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藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
Yanagimotoさま
建仁寺のディーター・ラムス展の記事に長文のコメントをいただきました。Yanagimotoさんって、もしかしてGryph.の柳本さんですよね? はじめまして。間違ってたらごめんなさい。コメントへの返信も長文になりそうです。ですから、こちらに書きます。

Yanagimotoさま

コメントをいただき、すごく考えさせられました。

最近カーサの仕事をしてませんが、僕はあの雑誌ではどちらかというと巨匠&大御所担当で、すでに亡くなった巨匠をこの世に呼び戻したり、還暦、古希、米寿の大建築家・デザイナーからお話を聞くという仕事をしてました。そこで憶えたインタビューのテクニックに、大御所に「でも」と言うな、というのがあります。インタビューの最中、その話、ちょっと違うなと思っても反論してはいけない。「でも、最近はこうじゃないですか」などと言うと、その時点で話の興に乗り始めていた彼らの気持ちが冷めてしまいます。話が脱線しても、とにかく「うん、うん」と聴き続けること。百戦錬磨の老人たちは話を横道にそらしながら、コイツはどれだけオレの話を聞く度量があるか探りを入れてきます。そこをクリアして一生懸命聞いていると彼らはちゃんとインタビュアーにとっておいしいコメントを言ってくれます。聞いてて良かったという話をしてくれます。
相手の懐に入らないと大切なメッセージはもらえない。たしかに彼らは「最近の若いもんは……」「昔は良かった」と聞こえる言い方をするときがあります。だけどそれは入口です。その向こうに大切な言葉がある。僕はそう思ってます。

ディーター・ラムスの時代はあの時代なりの混沌があったと思います。ナチスの傷痕がまだ癒えず、ユダヤ人虐殺の呵責にさいなまれながらも、東西冷戦に突入し、国家は完全に分断される。第二次大戦の敗戦がドイツ人に与えた精神的な傷は非常に大きかったと思います。第一次大戦でもドイツは敗戦しました。経済的にも破綻しました。しかしあの時はワイマール共和国ができ、新しい時代の希望が見えていた。バウハウスも、新しい憲法が制定され共和国の名に冠された町に設立されるわけですし。

しかし第二次大戦の敗戦はドイツの精神的な基盤を根本から揺るがしました。ドイツ的なるものへの信念が崩れ、もはやワーグナー的世界だけを安住の地にして生きていくことができなくなった。そんな状況の中でのウルム造形大学だったと思います。ブラウン社のデザインだったと思います。

ラムスが「ビジョンが必要だ」というのは、戦後ドイツの時代精神(Zeitgeist)の混沌の中から生まれた叫びだと思います。ドイツ機能主義の息苦しさは、過去を拠り所にできなくなった人たちが、未来の展望(ビジョン)に拠り所を見つけようと、もがき苦しんだ必死さの現れだと思います。ナチスに対峙したバウハウスの思想は未来だったはずです。ラムスにしろハンス・グジェロにしろオトル・アイヒャーにしろ、彼らはそこに分裂したドイツ精神の未来を見たはずです。

今の時代の混沌は、彼らの時代の混沌とはかなり異なります。もっとグローバルなものになっている。貧富の格差が広がる世界、深刻化する環境汚染、マーケティング屋さんの理論と分析にデザイナーが返す言葉のない現状、そうした新たな混沌と闘うのは、新しい世代の仕事です。老兵に「こちらを歩め」と道を指し示してもらうのは虫の良すぎる話です。「ビジョンを示せ、前を見ろ」のメッセージだけでいい。僕は彼らが決して反対意見ばかり述べているのではないと思います。

Yanagimotoさま_d0039955_20563131.jpg
次にラムスと侘び寂びに関してです。
桂離宮か、東照宮か。ブルーノ・タウトは東照宮を酷評しました。その背景には戦前の日本人のモダニストたちの思惑がある、と井上章一氏は『つくられた桂離宮神話』で詳しく分析しています。岡倉天心の隠れた影響まで書いてます。たしかに利休は秀吉のために超ゴージャスな黄金の茶室をつくっているわけですし。建仁寺からも近い八坂神社横の、伊東忠太が設計した個人専用展望台「祇園閣」(写真)とか、ああした元祖?とんでも建築まで含めて日本文化ですからね。

