『デザイン史とは何か モノ文化の構造と生成』
ジョン A. ウォーカー著
栄久庵祥二訳
技報堂出版 1998年刊。
久々に書評します。
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世界は“もの言わぬデザイン”で溢れかえっている。デザイン史を書くにあたって、グッドデザインの歴史や有名デザイナーによる作品の歴史だけで済まそうと思うなら、研究は簡単だ。が、もの言わぬデザインの言葉に耳を傾け出すと、途端にデザイン史家の仕事はふくれあがる。コンビニの商品を時系列に並べて(通時的)研究してもいいし、ホームレスのブルーテントを同じ時期の他の建築や経済動向、社会現象と比べながら(共時的)研究してもいい。いずれもその深層まで掘り返そうとすれば、政治や経済、哲学、社会学、人類学などが複雑に関わってくる。
「扱う素材の範囲が膨大かつ複雑なデザイン史を初めて学ぶ人に対し、水先案内人のような役割を果たすことを本書は目指している」。いみじくも著者がこう語る役割を、本書は目論見どおり果たしている。デザイン史研究とは、何を対象として、どのような手段でなされるべきか。イギリスのデザイン史家・美術史家ジョン・ウォーカーがその膨大で広範な知識を駆使して概説的に語っている。
著者は入門書という位置づけで書いているが、研究者のための入門書であって、デザイン初心者のための本ではない。デザイン、美術、建築に対する基礎知識や、構造主義、記号論などへの理解がないと、読み進めるのは苦労するだろう。著者が交通整理役に徹しているので、読み物としてはいささか退屈だ。
僕が興味深く感じたのは、後半の「様式/スタイリング/ライフスタイル」の考察と「テイスト」に関する考察。「ある様式の特徴が故意に誇張されることを、様式化、もしくはスタイリングという」という定義は新鮮に感じた。僕が知らなかっただけだろうか。スタイリングといえば、商品の流行廃りのサイクルを短くするため内部の機構に関係なく外観だけを変えること、という定義が一般的だったので。
「様式=スタイル」という言葉をめぐって、ゴシックや古典主義という美術・建築の様式と、1950年代のアメリカの自動車メーカーによるスタイリングによるクルマの差別化、70年代のパンク・ムーブメント、さらにはライフスタイルの産業化まで考察されている。
ゴシックとパンクをいっしょに文脈で語るのは無理があるだろうと思えたが、次章の「テイスト」の考察を読むと、それが理屈にあったものであることが理解できる。「様式=スタイル」とは、表現する側の個性の発露であり、「テイスト」は消費者の好み、つまり受け手側の問題として語られているからだ。表現側の個性とすれば、おのずとスタイルの幅は広がる。表現する主体が個人の場合もあれば社会全体の場合もある。意識的か無意識的かの問題もある。
といっても、スタイルとテイストの差異はあいまいだ。著者は「デザイナーがテイスト・リーダーなにしテイスト・メーカーになることはよくある」と語る。その例としてテレンス・コンランの名を挙げている。自分がデザインした家具を満足のいくディスプレイの中で売りたい。コンランはハビタを立ち上げ大成功する。デザインだけでなくテイストを売ったのだ。著者は同様にイギリスでは、デザイン協会やデザインミュージアムが「一般の人のテイストのレベルを引き上げる努力をしてきた」という。こうした現象は、90年代後半から今に至る日本の現状に通じるものがある。
コンランショップが新宿に進出した1994年頃からデザインブームが始まる。ブームの当初はセレクトショップやライフスタイル雑誌がテイストメーカーだったが、90年代末にはデザイナーが自分の作品を置く場としてカフェを作ったり、セレクトショップを経営する現象が起こる。
このブームの特徴は、デザイナーや建築家などがテイストリーダーとして、マーケットを引っ張ったことにある。ファッションにもインテリアにも他人とは違うこだわりを持ち、情報の変化に敏感で、旅をするにしても名所旧跡でなく現代建築を見に行く人たち。デザイナーでなくても大学や専門学校でデザインや建築を勉強したけど今は専業主婦している人、インテリアショップを勤める人たちなどデザイン・建築の裾野は広い。CasaBRUTUSやPenのような雑誌はそうした顧客をつかみ、デザイン・建築雑誌化していく。
一部の有名人を除き、作り手の現場では裏方で顔の見えないデザイナー・建築家たちが、個性的なテイストを持つマーケットリーダー/テイストリーダーとして消費の現場を先導していく。こうしてデザイナーおすすめのグッドテイストデザインが市場を席巻する。イームズにしろ柳宗理にしろグッドデザインである以上にグッドテイストなデザインとして市場に受けとめられる。
いいデザインをいかに作り出すかと、市場でのデザインの価値をいかに高めるか、この問題は根本的に違うものだ。今のデザイナーはその両方に関わらねばならない。が、この2つを混同してはいけない。前者はグッドデザインを巡る問題、後者はグッドテイストを巡る問題だ。
デザインが倫理的に善であること、環境や機会均等に配慮していること、消費者を騙さずクライアントにも使い手にも社会に対しても誠実であること──そうした「グッド」を否定するつもりはない。が、それはあくまで作り手側の善悪の判断である。作り手の論理が、受容する側の感性を支配していいものだろうか。なぜ無印良品や北欧デザインのようなミニマムでシンプルなデザインがグッドテイストで、パンクやアフロ、萌えやガンダムがバッドテイストなのか
本来、趣味に善し悪しはつけられない。あなたはいい趣味をお持ちだという、グッドテイストはきわめてエリート主義的な考え方だ。グッドデザインがマーケットに出るとグッドテイストデザインにすり替わる偽善の仕組みに、われわれはもっと敏感になるべきだ。シンプルで誠実でマジメな遊び心のあるモダンデザインを愛する傾向は“デザイナーズテイスト”とでも名づけたほうがいい。Gマーク商品がグッドテイストと喧伝される必然性など全くないのだ。──なことまでは本書に書いてない。グッドテイスト云々に関しては僕の意見。が、まあ、この本、いささか退屈だったんで、話が飛び過ぎちゃいました。