藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
★学生用デザイン提案作成の際のチェックポイント ★
いま進行中の2年生の課題Future Visions「Bridge-Buiding」: 分かり合えない人・分断された人たちをつなぐという課題に際して、グループワークに慣れていない学生のために、「デザイン提案作成の際のチェックポイント 」というのを作ってみました。デザインでお金を稼ぐ人たち用ではないのでご容赦を。追加すべきこととかあれば教えてください。(少し内容改訂して項目を増やしました。12/16 10:38)

★デザイン提案作成の際のチェックポイント ★

①ゴール:この提案で何をいつどう変えるのか? 達成をめざす具体的なゴール(目標)

②ソーシャルインパクト:この提案がもたらす望ましい未来とは何か? 何のために?(大きな目的)。今までありえなかった家族の多様なあり方を認め合う社会をつくる、とか。

③絞る:取り上げるテーマの領域は広すぎないか? 広すぎるテーマは分解して絞り込む

④広げた?:絞る前に可能性を十分話し合ったか。答えを決めつけていないか

⑤仮説:どんな仮説を立てたのか

⑥根拠:リサーチして根拠を示せているか
(書籍 論文 ネット インタビュー 現場取材 アンケート 観察)

⑦新規性:提案は新しいか。似たようなデザインや解決策の有無は調べたか

⑧誰得?:それを実行して、だれが利益を得るのか
(歩道橋は作ったけど、横断歩道があるから階段登るのが面倒で誰も渡らない)

⑨ステークホルダー:ステークホルダーマップを描いてみる。重要なステークホルダー(利害関係者)を忘れていないか(子どものためのデザインで親の思いのことを忘れているとか、「その話、聞いてないよ」って言い出しそうな人はいないか)

⑩無理スジ:理屈に合わないことをやってないか? (ただし、無理スジもリサーチしてこんなテクノロジーが実現に近づいていると根拠を示すと「ありえる」話になる)

⑫伝わる?:何を提案したのか、何が狙いなのか、が他者にわかりやすく伝わるか

⑬考えさせる 何に対してどんな批評的メッセージをもっているか

⑭あってもいい?:仮に実現性の低い提案でも「ありえる」「あってもいいかも」「体験してみたい」「やってみたい」「実現できたら面白いかも」と思わせる説得力を持っているか

⑮望ましい?:何が善いことで何が悪いことか。望ましい未来の倫理性について議論したか

⑯持続可能性:問題解決型の提案なら継続できるか(サステナブルか?)は大きな評価ポイント。事業計画までつくると説得力がグッと増す。絵空事になってもいいから事業計画をつくってみよう。必須ではないが推奨

⑰ロードマップ:①ゴールや②ソーシャルインパクトを達成するための未来への道程表を描いてみよう。必ずしも図表化は必須でないが推奨

⑱分解した?:大きな問題をサブの問題に分解してみよう。たとえば日韓の人をつなぐという問題に対して、「政治、経済、文化」と分解し、そこから文化にフォーカスし、それをさらに「旅行、現代アート、アイドル、ソシャゲー、美容、グルメ」など分解してから仮説を立てる。K-Pop好きはグルメ、とか)

⑲ストーリー立て:問題や解決策を印象づけるストーリーになっているか。分解した問題(サブイシュー)に対して立てた仮説をストーリー仕立てで語ることができているか。

⑳エクストリームユーザー:この提案におけるエクストリームユーザーはどんな人かを考えたか

㉑当事者意識:メンバーが当事者意識をもって取り組める課題か。議論に煮詰まったら、そもそも何にどんな違和感を感じたことから生まれた提案なのかに立ち戻る

㉒役割分担:メンバーの専門性は活かせるか

㉓共感:ああ、それ! あるあるって思わせるストーリーを込められているか

㉔驚き:ワオ!と驚かせる要素はあるか

㉕盛りすぎ?:てんこ盛りの情報や過剰なプレゼンで逆に伝えたい本質的なことを見えにくくさせていないか

㉖ポリコレ:ポリティカルコレクトネス。差別表現などはないか。ある特定の人びとを傷つける内容になっていないか

㉗スケジュール:いつまでにこれをやるというスケジュール表をつくって壁に貼るなどして共有しよう

text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2019-12-16 00:03
 
三澤遥展とムナーリ展、役に立たない動きの詩学

三澤遥さんの個展(於:ギンザ グラフィック ギャラリー)に行きました。Twitterで動く紙「動紙」の動画を見ていたのですが、やはり空間を感じながら動きを見ると違いますね。評判どおりの良い展覧会でした。その後銀座を離れて私は世田谷美術館にブルーノ・ムナーリ展を見に行ったのですが(これも必見)、動く4次元のコンポジションという意味で二人がつながっているように思えました。

