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藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
遊び心(3)余白と空白
前の投稿「遊び心(2)」から読んでもらえると、話がよく見えると思います。本来ひとつの原稿を長いんで2つに分割したので。
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余白が遊びを生む場だからといって、空白が遊びの場だとは限らない。
それの典型例がダニエル・リベスキンドのベルリン・ユダヤ博物館だ。そこでは空間に何も無いことが意味を持っている。ヴォイド(空)はベルリンの街からナチスが根こそぎにしたユダヤ人とその文化の喪失感を示す。闇の支配する歪んだ空間には悲しみと恐怖が刻印されている。ユダヤ博物館の空白は、強烈な喪失感と恐怖が作り出した「反転したモニュメント」である。その空は、前に説明した二項対立の逆説の力を利用したものだ。空と塊、意味と無意味、マッスとヴォイド、生と死、希望と絶望、光と闇などの対立が「空」の中に充満している。逆説の力を利用して、反転の結果生まれた「空」は決して「遊びの場所」と表現できない。

この論考では余白と空白を使い分ける。余白とは遊びを可能とする空。空白とは意味や量塊の反転させて生まれた空。後者には逆説的に意味が凝縮されているので遊びの余地がない。

余白とは2つ以上のシステムがあるとき、あるシステムには意味があるが、あるシステムには意味がない、そうした領域である。機械や空間やメディア側のシステムでなく、人側のシステム、つまり人とモノやメディアをつなぐシステムにとって余白が意味を持つとき、余白の中に遊びが生まれる可能性は広がる。

余白を作る力、もしくは余白を見つける力、これはデザイナーに必須の能力だ思う。いや、こういったほうがいいかな。余白に遊ぶ力。個を消さないと余白では上手に遊べない。余白が個の表現になってしまうから。その極意が遊び心。僕はそう思う。

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参考リンク
リベスキンドのユダヤ博物館の空虚については浅田彰氏の論評を読んでみてください。
【浅田彰─ベルリン記憶の政治学】

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さっき虹が出てました。

text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-06-11 19:30
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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