藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
地霊か!?
今日は何もない。ホントに何もない一日でした。ゴハンを一膳納豆で食べただけで食欲がなくジムにも行かず、考え事してBlogをいじってテレビ観てビール飲んで……。
んで、昨日の文京区探索の話の続き。不思議な空間を発見しました。空き地に祠が三つ。小石川の善光寺坂にある慈眼院と善光寺に挟まれた空き地です。ドクダミの中に狛犬2体が埋もれていたり。いや〜身震いしました。なんですか有名なミステリースポットなのでしょうか。曰く付きってやつですか。わが家のある目黒区の都立大学駅近辺ではめったにお目にかかれない、濃いぃ東京の地霊を感じました。
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text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2005-05-04 20:56
 
文字狩り
文京区方面で「文字狩り」をしてきました。「街の文字を収集する」という学校の授業の課題で、学生にサンプルで見せるものです。どこかに面白い文字はないかと探しながら歩くと、意外とたくさん見つかるものです。ただ歩いているだけではなかなか見つからない。カメラをぶら下げてハンティング気分になるのが大切のようです。収穫を4つほど見せちゃいます。それとお寺の水瓶(?)の水面に浮かんでいた桜の花びら。2,3週間前の桜の花びらがなぜか残ってました。きれい。
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言い忘れましたけど、一番上がモザイクタイル、次が金属、その次が筆書き、おにぎりはプラスチック、それぞれの加工の特長がきちんと文字デザインに反映されています。たとえば「DPE、カメラ」は金属なので直線が基本、それに単純な円弧のカーブが使われている。モザイクも直線的。逆に筆書きの中華料理屋(閉店)は今の人は、こんなふうに「理」や「園」の文字を省略できないというくらい見事な崩し字になっています。(5/20追記)
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2005-05-04 13:07
 
真ユニバーサルデザイン
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5月1日発売の『AXIS』115号ユニバーサルデザイン特集に寄稿しました。
「生きるのびるためのユニバーサルデザイン─21世紀のデザイン指標が意味するものとは?」(長っ)というタイトルの記事です。

今までとは違う観点からユニバーサルデザインを論じた原稿で、自画自賛ですが、かなり気に入ってます。でも、書きたかったけど、文脈上、触れることのできなかった大事な話があります──。それをちょっと書きます。

ユニバーサルデザインとアニメの関係です。
攻殻機動隊の草薙素子は、究極の身体障害者ということに気づいたのです。というか、攻殻そのものがディスアビリティの物語なのです。素子は幼いころから義体です。全身、人工身体なのです。

かつてヒーローとは、ランボーのような、ブルース・リーのような究極の「健常者」の肉体だったのが、攻殻ではいつの間にか少佐やバトーのディスアビリティの物語にすり替わっています。21世紀では、肉体や知性を外部装置化したディスアビリティのほうが、究極の身体能力、知力を持つことが可能になるのです。「サイボーグ009」などもやはりディスアビリティの物語です。

こうも言えます。現代の人間はますますネットや都市に依存するしか生きのびれない。極論すれば、人間はネットや都市の「パラサイト」としてしかサバイバルできない。こうした人類の未来像は、人間が覚醒して新人類・ニュータイプになるガンダム型の物語と正反対です。

「自律型サバイバル」と「寄生型サバイバル」とまとめることができるでしょう。しかし、ガンダムの場合、自律型サバイバルといっても、コロニーなどの人工環境やモビルスーツなどの戦争機械を通して人類が進化するわけですし、「自律型サバイバル」と「寄生型サバイバル」は同じことの裏表かもしれません。

映画「2001年宇宙の旅」では、自律型と寄生型の対決が主題になっていました。寄生型とはこの映画の場合、人類がHAL9000との共存することです。ボーマンは暴走するHALを倒し、自律型の進化を遂げます。「エヴァンゲリオン」の人類補完計画も自律型進化です。

しかし私たちの暮らす21世紀の世の中では、人類の未来像はますます外部記憶、外部知能、外部認知、外部身体に頼る寄生型サバイバルのほうが現実味を増しています。実際には今どこを見渡しても「ニュータイプ」や「チルドレン」誕生の予兆さえ存在しないのですから。

話を戻すと、ユニバーサルデザインとは、機械、コンピュータ、ネットワーク、都市環境にべったり依存する人間の新しいあり方を探るデザインと言えます。つまり寄生型サバイバルのためのデザインです。決して万人のためのデザインではありません。

ユニバーサルデザインの提唱者、ロナルド・メイスの「すべての人は障害を持っている」という認識は、記憶も知性も感覚も身体活動も外部装置化しつつある21世紀の都市生活者においてこそ、リアリティを持つものだと思います。

この考察を続けると面白い。つづきはまた今度。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2005-05-02 19:17


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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