三澤さんの動紙は「機能する紙」などという紹介もありますが、ちょっと的外れです。動紙はその動かす機構を含めてムナーリ同様「役に立たない機械」であって、この紙をどうやったら機能するか役に立つかなんて考えると、展示全体に通底していたコンポジションの詩学を読みとれなくなります。

ムナーリの「役に立たない機械」はカルダーが動く彫刻として生みだしたモビールと同時期に生みだされたもので、その機構はモビールのそれとほぼ同じものです。機構はほぼ同じでも彫刻を動かしたカルダーと、機械を役に立たないものにしたムナーリでは、その意味生成の文脈がちがいます。ムナーリの機械は、機械といっても、われわれがイメージする機械とは違い、構成要素どうしがつながりあいながら環境とインタラクションしているという機構をつくったという意味です。そしてその機構を空間に晒して、環境と対話しながらその機構の構成要素が刻々と変化する様にムナーリは、コンポジションの詩学を見いだしました。

三澤さんは動きの機構を見せません。魔法のように動きを見せます。しかし確かに紙が動く舞台の下に仕掛けがあるのがわかります。自然現象のように見えて、でもそれは人為的で手品の種があるのをみんな了解した上で、その生きもののような動きをする現象をみて、そこに詩を感じるのです。散華「まわり花」など、イチョウの種がクルクルと宙に舞うように空を駆ける紙のオブジェがありました。その形態自体が動きを生みだす機構です。しかしその機構を形からは、空気とインタラクションして、どういう動きが生まれるかは素人にはパッと見まったくわかりません。現象と機構が見た目でつながっていないからこそ、優雅な舞がより心に焼き付くのです。

コンピュータや通信技術はもはや部品に解体してもその仕組みを可視化したり想像することはできません。ムナーリのそれが現象イコール仕組みだった時代の役に立たない機械だとしたら、三澤さんのそれは現象と仕組みが乖離しはじめた時代の役に立たない機械といえるでしょう。


ムナーリは、木の枝分かれから無限に木を描ける絵の仕組みを見いだしたように、自然のかたち(現象)から普遍的造形原理を抽出します。ムナーリは造形原理や方法論を探求し、その原理や方法論をもとに自らの手で多様な表現を創造して人々の創造性を喚起しようとしました。動きは造形原理と直結していたのです。

三澤さんは、自然の原理が反転して見える擬似的な自然現象を作り出します。動紙も観賞魚がドームの内外を泳ぐ水槽の作品も、なにやら仕組みが背後にありそうなというところで仕組みの可視化が寸止めされていて、現象そのものに詩学が現れるように設定されています。

「動き=機構変化」でなくなったときに、動きをどこにどう置くのか。そこに動きの布置の詩学が現れます。布置とはレイアウトのことです。21世紀、動く絵も動く立体もありふれたものになった時代に、一本の線に「詩」があるように、ひとつの動きにも「詩」があることを三澤さんの仕事は再認識させてくれます。優れたグラフィックデザイナーが布置の力で一本の線のもつ詩を浮かび上がらせるように、動きが空間コンポジションの一部となって、そこに詩が立ち現れる──。新しい時代のグラフィックデザイナーの仕事をこの展覧会で見たように思いました。

あっお間違いないように──。役に立たない動きの詩学は、人びとの想像力を広げて創造性を喚起するって意味では機能するんですよ。ムナーリの業績はその証明です。機能と詩の波打ち際を探究したデザインって時代を超えて輝くんです。


