藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
だいたい80年代なデザイン用語集
ある人にメールを書いてたら、80年代用語集みたいなものができてしまいました。おもしろいから加筆して載せます。
80年代といっても正確に言えば70年代後半から92年バブル崩壊あたりまでの話です。実はこの時代、今とほとんど価値観は変わりません。バブルの崩壊があったので断絶しているように見えるだけですが、行き過ぎた軽薄短小の中に、現代文化の重たい本質が隠されている──僕はそう思っています。さて、じゃあ、用語集、始めます。
※注/このエントリーはどんどん加筆していきます。最初にアップした状態とはずいぶん変わると思います。


---------(○-ω-)ノ【 Fujipedia 】ヽ(-ω-●)--------

【近未来】
冷戦が終わり、ブレードランナーやAKIRAのような「核戦争以降の汚染され荒廃した大都市=近未来」というイメージは少なくなりました。80年代廃墟のイメージは、磯崎新のつくばセンタービルやナイジェル・コーツの建築などに使われました。だけど「ピクチャレスクな廃墟+ハイテク」のイメージは今もしっかり生きています。押井守はその正統な継承者です。阪神淡路大震災やグラウンドゼロはまさにそのイメージの現実化。どんよりした近未来の雲は今も世界を覆っています。

【ポストモダン】
ポストモダニズムは終わっていません。モダニズムも終わっていない。建築デザインでの狭い意味でのポストモダンがあっけなく消え去っただけ。モダニズムのエッセンスを巧みに編集し直している安藤忠雄や、フランク O. ゲーリーの構造と意匠の従来の棲み分け方を崩した建築や、佐々木睦朗の構造設計こそ、ポストモダニズムと言ったほうがいいと思います。70年代後半から80年代に起こったことは「モードとしてのポストモダン」。しかし本質的なポストモダニズムは現代的問題だとしっかり定義し直したほうが、90年代から00年代の建築の流れは見えてきます。建築の方々は様式論的にものを見ることが好きなようですが、様式論ではもはや21世紀は区分できなくなっています。
プロダクトデザインも同様で、ポストモダニズムは過去のものと思い込んでるデザイナーが多すぎます。モダニズムは悪辣な本性を現し、現在の世界を支配しています。それに対抗する力は、21世紀の人々が考えなければならないことです。

【文化戦略】
西武セゾンの文化戦略は経営的失敗で挫折したけれども、企業がブランディング戦略やCSR(企業の社会的責任)活動の一環として文化戦略を行う意味は増大しています。ルイ・ヴィトンが村上隆とコラボしたり、プラダがヘルツォーク&ド・ムーロンに店舗を設計させたり、エルメスがレンゾ・ピアノに設計させたビルで現代美術の展覧会を行うのはしっかり文化戦略ですからね。
とにかく最先端の「情報発信基地」をめざすため、現代美術や現代音楽、演劇、映画の砲弾をターゲットを定めずとにかく打ちまくっていたのがセゾンの80年代の文化戦略だと言えるでしょう。貧乏な美大生や舞踏青年を相手にしてどうすんの?ってのがありましたから。それに比べて現代の文化戦略はかなり洗練され標的もしっかり定められてます。

【DCブランド】
デザイナーズ&キャラクターズ・ブランドの略。死語化してますが、ブランドビジネスにデザイナーのキャラが大切なのは、今も昔も変わりません。±0は深澤キャラでもっているブランドですし。
いま発売の『BRUTUS』を見て驚いたのですが、NIGOは自分の名前の横に小さくRと登録商標マークを入れてます。なんだかな。DCが流行していた当時は、デザイナーズブランドとキャラクターズブランドは微妙に別物だったのですが、ここでは完全に「デザイナー=キャラクター」になっています。デザインビジネスというよりキャラクタービジネス。進化した究極のDCブランドとでもいいましょうか。

【なんとなくクリスタル】
現・長野県知事のデビュー小説。出てくるブランドは隔世の感がありますが、記号論的生活を浮遊する虚無感は25年後の今も変わりません。メディアはその虚無感を否定するのにあの手この手で必死です。いまやラーメンも建築家もブランド化の時代ですから。1981年刊で1980年の東京が舞台。主人公はいま息子が大学生くらいのお母さんかもしれません。
「なんとなく」というあいまい表現が時代を先取りしています。なんか〜、みたいな〜、感じ。今なら「ビミョーにクリスタル」ってとこでしょうか。

