藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

 
ミラノサローネでカメラ小僧してみました
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展示会に行くと、どうしてもカメラ小僧根性がうずいてしまいます。本会場があんまりエキサイティングではなく、ついつい、家具ではない被写体に向かい始めてしまいました。天使のコスプレとかされちゃうともうMay I take your picture?です。トルトーナ地区にて。
水着あり、メイドあり。見たい方だけどうぞ。

続きを見る。
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by cabanon | 2009-04-26 21:08 | Comments(0)
 
今年のレクサス
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藤本荘介さんによる会場構成。たまたま知り合いがいて、ジャーナリストの役得で近くまで行かせてもらいました。
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いや〜すごい。CGじゃありません。アクリル製。スケルトンの実物大のクルマって、ある意味にクルマに関わる人に共通する夢のようなものだったと思うのですが、それを実現してしまうとは。

正直、神殿の祭壇の向こうに見えるよりも、もっと近くで見せたほうがよかったと思います。光の使い方はとてもうまい。だから透明なのにボリューム感が出る。その迫力の造形物は近くで見せたほうがより伝わる。トヨタのものづくりにかける思いも伝わるのではないかって、メガネを飛行機の中に忘れたせいもありますが、そんなことを思いました。
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by cabanon | 2009-04-24 14:42 | Comments(2)
 
ミラノでtakram
takramの新作を見に行きました。東芝のためのインスタレーションで建築家松井亮と東芝とのコラボレーションです。
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展覧会名は“Overture”— An installation of future generation lighting。若手デザイナーなどの展示が密集するトルトーナ地区。初日に行ったので、町は祝祭感に溢れていました。

部屋いっぱい天井から照明が吊され、一見、昨年夏に発表した「風鈴」のインスタレーションとマイナーチェンジのようにも見えます。

しかしまったく別物です。人が近づくと発光するというところまでは似通っていますが、光り方はまったく違います。
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しかも触れます。そっと手を添えてガラスのバルブに触れると、振動をします。ガラスの中には水が入っています。水の中に電極が入っており、水に電気を通すことで、ガラスの表面全体を触覚センサにするアメリカの技術を使っているとのこと。振動は心臓の鼓動です。
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水が入っているので、そっと慎重に手を添えます。建築家、松井さんによるアーチ型の鏡を使った空間は、ロマネスク教会の静謐な空間を思わせます。床には砂。電球のLEDがつくと、光の輪が広がります。砂の上を歩くと足裏の感覚が起動します。そうした空間の中でガラスを触るから、微妙な振動が神秘の鼓動のようになって体に伝わります。

昨日、SENSEWARE展の取材で、同展の参加デザイナーのグエナエル・ニコラさんが「SENSEこそ素材だ」と言っていました。似たようなことを言う人はいますが、物質よりも感覚が素材だと簡潔にきっぱり明言したその言葉が僕の頭の中でいまグルグルしています。

takramの仕事も、最先端のセンシング技術を駆使し、ガラスはひとつひとつ職人に吹いてつくってもらい……と考えると、つい、技術と技巧だけを見てしまいがちですが、ニコラさんの「SENSEこそ素材だ」という言葉が一番ピッタリ来るように思いました。

今何か共有の感覚が立ち上がりつつある。もちろんジェームス・タレルやマーク・ロスコの作品を見れば、すでにそれは「あるかたち」でなされているものですが、それが目に見えるかたちで、はっきりと多くのクリエーターの中の共有感覚として顕在化してきたように思います。今年、日本で活躍するクリエーターが、ミラノで元気な理由はそこにあるのでしょう。
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by cabanon | 2009-04-24 14:31 | Comments(0)
 
SENSEWARE展@milano
ミラノに来たのは、サローネの取材というより、SENSEWARE展の取材のためです。
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昨日は終日SENSEWARE展の会場にいました。参加クリエーターを中心に11組のインタビュー。1回約20分。ちゃんと録音したインタビューとしては、僕の生涯1日最多記録です。
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nendoの作品。
SMASHという熱を加えると伸びて成型できる不織布を使用。
お湯につけ、風船を型にして、
ワンオフのさまざまな形を作り出した。