展覧会情報→「続々 三澤遥」展  2019年1/26まで(日曜休)


text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2019-01-20 14:34
 
自己肯定を考える

何をつくっていいのかわからなくなる。作品をつくる手がとまる。表現力は人並み以上にあるのに、何か意味のあることをしないといけないと思って、表現の手前で立ち止まる。藝大でそんな学生を何人も見てきた。独自の感性に裏打ちされた表現スタイルをもっている同級生と比較して、自分はダメだと思い込み自己否定のスパイラルに陥って出てこられない。他の人と比べることないのにと思うのだが、小中高予備校と協調と競争を同時に強制された社会を生き抜いてきた人たちに、他人を意識するなと言うのは酷である。


でも、キミしかできないことはあるんだよ、自分の手で何かをつくる喜びを実感できるようになってほしい、って心の底から思っている。なぜなら、なんかを見つけると急に自信が湧いてきてつくることに熱中しだす学生もたくさん見てきたからだ。


何なんだろう、そのきっかけって?


まずは自己肯定である。自己肯定ができないと自己否定に至ってしまう。だが、「自分を肯定できない」と「自分をダメだと思う」というのは違うことだ。だから、自己否定のスパイラルに陥る前に、自己肯定感を得ることが肝要だ。


しかし、自己肯定はどうやったらできるのか? 私は、自己肯定には2種類があると考えている。ひとつは、自分がみんなと同じであることを確認して安心感を得ること。もうひとつは、自分が他人と違うということを自認して、差異を自らの判断で肯定すること。前者を同調型自己肯定と呼び、後者を差異型自己肯定と呼ぶことにする。


同調型自己肯定は、みんなといっしょであることに満足することだから、個性は不要と思うかもしれないが、実際はそうでない。空気を読めないとキャラがつくれないからだ。同調型自己肯定ができずに差異型自己肯定もできなくなるケースをよく見かける。


芸術系大学はさらに事情が複雑だ。個性的でなければならないという同調を強要する空気が流れている。他の人と同じように、みんなに見えるかたちで個性を表現できない学生は焦ってしまう。自分の個性は他の人のレベルの個性に達していない、自分をありきたりでつまらない人間だ、と思い込んでしまう。


自分のスタイルを見つけられた人はそこからすぐに抜け出せるが、家庭や学校で同調意識を強烈に植え付けられたりすると、他者から認められることでしか自分の個性を見出すことができず、他者からは見えづらい個性を自分の力で見出せず、自己肯定ができなくなる。みんなと同じような個性的な人間であろうと同調するから、自己表現が空回りする。


やりたいことをやればいい。好きなことを表現すればいい。自分の好きなことを信じればいい。そこに他者との差異を見出して、それを肯定した上で、自己表現して、その表現したものは一体何だったのかと振り返り、自分に足りないものを見つけだす。そうして、じゃあもっと勉強せねばと成長への意欲が湧く。自分の殻にこもっていては個性は伸びない。教養を身につけリサーチして旅していろんな人に知り合って、さまざまな文脈を意識できるようにして、自分のやろうとしていることの立ち位置と意味を自分で考える。そうやって自己表現はいつしか自己表現を越えて、誰かの共感を生み、社会的インパクトをもつものになる。


「違わないといけない」なんて思う同調型自己肯定を振り切って、「違っていいんだ」と差異型自己肯定から始めよう。「違っていいんだ」と思うことを足場にして、「違っているからこそいいだ」にする。「これでいいだ」「私やるじゃん」「褒められた!」。それから始めればいい。差異型自己肯定は自己承認欲求の充足にとどまらない。


これは美大生に限った話じゃない。自己肯定は成長へのエネルギーなのだ。自己肯定できるから「このままじゃダメだ、もっと頑張られねば」とポジティブな自己否定も可能になる。


自己肯定は成功体験依存とは違う。これはとても大切なことだ。自信過剰では失敗から何も学べない。自己否定がすぎると失敗はトラウマになる。健全な自己肯定ができているからこそ失敗体験が未来への貴重なリソースになる。


自己肯定は自己満足とも違う。なぜなら自己満足はそこで成長が止まってしまう閉鎖系のものだ。行動をしなくとも満足はできる。しかし、差異型の自己肯定は行動しないと始まらない。その行動を自分しかできないことだと全面的に受け入れて、自分だけはなんとかなると考える。そう、アントニオ猪木の名言「踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」のように。


text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2018-12-30 20:16


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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