【マルチメディア】
CD-ROMコンテンツ業界が衰退したせいで、この言葉は死語となりましたが、五感や身体感覚のデジタル化の重要性は現在も増す一方です。

【ソビエト連邦】
いまや地球連邦やジオン公国くらいのリアリティになってます。

【パンク】
リアルにパンクを体験した人たちは1970年代後半ですが、80年代にも余韻が残ります。セックスピストルズとかクラッシュとかデッドケネディーズとかモッズとか聴いてた人たちは、パンクがここまで根強く、しかもファッションとして広がりをもって生き残ると、誰が想像したでしょうか。パンキッシュなんて言葉もあってオジサンビックリです。NANAと見るとNENAかと思うし。ネーナの曲はポップスだけど脇毛はパンクだったなあ。

【ヘタうま】
言葉自体は死語化してますが、今もヘタうまのパワーは強烈です。ヘタうまの元祖、湯村輝彦はいいイラストを描き続けているし、花くまゆうさくとか白根ゆたんぽとかしりあがり寿とか継承者もしっかりいます。ニューペインティングとグラフィティとコミックスとパンクを結ぶ美意識ですし、反抗的「ゆるさ」とでも言い換えられましょう。

【新人類】
もう40〜50歳です。ホントに新人類だったんでしょうか。今は勝ち組とかいって、がっちり保守層を形成しています。

【イラストレーション】
ダンボールを使ったオブジェで注目を集めた日比野克彦が、1980年代のイラストレーション界を変えました。
当時NYで「ニューペインティング」(新表現主義絵画)と呼ばれた現代美術の新しい潮流が起こります。現代美術界では、1960代後半から1970年代、コンセプチュアルなアートが流行したため、作品の商品化が難しくなります。絵画というのは最も流通させやすい美術の形態なのです。欧米では現代美術のディーラーの後押しもあり、絵画の復権が起こります。
日本にもこの動きが入ってきます。しかし不思議なことに、日本では現代美術界で絵画の復権より、イラストレーションやデザインのアート化という現象を引き起こします。当時イラストレーションの世界ではエアブラシを使ったスーパーリアリズムが流行していました。超絶技巧がないとイラストは描けない。かといって日本の現代美術の閉鎖的な世界に違和感を感じる。そうした若者たちが、ヘタうまの流行、欧米のニューペインティングの影響を受けて、新しいイラストレーションを目指します。グラフィックデザイナー横尾忠則の画家転身もニューペインティング現象抜きには語れません。
日比野克彦が1982年日本グラフィック展で大賞を獲ると、日グラ展や日本イラストレーション展(JACA展)といった公募展に若者たちが大挙してニューペインティングな作品を持ち込みはじめます。榎本了壱は当時彼らを「デザイン難民」と呼んでました。
Macの浸透のせいでイラストレーション事情が一時がらりと変わり、オブジェ化した作品が減りました。しかしあの頃の日グラ展やJACA展の祝祭的勢いはGEISAIやデザインフェスタ、デジスタなどに引き継がれています。

【バブル】
いま再び。

【スウォッチ】
限定、アーティストとのコラボ。おそらくケータイデザインはスウォッチの道をなぞるでしょう。もちろん時間を刻むという単機能とケータイの超多機能とではえらい違いはありますが、あれほど多くのデザインのバリエーションを出して、出せば出すほどブランドアイデンティティを強めたスウォッチの戦略は、いまだそれに比すものありません。どちらかというとデザイン言語を絞り込みじわじわ広げるApple流のほうが本流ですから。

【Be-1】
坂井直樹プロデュースの日産の小型車。Be-1を考えると今、日産がデザインを売りにして、ニューデザインパラダイスなどのスポンサーをしているのが時代遅れに感じます。曲面の質、かたちの力、プロポーションは今の日産デザインにはるかに劣りますが、デザインによって乗る楽しさ、所有する喜びを伝える「メディア」としては、モダンリビング云々と歯が浮きそうな言葉で商売している現行の日産車に負けていません。いやむしろそれ以上です。後継のPAOはそこそこでしたが、坂井直樹プロデュースでいえばオリンパスのO-PRODUCTが名品。1934年MoMAのマシーンアート展に出品されていたアノニマスな機械あたりを巧みにリミックスしてます。引用やリミックスにもセンスと才能が必要です。M2とは違います。

【感性】
この時代、一人歩きし始めた言葉の代表です。大切な言葉ですが乱用されすぎました。西友のデザインワークを集めた本のタイトルは『感性時代』。で、いまだに感性品質とか感性デザインといった一人歩きをしてます。人間の感覚や感情、嗜好を定量化して科学的記述を試みる感性工学の存在意義は分かります。でも、感性デザインって何ですか? 大学の学科名にもなっているようですが意味不明です。

【ニューアカ】
ニューアカデミズムの略。みなさん、今も逃げてますかあ? 僕は逃げてるかも。結局、浅田彰以外誰がいたんだろう? あっそうか中沢新一。

【ファジー】
この言葉もマスメディアによって一人歩きさせられた言葉です。いまは故郷の工学の世界に戻って地味に暮らしています。捕らえ所のない曖昧なものに「感性」や「ファジー」「新人類」といった学術用語っぽい言葉をのせ畏怖の念を加えて商売していた人たちがいたわけです。