ま、おっしゃるとおりドイツ人はケチです。かつて南仏だったかスペインの観光地で、ドイツ人はキャンピングカーでやって来てビーチパラソルからなにからすべて自前で用意してぜんぜんお金を落としていかない、とホテルのオーナーが嘆いていたのを聞いたことがあります。

でも、ケチだから侘び寂びの表層を受けとめてるだけというのはいささか暴論だと思います。あの時代のドイツ人、その中でもバウハウスが示したビジョンに未来を求めた人々が、「生きることすなわち芸術」という境地に至るために、雑然や混沌を削ぎ落とし、空に本質を見た茶人の美学に惹かれるのは、当然の成り行きのような気がします。

僕はラムスの美学が侘び寂びとつながるのが悪いことだと思いません。彼らには彼らの必然があったわけですから。

しかし、モダニズムと侘び寂びのつながりが一面的であることを感じていた人もいました。ウルム造形大学で教鞭を執った杉浦康平氏は、西洋人の侘び寂びだけの東洋思想の理解に強い違和感をもったのだと思います。ドイツから帰国後、杉浦氏はチベットの曼陀羅などアジアの図像研究の深めている。1954年桂離宮にミースのレイクショアドライヴ・アパートメントとの類似を見た写真家の石元泰博氏も、やはり曼陀羅の美に魅せられました。石元氏は1981年修復後の桂離宮の再撮影の際、桂に侘び寂びでない煌びやかな美を見出したという話を直接聞いたことがあります。

欧米のデザイナーや建築家が単にイメージとして東洋でなく、東洋の文化の陰陽の共存の哲学を積極的に受け入れるようになったのは、これは僕の推測ですが、1970年代後半くらいからだと思っています。90年代になるとジャン・ヌーヴェルが『陰翳礼讃』からの影響を公言したり、安藤さんが世界的に受け入れたり……。

日本人は外国人に「日本美の再発見」してもらって喜ぶことをそろそろ卒業したほうがいい──と主張するのは簡単です。たしかに物知り外人を連れて日本のデザインを評価させれば雑誌記事ができちゃうってのはなんか情けない。ですが、一方で、外からの視線を尊重するからこそ、日本人は変化に対応できて繁栄を享受できているというのも事実です。他人を見下す優越感より、劣等感をもっていたほうが、人は伸びます。ラムスはまだ私たちの知らない日本文化を見ているかもしれません。

ラムスがSONYを意識していたことに関してですが、大賀典雄さんのように、芸術全般に深い造詣のあり、デザイン室長を務めた経営者のいた会社が、世界中のデザイナーから尊敬を集めてるのは当然だと思います。今で言えばアップル。ジョブスのデザインへの理解があって、はじめてジョナサン・アイヴの才能が生きる。『Design News』『AXIS』の80年代のバックナンバーで大賀さんのインタビューを読むと、その懐の深さに感動させられます。僕はホント、今のソニーのデザイナーに頑張ってもらいたい。サッカーでたとえれば、監督が明確なビジョンを示せずに、ただ各々の才能あるプレイヤー(デザイナー)がフィールドで自分の頭で解釈したチームの伝統的戦術をバラバラにプレイしている感じです。

Yanagimotoさま_d0039955_20572465.jpg本音のコメントをいただき、こうやって考えを膨らませることができて嬉しいです。本当に有り難うございます。

ちょっと付け加えます。ラムスの姿勢を擁護してきましたが、僕自身のデザインの好き嫌いは別です。遊び心が欲しいというか。ミニマムにデザインをまとめあげるにしても、ちょっと狂気が感じられるエンツォ・マーリあたりが好みですね。でも、やはり語り継がなくちゃいけないデザインだと思います、ブラウン社のデザインは。
アクシスギャラリーのブラウン展、硬派な展示がよかったです。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-10-12 20:44
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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