藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
モダニズムについて
モダニズムはいまだに世界を覆いつづけている。モダニズムといえば、芸術史や建築史においては、主に19世紀後半から20世紀中盤にかけて、進歩史観や合理主義や科学技術の進展を背景に、芸術家や建築家やデザイナーを、伝統的な方法論にとらわれない新しい造形・建築・社会の構築へと突き動かした運動だが、モダニズムは単なる文化エリートたちの運動ではなかった。20世紀中盤までのモダニズムは初期モダニズムと呼んだほうがいいだろう。

1970年代〜1990年代初頭に世界を覆った建築デザイン界のポストモダンは、確かに初期モダニズムの次をめざしたが、それらは簡単にモダニズムのつくりあげた世界に消費され飽きられて、ポストモダンという名のデザインブームに終わってしまった。しかし、このポストモダンデザインの登場と衰退は、モダニズムの本質を示唆すること結果になった。モダニズムは乗り越えられるものではなく、本質的に次から次へと「次=ポスト」を生み、乗り越えようとするものを呑み込み続ける巨大な運動体である。

さて、そうした視点に立ってモダニズムの特徴を列記してみる。

◉合理的であること
1)目的があること
2)秩序があること
3)論理的な根拠をもつこと
4)客観性があること
5)機能性の重視
6)科学的であること
7)法則に基づくこと
8)再現可能であること
9)検証可能であること
10)簡潔を美とする
  →数学者や物理者にとってのエレガンスという美学

◉経済的であること
1)最小限で最大の価値(効果)を生むこと
  →Less is More
2)効率的であること
  →再構築・リストラ・合理化の際限なき繰り返し
  →新機能の探究

3)交換可能であること
4)規格化されていること
5)価格づけされること
6)移動可能であること
7)最適化されていること
8)無駄を排除すること
9)倹約を善とすること
10)簡潔であること
11)人間を生産機械の部品のように扱うこと(人間疎外)
  →初期モダニズムに顕著。いまだ貧困層を多く抱える国の生産現場では止まる気配がない
  →戦争もまた人間を戦争機械の交換可能の部品のように扱う

12)人間を中心に設計すること(人間中心主義)
  →ある程度社会が豊かになると、人間を疎外する生産環境は長期的視野に立つと効率的とは限らない
  →エルゴノミクス(人間工学)は戦闘機の操縦士の誤動作を是正する研究を契機に発達した
  →個性の表出を消費に求める高度消費社会が形成されると、生活者の視点からのものづくりが大切になる
  →ヒューマニズムの市場化が、エルゴノミクスや人間中心設計(ヒューマンセンタードデザイン)やユニバーサルデザインを広げているという考え方


◉システムとして機能すること
1)構造化されていること
2)組織化されていること
3)分解できること
4)用途に合わせシステムを変え、個々の要素の機能や配置や形態を入れ替えられること
  →ユニバーサルスペース
  →可動性、可塑性、可搬性

3)記号体系化されていること
4)造形を言語としてとらえること
  →視覚言語、デザイン言語、建築言語、造形言語。
5)物語化されていること
6)役割が分担されていること
  →ちなみに、デザイナーという職種は産業革命で生じた創造過程の分離つまりデザインする人と生産する人の分離から生まれた。
7)個々の構成要素に機能・役割があること
8)役割をもつものに責任が発生すること
9)規則が支配していること
10)緊張感に美を見出すこと
  →例えば、重力に抗う建築構造

◉更新しつづけること (Up-to-date)
1)未来を描くこと
2)因襲から解放されること
3)変化を受け入れること
4)進歩をめざすこと
  →開発、再開発、成長、右肩上がり、改革、イノベーション…
5)変化がもたらす負の側面を進歩という名の下に強要すること
6)進歩の負の側面を進歩によって克服できると考えること
7)進歩の物語をつくることで、更新を進歩にみせかけること
  →スタイリング、計画的陳腐化
8)更新を強要すること
9)進化すること
  →進歩とは違う
  →世界の多様性に適応すること
  →適者生存

