藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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このTVCMはスゴイ
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ヨーロッパで流れているソニーのBRAVIAのTVコマーシャルがスゴイです。監督はジョナサン・グレイザー。全部YouTubeへリンクします。
ウサギ
集合住宅
ピラミッド
ボール

やっとまとまった時間がとれるようになって、10月が提出期限だった桑沢のレポートの採点を今やってます。300人分に近いレポートひとつひとつにコメントを付けています(去年は時間がとれなくて採点のみ。コメントをつけて返すことができなかった)。テーマは例年通り「注目するデザイナー」。ひとりの学生がジョナサン・グレイザーのBRAVIAのTVCMについて書いていました。気になってYouTubeを見たら、僕も感動。Sさん、教えてくれて、ありがとう。
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by cabanon | 2008-01-30 17:25 | Comments(3)
 
ビジョンの視覚化
ビジョンをビジュアライズする。──と、原稿に書いていて、あれ?この表現おかしい、同語反復みたい、と思いました。しかしよくよく考えると、そうじゃないんです。ビジョンというものは、必ずしも視覚化されたものではない。

たとえば20世紀前半の未来へのビジョンの傑作──トニー・ガルニエの「工業都市」やアントニオ・サンテリアの「新都市」、ル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」、ノーマン・ベル・ゲッデスの「フューチュラマ」などは、ドローイングやジオラマという「見るメディア」として多くの人を刺激し、彼らの未来へ見方を変えました。

しかし今、未来はどんどん視覚化しにくいものになっています。フューチュラマは1939-40年のNY万博のGM館で展示されたハイウェイ網が整備された20年後(1960年)の未来のジオラマです。けれど、今から20年後の2028年のフューチュラマを製作するのは難しい。というか、つくっても意味がない。絵空事の便利で快適な未来生活を描いても、「環境問題どうするの?」「アフリカの貧困は放っておくわけ?」「それがホントに豊かなの?」「進歩だけを描いたユートピアは19世紀や20世紀の産物だよ」といった問いや批判が必ず発せられます。

笑顔の未来はトリミングされた未来です。トリミングされたものの中に、苦痛に顔をゆがめる人々が写っているのです。未来は多元化しています。数枚の絵に描ける未来など、とうてい信用できるものではありません。

しかし、ビジョンが失われたわけではありません。今も昔もその必要性は変わっていません。未来への展望があるから、万能細胞や燃料電池などの技術が進歩していきます。「未来はきっとよくなる」という信念なければ、科学も技術も発展しないのです。インターネットや携帯電話のように、私たちの暮らしを劇的に変化させるテクノロジーが今後も現れてくるでしょう。

20年前の1988年、ネットやケータイを欠かすことのできない生活をビジュアライズした人は存在しませんでした。しかし地球規模のネットワーク社会は、マーシャル・マクルーハンがすでに1960年代グローバルビレッジという考え方の中で予見していました。ウィリアム・ギブソンは1984年の小説『ニューロマンサー』においてネットに没入する人間の姿を描きました。ビジョンはすでにあったのです。(そうした動向をいちはやく視覚化したのは、デザイナーでも建築家でもなく、攻殻機動隊などアニメやマンガでした。)

グローバル化が進む中、未来のビジョンが一元化することは、世界が何者かによって支配されるということと同義です。ひとつの未来をみなが信じることがみなを幸せにすると信じられていた時代には、ビジョンは単純に視覚化は絵やジオラマや映画にまとめることができました。しかし、一点透視の予想図を全員で共有するだけでは、未来は切り開けなくなっています。

各地域の経済や文化を背景にした、自律分散型の未来が求められています。そしてそれらが協調して働き、環境問題や貧困の問題、エネルギーの問題に取り組んでいかねければなりません。

自律する者どうしが協調するには、互いのリソースを出来る限り公開し、議論を積み重ね、問題意識を共有し、ともにビジョンを構築していく姿勢が必要です。姿勢だけではなく、その姿勢を促す仕組みが必要です。

言語、映像、音、身体表現などを駆使し、見えないものを触知できるものに変え、多点透視の未来を描き出す能力。それが21世紀のビジョナリーに求められる資質だと思います。さらに加えて、その多点透視のビジョンをつくるために、才能あるビジョナリーどうしがコラボレーションし、直観とリソースを自発的に交換しながら、ビジョンを構築する仕組みまで構築すること──それが未来提案者の最重要課題になるでしょう。もちろんデザイナーだけの仕事ではありません。しかしデザイナーという職能が、この複雑なタスクで大きな役割を果たせることは間違いありません。

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本日(25日)AXISギャラリーのフィリップスデザイン展のオープニングレセプション前に行われた非公開のセッションの司会をしました。そのセッションのために事前に書いたメモ(結局、会場でこんな話はしませんでしたが)を整理してアップしました。

