではありません。視覚言語もある。海亀や花札の図像、男女の交わる姿など、象徴的意味を発するイメージが立ち現れます。文字も右から左へ客観的事実を伝える道具としてでなく、歴史と地域を越え、人々の集合無意識をつなぐ象徴性を帯びたものとして扱われています。頭でコトバを生み、手でコトバを文字やイメージとしてグラフィック作品として定着させる。印刷物なのに、油彩の筆遣いのような、作家の身体の痕跡を感じました。

写真もよかった。「めざわり」を感じるんです。目障りって意味じゃありません。眼触り。眼で触ったものを撮っているという感じ。

カタログを紐解き、粟津さんが70年代に書いた文章に眼を通しました。「複製時代のことをグラフィズムとよぶ」──。印刷物だけでなくテレビ、日用品、ファッションなど、日常生活が複製物に囲まれた、それが「自然」になった状態。表層の中に暮らし、その表層が内実が宿る世界。ヴァルター・ベンヤミンは複製技術がオリジナルの芸術品に宿ったアウラを急速に消失させたと指摘しましたが、粟津さんはグラフィズムにおいて「ベンヤミンの意見とは逆に」、複製物にアウラが宿ることを実証しようとします。その試みの表れがこの展覧会に頻出する「阿部定」のモチーフです。犯罪者の肖像を今更しつこくさらしてどうするんだ、と思いましたが、さらすこと、つまりexpose(露出する、陳列する)を主題にしているのだから、その批判はピントのずれたものでした。

作品の奥底から発するアウラでなく、さらすことで何かまとわりつき、それがアウラとして作品を覆う。まとわりつくのは社会の奥底に流れる欲望。これはウォーホルのマリリン・モンローと同じ構造です。粟津さんの作品は、スターのアウラと犯罪者のアウラは本質的に同じものだというのを気づかせてくれます。

違うのは、阿部定の図像の場合は、欲望というより業(ごう)といったほうがいいこと。マスメディアによって増殖する大衆の業の深さが、阿部定の業の深さと鏡のような関係となっている。対照であっても対称とはいえず、猟奇の美女の肖像にまとわりつく複製社会の業のほうが強烈で、阿部定の肖像自体は、性格も情念もはぎ取られ、整った顔立ちの女性ならもう誰の顔でもよく、ますます空疎なものになっている。それが痛々しい。

といってもミュージアムショップに売ってた阿部定Tシャツは買う気がしませんでした。さらすことの意味を問うのは美術館や映画館や小説の中だけにしとけばいい。街中にさらすのはどうかと。もう安らかに眠らせてあげるべきかなと。

いい展覧会です。戦後の日本デザインを語りたいなら、見ておくべきものです。

それと祖父江慎が装幀を担当したカタログがいいです。粟津さんへのオマージュともとれる斬新なタイポグラフィで粟津さんがかつて雑誌等に寄稿した文章を組んでいます。実験的だけど判読性がまったく損なわれていない。テキストを読み込んで大胆なことをやっているというのがよく分かる。一般書籍扱いなので、書店やAmazonでも購入できます。『粟津潔 荒野のグラフィズム』(フィルムアート社)

【関連リンク】粟津潔さんのオフィシャルHP
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-28 18:22 | Comments(0)
 
MUJI AWARD金賞のタオル
d0039955_1422527.jpg
すっかりご無沙汰しておりました。えらく忙しく、投稿したい話はあったのですが、更新のタイミングを遅れて、放置してました。それで年末恒例! ネタ一挙蔵出しを行います。(ぜんぜん恒例じゃないけど)。第一弾はMUJI AWARDの話です。

12/14、無印良品有楽町で開かれたMUJIのクリスマスパーティー兼MUJI AWARD授賞式に顔を出しました。帰りに出席者全員へおみやげが渡されました。金賞受賞作の「その次があるバスタオル」の試作品です。いろいろな方に使ってもらってモニターしてもらった上で製品化したいとのこと。授賞式で良品計画の金井専務に「なんでこの発想が今まで無印良品のラインナップになかったのだろうと思った」と言わしめた作品です。
d0039955_1461881.jpg
授賞式にて。右が金賞「その次があるバスタオル」の
作者NIIMI[新見拓也 新見祐紀]さん

d0039955_148170.jpg
さっそく使ってみました。何の変哲のないバスタオルですが、バスタオルとして引退させる時期に来たら、格子状の部分をハサミで切って、足を拭くバスマットにしたり、雑巾にしたりできます。誰よりも早く切ってみようと思って、もらった翌々日には切りました。
d0039955_14104291.jpg
格子状には3列に直線縫いが施され、真ん中を切れば、パイル地はほつれません。
d0039955_1484535.jpg
d0039955_14124333.jpg
ただ、上の写真のほつれが最初の洗濯の時に糸くずになって、他の洗濯物に絡んでしまいます。パイル地がほつれるわけではないので、あらかじめ洗濯の前に処理しておけば済むことですが…。