展覧会は面白いです。さまざまなジャンルで活躍するクリエーターが人工繊維のポテンシャルを引き出す「新作」をつくることで、日本の繊維の技術力とクオリティと可能性を世界に発信するものです。本日は、ディレクターは原研哉さん、参加作家のnendo、津村耕佑さん、東 信さん、鈴木康広さん、グエナエル・ニコラさん、シアタープロダクツ、ミントデザイン、パナソニックの鈴木朋之さん、筑波大学の岩田洋夫さんにお話をうかがいました。
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バーチャルリアリティの研究者で
アーティストとしても活躍されている岩田さんの
「ロボットタイル」歩く方向に後方の四角い床がやってくるので、
歩けども歩けども人の位置は変わらない。
通電性のある繊維をセンサーとして使用。

話をするうちに、そこに共有されている感覚があるように思うようになりました。

建築の構造は、ときに人の感覚をはるかに超えた構築物を夢見ます。フランク・ロイド・ライトはマイルハイ(つまり約1,600mの高さ)のビルを構想し、バックミンスター・フラーは構造体テンセグリティが惑星をも包み込むものになる可能性を示唆しました。
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シアタープロダクツの作品。
マイクロファイバーのテーブルクロスが空気で膨らむ。

繊維の構造はミリとかミクロです。ナノスケールの径をもつ糸でできた生地もあります。不思議なことに、繊維はたとえナノスケールの微細構造でも、人の日常的な身体感覚に寄り添っています。

作品の多くは、未知なる身体感覚、気配、空気の様相、光の触感、人間とものとのうつろう関係性、日常にふと訪れる幸福感を感じさせるものです。まさに人の隠れた感受性の起動する装置として、繊維が使われているのです。
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ミントデザインによるチンパンジー型マスク。

そして、もうひとつハイテクとクラフトマンシップの融合も特徴的です。かつて90年代ドローグデザインとして発表したマルセル・ワンダースのヒモ椅子がそれが大きなテーマであったことを思い出しました。あれもマクラメ編みとハイテク樹脂加工技術の融合でした。しかし、SENSEWARE展は、そこに身体感覚の空間への広がりという新たな位相が加わることで、展覧会は21世紀的な様相を呈します。

これ以上書くと、依頼されている原稿と重複するので、ここまで。昨日はまるで日本にいるような一日だったので、今日はミラノ歩きをしてきます。
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会場風景。照明は青木淳さんの作品。椅子は坂茂さん。いずれもカーボンファイバー、照明は中空構造。椅子はアルミとの組み合わせ。

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by cabanon | 2009-04-22 15:40 | Comments(0)
 
今年のペーパーショウ
ミラノにいます。機内にメガネを忘れ、かなり落ち込んでいます。これから数日間、僕の視界は印象派です。

週末のTAKEO PAPER SHOWについて書きます。今年は、紙の展示がありません。「言葉のペーパーショウ」ということで、すべてトークです。金・土と行われ、僕が行ったのは土曜日。朝から最後の総括まで聞きました。

「紙の未来」について、クリエイター、キュレーター、編集者、学者、紙産業のリーダーなど、さまざまなプロフェッショナルたちが、30分のトークを行いました。

例年のファインペーパーやそれで作られたプロダクトや作品に見たり触ったりして紙への研ぎ澄まされた感覚を共有する展示会ではなく、「紙とは何か?」という問いかけを共有する試みでした。それがうまくいったのか。

思い切った試みであったことは評価できると思います。ペーパーショウなのに、紙の展示がない。思いっきり欠乏感があるわけです。一般に欠乏は失望や気力の減衰につながりますが、ときに感覚や集中力を高める効果もあります。たとえば好きなバンドでドラマーが替わったら、普段より集中してドラムの音を追い続けます。おなかが減るとおいしそうな匂いに敏感になり、レストランの看板がやたら目に入ってきます。

紙に飢えた状態で、紙の話を聞くわけです。今年はトークだけって頭の中で分かっていても、例年のお祭り感あふれるペーパーショウの記憶がインプットされているために、紙への欠乏感は変わりません。そして、紙への感覚が敏感になります。

