藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
ミニマルと反復
本日、アサビで「シンプリシティ」についての講義。
即興でしゃべっているので、うまく語り切れなかったことがいくつかあった。その中のひとつ、「反復」について、98年にCasaBRUTUSに書いた短文をざっくり加筆修整して、頭を整理し直してみた。なんか文体がCasaのまんまだけど、ま、いっか。

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【Repetition】
反復はミニマムやシンプリシティの極意のひとつです。
ほら、桜は毎年決まった時期に咲きますよね。満開になった桜は、私たちに「繰り返し」の中にこそ自然の豊かさがあることを語りかけます。スティーヴ・ライヒのミニマルミュージックが心地よいのは、単純な繰り返しのうちにゆったりとした変容が生じる自然の摂理を、音楽の上に写し取っているからでしょう。

反復を効果的に表現するためには、無駄な要素を削ぎ落とす必要があります。

ミニマルアートの代表的存在ドナルド・ジャッドは、機能や意味さえも削ぎ落とします。ジャッドは同じ形の金属の箱を並べ、人がひとつひとつの物体に感情移入したり、イメージを投影したり、その意味を考えたりするのを抑止します。人は物体が並びの中に、意味や情感やリズムを感じようとするので、逆にひとつひとつの物体のほうは最小限の表現単位となり、意味や記号やイリュージョンから解放されます。音素という言葉がありますが、この場合は“視素”とか、空間の要素という意味で“空素”でも言いましょうか。

ただし四角や円の単純な幾何学的形態の反復だけがミニマルやシンプルではありません。市松模様や青海波同様、アラベスク模様やウィリアム・モリスの植物模様もミニマルと言っていいでしょう。具象であるか濃密であるかの問題ではないのです。完全に同一のものが繰り返されているか、反復に人の認知を超えた微妙なズレが生じているか、の問題でもありません。文様の反復自体が、自然のリズムや宇宙の運行を象徴し、自然に多様性をもたらす源泉や、宇宙の秩序を支える力を感じさせる表現になっているか、が問題なのです。

反復は眩暈を呼び起こし、無限を体感させ、同時に無を予感させます。反復の中に“超越への窓”が見えるとき、人はその反復をミニマムと言っていいしシンプルと呼んでいいのです。

「最大の単純の中に最大の芸術がある」
これは約70年あまり前、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を描いた画帖の中に記した言葉です。構造や素材に偽りがないこと、明快なシステムや理論やコンセプトのもとに統合されていることなど、ミニマムに至る道はいくつかあります。中でも「反復」は、最大の芸術を秘めた最大の単純に至る最高の裏技のひとつと言えるでしょう。

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(もうひとつの究極の技に「対比/Contrast」というのがある。対比に関しては過去の投稿「二項対立1」を読んでみてください)。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-07-11 23:30
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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