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藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
自分らしさ(1) 下流社会
最近「自分らしさ」という言葉について思いを巡らしている。
下流ほど自分らしさ志向が強い──三浦展(あつし)氏の『下流社会』(光文社新書)にはそう書かれている。新聞広告でこのフレーズを読んで、いったい何故とえらく気になって3か月前だったか書店でこの本を買った。僕らの世代は小さい頃から自分らしく生きることがいい生き方だと思い込まされて生きてきたので、えっ、どうして?と思ったからだ。

読んだ。どうせオイラは下流だよとスネた気持ちにはならなかったけど、読後感のいい本じゃない。

本書の分析は興味深い。が、先に結論ありきの分析という感が否めない。統計データは豊富だが、都合いいデータをピックアップしている。たとえば、「上」も「中」も「下」も所得に関わりなく8割近い女性が自分の子どもに「自分らしく生きること」を望んでいるという調査結果が書かれているが、それに関しての考察はない。「自分らしさ=下流」という印象を強調するために、こうした都合の悪いデータは無視されている。

ま、でも、非常に勉強になる本だった。見出し・小見出しが絶妙なのだ。「下流の女性は歌ったり踊ったりしている」「700万円をとるか子どもをとるか」とか。小見出しをパラパラ見ているだけで本の内容が分かる。いずれも人のコンプレックスを刺激するフレーズだ。数字データを駆使しているので、果たしてどんな裏付けで書かれているか読みたくなる。買って帰りの電車で読んでみるか、って気分になる。

小見出しというのはグレーゾーンだ。著者がつけたのか編集者がつけたのか分からない。本文より思い切ったことを書くことができる。読み進める人の休憩所であり、途中から読む人たちのための入口であり、人の心をつかむためのランドマークである。だからここはキャッチーなことを書いてもある程度許される。本文で正確な考察を行えばいい。

『下流社会』はこのグレーゾーンを巧妙に利用している。そこまで言うか、という発言を見出しに集中させている。本文を読むとそこまで書いてないじゃん、という部分もある。「地方出身者は『上』になりにくい」と小見出しで謳って、本文では「23区出身者で『上』が少なく、三多摩出身者で『下』が非常に多いが、理由はわからない」と申し訳なさそうに小見出しと矛盾したデータを披露している点とか……。

で、著者はあとがきに「見出しに『?』が多いように本書に書かれているのは仮説である」とエクスキューズしている。たとえば「第4章 年収300万円では結婚できない!?」とか「第5章 自分らしさを求めるのは『下流』である?」──。「?」とか「!?」とか付ければ許されるって、それは仮説というより煽り。『BRUTUS』の見出しと一緒じゃん。

よく読めばボロが出てくる本だが、それだからこそ優れたマーケティング専門家&雑誌編集者の才能を感じるのだ。コンプレックスを刺激して人を釣る。売れる雑誌をつくれる人は、お金を出してくれそうな人たちのコンプレックスに敏感に察知する感性を持っていて、そのコンプレックスを見出しにできる。時にコンプレックスを刺激していることを意識させないように美しい柔らかな言葉に言い換え、時に“遅れるぞ”と煽り、時にむき出しの言葉で劣等感を直接刺激する。僕の知っている優秀な編集者には、そういう能力を持った人が多い。意識的にやっているか天性かは人それぞれだが……。著者の三浦氏は元『アクロス』編集長だ。

本書の統計には設問が明らかにおかしなものがある。「結婚も仕事もあまり関心がない。あくまで自分らしく生きたい」という質問に、「そう思う」と答えたのは「上」はゼロで「下」が22.6%。だからって「上流は女性らしさ、下流は自分らしさ」という小見出しにはならない。仕事や家庭で自分らしく生きようと考える人のことを意図的に無視している。

しかも、このデータを披露した後、著者は「上」の女性は従来の男女観を肯定してリーダー的な性格を併せ持つという分析している。それが次の文章では「才色兼備型」となり、さらに次の文章では「仕事ができて、容姿も端麗」となっている。容姿のデータなどどこにもないのに。これは思い込みというより意図的なイメージ操作だ。

同様のイメージ操作は「シルバーシートで眠る若者」という図版などにも現れている。空いてる電車なんだから疲れてるなら寝てもいいじゃん、と冷静なツッコミが入れる感性が統計という数字の魔術に惑わされる。地下街か駅で寝ている人の写真を撮って顔にモザイクをかけて「希望を失った若者が街中に倒れ込んでいる」というキャプションをつけるなんて情報操作しすぎ。雑誌的悪ノリとしか思えない。

自分らしさを求めることはコンプレックスの裏返しだ、という秘かな設定が『下流社会』の隠されたコンセプトだと思う。「自分らしさ」を「コンプレックス」と言い換えてみればいい。下流はコンプレックスが強い……とか。

今も女性誌や女性向け商品の広告では「自分らしさ」というフレーズが使い続けられている。「自分らしさを魅力的に演出」ならファッション、「自分らしく輝きたい」ならコスメ、といった具合だ。自分らしさとは女性のコンプレックスをやさしく刺激する魔法の言葉だからだ。クルマや住宅などステータスを表す商品の広告にも「自分らしさ」というのはしばしば使われる。

この本の真のターゲットは上流とか中の上と自分で意識しているけど、今もずっと自分らしさを求めている人たちだろう。つまり地位も所得も手に入れたのにコンプレックスを持ちつづけている人たち。彼らはコンプレックスを隠している分、刺激されると敏感だ。ステータス意識をデータを駆使した学問風に刺激すれば彼らはお金を落としてくれる。

コンプレックスを持ち続けているなんて──自分らしさを求めるなんて下流だよ、と彼らに語りかければ「商品=本」は売れる。上流はゆとりを求めなさい、あの自分探しが行き詰まったニートの若者たちを見なさい、と。先に結論ありきの小見出しこそ、『下流社会』という本の本質である。

といってもこの本は、マーケティングや広告の専門家にとってゆゆしき問題を提示している。自分らしさを求める若者がニートになって、生産も消費もしなくなっているのだ。コンプレックスを感じていてもそれが消費につながらない。自己表現のために働いて学んで消費するという図式が成り立たない。彼らには今までの広告の常套手段が通用しない。消費スタイルで人間を分類していたのだから、そんな人たちが増えてもらってはマーケティング屋の商売が成り立たない。

若者よ、コンプレックスを感じているなら物を買え、自己表現したいならひきこもるな、朝からパチンコ屋に並ぶようじゃ困る(じゃ、デイトレードならいいのか!)、消費こそ個性だ、という叫びが、やりすぎの感があるイメージ操作写真に漂う。その必死さが物悲しい。


さて、次回(おそらく)の投稿では次世代の「自分らしさ」とは何かについての記事を書くつもり。お楽しみに。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-01-06 18:02
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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