ジョエ・コロンボのアラーム時計「オプティック」がカッシーナ・イクスシーから復刻されます(発売日は未定とのこと)。1970年のデザインで1988年アレッシィが復刻。しかし10年くらい前に廃盤に。遅すぎるくらいの復刻です。5250円で昔より安くなってます。乾電池式からボタン電池式へ。ムーブメントが変わり、背面の操作系も違うものになってます。でも買おう。
で、10年前に書いたジョエ・コロンボ(JOE COLOMBO)論をアップします。長文です。初めてイタリア文化会館の図書室に行ったもの、当時ほとんどなかったコロンボの資料を探しに行くためでした。
1996年『BRUTUS』3/15号が初出。だいぶ手を入れています。文章は固め。というか、今読むと「力もう少し抜いたら」という文章ですが、肝心なことはしっかり書いてあると思います。
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もし彼が生きていれば、今いったいどんな作品を作っているだろうか。
ジョエ・コロンボがイタリアの「黄金の60年代」を代表するデザイナーの一人であることはあらゆるデザイン史家が認める揺るぎない事実である。しかし実際、コロンボがデザイン史上のマエストロに相応しい長さの人生を送ったかというと、そうではない。
【誕生日に亡くなった夭折の天才】
1971年、彼が心臓病で突然この世を去ったのは、本来なら祝福すべき41回目の誕生日のことだった。彼がデザイナーとして活躍したのはたった10年間……。コロンボと同じように60年代に頭角を現したエットレ・ソットサスより13歳も若く、アレッサンドロ・メンディーニやガエタノ・ペシェなどと同世代と考えると、ついついコロンボはポストモダンブームとどのような関わりをもっただろうか、彼はコンピュータのある居住空間をどうデザインしただろうか、などと想像をめぐらしてしまう。
もちろんそうした考えは不毛な空想でしかないことが多々あるが、コロンボの場合、そうとも言い切れない面がある。というのは、彼がきわめて今日的な方法論で家具や居住空間のデザインを行っていたからだ。
それは住居の内側のプログラム、つまり家具(コロンボ的な言い方をすれば装備)のシステムを考えることから外側の住居のあり方を規定していく方法であり、現代風に言えば、内側のソフトウェアを先に決定し、そこからハードウェアを考えていくという方法を彼は採ったのである。コロンボの言葉を引用すると──
「都市計画は建築を限定し、また建築は次に〈インテリア〉を配置しました。そのインテリアは最後にファニシングの物体で一杯にみたされました。そこではデザインは統一されず……(中略)問題の分析は今日まで通常なされていたのとは逆に中心から外へ向かってなされるべきなのです」。(『都市住宅』71年4月号)。
「建築設計計画の新しい方法論を探求するためには、現代人の生態学的研究、特に現代人が生きている小宇宙の生態学的な研究を出発点とするほかない。人間をとりかこんでいる直接的空間と私たちの現実に密着して住むために必要な施設とを注意深く分析すれば、それは必然的に今までの建築と異なった、より現実的な建築を決定する住み方に関する新しい考え方が得られることになるだろう。」(『インテリア』130号、1970年)
しかし、彼はこの試みを一貫して行ったわけだが、この方法でもたらされた彼の答えが正解だったかというと、決して首を縦に振ることはできない。この辺りの考察する前に、まず先にジョエ・コロンボという創造力に充ち溢れ、スキーや自動車、そしてパイプを愛した人物のプロフィールとデザインの特長をゆっくり紹介することにしたい。
【アーティストからデザイナーへ】
ジョエ・コロンボは1930年ミラノに生まれ。本名はチェザーレ・コロンボ。ミラノの画学校を卒業。51年にエンリコ・バイとセルジオ・ダンジェロと「モヴィメント・ヌークレアーレ」(核運動という意)を結成。
非具象画 を描き、当時のイタリアの前衛的美術運動の主要な展覧会に出品し、現代美術の最前線で活躍した。
58年、父親が病床につき、父の経営した電気部品工場を継ぐことになりアーティスト活動をやめてしまう。しかし彼はアーティスト活動に並行して建築を勉強しており、今度はデザイナーとして再び創造活動に携わることになる。
61年、コロンボは工場経営をやめ、62年ミラノにデザイン事務所を開設する。デザイナーとしてトントン拍子に成功の階段を駆け上がり、65年の第5回イタリア家具サロンでプラスチック素材を使った家具などを発表し、この展示会の話題を独占するまでになる。のちに65年は〝コロンボの年〟とまで言われた。