展覧会は2020年(トゥウェンティ・トゥウェンティ)を「スキン」というキーワードで予測した興味深いものです。説明してもらわないとわからないものがあるので、会期中毎日5時から行われるプレゼンを見たほうがいいでしょう。皮膚をディスプレイ化する提案「エレクトロニック・タトゥー」を体験するだけでも、行く価値があります。

その後、21_21の目玉展のオープニングへ。正直あまり期待をしてなかったのですが、面白かったです。世界各国のクリエイターの虹彩の写真が圧巻。吉岡徳仁さんがヤマギワとともに開発した照明「Tear Drop」がとてもいい。「ToFU」とセットで欲しくなりました。

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ベル・ゲッデスのフューチュラマの様子を伝える映像「To New Horizons」(1940年/23分)がネットにありました! フィリップスのデザイナーは、未来予測をHorizon1( 1〜2年後)、Horizon2(3〜5年後)、Horizon3(15年後/数字はうろ覚え)と三段階で考えていると言ってましたが、ネーミングはベル・ゲッデスのHorizonにかけているでしょうね、きっと。
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by cabanon | 2008-01-25 14:28 | お気に入りの過去記事 | Comments(0)
 
矛あっての盾。盾あっての矛。
「美しい矛盾」ということをずっと考えています。

矛盾の故事は、ご存じの通り「この矛はどんな盾でも貫く」「この盾はどんな矛でも防ぐ」といって矛を盾を売る者がいて、客に「ならばその矛でその盾を突いたら、どうなるのか」と問われて、返す言葉がなくなるという話です。

しかし、この商人はひどく愚かな人物です。もし機転の利く商人なら、矛と盾の対決で人を集めて見物料をとって儲けます。

ここで重要なのは「問い」を投げかける人がいることです。「問い」はチャンスです。商人が1人で「世界最強対決」と掲げて興行を打っても、見せ物小屋の刀を呑み込む男程度の集客力しかないでしょう。しかし衆人のもとで発せられた鋭い問いには、多くの人の関心を巻き込む力があります。

問いを投げかける人は、矛が強いか、盾が強いかを問うているのではありません。オマエの話はホントかウソかはっきり証明してみせろと言っているのです。どちらが勝っても、この商人は大恥をかくことになります。絶体絶命のピンチを商人に逃げ道はあるのか。観客はそこにスリルを感じ、恥をさらす愚者の姿(まさに謝罪会見)を見て、満足します。

問いを投げかける第三者の視点が、「矛と盾のどちらが強いか」という二項対立と同時に、「この商人は信用できるのか、できないのか」というもうひとつの二項対立を生じさせているのです。

中国のこの故事には、この客は真実を見抜く眼力を持つ賢者で、商人は人を騙す愚かな悪者という不可視の図式があるために、後者の二項対立は問題にされていません。

見物料をとってイベント化するというのは、商人がこの暗黙の了解を可視化させて疑問を投げかけようとする行為です。勇気のいる行為です。

やっぱり私はウソつきでしたと、最後に謝罪して、でも、興行としてはがっぽり儲ける自虐的商売の仕方もあるでしょう。問いを発する客を仕込んでおけば、各地で巡業ができます。

しかし、商人が問いを発した客以上の賢者だったら、商人は対決が終わった後に、見物人たちに向かってこう言うでしょう。

「あなたがたは歴史を見たのです。最強であることは最強のものを倒すことによってしか証明できない。だから最強の矛が、どんな盾でも突き抜くことができると宣言するのは正当であり、最強の盾がどんな矛を防ぐと宣言するのも正当です。最強の矛だけ売っている商人は、それをいつまで経っても最強であることを証明できないでしょう。矛あっての盾。盾あっての矛なのです」。

僕はこうした解決策を生むことがデザインだと思っています。

膠着関係となった二項対立に、衆人のもとで「問い」を投げかけて、多くの人を巻き込みながら第三の視点を生むこと。問いの行方をみなが注目していることが、最高のチャンスです。「問い」に対して沈黙してしまうのでなく、逃げるのでもなく、真っ向から立ち向かう。敵対し行き詰まった二項対立が、つながりあう柔軟な二項対立へ変えるのは、第三者の優れた問いです。矛と盾は、敵対関係でなく、共生の関係であることを示すには、優れた問いと、それを受けとめる勇気と知恵が必要です。

以前書いた「優れたデザインは矛盾を美しく見せる力を持っている」というのは、こういう意味です。デザインの「知」は、論理の世界とかたちの世界を自由に行き来します。「矛盾が美しい」とか「つながりあう柔軟な二項対立」(まさに太極図の世界です)という表現自体が矛盾していると考えるのは、論理の世界の思考であって、かたちの世界の思考は、それを可能してくれます。論理の世界と違って、かたちの世界は、矛盾をやさしく包み込んでくれるのです。
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by cabanon | 2008-01-22 14:25 | 二項対立 | Comments(1)
 
