藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
3D看板建築+巨大展示機械
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国立新美術館の黒川紀章展(3/19まで)、楽しめました。特に作品の説明文が…。大阪のソニータワーを解体する件について解説文に「本気か!」とか書いてあったり。特に初期メタボリズム時代の作品は、狂気ギリギリの本気が心地よい。歌っているところをほどんど見たことないけど、なぜか内田裕也のロック魂に感心していまう、といった感じ。自然体とか、等身大の私とか、自分らしく生きるとか、そんな平成の日本を覆い尽くしているナイーブな感性とは真っ向から対立する世界です。ただ、黒川氏の場合、建築を語る大言壮語のマニュフェストと、実施された設計がいささか乖離した作品もけっこう多くて……そこが政治家向きのような……。

で、その黒川氏設計の国立新美術館は、氏の言う「巨大展示機械」に徹した設計に好感が持てました。しかもこれは巨大な「看板建築」でもあります。看板といってもガラスの湾曲したファサードだけではありません。ロビーの吹き抜け空間も看板です。メディアが喜びそうなフォトジェニックな空間は、平面でなく三次元でも「看板」と言っていいと思う。つまり、3D看板建築──。その曲面を多用したファサードとエントランスロビーが、四角い無機質な展示スペースの前面に置かれている。「巨大展示機械+巨大看板建築」です。

東京都現代美術館@木場の無意味なモニュメンタルさよりは数倍よろしい。都現美は、ロビーだけが誇大妄想的で、一旦チケットを買って展示空間に入ると、デパートの売り場を歩き回るような「せせこましさ」がある。しかもその展示空間に、つながりが感じられない。エスカレータに乗って次の階に移動するときとか本当にがっかりします。

国立新美術館は、可動間仕切りで自由に大空間を仕切れる。つまり、見本市会場的空間に徹しているので潔い。ただし、幕張メッセやビッグサイトなどの、見本市専用会場は、天井高が高い大空間なので、どこに自分がいて、会場の大きさはこれくらいなので、歩くスピードはこれくらいにしようと計算できるけど、ここは、どこまで展覧会が続くのか、見当が付かない。企画展「20世紀美術探検」も見たのですが、とにかく広い。そう人から聞いていたので、最初の作品から駆け足でササッと見たけど、それでもまだ作品あるのか、って感じでした。ジョルジョ・モランディのアトリエを撮った写真が良かったです。もうひとつの企画展は、疲れたのでパスしました。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2007-03-11 13:54
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藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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