【プラスチックへの挑戦】
この頃、イタリアはスカジナビアから家具デザインの主役の座を奪いつつある時期だった。
50年代後半から60年代、カッシーナ、カルテル、アルフレックス、フロス、アルテルーチェ、アルテミデなど幾多の輝けるイタリアデザインを支えた家具・照明具メーカーが、独創的なデザイナーと組み、彼らの芸術的才能と自分たちが抱えるクラフツマンの優秀な技術を見事に結合させて、世界的成功を手にしたのだ。しかも奇跡的な戦後復興を遂げた波に乗り、特にイタリアの化学産業は世界的規模の産業となっていた。
アクリル、ABS樹脂、FRP、発泡ウレタン樹脂、さらにイタリアで開発されたポリプロピレンなどと、50年代にはプラスチック素材の役者は出揃い、デザイナーたちはその新素材に果敢に挑戦し次々と新しいデザインを生み出していった。そうした潮流の最先端のど真ん中にコロンボは位置し、時代をリードしていった。
プラスチック一体成形を試みた
「ユニヴァーサル・チェア」 (結果的には脚部と背座部の2つのパーツの成形となったが、構造的にも効率的にも無理がなく今も定番、クラシカルチェアという名でカルテルで売られている)や、FRPのシェルを使った椅子
「エルダ」 、透明アクリルの卓上照明具「アクリリカ」(現在の商品名は
コロンボ281 )など、コロンボは積極的に新素材を採用した。
【システムからの発想】
新素材の採用と並んでコロンボのデザインの特色となっているのがマルチファンクションである。複数の機能を持ち、必要に応じていろいろな使い方ができる可変システムのことだ。
製図机の脇に置くためにデザインされ、いまや美容院御用達のコロンボ作品で最も知られたマルチパーパスのプラスチック製ワゴン
「ボビー」 や、ワゴンに小型冷蔵庫、電気コンロ、収納が組み込まれた「ミニキッチン」や、組み合わせ次第で本棚、整理タンス、コーヒーテーブルにもなる円筒形の「コンビセンター」など、複数の機能を搭載し、キャスター付きで移動可能、使い方はユーザー次第というのは、まさにコロンボのデザインの十八番であった。
アロジェナ(現在の商品名は
コロンボ626 )など多くの照明具は高さや光の向き自由に調節できるようにデザインされていた。
コロンボは
大小のモジュールを組み合わせ形をさまざまに変えることのできる家具 をデザインしている。サイズの違うポリウレタン製のクッションをつなぎ合わせ、好みの形態のベッドや椅子にできる
「アディッショナル・システム」 や大小の円筒をつなぎ合わせる「チューブチェア」は使う人の好みで自由に形を変えることができる。いずれもひとつの決まった形をデザインすると言うよりは、システムをデザインするという発想から生まれたものであり、最終的なデザインをユーザーにゆだねたインタラクティブな参加型デザインとも言える。
【未来の居住空間への提案】
コロンボは60年代末になると、こうした発想を単品の家具デザインだけでなく、居住空間のデザインまで押し広げようと試みる。
69年ケルンの家具見本市に出展された
「ヴィジオナ」 は、バイエル社が「明日の住居のための提案」というテーマでコロンボにデザインを依頼したものだ(ちなみに
ヴィジオナ2 は翌年ヴァーナー・パントンが手がけている)。リビング、キッチン、夜のブロックの3つのスペースに分かれている。電子メディアに対応するようリビングにはAV機器が組み込まれ、キッチンはレンジ、皿洗い機などを歩き回らないで操作できるよう徹底的に効率化された配置がなされ、また、夜のブロックはオフィスとしても使えるリビングからプライベート空間を遮断する配慮がなされている。
ヴィジオナの中で発表した居住空間のアイデアを1971年コロンボはさらに進化させた。それが、72年、没後MoMAで行われた「ニュー・ドメスティック・ランドスケープ」展に白と黄色のコンパクトな居住空間
「トータル・ファニシング・ユニット」 である。(リンクの一番上はヴィジオナ展の中のトータル・ファニシング・ユニット、それ以外はMoMA版)。それは空間でなく機能から発想されたシステム住居だった。他にもコロンボはもともと自宅のインテリア用にデザインしたものを量産仕様にした「ロト・リビング」と
「カブリオレット・ベッド」 など複数の機能を持つインテリアを提案した。