10)成長への強迫観念
11)停滞や後進や衰退を悪とすること
12)衰退の局面においても、衰退に対応するための進化や更新を行うこと
12)持続可能な成長を求めること
13)速度の美を愛でること
  →いまだ止まらない世界最高速の競争
  →速度信奉の裏返しとしてのスローさの信奉

14)記録を破ること
  →最小、最大、最長、最速

◉健全であること
1)健康であること
  →スポーツの発展
  →自己管理・自己抑制のできる人間になること

2)衛生的であること
3)清潔さであること
4)正直あること
  →デザイン上の正直さ(構造・素材・労働の正直な表出)
  →ビジネス上の正直さ(勤勉・倹約・信用第一・顧客本位)
  →誠実、実直、真面目、正しさ

5)倫理的に善であること
  →正義の追求
  →コンプライアンス(法令遵守)の徹底
  →現世で勤勉に働き事業を拡大することを善とするプロテスタントの倫理観が資本主義を生み出した──マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

6)死を隠蔽すること
7)逸脱を治癒の対象とすること
  →非行性の形成
  →疾患名の増加

8)健康美を追求すること
9)清潔さに美を見出すこと
10)純粋さを好むこと

◉アイデンティティをもとめること
1)個性を持つこと
2)名前を持つこと
3)自己表現すること
4)他者のアイデンティティを認めること
  →多様性
5)ブランディングすること
  →コーポレートアイデンティティ、国家、地域、商品、あらゆる領域でブランディング
6)同一性というフィクションにリアリティを持たせること
7)国民国家、民族主義の台頭

◉人間中心であること
1)ヒューマニズムを掲げること
  →一方で、モダニズムは貪欲や不寛容や無関心に結びつきやすく、経済性優先や合理主義が行き過ぎた結果、人間性不在のシステムを生みだし、世界各地で途轍もなく悲惨な人間疎外や人間性の蹂躙、虐殺を引き起こしつづけていることを忘れてはならない
2)多様な使い方に対応した「均質化した」都市や空間や道具やシステムを作り出すこと
  →ユニバーサルデザイン、エルゴノミクス、iPhone
3)人の違いに合わせてパーソナライズされた道具や空間を作り出す「システム」を創出すること
  →カスタマイズ、3Dプリンタ、SNS、UX、インタラクションデザイン
2)排除しないこと
  →共創、インクルーシブデザイン
3)豊かな社会をめざすこと
  →豊かさとは何かの答えは変わりつづける
4)幸福をもとめること 
  →幸せとは何か
5)身体性を重視すること

◉客体化すること
1)記述すること
2)言説化すること
3)名前をつけること
  →主体的なニュアンスである「名前を持つこと」と違う
4)あらゆるものを記録すること
  →リスト化。戸籍を持つこと
  →ログ化、ライフログ、ビッグデータ

5)定量化すること
  →データ化
6)可視化すること
  →見える化、ビジュアライゼーション
7)公開すること
  →パブリックドメイン、シェア、共創へ
8)分類すること
  →グループ分け、タグ付け
9)整理すること
  →分類したものを構造化する
  →図表化する。ダイヤグラム
  →整理術、収納術
  →Organizeすることに美を見出す
 
10)収集すること
  →コレクション、コレクター
11)アーカイブ化すること
  →記録を分類整理して保存する
  →収集したものを展示する。
  →図書館、博物館、美術館、動物園、植物園、水族館
 
12)比較すること
13)分析すること
14)評価すること
15)公正に評価する仕組みが組織されていること
  →学会、コンクール、コンペ、スポーツの審判団、選挙管理委員会、裁判所、ジャーナリズム(本来の機能として)
16)ランク付けすること
17)フィードバック機構があること
  →成果を相対的に評価して改善を重ねられる機構を持つこと
18)監視すること
19)管理すること
20)管理されること
21)型にはめること
22)規準を定めること
23)体系化すること
24)統合すること
25)問題を探すこと
26)解決すること
27)コンセプトを求めること
28)対話を重視すること
  →インタラクション
29)批評すること
30)メディア化すること
  →大衆の登場、マスメディアの発展、ネットの急進展
  →スター生産システムの進展
  →メディア戦略、メディア対応
  →メディアを利用したオーディエンスの操作