お花見しましょう
なんか寒い日が続いています。GoogleMapsの東京23区の衛星写真が更新されて鮮明になったというので、原稿書きの合間、気分転換で東京見物。千鳥ヶ淵は桜満開でした! 上野公園はぜんぜん咲いてなかったけど。

あっそれから、こんなアンケートに答えました。artscapeの「新春企画・アート・ヴュー 2008」。注目のデザイナーやら展覧会やら本やら。
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by cabanon | 2008-01-19 11:58 | Comments(0)
 
ピラミッド校舎
前川國男設計の学習院大学のピラミッド校舎が取り壊されることになり、お別れ会として開催されたウルトラセブンの第29話の上映会&ピラ校見学会に1/13行ってきました。ウルトラセブンの第29話「ひとりぼっちの地球人」にこのピラミッド校舎が登場するのです。建築関係の人は目立つほどではなく、満田監督のトークショー目当てのセブンマニアが少し目立っていて、でも一番多かったのはこの校舎に思いのある卒業生と思われる方々でした。記念写真を撮影する人たちもたくさんいました。
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効率的とは決していえない建物です。使いにくそうです。空間に比べてスクリーンが小さくてPowerPointを使った授業だと文字が見えないと後ろに座った学生から抗議が出そうです。都心の貴重な土地を有効に活用するには、やっぱり高いビルのほうがいいでしょう。

しかし、シンボルとして、共有する記憶として、この場にしかないアイデンティティとして、確実に機能していたものを取り壊す考えには同意できません。

ピラミッドはものすごく非効率的な形態です。最小の材料で何にでも使える最大の内部空間を確保する必要があるなら、ピラミッドは最悪の解答です。しかし最高にモニュメンタルな形態です。設計者も依頼者もそれを承知していたはず。解体はモニュメンタルを志向した先人たちの意思を踏みにじる行為といえます。効率性に左右されない領域で展開するのが学問だと思うのに。それが効率や経済性を考える学問であっても。
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猪木さんがいるわけではありません。解体反対のシュプレヒコールでもありません。ウルトラセブンの満田監督の掛け声とともに、みんなでジュワ! これも記憶です。
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構造的にも面白い建物です。
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セブンは子どもたちへ受け継がれていています。建築は……?

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夜はケネス・フランプトンの講演会へ。クリティカルであることとモニュメンタルであること、そのバランスについて考えさせられました(そんな話じゃなかったけど)。
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by cabanon | 2008-01-14 01:51 | Comments(5)
 
へそ
ローマの建築家ウィトルウィウスは「へそは人体の中心」と言いました。しかし、へそは無駄な器官です。機能的にも形態的にも中心であったのは、ヒトが胎内にいたときだけ。人体の中心は機能を失っており、中心であった記憶の痕跡でしかない。それがすごく人間的なことだと感じるわけです。
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by cabanon | 2008-01-11 13:30 | Comments(2)
 
津端修一さんのインタビュー記事
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本日(10日)発売の『Casa BRUTUS』2月号で、阿佐ヶ谷住宅の設計者の津端修一さんを取材した記事を書いています。レーモンドに影響を受けた話や、増沢洵らと逆スラブ構造の中層集合住宅の基本設計を作った話など、面白い話を津端さんが語ってくれました。

阿佐ヶ谷住宅のコモン──津端さんの言う「得体の知れない共有スペース」と、300坪のうち250坪をキッチンガーデンと雑木林にして120種の野菜と果実を育てる津端夫妻の現在の暮らしぶりが、重なって見えてくるはずです。80歳超える老夫婦の美しい暮らしは、まさにグレースフル・デグラデーションです。

相変わらずCasaは情報量が多くて、この記事を探すだけでも大変ですが、真ん中あたりの87ページから。ぜひご一読ください。

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あと、『建築雑誌』1月号の特集「建築雑誌は必要か?」に「建築ブームを仕掛けた雑誌のビジネスモデル」という記事を寄稿しています。『BRUTUS』『Casa BRUTUS』が仕掛けた建築ブームとは何だったのかを分析して、専門誌とCasaの役割は違うんだって話を書きましたが、字数が足りなくて、今でも書き足したいことがたくさんあります。この問題は根深いんです。
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by cabanon | 2008-01-10 10:06 | Comments(4)
 
適正価格
さて、突然ですが、この時計はいくらでしょうか?
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by cabanon | 2008-01-08 16:10 | Comments(4)
 
花咲く年になりますように。
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去年の春、昭和記念公園で撮ったチューリップ→アネモネです。
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by cabanon | 2008-01-04 00:09 | Comments(2)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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