おなかのすいた来場者に、おいしいそうな話をしてくれれば、紙の話は広がりを持ちます。言葉を共有できるようになります。おいしそうに語れないと、欠乏感ばかりが広がっていきます。そうした意味で話者には厳しい場だったと思います。僕も退屈して聞いてた話がいくつかあります。

僕が聞いた中で、もっとも来場者の欠乏感を埋める話をしてくれたのは、深澤直人さんでした。張りと皺についての話です。今回のショーの企画者、原研哉さんの著書『白』を意識した話のように聞こえました。

原さんは著書で汚れなき白に関連して紙の「張り」について語っています。深澤さんは「張り」の話でまず原さんに共感を示し、「皺」の話で、人が使用することで「馴染んでいく」紙の、もうひとつの側面を語ります。原さんの視点が人の感受性をピュアなものにさせる「張り」を見通すものなら、深澤さんの視点は、人とものの自ずと共に暮らす調和をしるしを「皺」に見ます。

原さんは『皺』という本をつくってます。原さんが大学で教える学生たちの研究をもとにした本です。深澤さんのいう皺は、それとは少し次元が違う。つまり、深澤さんの話には、企画者への批評がきちんと織り込まれていたのです。原さんが語る「張り」と「皺」を意識して、深澤さんなりの環境や人の身体と馴染んでいく「皺」を語る。だから面白いかったんです。加えて、トークの後半、深澤さんが最後に紹介した学生の針金スケッチも印象的でした。

「おいしそうな話」という意味では、リー・エーデルコートさんの話も(というか、彼女が見せてくれたビジュアル)が面白かったです。世界のトレンドを決める企画者です。次に来るのはこのトレンドというのが、詩的な言葉で語られていました。

収穫は、クーバー・ヒューイットのキュレーターのトークの中に出てきた THE CROCHET CORAL REEF。アルゴリズムをもとに毛糸をかぎ編みをし、珊瑚礁を作り出しています。これは実物を見てみたいです。

欠乏感を使えるのは、今回一回限りでしょう。実際、来年は元に戻るようです。

トークは、限られた人数しか入場できません。後で書籍にするにしても、その日、その時間、その場にいて、何かを共有することにこそ絶大な力があります。「紙とは何か?」という根源的な問いだからこそ、その場で共有することが必要だったのではないでしょうか。
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by cabanon | 2009-04-21 14:01 | Comments(2)
 
上野伊三郎+リチ展
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土曜日(4/11)、目黒区美術館の「上野伊三郎+リチ コレクション展〜ウィーンから京都へ、建築から工芸へ」(5/31まで)のオープニングレセプションに行ってきました。

僕は、上野伊三郎のことは、1933年ブルーノ・タウトが来日したとき、敦賀まで迎えに行って、京都に連れ、桂離宮を案内した建築家、ということしか知りませんでした。リチは上野の妻です。ヨーゼフ・ホフマンの主宰するウィーン工房でテキスタイルなど日用工芸品のデザインを手がけ、上野がヨーゼフ・ホフマンの建築事務所で働いていた頃に、二人は知り合ったようです。

いい展覧会です。でも、建築展だと思って行くと、いくぶん肩すかしをくらうでしょう。会場の主役はリチでした。
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もちろん伊三郎の活動も概観できます。伊三郎の設計図面や建築写真(現存建築はほとんどないようです)や、彼が代表を務めた「インターナショナル建築会」の機関誌『インターナショナル建築』が展示されており、モダニズムの伝道者として足跡をしっかり辿れます。
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上野リチによるテキスタイルのデザイン画の前で、、若い女性は「かわいい」と、年輩の女性は「ステキね」と会話してました。


僕を一番惹きつけたのはこの作品です。
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村野藤吾設計の日生劇場の地下レストラン「アクトレス」のための壁面装飾(1963年)です。琳派と、中欧の民俗ファンタジーが、ウィーン分離派の精神の中で混じり合い、ひとつの調和ある世界を生み出しています。

もともとアルミ箔の銀色の襖紙。金色にしたのはお客さんのタバコの煙だったとか。
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アントニン・レーモンドとノエミ・レーモンド。山脇巖と山脇道子、そして上野夫妻──。モダニズムの理想夫婦関係は「良妻、両才を並び立てる」ってところでしょうか。