◉呑み込みつづけること
1)あらゆるものを利用可能・交換可能にすること
2)分類によって多様化を生むこと
3)規準によって差異を生むこと
4)標準化と多様性を両立すること
5)均質化と個性化を同時に生むこと
  →初期モダニズムでは進歩の最前線(前衛)が突出し、それ以外が受容者として均質化される傾向にあった
  →個人の意見をもつ自我の確立と、意見を操作される大衆の誕生はほぼ同時進行

6)伝統を組織化すること
  →近代以前の文化を言説化・可視化・組織化し、「伝統」という名の下に「現代」と対置するものとして再編する
7)暗黙知を言説化・可視化すること
8)辺境・周縁をとりこむこと
9)境界を越えること
10)排除しないこと
11)専門領域の分化と、領域横断による知の形成を両立させること
  →異種格闘、学際、interdisciplinary, crossdisciplinary,transdisciplinary
  →専門的な知を深化させる組織化された領域の存在は、学際的なアプローチの大前提である。

12)分析と統合を行き来すること
  →すべての造形活動を建築に統合することを標榜したバウハウス宣言に始まり、バウハウスは、親方(マイスター)と徒弟のいる各種専門工房をもちながら、領域を超えた生活の芸術化、芸術と産業、芸術とテクノロジーの融合を試みる教育システムの成果は、デザインは「統合の力」であることを世に示す結果となり、だからこそバウハウスは近代デザインの基礎を気づいた造形学校と言うことができるのである
13)グローバル化すること
  →急速な経済のグローバリズムに対抗するには地域経済の立て直しや伝統文化の組織化などモダニズムの方法で対抗するしかない
  →グローバリゼーション以前に、ナショナリズムがすでに世界を呑み込んでいる

14)環境という視点を導入すること
  →環境という言葉を使うことで世界が個から切り離され言説化される
  →環境という言葉は世界のあらゆる事象を呑み込む
  →環境が個性を生むという考え方
  →環境側に情報がある。アフォーダンス
  →生態系、生活環境、無意識が多様な個性を育む

15)変化の最前線が移動しつづけること
  →変化の中心は周縁にある
  →融合領域や境界や辺境に変化の兆しやイノベーションの種をもとめること
  →アヴァンギャルドの発生と消滅
  →イノベーションをめぐる企業や国家の競争

16)イノベーションの遍在をめざすこと
  →変化の最前線の位置は常に変化しつづける。変革の場所の移動が、専門家たちの前衛芸術家の限られた空間を超えて、高速に大規模に行われるようになった。それを可能にしているのが、パーソナルコンピュータ、SNS、パーソナルファブリケーション
17)対抗するのもの・異質なものを組織化して、それを呑み込むこと
  →建築の“ヴァナキュラー”も、デザインの“アノニマス”も、アートの“アールブリュット”も、そう名づけられた瞬間に、モダニズムの文脈のなかに吸収される
  →伝統を組織化して呑み込む
  →インターナショナルスタイルと真逆に建築言語で、地霊、土着性、宗教、信仰など、当時のモダニズムにとって異質なものを「呑み込んだ」ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂の造形は、モダニズムの例外的な作品でなく、まさにモダニズムの最先端の作品だったといえる

18)乗り越えようとするものを呑み込むこと
  →モダニズムは必然的に様々な現れ方のポストモダニズムを生み、それを呑み込みつづける。ポストモダンが生まれて、真のモダニズムが発動したと言える
  →モダンと近代が、いつからコンテンポラリーや現代になるか。いつの時点で変わろうがモダニズムの本質が変わっているわけではない。そうした言い換えを可能にするのがモダニズムの本性なのだからだ
  →ちなみに建築デザイン界のポストモダニズムが黒歴史化したのはオーケストラの指揮者の教育を受けた秀才建築家が、いきなりDJを始めて、大金かけてカッコ悪いもの作ってしまったせいである


◉結論
モダニズムは再構築をくりかえし、その現れ方を漸次変化させながら、外部にあったものも見えなかったものも、モダニズムに抗うものをも、あらゆるものを覆い尽くす、世界の遍在をめざす終わりなき運動。

