藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
DAGODA展@GEIDAI
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DAGODA展、始まりました(〜28日)。フリーペーパーのメイキングプロセスを展示しています。5月法大で行ったtakramの公開講義のビデオも会場で流しています。会期中しか見られないものです。もちろんDAGODAも配布しています。展示の企画・構成は東京藝術大学大学院視覚・伝達研究室の学生によるものです。
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メイキングプロセスの展示といえば口当たりはいいのですが、没案を展示したものです。完成品がやっぱりベストですから、正直「見どころ満載、必見の展覧会です」なんて書けません。

が、しかし、雑誌づくりに大切なこと──「過剰に徹すること」は十分に感じていただけると思います。ふーんこんなもんかって見ると5分もかからず見られる展覧会ですが、「お手にとってみてくだい」というものまで見て、完成品のDAGODAと見比べて、ビデオとかも見ると、けっこうじっくり見られる展覧会だと思います。

最終的に使われなかったものが大量に出てること──。それが雑誌の勢いです。シンプルにまとめられた構成にも、過剰はエネルギーとして誌面に残ります。紙の感触やタイポグラフィの匂いにも似たものです。言語の脇で言葉を引き立てる力。「やりすぎ」こそ雑誌です。それをまとめるのが編集者です。

ネットは過剰なものが過剰なまま出てしまうことが可能ですが、雑誌は過剰のものを編集して、決まったページ数の中に収めないといけません。雑誌はネットに速報性で勝てません。ネットの勢いは自然発生的です。掲示板の書き込みがすごいとか、編集されないことが逆に勢いになる。

しかし、雑誌の勢いは編集者・デザイナー・ライター・カメラマンなど関わるスタッフ全員が、「編集」を意識して作為的につくりだす勢いです。どの話題をどういう流れで面白く書くか、どうトリミングするか、どの図版とどの図版を組み合わせるか、それらはすべて編集です。

情報てんこ盛り感はお得感を演出します。しかし雑誌は、てんこ盛りだけでは商品やブランド紹介だけのカタログ雑誌になってしまいます(昨今の雑誌界の実情はそればっかりなんですが)。流れをつくってググッと惹きつけてスススっと読んでもらうのも大切。しかし軽い記事だからと、時間も手間もかけずにサクッとつくると、スカスカになって、次の記事を読みたいとか、次号も是非買いたいという意欲につながりません。作り手の手抜きに受け手はものすごく敏感なのです。

「そこまでやるかー」という過剰に徹する心意気で最終的にはサクッと読めるものをつくるというのが記事づくりの醍醐味です。手抜きと絶対思わせないサクッとした感じ──。優れた料理と同様です。サクッとした食感・サラリとした喉ごしの中に、手間暇の余韻が残るんです。

物書きも同じです。過剰の取材がいい文章を生む基礎です。さらりと読めるけれども、何かエネルギーを感じる文章ってあるんです。僕は編集でもライティングでも過剰の末のシンプルさを目指しています。

このことは、デザインのプロセスにも通じるものがあると思っています。それは今回の展示した藝大生の多量の没案からも、高速に多量のプロトタイプをつくるというtakramが公開講義で語ってくれたことからも分かっていただけることでしょう。

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【DAGODA展概要】

会期:9/22(月)〜9/28(日)
開館:10時〜17時
会場:東京藝術大学美術学部総合工房棟3Fプレゼンテーションルーム。(場所はわかりづらいので藝大の守衛さんに聞いてください)。台東区上野公園12-8 
入場無料。DAGODAを配布しますが、数に限りがありますのでご注意ください。

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追記として、僕が展覧会に寄せたコメントを少々加筆して掲載します。

法政大学大学院システムデザイン研究科の美学意匠論という講義で学生といっしょに雑誌をつくろうと思ったのは、今年の2月でした。本来講義というのは教授があらかじめ準備した講義ノートを読むという教育形態です。読むだけだから、学生は眠くなる。それで英語のLECTUREには叱るという意味があります。

私はそもそも雑誌編集者です。そしてエディティング(編集)とデザインは非常に近いものだとつねづね感じていました。そこで眠りを誘う講義はやめ、今年は雑誌編集という実作業を通して、さまざまな情報を組み合わせ新しい価値をつくりだす「編集の要点=デザインの力」を学んでもらおうと考えました。

既成の雑誌をなぞっても新しい価値を生み出すダイナミズムは体験できません。雑誌のあり方自体をデザインするという発想を求めました。そのため学生には「無茶ぶり」の連続でした。
デザインはアートディレクター松下計さんの研究室である、東京藝術大学大学院視覚・伝達研究室にお願いしました。

DAGODAとは、GO DADAです。ダダは便器を泉という呼ぶといった無茶ぶりの連続の前衛芸術運動です。そのダダを21世紀に復活させるのではありません。いまさら展覧会に便器を置いても何のインパクトもないですから。復活させたいのは「勢い」です。未来をつくる勢いです。「意味ねーぜ」って地点まで突っ走ると、そこから違う世界が見えてくる。先進国の中流意識の浸りきった道徳観から一歩先に出ていかないと、見えてこないことってたくさんあると思います。

革命や前衛なんてもはや古臭い言葉です。でも、突破しないと違った視点から解決策を見出せないことがある。地球温暖化も、化石資源の枯渇も、人口爆発も、貧困層の拡大も、日本の超高齢社会も……。真っ向から未来を見つめて、自らの手で未来を変えようと思うこと──その勢いを復活させたいのです。

ようやく雑誌になりました。当初考えていたものより、はるかに質の高いものが出来上がりました。共鳴していただいた方一人ひとりに感謝します。DAGODAは未来を見る運動です。これからも続けていきます。

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DADAとは──
【ひと言でいうと】
第一次世界大戦中にヨーロッパ、アメリカで起こった前衛芸術運動。大戦後の23年頃まで続いた。ダダイスムとも呼ばれる。

【起源】
発祥はスイス・チューリッヒの、キャバレー・ヴォルテールという店。1916年2月8日、詩人トリスタン・ツァラ、画家・彫刻家ジャン・アルプらが最初のダダのイベントを行った。

【ネーミング】
DADAという名前はキャバレー・ヴォルテールで、1916年ツァラが辞書に向かって小型ナイフを投げて偶然拾い出した言葉といわれている。

【背景】
第一次世界大戦は、機械化された戦争によって、戦死者を約900万人出す未曾有の大惨事となった。戦中に中立国のスイスで生まれたダダは、悲劇を生み出した機械化を推進した合理主義や、科学技術による進歩主義を否定し、それらを推進する社会体制を破壊しようという運動であった。芸術的な前衛性を意味するアバンギャルドはもともとフランス語の前衛部隊を意味する軍事用語。ロシアアバンギャルド然り、芸術的前衛と戦争と革命との関連は、この言葉遣いからうかがえる。

【分散並列型グローバル展開】
チューリッヒからニューヨーク、バルセロナ、ベルリン、ケルン、パリへ広まった。

【前衛性】
マルセル・デュシャンの「泉」と題した便器や、マン・レイの底面に釘を打ったアイロンなどに代表されるように、スキャンダラスだが意味がないことをあえて行うことで、既成の美術の枠組みを揺るがし、進歩の幻想を振り払い、合理を虚無の海で覆い尽した。偶然性を利用する手法は、既成の雑多な印刷物や廃物を利用するクルト・シュヴィッタースのコラージュによるメルツ絵画を生み、非合理への関心は、無意識・深層心理へ向かったその後のシュルレアリスムへの道を切り開いた。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2008-09-23 13:01
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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