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展示品の中にちょっと気になるものがありました。1927年創刊の『デザイン』という雑誌。日本ではデザインという言葉は戦後急速に普及します。1930年代後半から1940年頃の『工芸ニュース』でチラホラ「デザイン」という言葉は見かけたことがあるのですが、日本で1920年代に「デザイン」という名の雑誌があったとは驚きでした。よほど生きのいい言葉に鼻が利く編集者だったのではないかと想像してしまいます。手にとって読んでみたい。ちょっとこれは調べてみなくては。
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by cabanon | 2009-04-12 15:38 | Comments(0)
 
テオ・ヤンセン展
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日比谷パティオで4/12(日)まで開催のテオ・ヤンセン展に行ってきました。ちょうど、生物の体の制御は、中枢の脳だけが行っているのでなく、体の仕組み自体にプログラムが埋め込まれている、と語るロボット工学者の原稿を次号の『AXIS』のために、書いたばかりなので、その実証を見るようで興奮しました。
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膨大なプログラムと、アクチュエータとセンサがなくても、ほら、女の子が軽く押すだけで、生き物のように歩行する。身体のデザインが歩行プログラムなんですよね。
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by cabanon | 2009-04-12 04:12 | Comments(2)
 
書店を歩いてみて
『デザインするな』の様子を見るため、最近時間があれば本屋めぐりをしています。雑誌の仕事をしていたときも、たまに書店を歩きましたが、基本的には校了すると、もう頭は次の号。販促は営業任せでした。

雑誌の場合は刷り部数が決まっていて、その中の何%が売れるかが勝負です。売り上げはデータで把握するもので、読者や書店の方と直接交流する機会はほとんどありませんでした。雑誌ライターになると、編集者から伝え聞く売れたか売れないかの話だけが頼り。社外秘であることが多く、正確な販売部数は教えてくれないません。読者からの反応も編集者を介して聞くことがほとんどでした。(自分の文章を読んでくれる人と交流したいというのは、このブログを立ち上げた動機のひとつでもあります)。

書籍の仕事をしてみて、書籍はギャンブル性が非常に高いビジネスだということを知りました。最初は、初版の数千部を売り切るか売り切らないかで闘って、負ければ消えてくし、売れればどんどん増刷されていく。そして、宝くじを当てるようなものだけど、ミリオンセラーになるものもある。

始まりは、書店の良い場所に置いてもらうこと、いろんなメディアに取り上げてもらうこと、といった地道な努力です。雑誌の仕事ばかりやっていると、その最初の肝心な部分のことを忘れてしまうんです。1冊1冊本を売る苦労は、正直言って、昨年12月のコミケで初めて味わいました。コミケ初出展では、200部刷って14冊しか売れなかった大惨敗。しかし学んだことは大きかった。本は売り場でまず手にとってもらえないと売れないという当たり前のこととか。

書いたら書きっぱなしでなく、編集したら編集しっぱなしでなく、本が読者の手元に行くまでをしっかり見届けることで、ギャンプルはさらに楽しくなるみたいです。自分がつくった波紋がどう大きくなっていくか、伝わらずに消えてしまっているか。消えていたら何故消えたか、どうしたら共鳴を呼び起こして伝わるか、を検証する。そこに楽しみがあるのです。

最近、雑誌の休刊が相次ぎ、雑誌ビジネスは厳しい局面を迎えています。雑誌の力が弱くなった原因のひとつに、雑誌編集者が「読者と手を結ぶ」ということを基本に無頓着になりすぎていることがあると思います。付録で読者と手を結ぶ雑誌づくりは、編集者自らの身を滅ぼします。

最近9割方、Amazonで本を買っていたので、書店を巡ることがなかったのですが、今回本を書くにあたって、売れている本を研究しました。

書籍が雑誌化しています。というより、雑誌以上に作りが軽いものがある。ビジネス本や処世術本では、見出しがあって、小見出しがあって、章の終わりには「まとめ」まである。一夜漬け用の参考書です。本文を読まなくても、読めてしまう。雑誌のエッセイをまとめた感じは、活字は大きいので、雑誌よりずっと読みやすい。