以上のメモは、僕が書くのでかなりデザインやアート寄りの話になっています。同じく終わりなきものである資本主義と関連する考察などがもっと必要でしょうが、とにかく思いついたままを挙げたものとご理解ください。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2014-12-06 16:02
 
限界看板
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3年くらい前でしょうか。限界看板という言葉を思いついたのは、台東区三ノ輪あたりでふと製靴会社の看板が眼に入って写真を撮った時でした。
「製」の字の崩れ方に人為では真似のできない味があります。限界看板_d0039955_19415992.jpg

もし単独でこの字だけを見たら判読するのはむずかしかったでしょう。しかし周りの状況で「製」であることがちゃんとわかります。「製」ほど崩れていないけど「靴」もちゃんとわかります。このギリギリな感じ。危ういけど成立している感じ。それに魅せられたのが限界看板を収集しようと思ったきっかけでした。

「お店もつぶれてしまったし、もうそこまで頑張らなくてもいいよ」って思うものもありますし「あと10年頑張るとよりイイ味になるんだけどな」というものもあります。逆に「営業してんだから、ちゃんとしろよ、けど、そのちゃんとしてない感じがイイだけどね」というのもあります。

「ありのまま」とは、本来の姿とも昔のままとも違います。変化を受け入れること、つまり自然や他者の力によってその姿が変わっていくことを受け入れる姿勢です。しかし限界看板は「なすがまま」ではありません。風化や他者の干渉を受け入れながらも、それに抵抗し看板として「伝える」という本来の役割は果たそうとグッと土俵際でこらえています。

看板とは「伝えたい」という意思が「かたち」になったものです。その意思は風や雨や光に晒されても、錆びが褪色が進んでも、上から落書きされていっても、そう簡単に削ぎ落とされていきません。限界看板の愉しみは、機能を失った人工物が朽ちていく姿の中に美を見出すことでなく、風化の中に踏みとどまる機能を愛でることにあるのです。

人が管理してきちんと機能していたものが、何らかの理由で人が手をかけなくなり放置され劣化し風化していく。それは、人の時間から離れていくことです。もしそれが機械なら、人が手をかけなくなれば、止まって機能を失います。建築物だと構造体としての機能が残る。それゆえ廃墟の美というものが生まれます。ただし廃墟は何も使われないから廃墟です。そこで多くの人が愛でるのは機能ではなく、人がつくりし構造体が空間の記憶をとどめながら自然と長い時間をかけて同化していくプロセスです。

しかし限界看板の場合は「伝える」ことをやめません。風化はしても機能しています。自然の時間の中に身をゆだねた機能が発現する美──。それは最大限に機能する形が発現する美とは違う、もうひとつの機能美かと思うわけで、私はそれに惹かれるのです。

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とても好きな限界看板です。ドット化、水玉化、草間彌生化……。

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かろうじて「雑誌」であり続ける。

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某百貨店のバックヤード。押し続けて文字が消えてもメッセージは消えていません。

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消えてもみんくる。

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消えてもモ・リ・ナ・ガ。

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錆びることもカラフル。

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褪色したほうがインパクトがある。

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赤の強さ。

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剥がれても歪んでも。

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ホラーハウスか。

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根性無しの音引き

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レイヤー看板。居抜き物件の悲哀。

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この前の店名はもう見せてはいかんでしょ。

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割れ目から現れる深層。宝誌和尚立像のよう。

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「相合い傘」に「しね」といった便所の落書きのようなものも残り続ける。

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さすが渋谷。グラフィティ!