それらは女性の社会進出による生活空間の変化や、電子メディアの発達、さらには居住区間のオフィス空間の一体化などにいち早く対応した装置であった。コロンボは、「ヴィジオナ」について、通常のヨーロッパの住空間より約20%も省スペース化されており経済的で、自動車のように量産可能であり、極言すればインダストリアルデザインと言えるものだ、と説明しているのだが、つまりこの非常にSF的に見える姿をした空間は、彼にとってはフィクションでもファンタジーでもなく、未来の人間生活を予測し、想定される将来のニーズに対応できるシステムを提案した合理主義的精神の塊のようなデザインだった。つまり、可変的システムによる柔らかな機能主義である。
生活空間に昼と夜の概念を採り入れ、時間によってレイアウトが変わるようデザインされた「ロト・リビング」や、コンパクトに住むための機能がまとめられ、しかもユーザーによってレイアウトが変えられる居住装置「トータル・ファニッシング・ユニット」はまさにソフトファンクショナリズムと言っていい。
【しなやかな合理主義】
しかし、コロンボの未来──つまり21世紀の現代、コロンボが考えたほど居住空間は可変的なシステムを採り入れたものにはならなかった。
いま見ると「ヴィジオーナ」は「かつてのSF的」な空間に見えてしまう。「トータル・ファニッシング・ユニット」は宇宙船の中の息が詰まる空間のようだ。それは夭折の天才デザイナーの見た未来の夢にすぎないものだったのか。
60年代後半、学生運動がもたらした政治文化状況の変化、産業社会の急速な発達による核家族化、過激なフェミニズム運動を伴った女性の社会進出、テクノロジーの進歩があまりに劇的だったため、コロンボはそれら変化による人間生活の進化をオプティミスティックに信じすぎていたようだ。その結果、彼は人間の住居への嗜好の保守性や、合理的なものを拒絶する人間の本性を軽視した。人間の住まいへの記憶──幼少期の記憶、歴史的な記憶などは簡単に捨てきれるものではない。
だが、コロンボの方法論自体は色褪せていない。彼のシステムからの発想は、形をつくるだけでは解決し得ない難問が突きつけられた現代のデザインには不可欠なものだ。たとえばエコロジーの問題は個々の製品デザインだけでは絶対解決できない。あらゆる工業製品にリサイクルシステムのプログラミングが埋め込まれていなければならないのだ。
コロンボが約10年間余の短いデザイナーとしての活動の中で、一貫してプログラミングしたその方法論は今日でも非常に示唆深いものだ。システムから発想するデザイナーはややもすると、方法論に溺れ、形のエレガントを失う。が、コロンボにはそれがなかった。
ポストモダン時代のデザイナーがそうしたように機能主義からの逸脱を標榜するのでなく、コロンボはひとつ上のメタな次元から機能主義を眺めている。それゆえ彼の作品は機能主義の息苦しい感じがなく、遊び心がある。コロンボは機能を遊んでいる。しなやかに合理主義を生きるその姿はまさに現代のデザイナーに問われるものだ。だから、彼が生きていたら、何を作っただろうと想像してしまうのである。
【関連リンク】
・
ジョエ・コロンボ・スタジオのオフィシャルHP
・
JOE COLOMBO回顧展レポート@DESIGNTOPE 日本語、図版あり
・
designboomのコロンボ回顧展リポート。英語。図版豊富
・
Design Museumのコロンボのページ。図版あり
*******************
参考文献:佐藤和子著『「時」に生きるイタリア・デザイン』 三田出版会(現在・TBSブリタニカに版元変更)、1995年
Ignazia Favata著『Joe Columbo and Italian Design of the Sixies』 Thames and Hudson刊, 1988年
にしても、JOEはジョエかジョーなのか。本名じゃないから、わざとアメリカっぽい名を付けてジョーと呼んでた可能性はありそうです。ジョー樋口やジョー山中(本名・山中明)、ミッキー吉野とかと同じノリ。でも、JOEと綴って雑誌などで発表してたらイタリア人はジョエとしか呼んでくれなかったとか……。僕は1960年代に工業デザインを学びイタリアへ渡り、その後当地でデザインジャーナリストとして活躍されている佐藤さんが書かれた『「時」に生きるイタリア・デザイン』 の表記に合わせました。この本はイタリアデザインの歴史を知るための必読書。勉強になります!
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