雑誌は重厚長大で持ち歩くのも不便。女性誌は女性のバッグの大きさのことなど考えておらず、広告の見栄えでサイズが決まっている。活字は小さく、しかも文章に練り込みが足らず、注目の人やブランドの固有名詞しか頭に入らない。それに対して、書籍はコンパクトで、読みやすく、ストーリーがしっかり読める作りになっています。

不況で広告が入りにくくなった昨今、出版社がギャンブル性の高い書籍に流れるのも分かる気がしましたし、読者が不便で重厚長大の雑誌から離れるのも分かる気がしました。

でも、僕は雑誌をつくりたい。いま雑誌に何が出来るかを考えるいい時期に来ていると思います。
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by cabanon | 2009-04-10 14:17 | Comments(0)
 
『デザインするな』の今
『デザインするな』。重版が決まりました。
実質20日間のDRAFT展会期中、gggだけで975冊も売れました。G8の植原さんの個展会場でも数十冊売れたので、合わせると1,000冊を超える売り上げです。会期中平均すると来場者7人に1人が本を買って下さったとのことです。本当にありがとうございました。

4/5に宮田さんとトークを行った青山ブックセンター本店でも順調に売れているとのことでした。

Amazonでも扱いを再開し始めました。といっても在庫は5冊(4/9、20時00分現在)→(4/9、23時06分、4冊に)→(4/10、8時36分、一時在庫切れに。販売は受け付けてます)。状況は刻々と変化しています。手に入れづらい状況が続いており申し訳ありません。

長らくAmazonでは、マーケットプレイスのみ扱いでした。

最初は定価+送料で新品を売る本屋が出品していたのですが、その後「ほぼ新品」を10,304円の値がつける人が現れました。最初はよくこんな高い値段つけるなと思いましたが、後から考えるとそのタイミングは絶妙でした。その数日後定価で売っていた本屋さんが売れ切れて撤退してしまったのです。

その後、出品者が2人になります。ここから微妙な価格競争が繰り広げられます。一方が10,300円をつけると、次は10,299円へと。そして、7,500円台を付ける第三の出品者が現れ、3者がみな仲良く7,569円になったところで、本日Amazonがようやく新品を扱ってくれるようになりました。

高値を付けていた本は、売れたのでしょうか。ネットで探せば、ずっとビーケーワンでは定価で、24時間内出荷で扱っていて、Amazonにこだわらなければ、手に入れることは可能だったわけですから。

で、今後、マーケットプレイスの出品者たちは、どうするのか。在庫が少ないので、売り切れを待って値を下げないでいるか。重版という情報をかぎつけて、値を下げるのか。動向が気になります。(続報:1人が5,687円まで下げました。さて他はどうでるか。4/11、13時→ 3人とも5,687円に。4/12、2時)
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青山ブックセンター六本木店の4/7の状況。
本は、前半236頁が、DRAFTの活動を取材した僕のテキスト。
後半332頁がDRAFTの代表作約350点のカラー図版。

大手書店でも在庫を切らしているところがあります。一昨日TSUTAYA六本木店に行ったときはなかったですし、ネットで調べると紀伊國屋書店はBookWebも新宿本店や新宿南店の店頭にもないみたいです。池袋のジュンク堂は数日前5冊あったのが、今日ネットで見たら売り切れていました(4/17現在「在庫あり」になりました。TSUTAYAの現況は未調査)。在庫があるのは、青山ブックセンターの本店、六本木店。本日行ったらブックファースト自由が丘店にもありました(渋谷文化村通り店にもあり)。書店で購入の際は、在庫を確認してから行ったほうがいいと思われます。

大阪のdddギャラリーで、4/24-6/5、DRAFT展が行われます。日・月・祝日休。ご注意を!
4/30(木)18時30分〜20時 宮田識さんと藤崎でギャラリートークを行います。
★ 要予約 4/13(月)9時より受付開始。
場所 : 大阪市西区南堀江1-17-28 なんばSSビル1階 →地図の頁へ
TEL:06-6110-4635 定員70名