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止まれと言い続けて踏みつけられてそれでも機能し続けています。

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周りのおかげでしっかり読みとれます。

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サコーハ市Ⅱ

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消した跡が残っています。

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小学校の時に通学路にあったお菓子屋さん。今は閉店。この店の前で小学一年のときにクルマにひかれました。もの哀しいけど、まだあることがちょっとうれしい。

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町名がわかる人には、これでもしっかり機能します。

・追加(9/24)
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みどりに塗りつぶせ。

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上越線車内。言いたいことはわかる。

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上と同じ車両のトイレ。正確には限界看板かどうかかは微妙なところですが……。

・追加(12/6)
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ギリギリ読める(横浜)

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崑ちゃん。

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なんかマーク・ロスコ。

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ここまで横浜。

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京都にて。

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クリーニングか花屋か紛らわしい。花屋でした。花屋は花が看板ってことでしょう。これも京都。

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ロックでワイルドな年のとり方です。

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乱暴な仕事だなあ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2014-08-24 22:16
 
うぶ毛の理由
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堺雅人が大写しになったソフトバンクのポスターで、オヤッ?と思った。毛だらけなのだ。もしこれが女性ならコンピュータで加工して、うぶ毛も毛穴もシワも消し去って艶やかな肌にしてしまうだろうが、このポスターではライティングで頬の輪郭のうぶ毛を光らせて、一本一本毛羽立っている様がわかるようにしている。毛穴も生えかかったヒゲもわざと目立たせている。

堺雅人の肌は白くてツルツルというイメージを勝手に抱いたし、男性でさえ肌をツルツル加工した広告を見慣れていたせいか、今時うぶ毛全開とはすごいな、と思ったわけである。

ま、よく考えれば、ソフトバンクはツルツル肌の堺雅人のイメージが欲しかったのではなく、組織に飼い馴らされず正義を貫く、半沢直樹という野生の銀行員というイメージを欲しかったわけで、ドコモがようやくiPhoneを扱って「巻き返し」を図っているが、昨日までツートップだとか言っていたモバイル通信界の巨人の「手のひら返し」に、こちらこそ「倍返し」だ、と言いたいのだろう。

広告に現れるお肌ツルツルは個性ではない。シワは醜い、肌荒れは悪、お肌のケアをしないことはだらしないこと、若さを保つ努力や健康管理は現代人の義務という国民的刷り込みの表現である。

そうした意味では、顔毛の表出は広告界の暗黙の了解への掟破りのようにも思えるが、ソフトバンクの広告には以前から毛だらけ顔の主役がいる。
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白い犬のお父さん──。ソフトバンクの白戸家シリーズの広告キャンペーンは、家族全員ソフトバンク、親戚もお友達も宇宙人もみんなでソフトバンク、というのが基本的なメッセージである。白い犬はホワイトキャンペーンだからというだけなら、あのキャンペーンはこれほど長く続かない。あるべき家族像という刷り込みが描いているから次々と新作が可能になる。

父が犬という設定の理不尽さは、父の理不尽さの「裏返し」であり、さらにいえばエディプスコンプレックスの「裏返し」である。父が権威と言葉をとおして、母と子の初源的結びつきを断ち、子どもたちは無意識の中に抑圧をかかえるというのがエディプスコンプレックスの構造である。

それは子どもが大人になることでもある。子どもは社会のルールを知らない。だから父に何を怒られているかわからない。だから子どもにとって社会のルールを強要する父の命令は本質的に理不尽である。

しかし広告が描くのは、現代の理想の父である。もはや星一徹や小林亜星の「ちゃぶ台返し」の理不尽さは、あるべき父の姿とはほど遠い。やさしくて、話がわかって、空気が読める、多少のわがままなら暖かく見つめて許してくれる家族の保護者──そういう父をどうやって描くか。そこで理不尽な父を描くのでなく、父の存在自体を理不尽なものにしてしまうウルトラC的発想を使ったのがソフトバンクの白戸家の広告キャンペーンである。

半沢直樹は理不尽と闘う銀行員である。本来なら父親=犬という理不尽は、半沢にとって100倍返しで土下座ものである。しかし逆にいえば、白戸家の世界では理不尽さと闘う半沢の存在自体が理不尽である。それゆえ、おいおいオマエは上戸彩と夫婦じゃなかったけ、とかツッコミを入れてもらうために迫真のリアリティを演じる。

だからうぶ毛だらけの顔になる。白い柴犬が流行ったように、これからセクシー&ワイルドなうぶ毛が街を賑わすようになるのも近いかもしれない。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-12-02 15:26


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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