藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
タイトル変えてみた
あまりに更新しないので、タイトルを変えてみました。

ココカラハジマル→藤崎圭一郎の雑思録。

なんだかちっとも最近ここから始まってないので、もっと気軽に書けるタイトルにしてみました。雑誌の仕事からスタートした人間なので「雑思録」です。

ブログのタイトルを変えるのは3回目。最初のタイトルは「悠悠研鑽」→「Design Passage(デザイン・パサージュ)」。最初のタイトルはその存在すら検索するまですっかり忘れてました。

最近はTwitterとFacebookばかりになっていますが、Twitterで書いてきたことをベースに、こちらに流れのある文章にしてまとめたいと思ってますし、ブログもなんとか活用していきたい。Twitterは思いついたことをササッとまとめるには好都合ですが、どんどん消費期限が短くなっていて、書いた本人も半年前にどんなことつぶやいていたか覚えていない。ネグリの話を聞きに行ってネットワーク上の特異点(シンギュラリティ)を標榜せよ、なんて考えていたのをすっかり忘れている。

思考の瞬発性ばかりが鍛えられて、思考の持久力が弱くなってきている。何かに反応して、気の利いたことを言うのが目的になっては、見た目だけの役に立たない筋肉を育てるのといっしょ(筋トレ嫌いじゃないですけど)。思考の足腰をちゃんと育てていかないといかん。粘りある思考をしていないと、つながるものもつながらない。そう思っております。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-11-25 09:34
 
見える化
私は「見える化」という言葉はどうも好きになれない。

舌をかみそうな「ビジュアライゼーション」や専門用語っぽい「可視化」を親しみやすく表現したというこの言葉の存在意義はわかるが、ダジャレのような響きと、動詞に「化」をつける不自然さに違和感を感じてしまうのだ。

しかし、このヘンテコなやさしい語感が意味の広がりをもたらすことに最近気づいた。この意味の広がりが、現代のデザインの役割に直結する。

私は「見える化」には4つの意味があると考える。

①情報を整理し、現象や関係性などを視覚的に表現することで、直感的に理解できるようにすること。可視化やビジュアライゼーションの従来の定義。昨今ビッグデータへの注目が高まるなか、可視化技術の重要性は急速に増しつつある。

②オープン化。もともと外からは見えなかった内部を開放し見えるようにすること。反対はブラックボックス化。

③微細視。見えなかった細部が見えるようになること。一般の人には認識できないディテールを露わにしコントロールすること。デザイナーはこのためにスキルの訓練を積む。

④プロトタイピング。アイデアをかたちに出来る力。「あなたの言ったことを絵にするとこういうことでしょ」と言ってササッとスケッチを描いてしまって、「ええ、まさにこういうことですよ」と言わせてしまう力。

こんなに大事なことが詰まった言葉なのだから、なおさら「見える化」というヘンテコな言葉を使ってもらいたくないものだが……。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-07-30 10:58
 
ナラティブの力 ── モノ・コト・物語
モノ。コト。あるひとつのまとまり・かたまり・つらなりをいい表す言葉である。物事とも事物ともいうように、このふたつは表裏の関係にある。

一般に、実体があるとモノ、現象だとコトと呼ぶ傾向にあるが、そうとも限らない場合がある。

「事足りるが物足りない」──これは面白い表現だ。用は満たしているが、充足感がない、という意味である。この場合、「事」は機能面での働きであり、「物」は感情への働きである。

「物になる」とは、価値ある成果をあげたり、一人前と認めてもらえる人になることである。つまり、存在感を発することだ。ある「人物」が「大物」か「小物」かは存在感の強弱をいう。

「もののふ」とは強い存在感ある武者であり、「物の怪」は正体不明で、実在するかも定かでないが、出会った人の心に強烈な存在感を残していく。「もののあわれ」とは無常の世界のなかで存在感が明滅する様を表す。

コトが言の葉の「言」であることも忘れてはならない。人が何かを他者に伝えようとしたときに、そこにコトバが生まれる。コトバは音声や文字による言語とは限らない。視覚言語、デザイン言語、身体言語、映像言語というように、形態や象徴や身体動作や映像などで語られることもある。

「事」と「言」が重なり合うと「歴史」が生まれる。事実は言葉に置き換えられて、歴史として語り継がれるのだ。

「物」と「言」が出会うと「物語」が生まれる。語りが人の心に訴えかけ、存在感を発する働きをし始めると、それが物語となる。事実か架空かは問題ではない。

歴史も、語り継がれることによって物語となる。物語とは、人の感情に作用し、その存在感を心に残す、語りうる形でひとつにまとまった出来事のつらなり、といえるかもしれない。

ナラティブ(narrative)とは、「物語。話術。語り。物語体(風)の」といった意味である。narration(ナレーション)と近いことから分かるように、「語られる」というニュアンスを含む。

映画「男はつらいよ」47作目に、寅さんが、靴会社に入ったばかりの甥の満男に物の売り方を教えるシーンがある。

満男は営業の仕事がつまらないと不満を漏らす。寅さんは満男に「オレと勝負してみないか」と、ペン立てあった消しゴム付き黄色い鉛筆を手渡して「オレに売ってみな」と言う。満男は「消しゴム付きです。買いませんか」と言うだけで言葉に詰まる。

寅さんは、母の思い出を語り出した。「オレは不器用だったから、夜おふくろが鉛筆を削ってくれたんだ。火鉢の前にきちんと座って、白い手で削ってくれた。削りカスが火鉢の中に入ってぷ~んと香りがして……」。家族みんなが寅さんの話に引き込まれ、「私、こんなに(短く)なるまで使った」「昔はものを大事にしたな」といった会話が始まる。寅さんの語りが、どこにでもある鉛筆を尊いものに変えてしまう。

物語は人の心に存在感を残すだけにとどまらない。物語は語られることによって、多くの人と世界観を共有するための有効な手法になりうる。そして語り継ぐことで、その世界観が進化していく。それがナラティブの力である。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

# by cabanon | 2013-03-07 15:09


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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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