★ DRAFTのHPはこちら

「フクヘン。」で『デザインするな』を取り上げてもらいました。何度読んでもうれしい文章です。
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by cabanon | 2009-04-09 20:18 | Comments(2)
 
黒いたぬき
体調がすぐれないときは、おかゆを食べる。治りかけると、外に出て、たぬきうどんを食べる。
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関西人がキライな黒いつゆのうどんです。中学、高校の時は、広島県にいたので、白い出汁のうどんの旨さもわかっているつもりです。けれど体調が悪いときは、「黒いたぬき」が食べたくなります。中学生のときは特に黒いつゆのうどんが恋しかった。

小さな頃から馴染んでいた味なんです。横浜の実家の近所にソバ屋があって、たまに出前をとりました。僕はいつもたぬきうどん。店主のジイさんが歩いて運んできました。一度、ジイさんがウチに来る途中、出前のオカモチを担ぎながら立ち小便していたのに遭遇したこともありました。その光景が今でも脳裏に焼きつくほどのプチトラウマですが、それでもその店のうどんは大好物でした。

で、大学生になって関東に戻ってきて、たぬきうどんを食ったのですが、どこで食べても子どもの時の味と違いました。似てるけど何かが違う。

ずっと考えていて、やっと理由が分かりました。出前でジイさんが歩いている数分の間に、うどんに、つゆが染み入るのです。白いうどんがだいぶ黒くなる頃合いがうまい。天かすの油がつゆに混じり、つゆも天かすも甘くなる。よく甘辛タレの馴染んだみたらし団子のような風味になるのです。

それが分かってからは、たぬきうどんはテーブルに供されてすぐには食べないようにしています。1分待つ。もちろん出前の味にはなりません。ちょっとでも待ったほうが、気持ち、味がうどんに染みて、うまくなる。

キツネうどんは待ってもうまくなりません。キツネうどんは圧倒的に関西風のほうがうまいです。ソバだと味が染み入るまでに時間がかかるので、たぬきそばは頼みません。つゆが染み入ってうまいのは、黒いたぬきうどんに限るんです。

でも、先日、打ち合わせしながらの昼食で、店屋物の鴨南蛮そばを食べたときに、やはり同じような出前効果を味わいました。ソバはのびてしまってたけど、鴨の脂がソバと焼きネギに染み渡っていました。店で食べる鴨南蛮では味わったことのない味です。

麺はのびきってました。とても、人にうまいと薦められるものではありません。でも、うまい。

腰のないうどんもうまいんです。アルデンテでないスパゲッティもうまいんです。ナポリタンとかバター醤油で炒めたキノコのスパゲッティとか。

□□は××ではくてはいけないという絶対的な評価基準を使って、ものを評価するのは、批評家としては楽チンなことです。勇気がいるのは、□□はなんで××じゃいけないの?って別の視点を投げかけること。僕は、それが本来批評家の仕事だと思っています。世の中にすでにある評価基準の権威を強化させるしか能がない人たちは、批評家ともジャーナリストとも呼べません。

じゃあ、たぬきうどんの旨さを語るのが、批評かというと、そうも言い切れないわけです。

世の中には、批評とか議論とか評価とか、どうでもいいものってあるんです。いいじゃん、好きならってもの──。そうしたものをあえて語ることには危うさがあります。ちょうど日用品のデザイン批評と同じ危うさが。

たとえば、ウェブサイトや雑誌で、評論家が、△△さんがデザインした××ブランドの電気ケトルを使い倒して批評して、最も浮かび上がるのはことは、その製品の使い勝手の評価や総合的なデザインの評価ではなく、「△△さんがデザインした」「××ブランドの製品」という事実なのです。

「△△さんがつくった」たぬきうどん、「老舗××の」たぬきうどんに、何が意味があるだろうって思うのと同じくらい、「△△さんがデザインした」電気ケトルとか意味がないし、伝える必要が本来はないことで、そうしたものは語らない。語らないのもジャーナリストや批評家の役割です。

などなどと、うどんを食いながら、考えたわけで、ようやく体調が少し戻ってきたようです。
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by cabanon | 2009-04-09 17:55 | Comments(0)


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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