浦島太郎もアリスも別世界で遊ぶ。しかし、その遊びの意味は大きく違う──。
『遊び心(4)』 で、遊びという言葉のニュアンスが、日本語と英語・フランス語とでは違うという話をした。結論だけ簡単にまとめると──、
日本語でもフランス語でも英語でも「遊び」は日常とは違う時空間に身を置くという意味では同じだが、日本語の「遊び」は日常から解き放たれて忘我の境地に至るという意味が強いのに対して、フランス語の「遊び」 jeu や英語の「遊び」 play は、スポーツ競技や賭け事など日常とは違うもうひとつのルールが支配する世界に身を投ずるという意味合いが強い。
この差は、浦島太郎とふしぎの国のアリスの「遊び」の違いにはっきり現れている。
浦島太郎は子供たちにいじめられていたウミガメを救って、お礼にウミガメは太郎を竜宮城へ連れて行き、乙姫の歓待を受ける。タイやヒラメも踊ってまさに極楽、別天地の享楽と美の世界を体験する。が、太郎は元にいた世界に帰りたいと言い出して、玉手箱を持たされて竜宮城を後にする。
太郎は竜宮城での「遊び」に身をゆだね、日常生活を忘れ、なぐさみを得るが、もうひとつの世界の時の流れは、太郎の日常世界よりずっと速かった。太郎は接待されるだけで、竜宮城では常に受け身の存在だ。時の流れが違うという、最も重要な別世界の理(ことわり)に関して全く知らされることはない。
フラミンゴの槌でクロケー遊びをするアリス
アリスは常に主体的に別世界の理を体験する。白ウサギを追って穴に飛び込んだアリスは、彼女が元にいた世界の因果関係が全く通用しないアナザーワールドに紛れ込む。女王と興ずるクロケー遊びにルールはなく、傍聴した裁判には法律がない。が、クロケー遊びは女王のための遊びとしてちゃんと成立しており、トランプたちに序列はあり、段取りは奇天烈だがとにかく裁判という制度は存在している。不条理であるが、それはアリスが元いた世界にとっての不条理であり、私たちの世界の因果関係や論理や規則が通用しないだけだ。
グリフォンとともにすすり泣くウミガメの話を聞くアリス
まだ大人の世界の因果関係や論理に染まっていないアリスは、穴の中の広がった世界のもうひとつの理(ことわり)を主体的に体験する。アリスは水パイプを吸う賢者然としたイモムシや涙ウルウルのウミガメたちの話に耳を傾け、対等に会話のできる“子供の世界に”生きていた。アリスが元の世界に戻るのは、奇妙な裁判を「ばかばかしくて無意味だわ」と認識した時で、王や女王やその家来たちに対して「あなたたちはたかがひと組のトランプのくせに」と言った瞬間である。意味がないと感じた瞬間、遊びは終わる。
ジョン・テニエル画。モノクロ挿絵の版権は切れてます
こういう見方もできる。「ふしぎの国のアリス」で描かれる滑稽な混乱は、私たちの世界の因果律や規則や論理と別のシステムが働いて安定していた世界が、アリスという異世界からの闖入者の登場によって引き起こされたシステムエラーだと。
続編の「鏡の国のアリス」では物語がチェスのルールに則って進む。日常とは違うもうひとつの世界を描き出すという、作者ルイス・キャロルの意図がさらに明確になっている。ちなみにルイス・キャロルの本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン、数学者・論理学者であった。
Illustration by John Tenniel, from Alice's Adventures in Wonderland
遊びは2つの異なるシステムが出会わないと生まれない。浦島太郎は乙姫に手玉にとられた闖入者だ。彼は竜宮城にシステムエラーをもたらさない。乙姫は2つのシステムが衝突する危険を玉手箱に封じ込める。太郎は後から気づくのだ、そこに2つのシステムがあったことを。しかし気づいたときには太郎は老人となり、もう遊びの世界には戻れない。
一方、アリスは2つの異なるシステムを積極的に自らの意思で受けとめる。子どもの心は大人の規則や論理の世界と、夢想の世界を自由に行き来する。アリスは自分の背が高くなったり縮んだりする状況や、奇妙なクロケー遊び、トカゲやイモムシの話を受け入れられる。が、それを無意味と感じた瞬間に、あっけないほど簡単にアリスは元の世界に戻る。ゲームセット。アリスは少しずつではあるが大人になっていくのだ。
ただアリスが子どもの心を持ちつづける限り、いつでもまた異世界で遊ぶことのできる。だから続編が作られる。
アリスと太郎の違いは子ども心の有無ではない。別世界のルールを主体的に受けとめる心の有無だ。別天地の愉しみに身をゆだね日常を忘れリラックスするか、自分の力量で運や流れや偶然をも呼び込むゲームのプレイヤーとなるか。太郎の遊びとアリスも戯れ( jeu / play) との違い──そこに近代の遊び、モダニズムの「遊び心」の核心がある。
本日はここまで。次回に続きます。
【関連リンク】
山形浩生氏が翻訳著作権をフリーにしてネット上に公開している
『不思議の国のアリス』 『鏡の国のアリス』
ルイス・キャロルに関しては
The Rabbit Hole
テニエルのイラストはこちら
The Victrian Web, John Tenniel: An Overview
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