藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
限界看板
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3年くらい前でしょうか。限界看板という言葉を思いついたのは、台東区三ノ輪あたりでふと製靴会社の看板が眼に入って写真を撮った時でした。
「製」の字の崩れ方に人為では真似のできない味があります。d0039955_19415992.jpg

もし単独でこの字だけを見たら判読するのはむずかしかったでしょう。しかし周りの状況で「製」であることがちゃんとわかります。「製」ほど崩れていないけど「靴」もちゃんとわかります。このギリギリな感じ。危ういけど成立している感じ。それに魅せられたのが限界看板を収集しようと思ったきっかけでした。

「お店もつぶれてしまったし、もうそこまで頑張らなくてもいいよ」って思うものもありますし「あと10年頑張るとよりイイ味になるんだけどな」というものもあります。逆に「営業してんだから、ちゃんとしろよ、けど、そのちゃんとしてない感じがイイだけどね」というのもあります。

「ありのまま」とは、本来の姿とも昔のままとも違います。変化を受け入れること、つまり自然や他者の力によってその姿が変わっていくことを受け入れる姿勢です。しかし限界看板は「なすがまま」ではありません。風化や他者の干渉を受け入れながらも、それに抵抗し看板として「伝える」という本来の役割は果たそうとグッと土俵際でこらえています。

看板とは「伝えたい」という意思が「かたち」になったものです。その意思は風や雨や光に晒されても、錆びが褪色が進んでも、上から落書きされていっても、そう簡単に削ぎ落とされていきません。限界看板の愉しみは、機能を失った人工物が朽ちていく姿の中に美を見出すことでなく、風化の中に踏みとどまる機能を愛でることにあるのです。

人が管理してきちんと機能していたものが、何らかの理由で人が手をかけなくなり放置され劣化し風化していく。それは、人の時間から離れていくことです。もしそれが機械なら、人が手をかけなくなれば、止まって機能を失います。建築物だと構造体としての機能が残る。それゆえ廃墟の美というものが生まれます。ただし廃墟は何も使われないから廃墟です。そこで多くの人が愛でるのは機能ではなく、人がつくりし構造体が空間の記憶をとどめながら自然と長い時間をかけて同化していくプロセスです。

しかし限界看板の場合は「伝える」ことをやめません。風化はしても機能しています。自然の時間の中に身をゆだねた機能が発現する美──。それは最大限に機能する形が発現する美とは違う、もうひとつの機能美かと思うわけで、私はそれに惹かれるのです。

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とても好きな限界看板です。ドット化、水玉化、草間彌生化……。

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かろうじて「雑誌」であり続ける。

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某百貨店のバックヤード。押し続けて文字が消えてもメッセージは消えていません。

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消えてもみんくる。

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消えてもモ・リ・ナ・ガ。

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錆びることもカラフル。

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褪色したほうがインパクトがある。

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赤の強さ。

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剥がれても歪んでも。

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ホラーハウスか。

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根性無しの音引き

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レイヤー看板。居抜き物件の悲哀。

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この前の店名はもう見せてはいかんでしょ。

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割れ目から現れる深層。宝誌和尚立像のよう。

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「相合い傘」に「しね」といった便所の落書きのようなものも残り続ける。

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さすが渋谷。グラフィティ!

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止まれと言い続けて踏みつけられてそれでも機能し続けています。

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周りのおかげでしっかり読みとれます。

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サコーハ市Ⅱ

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消した跡が残っています。

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小学校の時に通学路にあったお菓子屋さん。今は閉店。この店の前で小学一年のときにクルマにひかれました。もの哀しいけど、まだあることがちょっとうれしい。

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町名がわかる人には、これでもしっかり機能します。

・追加(9/24)
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みどりに塗りつぶせ。

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上越線車内。言いたいことはわかる。

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上と同じ車両のトイレ。正確には限界看板かどうかかは微妙なところですが……。

・追加(12/6)
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ギリギリ読める(横浜)

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崑ちゃん。

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なんかマーク・ロスコ。

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ここまで横浜。

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京都にて。

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クリーニングか花屋か紛らわしい。花屋でした。花屋は花が看板ってことでしょう。これも京都。

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ロックでワイルドな年のとり方です。

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乱暴な仕事だなあ。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2014-08-24 22:16
 
うぶ毛の理由
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堺雅人が大写しになったソフトバンクのポスターで、オヤッ?と思った。毛だらけなのだ。もしこれが女性ならコンピュータで加工して、うぶ毛も毛穴もシワも消し去って艶やかな肌にしてしまうだろうが、このポスターではライティングで頬の輪郭のうぶ毛を光らせて、一本一本毛羽立っている様がわかるようにしている。毛穴も生えかかったヒゲもわざと目立たせている。

堺雅人の肌は白くてツルツルというイメージを勝手に抱いたし、男性でさえ肌をツルツル加工した広告を見慣れていたせいか、今時うぶ毛全開とはすごいな、と思ったわけである。

ま、よく考えれば、ソフトバンクはツルツル肌の堺雅人のイメージが欲しかったのではなく、組織に飼い馴らされず正義を貫く、半沢直樹という野生の銀行員というイメージを欲しかったわけで、ドコモがようやくiPhoneを扱って「巻き返し」を図っているが、昨日までツートップだとか言っていたモバイル通信界の巨人の「手のひら返し」に、こちらこそ「倍返し」だ、と言いたいのだろう。