【ハイテク】
難解な哲学用語を駆使する若い学者は「ニューアカ」、上の世代にとっては異質だけど才能のある若者は「新人類」、文化の目新しい動きは「ニューウェーブ」……そうした中身はよく分からないが注目すべきものを一括りにする便利な言葉のテクノロジー版が「ハイテク」でした。技術が高そうならなんでもハイテク。ハイテックともいいました。ホログラムとかビデオとか使うと「ハイテクアート」。宮島達男のLEDのカウンターも出てきた当時はバリバリのハイテクでした。
ノーマン・フォスターの香港上海銀行ビルは「ハイテク建築」と呼ばれていました。今、ゲーリーの建築を見て、あのビルはコンピュータで構造解析して斬新な構造を持つから、ハイテク建築だなんて呼ぶと失笑を買います。ハイテク産業って何のことを指したのでしょう。きっとIT産業という言葉も同じ運命を辿るんだろうな。

【空間プロデューサー】
松井雅美、山本コテツ、シー・ユー・チェンといった方々がおりました。松井雅美の著書は『空間の神はディテールに宿る』です。あれミース? モデルのような出で立ちの写真も掲載された芸能人本っぽい本です。バブル経済崩壊とともに人気空間プロデューサーたちはメディアからいっせいに姿を消しましたが、今も活躍されているようです。
彼らの打ち出した方向性自体は間違っていません。というより彼らはナラティブデザインの先駆者です。ナラティブとは物語性のあるってこと。インテリアデザイン、サービス、メニュー構成、ユニフォームまでトータルにディレクションし、空間に物語を展開する彼らの手法はいまや飲食の王道です。たとえば、テレビなどで有名な、紅虎餃子工房などを持つ際コーポレーションの中島武社長はデザインのこと、かなり詳しいようです。
※参考/中島武と仲佐猛の対談。

【スタルク】
この人こそ、1980年代の胡散臭さと21世紀をつなぐ象徴的人物。うんこか炎か。どっちにも見えるからスゴいんです。浅草のビルのことですよ。

【記号論】
思想的な流行とか関係ない基本中の基本です。ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』はデザイナーの必読書です。過去の思想だと思う人はブランディング戦略に無知な人たちです。

【メンフィス】
1981年エットレ・ソットサスが立ち上げたデザイン集団。組織というよりゆるくて広がりのある“集まり”だったので、デザイン運動といったほうがいいかもしれません。
ソットサスはデザイン思想の創造者というよりはトリックスター、お騒がせ役です。ポストモダンの世界的な流れを大々的に利用したにもかかわらず、あれはポストモダンじゃなくニューインターナショナルスタイルだと言っていたわけですから。考えてみればメンフィス以前のソットサスはペリー・キングと共作の赤いABS樹脂製ポータブルタイプライター以外、目立った代表作がない。ただMoMAのニュー・ドメスティック・ランドスケープ展に参加するなど重要な場所でしっかり存在感をアピールしていた。お騒がせ役じゃなんなんで、知的で詩的なトリックスターといっておきましょう。
トリックスターがその時歴史を動かします。それが1981年の第一回メンフィス展です。ラディカル路線が行き過ぎ、国際的に力を失いかけていたイタリアデザイン界にカンフル剤を打ったのです。日本から倉俣史朗や磯崎新らが参加したメンフィス展は、一流デザイナー&建築家の国際ネットワークを張り巡らせ、ラディカルデザインの余韻が残るミラノこそ世界最先端のデザインの中心地だと宣言したようなものです。アレッサンドロ・メンディーニも同じような仕掛けを行い、二人はデザイン王国イタリアを復活させます。その功績はもっと評価されるべきです。
現在、行かない人間はちょっと引くくらいの盛り上がっているミラノサローネは、メンフィスのカンフル剤のおかげといっていいでしょう。

【CI】
中西元男率いるPAOSは1970年代マツダやダイエーなどのCIを手がけ、1980年代日本のCIデザインを一気に花開かせます。もちろんCIはパオスだけがやってわけじゃありませんが、あまりにどの企業も幾何学的でモダンな、パオスっぽいロゴになり、あえて手描きっぽさで勝負した吉田カツが描いたフジテレビのマークが実に新鮮に見えました。
バブル崩壊でCIブームは去ります。しかしブランディングという観点からいえば、CIの大切さは今も変わりません。楽天もソフトバンクもライブドアも企業ロゴはえらく安っぽい。消費者金融と変わらない。IT企業の経営者はCIの勉強をし直したほうがいいでしょう。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2006-02-05 02:27 | お気に入りの過去記事
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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