肌触りは良好です。4列分あるのですが、3列分でも十分バスタオルで使えます。僕はジムで使ってます。

カラーバリエーションが欲しいと思いましたが、無印良品ですからやっぱりタオル地は「素」の色ですよね。36色とか100色とかないでしょうね。せめて、格子の部分に縫った糸を赤にするとか、ブルーにするとか、糸でカラーバリエーションをつけてもらえるとうれしいです。そしたら一度に何枚も買いそう。白いタオルは好きなんですが、目印がないと、ジムに持っていくと風呂場のロッカーで他の人に間違われてしまいそうで…。自分でカラーの糸を端っこに縫いつければいい話なのですが。

リユースを誘うデザインといいましょうか。黄ばんだから傷んだからといって決して捨てられない製品ですね。大賞にふさわしいと思います。毎年正月にまっさらのバスタオルを買って、年末大掃除のときに、チョキチョキやって、雑巾として使い倒して天寿を全うさせ、また正月にまっさらのバスタオルを下ろす……なんてできたらいいですね。1年サイクルじゃちと早いか。

※ 受賞作を展示した MUJI AWARD 02展は無印良品有楽町3階ATELIER MUJIにて1/13まで開催。その他の受賞作や審査員のコメントは MUJI AWARDのHPへ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-27 14:23 | Comments(2)
 
偽と人為とデザインと。
おとといでしたか、今年の漢字が発表されてました。「偽」だそうです。それを伝えるNHKの番組で「ことばおじさん」こと梅津アナが、偽は「人」と「為」からできた漢字。為には「つくる」という意味がある、とおっしゃってました。

人がつくるってことは、偽はデザイン? と見ていた僕は思いました。

角川の漢和中辞典で調べてみました。「為」は、姿を現す「象」(しょう)と、偽の意味の語源からきた「左」から成り、まねた姿、まねるの意だとありました。字義には、なす、おこなう、つくる、まねる、よそおう、はたらき、まなび、おさめる……などと書かれていました。

まねることが、人の為すこと、つくることの語源になっている「為」の意味深いです。人の為に人が為すことと考えると、さらに深い。「人為」ってまさにデザインだ。

じゃ「偽」もやはりデザインなのでしょうか。いや待てよ……。

「偽」は漢和辞典には「誠・真の反、自然でなく人為で、物やわざをにせること」とあります。ここでは「自然」と対比する意で「人為」を使っていますが、人為にも自然な人為と、自然じゃない人為があるはずです。人の行為にも自然に生まれてくるものがある、とか言うと、アフォーダンスとか深澤直人さんの「without thought」とか村田智明さんの「行為のデザイン」みないな話になりますね。

偽と人為は、「人」の立ち方が違います。「偽」は人偏で、つくる人は不自然に片足で立っている。「人為」の人は両足を大地にしっかりつけて立ち、事を為し、物をつくる。そこが大きな違いです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-14 10:04 | Comments(2)
 
マイナス100万頭
遺伝子組み換えイチゴを植物工場で栽培して、犬の医薬品原料を製造する研究を取材しました。先ほどまで、その原稿に四苦八苦しておりました。「ペットフード工業会のHPによると、日本の飼い犬は1300万匹」と、取材した研究者が言っていました。一応、確認するためにそのHPへ。すると、最新データがアップされていました。2006年度の調査で日本で飼育されている犬は1208万頭だそうです。2005年度の調査が1306万頭でした。おやっ?と思いました。1年で100万頭近く減るなんて。チワワブームが去ったせいかな。それにしても減りすぎのような。何が起こっているのでしょうか。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-13 17:17 | Comments(0)
 
金沢のホテルにて
d0039955_21325242.jpg
こんな書き方をされると、シーツの交換を頼みづらくなります。良心の強制でコストダウンを図っているのかと勘繰ってしまいます。「地球環境保護のため」はトルツメですね。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-12-01 21:37 | Comments(4)


S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

Twitterもやってます!

*当ブログの奥座敷
KoKo Annex

ライフログ
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
ブログジャンル
リンクについて
当サイトはリンクフリーです。
お気軽にリンクして下さい。

本ブログの記事と写真の
無断複写・転載を固く禁じます。




Copyright 2005-2016 Keiichiro Fujisaki All rights reserved
本ブログの記事と写真の無断複写・転載を固く禁じます。