広告に現れるお肌ツルツルは個性ではない。シワは醜い、肌荒れは悪、お肌のケアをしないことはだらしないこと、若さを保つ努力や健康管理は現代人の義務という国民的刷り込みの表現である。

そうした意味では、顔毛の表出は広告界の暗黙の了解への掟破りのようにも思えるが、ソフトバンクの広告には以前から毛だらけ顔の主役がいる。
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白い犬のお父さん──。ソフトバンクの白戸家シリーズの広告キャンペーンは、家族全員ソフトバンク、親戚もお友達も宇宙人もみんなでソフトバンク、というのが基本的なメッセージである。白い犬はホワイトキャンペーンだからというだけなら、あのキャンペーンはこれほど長く続かない。あるべき家族像という刷り込みが描いているから次々と新作が可能になる。

父が犬という設定の理不尽さは、父の理不尽さの「裏返し」であり、さらにいえばエディプスコンプレックスの「裏返し」である。父が権威と言葉をとおして、母と子の初源的結びつきを断ち、子どもたちは無意識の中に抑圧をかかえるというのがエディプスコンプレックスの構造である。

それは子どもが大人になることでもある。子どもは社会のルールを知らない。だから父に何を怒られているかわからない。だから子どもにとって社会のルールを強要する父の命令は本質的に理不尽である。

しかし広告が描くのは、現代の理想の父である。もはや星一徹や小林亜星の「ちゃぶ台返し」の理不尽さは、あるべき父の姿とはほど遠い。やさしくて、話がわかって、空気が読める、多少のわがままなら暖かく見つめて許してくれる家族の保護者──そういう父をどうやって描くか。そこで理不尽な父を描くのでなく、父の存在自体を理不尽なものにしてしまうウルトラC的発想を使ったのがソフトバンクの白戸家の広告キャンペーンである。

半沢直樹は理不尽と闘う銀行員である。本来なら父親=犬という理不尽は、半沢にとって100倍返しで土下座ものである。しかし逆にいえば、白戸家の世界では理不尽さと闘う半沢の存在自体が理不尽である。それゆえ、おいおいオマエは上戸彩と夫婦じゃなかったけ、とかツッコミを入れてもらうために迫真のリアリティを演じる。

だからうぶ毛だらけの顔になる。白い柴犬が流行ったように、これからセクシー&ワイルドなうぶ毛が街を賑わすようになるのも近いかもしれない。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-12-02 15:26
 
SENSE of Wonder展は12/6からです
SENSE of Wonder展の企画ディレクションをやっています。ふだん見慣れたマテリアルのもうひとつの様相を探り出すことをテーマにした展覧会です。
https://www.facebook.com/sense.wonder
Facebookページをせっせと更新しています。ぜひご覧下さい。
かなり濃密な面白い展覧会になりそうです。
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【展覧会概要】
第4回東京アートミーティング
「SENSE of Wonder──ありふれたマテリアルのもうひとつの様相」展

会期:12/6(金)〜12/18(水) 会期中無休
開場時間:10:00〜17:00  入場無料
会場:東京藝術大学大学美術館陳列館(台東区上野公園12-8)

形があって、素材があって、はじめて「もの」が生まれます。素材に真摯に向き合うことは、アートとデザインの領域を超えてあらゆるクリエイターに必須なこと。本展は、私たちの生活を支える身近なマテリアルを見つめ直し、ふだん見慣れた姿と違う“マテリアルのもうひとつの姿”を探り出すことを目指します。

本展は4つの展示から構成されています。
1)作家展示
2)マテリアルライブラリー
3)すっぴん紙展示
4)つくる体験展示

1)作家展示/15名の東京藝術大学の教員と在校生による、マテリアルの新たな様相を探求した作品展示。

出品作家:松下 計橋本和幸鈴木太朗西村雄輔小野哲也佐久間あすか、八木澤優記、小林裕子中山 開鷹野 健、佐々木里史、小島沙織、服部勇一、久保田沙耶三木みどり
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橋本和幸「LIFE」


2)マテリアルライブラリー/学生たちが試みたマテリアル表現実験の成果物約150点展示。ほとんどの作品は触ってご覧いただけます。
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3)すっぴん紙ZINE展示/「すっぴん紙」とは藝大デザイン科と北越紀州製紙が開発中の機械抄紙工程で薬品を使わないで製造した紙。藝大生が作った20数タイトルのZINEを展示。
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4)つくる体験展示(ワークショップ)/ものをつくることを通して、マテリアルの諸相を知る。紙やインクの物性をデジタル製版を通して体感するワークショップ、廃棄物を使って顔をつくるワークショップや、廃棄物の樹脂を使った万華鏡づくり、金属と糸を使ったアクセサリーづくりなど。
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写真は試作イメージ

主催:東京藝術大学、東京都、東京都現代美術館、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、産経新聞社
協賛:北越紀州製紙株式会社
特別協力:株式会社ナカダイ
協力:理想科学工業株式会社、レトロ印刷JAM、株式会社竹尾、株式会社コプレック、株式会社スリーピークス技研、株式会社MGNET(武田金型製作所)、磨き屋シンジケート(燕商工会議所)、やまだ織株式会社

※ 本展は「うさぎスマッシュ展」の関連プロジェクトとして東京藝術大学デザイン科と絵画科油画が企画して開催するもの。「うさぎスマッシュ展」は2013年10月3日〜2014年1月19日東京都現代美術館で開催。

※Sense of Wonder(センス・オブ・ワンダー)とは、何だろう? 不思議だな? 理由は分からないけどワクワクする、といった感覚を表す概念。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-11-30 15:36


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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